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プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 04 . 14 up
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1919年3月3日(の続き)

 ある日、自分は藁山の中でパイプを失くした。やっと見つけたまさにそのとき、そのワーシカ〔貧民委員会議長である泥棒のワーシカ・エフチューヒン〕の目もわたしのパイプに行き着いた。幸いこっちが先にパイプに手が伸びた。するとワーシカは言ったものだ――『残念だなぁ。そいつは今、チェトヴェルトゥーシカ〔25コペイカ〕もするんだぜ!』。わたしは言ってやった――『盗んででも手に入れたいかい?』―『そりゃね』―『泥棒じゃないか……まったく、なんという……?』―『なんという、って?』―『とんでもない話だ』―『どこが? どこがとんでもないって? そんなこたねぇよ! だいたいが泥棒をとんでもねぇと思ってる人間はたった一人だけだ。〔物を〕盗まれた奴にとってよくねぇだけさ。関係ない奴らには泥棒はどこも悪くねんだよ。たとえば、わしが一番の友としてあんたのために働くってのはいいことだろう、そうだろう?』―『そりゃね』―『同意するかね?』―『同意する』。じっさい、わたしという存在は今やワーシカによって支えられていて、彼なしでは一歩も前に進めなかった。彼はわたしのために便宜を図ってくれた。いろいろ手を貸してくれたし、身の回りのものをただで揃えてくれた。食べるものもない、町に住むわたしの教父には官の小麦を届けてやろうと約束さえしてくれたほどである。ところが、こちらが消滅すべき〈強欲な所有者〉であると認定されや、すべてが一変してしまった。ある朝、目を覚まし、外を見ると、わが家のジャガイモ畑に彼の女房がいるではないか! わたしが近づいても逃げようとしないので、なぜうちの畑にいるんだと言ったら、その答えがこうだった――『今ここは誰のものでもないんだし』。
 そのときから、わたしは泥棒のワーシカにとって都合の悪い唯ひとりの人間になった(なんと言っても、彼はみんなのために泥棒をしているので、わたし以外の誰にとっても悪い人間ではないのである)。わたしに対する態度は見事なほど一変した。最終的に自宅から追い出されると、ワーシカは、わたしが飼っていた豚を自分で屠って、集まった村人たちに何切れかずつ脂身(サーロ)を配った――豚肉の聖餐式とでもいうように。だが確かにそれは正当なやり方だった。最貧農が全(すべて)であり、全とは最貧農のことなのだから。しかし、それが法(ザコン)であると言われて、誰がそんな侮辱や悔しさに耐えられるだろう! 『わしらがどんな悪いことをした!』と、あとになって聖餐に与かった連中は言った。『わしらはね、ミハイル・ミハーイロヴィチ、なにもあんたに恨みはない。わしらがあんたを追放したわけじゃない。わしらの中じゃあんたが一番の人物であることは、みんなじゅうじゅう承知してるんだ』。イワン・アファナーシエヴィチもあとでこんなことを言った――
 『あいつらがやったんじゃないですよ。なんて言うか、思想(ムィスリ)みたいなものがヒューっと体を吹き抜けてって……でも、それがどういうムィスリか、どっちの方角から吹いてきたのか、さっぱりわからない。湧き出し口がどこなのか、それがさっぱりわからんのですよ』
 『湧き出し口だって? ムィスリの?』と、わたしは言った。『それは頭のどっかにあるんだ。なんせ無(ニシトー)が全(フショー)になるんだ、これまで何者でもなかったような奴が全人になるんだからね』

 (死体に群がる寄生虫は家屋敷(ウサーヂバ)の居候たち。彼らは自分の仕事をしている。無から全へ)。
 至るところで湧いてくる、この無(ニシトー)の創造に対する疑念。どうも変である。そこには破壊されたものが何もないのだ。
 なぜきみらは何も創り出さないのかと訊くと、『向こう〔インテリ〕のほうはわしらと一緒に働きたくないと思ってんだよ』という答え。
 創造する力としてのインテリゲンツィヤ。破壊する勢力のほうはもう疲れてしまって、ただ祈ったり泣き喚いたりしている。呼びかけはとうに為されているのに、このヴァリャーグども〔ここでは政治的経済的に先住民を支配する勢力〕はまるで動かない。
 理由(わけ)のわけ。
 無(ニシトー)がいちど傾く〔言うこと聞く〕と、つまりそれは今や創造的なものではないということで、別の勢力がその後釜に坐ることになる。その別の力はインテリゲンツィヤではなく、個々の独立した勢力だ。
 絶対(アブソリュートヌィ)の君主は理想(イデアール)であり、個々人の力の抽象化(アブストラークツイヤ)である。
 農民層中の最貧民は一般人の力の実現。あっちには富があり宮殿があり、こっちには貧困がありあばら家がある。
 あちらにニコライ、こそちらにワーシカ。最後尾が先頭になり、先頭が最後尾になる。
 ロシアの君主制では個々人の権力は排除され、ロシアのコムーナでも社会人の権力は根絶された。
 もしわが国家が孤立したままであれば、再び新たなマテリアルを手に君主国家が舞い戻るにちがいないが、解決はすべて妥協の産物だ。

 理性(ラーズム)の力に拠るナロードの啓蒙教化は、運動の勢いを抑えて階級間に緩衝をつくるだろう(リベラリズム)。それが最新の知恵(生きたまま引き裂かれた関係を普通の糸でかがること)。
 歴史に何かしら新しいものが――個々人の勢力(創造する力)と一般人の勢力との間に新たな相互関係(妥協)が現われる。つまり、作用と反作用の点の置き換え(移動)が起こるだろう。

 公共の知識人(インテリゲント)。
 コムーナにおけるインテリゲントの運命。書物とよく似た運命だ。私人に仕えていた本(個人蔵書)が収奪されて公共図書館に納められる。インテリゲントもいずれ公共インテリゲントである。公共化への全面的運動では、独立した個々の人間に残された唯ひとつの道は自分の蔵書を公共図書館に納めることだ。
 面白いのは、どの郷も村も本はすべて自分のところに置いておきたい、よその郷(とくに都市)にはぜったい渡したくないと思っていることだ。(ワルグーニンなどは自分の蔵書をなんとかしてリャビーンキに移そうと画策している)。
 以前(帝政時代)はふつうに私物の公共化が行なわれたものだが、今は公共物が私物化されている。
 革命の私物化。革命自体がそんなである。みんなの理想、みんなの理念、みんなの人間、みんなの本、みんなの衣服――すべてこれらが都市部から農村へ凄まじい勢いで移動している。ユニヴァーサルなものがパティキュラー〔私的〕なものになっていく。以前はその逆で、私的なものが公的なものになったのだ。
 富農、町人(小市民)、しみったれがエゴイストなのではなく、エゴイズムを抑えられなかった者たちがエゴイズムの奴隷になったのである。

3月4日

 いつもは老婆が仕切っていたのが、赦罪の日に疲れが出て腕に力が入らなくなった。それで日常の雑事、こまごましたことがみなソフィヤ・パーヴロヴナ〔ソーニャ〕に降りかかった――まるで石の雨でも降ってきたようである。朝早く、ベッドから足を下ろすと同時に、為すべき仕事が次から次と襲ってくる。まずは木っ端(サモワールの準備)だ。焚付けは前の晩から用意しておかなくてはならない。ペチカ〔竃〕の中を乾燥させておくにはやはり、火のついた木っ端を前もって突っ込んでおかなくては。それを怠ると、サモワールの湯が滾るまでに1時間も2時間もかかってしまう。

大斎期(ヴェリーキイ・ポスト)の前の最後の日曜日(断酪の主日)、この日、正教徒たちは互いに許しを乞い合う。

 木っ端の用意はそれでいいが、さて水は? 水の入った木桶をいくつも置いているが、すぐに凍ってしまうので、夜のうちに氷を割って、鉄鍋に移し、ペチカに突っ込む(融かすため)。氷を急いで外に出さないと、水屋はすぐに往ってしまう。桶もそうだが、まずその前に、とにかく門を塞いでいる雪の山をシャベルで崩さなくては。水屋が叫ぶ――『門を開けて開けて。どこもこれだ。待ってられんよ。おれにだってやることがあるんだ。さあ早く開けて!』。まんざら嘘でもない。燕麦が高騰して、今では1プード50ルーブリなのである。こんなところでぐずぐずしてはいられない! だが、門の半分を埋めた雪を取り除くのはそう簡単でない!

冬場に水を配って歩く人びと。水運び屋(ヴァダヴォース)は職業。

 ベストゥージェフ女子大出のソフィヤ・パーヴロヴナはせっせとシャベルで雪掻きだ。とても愛想のいい声で乳母に言う――あたしはこっちからあなた〔乳母〕は通りの方から搔き出してね、と。そして水屋に対しても――『もうちょっと待っててちょうだい。ああ、それにしてもどうしてこうなっちゃうのかしら。ほんとに何ということでしょう!』。宥めたりすかしたりして、ついに門が開けられる。門が開けられて、中庭の雪もだいぶ掃き分けられたが、通りのほうはまだ垂直の雪の壁――まるで奈落の淵である。その上に水屋が立っている。『ああ、あなた!』と、今度は乳母が祈るように水屋に声をかける。『もうちょっと待っておくんなさいよ!』そう言って、雪の出っぱりをシャベルで掻き落とし、そこに勾配をつけ、下に置いた桶に水を注いでもらう。水については一件落着。門を閉めて、これでお仕舞い!
 区警察署のネズミ〔下っ端〕がやってきて、こう告げた――明日までに自分の家の前の通りの凸凹を均しておくように。怠れば500ルーブリの罰金だ、と。だが、子どもたちは着替えもせず、まだ寝床の中で『マーマ、マーマ!』と怒って喚いている。
 こんなとき、婆さんの手を借りずに何ができるだろう。凍ったような水のせいで指にはあかぎれ。食器を洗う労を省くため、どんな食事も一枚の皿で済ますようになった。深いスープ皿にジャガイモを盛るし、カーシャもそれで食べ、お茶もそれで飲む――深鉢(ミースカ)ひとつですべてを済ます農民と変わらない。
 イワン・リヴォーヴィチは学生ながら大隊の指揮官だ。その彼が部屋を徴発して、そこに鉄のペチカを運び込んだ。ところが突然、立派なペチカをそっくり残したまま、大隊は北へ異動。なんとも有り難い話で、家族全員がその部屋へ。おかげで椅子を焚きつけにしていのちの暖を取ることができたのだった。
 夜になれば、外套の下に斧を忍ばせて仕事に出かける。柵板をはずし、路傍の杭や柱を叩き割っては家の中へ運び込むのである。たいていはご機嫌なご帰還だ!
 チフスの蔓延。だが、それもあまり心配しなくなった。病院の付添婦が話す――
 「小さな男の子が来たんです。水泡だらけのね。大してもたないなと医師(せんせい)。ある男の人に――チームカという名でしたが、先生が『おまえさんは何かあるのか〔治療費のこと〕?』と訊くと、『酔っ払った母親しかおらんです。ほかには何も』と答えてました。こないだ、その男を見かけました。すぐにわかりましたよ(脱穀したキビ〔治療費として〕を持ってきたので)。アンナ・グリゴーリエヴナがあたしに声をかけてくれましてね、――『林檎の木の下でお茶を飲むからいらっしゃい。天気もいいし……ぜひいらっしてください』。でも行ってみると、アンナ・グリゴーリエヴナは林檎の木の下に黒くなって〔チフス〕横になっているじゃありませんか。なのに『ねえ、家の中がどうなってるか見て!』とかいろいろ話しかけるんです。先生は、駄目だ、もう死にかけてるって。でも、ああいう人たちは死にゃあしません。なんてたって善い人たちだもの!」
 そんなふうにして次第に疫病の蔓延のことも恐怖についても考えるのをやめてしまった。死すべきものは必ず死ぬ。でも自分は生き延びるかも。

3月5日

 夜明け前。ストーヴにかけていた薬缶が沸騰。乳母が自分の急須を持ってくる。ピンクの縁取りがされている。口は鉛色で、小さな蓋に編紐が付いている。お茶ではなく飲むのはオトギリソウだ。彼女の思い出話を聞く。きょうは2月19日。「農奴解放(ヴォーリャ)」のことが新聞に出たとき、彼女は16歳だった。わたしは訊いた――『解放されて何か特別なことはあったの?』――『いいえ、とくに何もありませんでした』。
 自分にも乳母はいたが、なんだか12年後の今、その乳母が目の前に現われたような気がした。魂には人間の愛による識別能力(それを通して自分に近い存在(同類)を発見する)が備わっていて、それが無限のいのちについて語るべきベースを与えている。だが現在はその能力(感覚)が逆向きに働いているのだ。自由な愛の識別能力を無視して、ずばり〈乳母なんてどれも同じだ〉などと言ってしまう。

 初春のひかりが輝き渡る水色の王国の扉を開け放つと、朝のうちこそマロースは烈しさを増すが、路上にはなかなか消えない正午の日向が徐々に広がっていく。日毎に中天が高くなる。

3月6日

 なんとも馬鹿々々しい! すべての蝶の羽から鱗粉を擦り落としたあとで、見ろ、チョウチョなんてどれも同じじゃないかと言いだすのだ。まったく、馬鹿々々しい!

3月7日

 『ボブローフでは……』―『ボブローフってどこだ?』―『ボブローフはボブローフだ、どこの町だか知らんけど』―『それでそのボブローフで何があったって?』―『ボブローフの町にはボリシェヴィキが一人もいなくて、先の政府のときより何でも安いらしい』

 おとぎ話=夢。わたしは自分の家のベルを鳴らしているようだ。ドアが開く。『ご存知でしょうか? えっほんとにご存知じゃない? どうしてまた知らないのでしょう! では聞いてください、なに、聞こえないって? じゃあ、通風孔を開けてくれませんか、さあ!』。通風孔を通して、はっきりと聞こえてくる――トランペットを吹いている。それと歌声。『讃えられよ、讃えられよ、われらがロシアのツァーリよ!』。老婆は十字を切ると、跪いて、囁く――『おお、栄光あれ、わたしたちは首を長くしてあなた様(バーチュシカ)をお待ち申しておりました』。リョーヴァが調子(リズム)に乗せられて歌っているのはインターナショナルの歌――『われらが理性は、いざ、沸き立つ死への戦いへ!』
 『讃えられよ、ツァーリよ、われらがロシアのツァーリよ!』

ミハイル・グリーンカ(1804-1857)の国民的オペラ『皇帝に捧げし命(イワン・スサーニン)』(1836)のフィナーレの合唱で繰り返される。

3月9日

 エレーツ市民の4分の1が、ワーレンキを履いたまま藁の上に寝ている。家の中でも1ヵ月以上も火が焚かれていないらしい。チフスの温床だ。

 きょうはこんなだ――
 『あたしはアンナ・カレーニナだわ、とか、あたしはもう教会には行けない』
 あすはこう言うだろう――
 『あたし、自分では不貞を働いているとは思ってないのよ。あたしはあの人〔夫〕を愛しているもの。男としてあの人をぜんぜん好きになれないだけ』
 執着、憐憫、子どもたち、良い人。揺れ動くのは、わたしの本気度に確信が持てないためだ。

3月10日

   雨が3日も降り続いている。雪解け陽気。これはまだ春ではない。わが狩猟の歓びはどこへ行ってしまったのか! 行くところがない――どこにも。監獄。どこへ行ってもチフスを持って帰ることになる。訪ねる家もない。どこもかしこもチフスだらけ。今ではわれわれはもう罹患を恐れていない。病気に対してまるで無知な人間、のようである。
 暖炉職人のソフローンには〈現在というもの=その意識〉が欠落している。つねに昔どおりに生きている。

3月11日

 土台が揺れている。こんな時代に昔どおりのやり方で生きていけるのか――想像もつかないが、でも彼は生きている。すべては人間の適応力によって説明される。乳母に言った――『ツァーリが夢に出てきたよ』―『ツァーリって、どのツァーリです?』―『ニコライさ』―『あの方、まだ生きておられるのですか?』
 芸術。修道士(モナーフ)が創造し、唯美主義者(エステート)は養分を摂取する――これこそ芸術の人生。だが〔教養なしの〕俗物はナロードに知恵(ウム=ラーズム)を教えようとする。

3月12日

 ツァーリ退位の日。前夜の夢にニコライが出てきた。乳母に言った――
 『ツァーリのニコライが夢に出てきたよ。どういうことかな?』
 『で、どんなご様子でした?』
 『僕にお金をくれた。あれはリャビーンスク図書館のための寄金かもね』
 『それなら問題ありません。あの方から無理やり取り上げたお金じゃない、ツァーリ自ら下賜されたものだもの、問題ないですわ。それで、どうでしたの? あの方、まだ生きておられるんですね?』

 わたしは夢を見ていた。旅に出ている。積荷がある。どこへ行くのかわからないが、リョーヴァが一緒だ。馬が停まる。見ると、どうやらここは昔のわが家の前庭らしい。わが家の大型四輪無蓋馬車(リニェイカ)に独り坐っている。いたはずのリョーヴァの姿がない。まわりは懐かしいものばかり。入口の右側に今は亡き乳母(ニャーニャ)が植えたレモンの木。中庭の若草の生えた小道が氷室に通じている。その氷室で自分は乳母と仕事をしたことがあった。家のガラスがぜんぶ割られている。人影もない。家の中もめちゃくちゃのようだ。しかし、そこにあるものはみな自分のもの、どんな小さなものも堪らなく懐かしい。びっくりするやら嬉しいやら。どんな小さなつまらないものにも感情移入している。小石、誰にも何の価値もないような小さな飾り(自然の)にも目を凝らす。自分でも驚いて、こんなことをさせてくれた誰かに(それは誰だろう)お礼を言ったりしている。そこからは3年ばかり苦労した自分の領地の一部も見えるのだが、あまり見たくもない。 トネリコの木が古い厩舎の屋根に覆い被さっている。大きな葉をつけた枝が一本、わたしにお辞儀をしている。『そう見えただけなのか、それとも風で揺れたのか?』。でも風など吹いていない。するとまた別の枝がお辞儀をした。さらに別の枝が……公園全体が緑の大きな輝くエメラルドの葉を小刻みに揺らして、ああこれなら確かにお辞儀である。
 夢の終わりに、誰もいない家からリョーヴァが飛び出してきた。そしてわたしを見て、言った――
 『やっぱりそうだったんだね!』

  祖国(ローヂナ)よ、自分はもう何千ヴェルスタも離れたところにいる!
夢に出てくるとは、なんという幸せ。
  息子よ、パパの遺言だ。どうか勇気を出して真っ直ぐローヂナに向かって歩いていくんだよ。

 白い嘘〔?〕。彼(ゴルシコーフ)は老婆に向かって言ったものだ――大丈夫、亭主のことは心配するな、と。ところが翌日、そいつは老婆の亭主を射殺するよう命じたのだ。
 『あんたが知りたいのはロパーチンのことだな?』兵士が彼女に言った。『どんな顔をしてる?』 
 『年寄りで、背が高くて、色白です』
 『赤ら顔か?』
 『はい、赤いです』
 『青い服?』
 『はい、青いのを着てました』
 『そうかそうか、その男ならきのう銃殺されたよ』

イワン・ニキーチチ・ゴルシコーフ(1888-1961)はロシア共産党(ボリシェヴィキ)のエレーツ郡委員会議長。農業政策の専門家〔?〕。

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