2012 . 12 . 16 up
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通りでソロモン=政治家たちにこう訊かれるだろう。
「どこかへ行ってらしたのですか? 姿が見えませんでしたが」
「政治のない、みんなが幸せに暮らしているところへ行ってました」
「そんなとこ、どこにあるんですか?」そうソロモンたちは訊いてくるはず。
「ある町です。以前は穀粉の町でした。上等小麦粉でカラーチ〔南京錠の形をした白パン〕を焼いてたんだが、そこのと比べたらモスクワのパンなんか問題にならない。今でもそこには、どんな質の悪い粉からでも美味しいパンを焼き上げてしまう名人がいる。住人たちはカラーチなど見向きもせずに、こう言うんだ――『カラーチだって? そんなもの食いたかないね。袖裏のパン*をくれ』。今その町に行って『パンはあるかい?』と訊いても、『わしらは燕麦を食ってんだ』という答えしか返ってこないだろうね。あそこにいたときは幸せで、いつも満腹だった。よかったなぁ』
*質の悪いの麦粉で焼いたパン。製粉所で「袖の裏についた粉だけで焼いた」の意。
*マタイによる福音書4章4節。「神の口より出づる凡ての言に由る」と続く。
情熱〔欲望〕を克服すること。いつも彼女のそばにいる……それはできない。本当にできないのか、不可能を可能にするのは自己犠牲(献身)的行為(ポードヴィグ)しかない。最後のヒバリが歌をうたっている。十字架と花。
静かな客
「トネリコみたいね」と、彼女は言った。そしていきなりわたしにキスの雨――これはご褒美よと言わんばかりに。
「あなたはトネリコの木」
わたしは体を離して、見た――辱められたマドンナの顔、いや違う! 彼女はどこ?
何年も何年のあとのやはり晩秋のころ、二人はあの同じ場所にいる。大きなトネリコの葉はすっかり落ちて、ナナカマドを覆っている。トネリコの葉の下からナナカマドの斑点のある赤い実が覗いている。
「愛しい人よ」――わたしは語りかける。「きみのすべてを知らなくても、僕がきみの中の自分の夢(メチター)を愛しても、驚かないかい?」
「ええ、もう大丈夫。驚かないわ。あたしはね、あなたにあげたいちばん良いものの方に戻ろうとしているから」
深夜、トネリコの木のそばに星たちが集(つど)って、さあいよいよ星座の文字謎遊び(シャラーダ)の始まりだ。わたしは静かな客として彼女の部屋へ足を忍ばす。寝ている彼女。マドンナのような額、目、鼻の先、魔法使いのような唇。並んで寝ているのは彼女の夫だ。わたしは自分の部屋へ引き返す。間もなくドアの軋る音。彼女がふわっと現われる――まさに現われるという感じ。私のベッドの端に腰を下ろすと、やおら壁の絵を指さす。広野(ひろの)、手つかずのステップだ。
「ステップはあたし」と、彼女。「ほら見て、騎士が通っていった。ほらまた現われる。ああまたもう一人、見て……」
彼女は手で騎士たちを示した。
「あの騎士は行ってしまった。その騎士もみんな行ってしまったわ」
わたしは別の部屋で寝ている男について問いただす――
「あれは誰?」
「夫よ」
彼女は答える――何のことかと言うように、あっけらかんと。
「どうして僕はここにいるんだろう?」
「あなたはあたしの最初で最後の騎士よ。あなたはあたしのいちばん良いものを持っているし、清らかな乙女の罪深い地上の夢の目撃者になるんだわ。あなたはね、あたしの静かな客……」
そうしてわたしに自分の夢の数々を物語り始める。
※ ※ ※
〔9月24日のノートの前に、自家製年譜――自伝的長編『カシチェーイの鎖』のため の最初の試み(3ページほど)――が挟み込まれているが、1873年から1914年までは日記の(五)、(六)の記述とほぼ重なるので割愛し、わずかな記述だが、1915年からこの年(1918)までを訳す〕
1915年――ラズームニクとペソチキ村へ〔前年にも教育家のレーベヂェフとペソチキ村(ノーヴゴロド県)の滞在している)。その後、ペソチキからエレーツへ。
1916年――フルシチョーヴォに家を新築。
1917年――フルシチョーヴォにおけるエセールストヴォ(社会革命党のイデオロギー)。
1918年――鍵と錠(つまり、ソーニャ・コノプリャーンツェワ)〔この書き足しはワレーリヤ・プリーシヴィナによるもの〕。
※ ※ ※
星の明るい、寒い、露の降りた夜。毛皮の長外套(トゥループ)を着たコムーナの見張り番たちが藁の上に横になっている。
わたしは祈る――主よ、どうか思索する力を、感ずる力を毎日毎秒、どうかわたしにお与えください!
今はただ動物のように生きるにも、どれほど心を砕かねばならないか。ケロシンが無い、長靴が破けた、冬が来るというのにどこでワーレンキ〔フェルトの長靴〕を手に入れたらいいのか、馬に何を食わせ、〔略奪されないように〕穀物をどこに隠すか――次からつぎと心配事ばかり。
われわれは自然に参入しそのメカニズムの一部を構成している〔ことになっている〕――自分自身が参加しているという意識も驚きもないままに。
深夜、恐ろしいほどの高み、星々の真下からかすかに聞こえてくるガンの声〔雁が音〕――以前の美と彼らの渡りの大いなる意味の感覚が一瞬、揺らいだが、そのあと、余計な贅沢だよとばかりに消えてしまった。今やわれわれ自身が渡り鳥なのである。ひょっとしたら、誰かがわれわれの飛行を眺めているかもしれない。しかしさしあたって今は、われわれがガンの群れなのである。避けられぬ(運命)を追いけ追いかけながら、世界の羽を軋ませているのだ。
それからこうも考えられる――われわれは子どものころから、無人島のロビンソン*のように、生活の簡素化と冒険(ポードヴィク)を欲していた。そしてそれが今では夢でなくなったのである。現在の生活はどうだ? 大好きなロビンソンの島になったではないか。どうして飛びつこうとしないのだろう?
*イギリスの小説家でジャーナリストのダニエル・デフォー(1661?-1731)の処女長編『ロビンソン・クルーソー』(1719)からの引喩。1930年4月2日の日記に――「雪の量が半端でない、冬より多いくらいだ。『ロビンソン』を読みながら、ソ連邦にいる自分をロビンソンのように感じている。偉大な作品とはこういうものだ――思想が読者にそっくり乗り移ってくる。思うに、ソ連邦の非常に多くの住人はロビンソンとして生きているのだ。ただの無人島なら救われもしようが、ここは食人種の棲む島なのだ」
生の知覚の全一性(純粋また一貫性)を女性から学び取る必要がある。彼女はわたしの手を取って、まるで夢と愛撫の甘美に酔い痴れ、ぐにゃぐにゃになっておもてへ出ていこうとする。われわれの喋りと顔つきから、どうもこれはこの世の者ではないようだが、しかし一瞬、その顔に鳥のはばたきを聞いた狩人の表情。獲物を狙う目になった。彼女は窓下の革張りの壁椅子の上に靴底を見つけたのである。十字架と花と分ける一線をいかにして突破するかという話を中断して、こう言ったのだ――『あれは、あの靴底は……ねえ、ちょっと見てみましょうよ!』。
巧みな騎手である彼女は、つねに自らを制し、冷ややか目で前方を睨み、歩度を計っているが、ときににっこり微笑んで手綱を緩めることがある。計算など必要ないし、自制も意味がなくなる。どうでもよくなるのだ。「馬よ、さあ翔べ、全力疾走だ!」
「大怪我するぞ、気をつけて!」
「かまわないわ!」
「では、翔ぼう、愛しい人よ」
「どうなっても、あたし、平気よ!」
まだなんとか生き残っている地主どもをどっかに移住させるという噂……要するに、石器時代の武器をもってしてもわが身を守るすべのない、猛獣の棲む荒野での暮らしということだが、それと同時に、なんとも言えない嬉しさが込み上げてくる。自分はあらゆる恐怖を思い描いてみる。自分の家族が消え、愛すべき友人知人が姿を消したら、自分は悩み苦しむが、でもそれはいずれ元の鞘に納まるだろう。しかししかし、いったいどういうことだろう? なにやら個々のキリストの復活大祭がまるで自分のための〔大祭前の〕大斎期(ヴェリーキイ・ポスト)であるかのようである。
薄暮(叙事詩〈花と十字架〉より)
わたしは馬たちのそばで寝そべっている夜の見張り人たちに声をかけた――
「寒さは厳しかったかね?」
「寒かったなんてもんじゃないねえさ。露まで浴びてよ、もうぐしょぐしょだ」
この連中は野の星のごとく素朴である。交わしていたのも素朴なもので、牛に足を踏まれた野ウサギの話だった。牛の下に蹲っているの野ウサギを見て、げらげら笑っている。牛は野ウサギのことなど知らぬ気に草を食んでいる。かと思えば、彼らが〈クマニョーク〉と呼んでいるコミュニストたちの噂話を始める。クマニョークたちは民衆(ナロード)に自由を与えようとしたが、そんな一大事業も旧(もと)の木阿弥――結局〈よその親父のために〉働くことにしかならないのだとか、塩を使ってニスからアルコールを抽出するとか、ドイツ人はゴミ屑から油を精製するのだとか、雌ギツネの話、選挙のこと、ケロシンをどこで手に入れるか、ケロシンランプをどうやってオイルランプに作り変えるか、マホルカ煙草、赤軍の募集、駄目な政府の悪口と、話題が尽きることはない。
わたしは言った――
「われわれは自分たちの政府を勝ち取ったんじゃなかったっけ?」
すると彼らは一斉に――
「そうだ、そのとおりだ!」
わたしは彼らを残して、そのまま芝草の密生する土地の境界へ足を向ける。そこはセミヴェールヒ〔ソーニャとのデートの場所〕――七人〔セミ〕の地主(彼らの家屋敷は打ち壊された)の土地が集まった区域である。
森の中の、秋の木の花にふち取られた明るい小さな池は、隠れていた湧水のように、不意に目の前に現われた。そこにはカエデ、トネリコ、オーク、ヤマナラシなどさまざまな色の木があった。わたしはその中から最も美しい小枝を選んでこしらえる――誰かのために完全美の花の束を。
*ボリシェヴィズムの神殿か?
最後の蜂の歌に〔人間の〕声を聞く――
「さあ、おまえは十字架を取れ〔書き足し――自分の〔十字架〕を隠せ〕、そして愛する人には花を与えるがいい!」
そのとき、彩り鮮やかな木の花束は友人知人の顔(たしかにそう思われた)に変じて、大いなる奉献〔献花〕の秘儀が執り行なわれるのである。
わたしは森の口(オプーシカ)に出る。森の口が奉献の場であることは周知の事実。絡み合う森のてっぺん〔梢〕が楽しげに笑い合い、澄み切った高空へ最後のヒバリが嬉々として舞い上がる。
そうなのだ、森の奥で起こったことは、誰でも知っていることだ。絡み合った森の梢の先を、魔法の杖を手に、あの二人〔自分たち〕が舞い上がっていく――どこまでもどこまでも。見よ見よ、眼下に広がる大地の奇跡のあの装いを、美しくも繊細なあの緑のレースを!
彼らは高く高く上る。そして芝草の生えた境界の、若い冬麦の畑の先で姿を消した。
わたしは野に忍び寄る闇を前に、臆病にも途方に暮れてしまう。しかし闇はやって来なかった。夕焼けが色を失うと、すぐに沼地の向こうから月が昇ったからである。夕日と月光が、まるで花と十字架のように薄暮の中でひとつに融け合った。
明るい野の黄昏の中の、なんという静けさ! 足の下の大地は空洞なのか、乾いた音がする。燃える星たち。故郷の土の匂いがして、見たこともない美の美が薄暮を背負って現われた。
(家庭の)幸福の永遠性(マーシャ)についてのわれらがイリュージョンの起源。コーリャの生活。
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