2013 . 01 . 13 up
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さまざまな精神的肉体的苦難のあとで、ついに自分の避難所(熊穴)をパヴリーハのとこに見出した。
農民たちは言っている――『わしらのところにゃブルジュイはおらん。女のブルジュイが一人おったが、そいつはわしらがぼろぼろにしてやった。まず土地を奪った。そのあと泥棒どもが(こいつはつい最近のこったが)屋敷中を荒らしまわって、奴らが盗み残したものはコミュニストたちが徴発してったよ』。ただパヴリーハの心だけは徴発されなかった。彼女が商売相手にしていたのは信頼できる連中だった。きのうパヴリーハにわたしは言ってやった――
「ウールの着物ならうちの親戚(クム)のとこにあるがね」
「じゃあその親戚に言って――『あんたはお金持ちだ』って! そして囁いた――『あたしは豚を飼ってるの、体重は8プード。穀類も5プード溜め込んでる。聖誕祭用の脂身(サーロ)だって用意できるよ!』
かくてわが生活は豚とぴったり歩調を合わせて〔動きだしたのである〕……
それでもやはりソヴヂェピヤ〔代議員ソヴェート制度(主義)、ソヴェート権力〕には何かしら甘美なものがある。恐ろしく醜悪なものだが、ウクライナへ逃げ出した連中を(のことを)羨ましいとは思わない。
二十世紀初頭における社会主義の祖国のための戦争は、、モスクワその他もろもろの新しい土地〔収奪という〕の戦争、新しい地理学だ。
*従軍記者として戦地に赴いたときの記憶。グロドノは現ベラルーシ共和国の北西端に位置する港湾都市。1915年2月の日記(四十)に出てくる。
吹雪は吼える。村のみすぼらしい小屋が雪に埋まる。自分は埋葬された死体、墓穴の中の……自分はこれでいい、埋められた死体で満足だ。ほっとしている。しかしどこか氷の層の下で、生きてるいのちが脈を打っているらしい。あるいはひょっとして、自分はまだ完全には死んでいないのだろうか? 生のかすかな脈音。ただ以前のように心臓の最奥部から伝わってくるようには思えない。
これまで最良の時を共に暮らしてきた病気の女〔妻〕を可哀そうに思っている。彼女は今、病んでいる。親しくしていた百姓たちのお情けで、壊れた桶(コルイト)の中に体を横たえている。自分はたまにちょっと憐憫の情が疼くとき以外は、ほとんど〔彼女に〕無関心である。
新しき友〔ソーニャ〕……それは灼熱の天を抱いたあの愛なのか! 騒がしい墓穴の中では今、壁に映った影と一緒に、自分の愛しい女(ひと)が燃えている――イコンの前の灯明のように、揺らぎもせずに燃えている。
灯明が誘惑しだすと、たちまち闇がのしかかってくる。そこでさらに力を絞って――『もういい、ここから出ていくぞ!』などと喚いてみるが、なに、どこにも行く当てなどないのである。氷の墓穴には灯明がともっている。それは死人の愛の火。
自然発生(スチヒーヤ)的事象としてのロシア革命はよくわかるし、それはそれで正しい。でも、それを分別(理性)ある人間がわが身に引き受けるだろうか? とてもじゃない。
「あのね、あんた、うちの娘が言うんだ――パンが手に入らないから、とても持たないって。このままだと小さい子が飢え死にしちまうんじゃないかって。怖がっているんだよ」
「大丈夫だ、お婆さん、心配するな、何とかするよ」
「何とかするったって、いったいどこで手に入れるというんだ? 誰も持ってきてくれやしないよ」
「お達し〔配給命令〕が出たと、〔ここの幹部が〕勘違いしてくれたらいいんだが……」
老婆は言っている意味がわからないので――
「そりゃ受け容れちゃくれるさ。お上に取り次いでくれたら、そりゃあ巧くいく」
自分はС.を愛しているが、それでも二人は堕ちてしまった。それは一線を越えたからというのではなく、А.М.〔アレクサンドル・ミハーイロヴィチ〕が〔ひょっこり〕姿を見せたあのときから、自分たちが、変に急いだり慌てたりおののいたり鉤を掛けたり窓のとばりを降ろしたりして、その合間合間に生きるようなことを始めたからである。以来ずっと互いに愛することをやめないで、沼に落っこち、沼の底で、灯明の炎を眺めている。炎はそよとも動かず、沼にどっぷりと浸かったまま、ずっとずっと……
*戦争捕虜としてロシアに連れてこられたオーストリア兵。捕虜たちはさまざまな土地で労働を強いられた。
コムーナのグループ(党細胞)を仕切っているのは、女教師のアレクサンドラ・イワーノヴナだ。若い者たちが親父たちと対立している。すべては息子の父親への反乱(ブント)といった感じ。
エピーシカ(いわば聖母)。なんとか選出された。リパートゥイチ自らが選んだのである。エピーシカは何とかいう代表団にもぐり込むと、今度は仲間を全員そこに引き入れた。そして全員を糞まみれにして、ついには自分が〈町のエピーシカ*〉に納まったのである
*エピーシカ=エピファンはギリシア語でエピファネース、つまり有名人、堂々たる人物の意。
アレクサンドラ・イワーノヴナはコミュニストである。言わばマルファとマリアの中間的存在――ミロノーシツァと呼ばれる女*。マルファの竃(かまど)からはずっと離れているのに、イデアと一緒に歩むことができない。機関車の後ろに付いたの炭水車みたいに、もっぱらイデアの後を追っかけている。歩きながら、ただ良き人によって知ったイデアというのを温めている。
*ルカによる福音書10章38-42節。マルタとマリア。ミロノーシツァ=キリストの体に香油を塗りに来た女。また、ある宗派の指導者を讃仰する人の意。竃はキリストをもてなすために働いているマルファのこと。良き人とはキリストであるが、アレクサンドラ・イワーノヴナにとってはマルクスかレーニンか。
ああ、あんたはなんでもないさ。何者でもないんだから! つまりそれは、おまえは関係ない局外者だということなのである。わたしは不安になった――ひょっとしたら、ボリシェヴィキと富農(クラーク)の中間くらいに思われてるかも。わたしを慰めるように言ったのはイワン・アファナーシエヴィチはである――
「あんたは大丈夫、なんでもないさ。心配しなさんな、何者でもないんだから」
もし貴族出の娘かなんかが自分の使用人、つまりナロードに腹を立てて、『こいつを鞭打ちにしり!』と叫びたいなら、それはもう断然コミュニストになるべきだ。
ボリシェヴィズムの特徴を宗教上のセクト主義のそれと比較すると、1)コミュニズムの思想は世界的かつ全包括的な思想としてのセクト主義のように感じられる*。2)……*プリーシヴィンはその世紀初頭における直感(宗教的分派(セクト)運動の研究を通じてセクタントとマルクシストのパラダイムの類似を指摘した)が革命後の新生活によって実証されたことを知る。彼にはマルクス主義(革命)とフルィストーフストヴォ(鞭身派の教義)のトポロジカルな類似は明白だった。プリーシヴィンは革命をたえず宗教意識の流れの中で捉えていた。たとえば、1928~29年の日記には――「(インテリゲンツィヤの)革命運動は自らのうちに民衆のラスコール・セクタント運動の特徴を鮮やかに映し出している……インテリゲンツィヤにもそれとまったく同じセクトが、どの宗教的セクトも発して止まないあの普遍的真理への強い自己主張が、形づくられた。すべての人を征したボリシェヴィキのセクトはこれまで普遍性のために闘っていて、われわれの目にもそれが徐々に世界化しているように見える……
ボリシェヴィキのいかなる敵であろうと、村に住むインテリがいちばん辛い。それでも村人たちにとってインテリが最も近しい存在なのである。
朝も早くからの、この気ぜわしさ、この混乱(クチェリマー)。まあどうだろう、クリスマスを迎える準備かと思っていたら、家宅捜索に備えているのだ!恐怖が消える。小学生たちまで強盗に変身だ。
状況。男たちは〈権力〉を求めて町へ行く。偉い指揮官が彼らに向かって言った――「いいか、われわれこそがその〈権力〉なのだ!」
大槌みたいにでかくて重そうな若い娘は二人とも未婚である。以前は黒いプラトークをかぶって、黒いコケモモにも見えたものだが、今はなんとか協同組合の講習を受けさせてくれと女教師に頼みに行っている。
学校は何もかもうまくいっている。活気があって、寝たきりの頭を目覚めさせてくれるが、如何せん全体に浅薄だ(上すべり)。仕事がない……
リャビーンスカヤ・ザジョーラは富農の女(クラチーハ)。「あたしの夫は農民だけど、あたしはね、あなた、貴族の出なんですよ」。酒の密売所があった。リャビーンスカヤは分与地の買占めをやった。この女のために何人死んだか。才能から言えば,マールファ・ポサードニツァ*くらいの女。だが、栄養を、つまり才能の糧をすべて沼から摂ってきた。あたしが苦労を知らないって、あたしが労働者じゃないって! とんでもない。国家なんてものは膏血(こうけつ)を絞って生き残ってきたんだし、君主制はザジョーラ・リャビーンスカヤじゃなくてザジョーラ・フセロッシースカヤ(全ロシア)なのよ。それに比べたらインテリゲンツィヤなんてカデットのヨーロッパ人かナロードニキかスラヴ主義者の子孫です。そんなのは革命家じゃない。反乱と言ってもほんのうわっつらだけのものだし、本質的には、理想のハーモニックな構造(天国は美しい花園だった!)と心の〈文化財〉、すなわち、誰よりも心優しい者たちがそれを抱いてナロードに近づき、彼らとひとつになりたがっている〈文化財〉――それしかない連中なのよ……そのせいで、それからずっとナロードの腫物はどんどん大きくなっているのです……〈文化財〉を有するインテリたちは、ツァーリに反旗を翻す一方で、ナロードのための生活の理想(これも本質的には、従順とすべてを赦すキリスト教的精神)を謳い上げる。民衆出の革命家(ボリシェヴィキ)は祈るし、ただただ祈り(すべてを理解し何ひとつ忘れず赦さず在らしめ給え!)によって生きているのです。そんな人間のせいぜいそんな理想が運動だったり変革だったり復讐だったりしてるんです」
*マールファ・ボレーツカヤはロシアの年代記に記されているごく少ない中世ロシアの女性。共和制ノーヴゴロドの第一市長官(ポサードニク)だったイサアク・ボレーツキイ(在職1430-50年代)の寡婦。権勢家で、ノーヴゴロド大貴族の反モスクワ党を率いる。1478年にモスクワへのノーヴゴロド併合(イワン三世にいる)後、モスクワへ連行、拘禁された。ソロフキの修道者ゾシーマがその宴席で、彼女たちの悲劇的結末を幻視した話はよく知られている。
ところで、自分は何を訊き出そうとしているのか?
こういうことだ。自分は運動を、革命の浄化(贖罪)の雷雨(嵐)を認めるが、ある人びと、たとえばシュービン〔ウラヂーミル・ニコラーエヴィチ〕の家族だが、自らの命で自らの罪を贖った立派な人びとから目を離すことはしない。彼らの苦しみをしっかりと見据えよう。彼らの苦悩をどう理解すべきか。
いや彼らは苦しまず亡びもしない。まったき天の花は咲いている。しかし天国の小さな花冠はめらめら燃えて、血で真っ赤である。
枯れてしまった天なる花の小さな花冠。さあ革命だ、嵐だ。干からびた小さな花冠はすでに血で真っ赤、花びらが炎を吹き上げる……
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