2012 . 12 . 09 up
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20歳で、彼女は恋をした。25歳のとき、この人は頭がいいし優しいしそれに理想を抱いているとそう読んで、結婚した。概して素敵な〈カップル〉だった。9年間幸せに暮らした。あるとき、以前付き合った男とよく似た紳士と通りで出会う。彼女はどぎまぎし、動転し、失神しそうになった。夫の幸せな日常はヴェスヴィオの麓の庭で(その庭は2度の噴火の間に造られた)で過ぎようとしていた。夫には一生を通じて夢のような理想(イデアリズム)がたくさんあったが、妻には〈女らしさ〉を除けば何もなかった。しかし今や、妻には男を見る目がそなわった。イデアリストとは家庭生活を営むべし、情熱の男とは暴圧者の謂いであると悟る。子どもは2人と決めると、お祭り気分で、「みんなみたいに」自分も恋の戯れをとも思ったが、とてもじゃない。「みんなみたいに」は無理だった。結局、彼女が出会ったのは、イデアリストでも情熱の男である暴圧者でもない、言うならば男の第三種――〈情熱の夢想家〉というやつだった。その男は静かな客として、すんなりと円満に汚れなく平和的に、未来を約束しつつ*彼女の家に入ってきた。そしてそこでヴェスヴィオ山が煙を吐き始めたのである――何か起こるのか?
*イオアン・ズラトウースト(4世紀のコンスタンチノープルの大司教。能弁家で黄金の口(ズラトウースト)と称された)の請願の祈禱文(エクテニヤー)からの不正確な引用(?)。
ソーニャはわたしとエフロシーニヤ・パーヴロヴナの関係があまりわかっていない。あなたたちは変な取り合わせね、少しも似つかわしくない。だが問題は、自分が本当の愛のトスカーを彼女のように計算ずくの幸福な結婚と取り替えることができなかったことだ。エフロシーニヤ・パーヴロヴナと一緒になったのには〈幸福に対する〉嘲りのようなものもあった。ソーニャはもともと非常に臆病な人間なので、自分は心配している――情熱の最後の一線の先を無人の原っぱに変えてしまうのでは、と。その一線を越えさえすれば新しい生活が始まるのに、ただの誰もいない原っぱでは……
そうだ、自分も今ではかなり臆病になっているのだ。彼女は自分の家庭の幸せを破壊することを恐れている。いっぽう自分は、年を取り過ぎて、慣れ親しんで慢性化した自由との訣別を恐れている……三人一緒に居合わすシーンを自分は想像できない。居合わせようものなら、われわれの感覚は不可避的に粉砕され陳腐になるだろう――そう思わざるを得ない。彼女が僕のところに来る(それと引き換えに)とき恐れていたようなことは何も起こらず……アレクサンドル・ミハーイロヴィチはエフロシ-ニヤ・パーヴロヴナみたいな烈しい気性の人間ではないので、さほど強く出ることはなく、むしろ感傷的になるだろう。自分はこの甘ったるいジャムの避け難さを感じている……もちろんこれは、彼女の〈幸福〉に対する熱意なのである。
百姓たちはコミュニストをクマニョークと呼んでいる。以前は「同志!」だったが、今は「クマニョーク、なんか儲け口はないもんかね……」夕べの祈りの代わりに、これまで経験してきた(生活)ものに気を集中し〔……〕に心を向けるなら、それは祈りと同じことである。なぜなら、彼女はあのとき、自分にとって汚れない神聖そのものであったし、自分の思いはそれによって支えられて〔信仰の支えをを得て〕、しっかりと有効な現実的なものになろうとしていたのだから。
彼女のことは何も心配していない。いちばん恐ろしいのは犠牲と否認(放棄)だが、でも、わたしは知っている――彼女がその犠牲をわたしのために甘美なものにしてくれるだろうことを、また彼女と共にあれば否認放棄の渦中にあっても自由を、大好きな森の狩場でも味わったことのない自由を見出すだろうことを。
インテリで菜園主である夫はもちろん畑を耕すのだが、しかし彼が本物の女の魂の果てしなく広い手つかずのステップを独りで耕す――そんなことある得るだろうか? 哀れな菜園主は自分のために少しばかり耕して、すぐに垣をめぐらすにちがいない。なんといってもそこは自分の所有地なのだから。われは確保せりわが素晴らしき生活の休息所を――そう思い込んで幸せなのである。
哀れな町人よ、せいぜい自分の草刈り場を手に入れて仕事を急ぐことだ。明日には本当の彼女の花婿がやって来て、柵など作る間もあらばこそ、彼女の未開墾地をことごとく耕してしまうだろうから。
パスポート*。登録する必要があったので、間違いのない書類を提示する。門番(ドゥヴォールニク)がまず不満そうな顔をした〔なぜドゥヴォールニクか?〕。
「おたくは何歳か?」と門番。
わたしは自分の年齢を言った。
「宗旨は?」
「なんであんたに自分の宗旨を言わなくちゃならんのかね? 教会と国家は別だよ。信教の自由じゃないか!」
「しょうがねえ。自由か、信教の、う~ん自由か。でも、登録するには何かここを埋めなくちゃ」
「みんなと同じさ、正教徒だよ」
門番は大喜び。そうこなくっちゃ。彼が熱烈な正教信者であることはこれで明らかである。
「肩書きは?」
「教えない。肩書きはないよ。わたしは市民(グラジダニーン)だ」
門番は当惑する。そして考えに考えて、いきなりこんなことを言いだす――
「市民は市民だ、確かに。同志よ、それはわしも認めよう。じゃ、どこの土地の市民かね?」
「ロシアの市民だ」
「何県の?」
県名を言ったら、それが郡になり郷になり最後に村の名まで。村まで明らかになったので、それでおしまい。ロシアの市民というのは重要でないらしい。重要なのはどこで生まれたか、揺籃の地、臍の緒、わがイェルサレム。人間は生まれたところが自分のイェルサレム。
所定の出生地の欄にわたしを縫い付けた〔書き込んだ〕ところで、彼はやっと布告の意味理解したらしい。
「ちょっと待ってくれ」とわたし。「ほら、パスポートならここにある。必要なのはパスポートじゃないの?」
まあ門番の喜びようといったらない! いやはや参った。初めからパスポートを出せと言えばいいんだ!
まったくもう。なにが「市民諸君!」だよ。
*パスポートは旅券、身分証明書。ソヴェートになってからは16歳以上の市民に交付されたが、移動を制限する(土地に縛りつけて置く)ために農民には長い間与えなかった。
ストーリンスキイとマリヤ・ミハーイロヴナ〔前出〕はその理想主義とジョレス〔フランスの社会主義者の指導者、前出〕への跪拝とでわたしを悩まし続けている。善き人びとの町人根性(メシチャン)な菜園もそれとよく似ている。どこにも善き人を避けて通る道はない。本当に堪らない。
さらに、ロシアの民衆(ナロード)についてひねった考察をする才も名もある優秀な人びとさえ、今はわたしを冷ややかにする。わたしは内心、彼ら全員を、骨を齧る飢えたソロモンだと思っている。ゲルシェンゾーンは自分もソロモンの一人かもしれないと自分で自分に驚いて、きのうわたしに、自分は〈理想〉を恐れてはいないなどと宣言したものだ。わたしに向かって、いやきみこそソロモンなのでは(ただし、こちらは我がままに振舞っているだけだが)みたいなことを宣(のたま)った。ま、そうかもしれない。
*モスクワのクレムリンに近くにある広場。馬場で調練場とその建物。
どうもこんな気がする――優秀な、そうとう頭のいい学者たちがまるで狂犬かと思うような行動をとり始めている。あるとき、うちの犬が悪魔にでも取り憑かれたみたいに鶏の雛たちや七面鳥を圧し潰しにかかった。するとまともな犬たちが敵意をむき出しにしてその犬に飛びかかったのである。それを見ていた人間たちも犬たちと一緒になって(これも敵意をむき出しにして)その狂犬を攻撃しだした。そして殺してしまった。だが、それだけでは収まらず、今度はほかのまともな犬たちが次つぎと凶暴性を発揮した。人間たちが獣のようになるのに時間はかからなかった。すぐに狂ったようにその犬たちを打ち始めたのである。うちの村でも、銃で撃ち殺す者、棒で殴り殺す者が出てきた。唇をだらりと垂れて口から泡を吹いている犬を見れば、村人挙げて襲いかかるようになった。狂犬たちを殴り殺す人間自身が恐怖のために狂犬になった。そして自分はそのとき、奇妙なことに、犬たちの側に(味方になって)いた。そりゃ確かに今は……
9年前に初めて彼女に会った。彼女は婚約者と壁暖炉の近くに立っていた。彼〔アレクサンドル・ミハーイロヴィチ〕はわたしに、彼女とはバイロンの読書会で知り合ったと言った。わたしは可笑しかった。と言うのは、彼はこの2年間、А.А.С.にぞっこんだったのだから。А.А.С.とはブロークのことで別れたとわたしに語った。『ああいう学者女たちは――』と彼は言った。『ぜんぜん駄目だね。ブローク、ブロークと騒ぎ立てるが、なに、ブロークなんかさっぱりわかってない。僕はひと息つきたかったのだよ。もっと優しい女らしい女はいないかなと思っていたところに、ほらこの人が……』。ブロークが引き離し、バイロンが取り持ったということらしい。地面の下のトゥルゥルーシカ*の歌は、あれはあれで自分の仕事をしているのだ。
*土地の言葉で、コキジバトの鳴き声に似た音を出す蛙。
「あなたも?」と訊いた。
「そうよ、あたしもよ」と、彼女。
今は彼女の顔が見える。話し方は自信なげである……
一週間かけて彼女に自分の魂の庭と公園をすべて公開した。彼女は正気でなかった。陶酔、いや酔っ払った人のようにそこらを歩き回り、同じことばかり繰り返した――『あなたのものは何もかも輝いているのね!』。陶酔の朝のあと、わたしは彼女の足にキスをして、こう言った――『足にキスをしたのはきみが初めてだ』。そして、きみは僕以外の誰かにこういうことをされたことがあるかと訊いた。『一度あるわ』―『それでどうだった?』―『あのときはもっと輝いてたわ』―『輝いてたって?』―『そう、もっと輝いてた』。相手は誰だったか、それでどうなったかと問うと、彼女は洗いざらい喋った。相手は技師でお金持ちだった、と。『ワインは飲んだの?』―『ワインもキャンディーもいっぱいね』。わたしは彼女に見せてやった自分の魂の庭と公園を思い出すように仕向ける。するとまた叫ぶように――『あたしたち、ほんとに輝いていたわ!』。それで話題を慎重にさっきの足へのキスに戻し、本当にそのときのほうがよかったのかと、また訊いた。すると彼女は――『そうだわ、そう、もっと輝いてたわ』
詩人とは色鮮やかに、だが技師とはさらに輝いて、というわけだ。
今まさに黄金の愛の紡ぎ糸は本物の愛の錘(つむ)に巻き取られて、ぐるぐる回転している。抵抗したり一つになったりして、二人は完全に理性を失ってしまった。わがプリンセスたるグレージツァはと見れば、錘(つむ)に指を刺されたまま、すでに夢の中……
夢中と愛。最後に別れたのは彼女の家。言葉、議論、思想――われわれのどんな装いも今では枯葉みたいなもの、そのかわりもっと小さい(二語判読不能)でさえ赤い花をつけ、堂々と咲き誇ったし、彼女自身、星のように輝いていた。さまざまな稜面(グラニ)を――狡かったり悲しげだったり、活気に満ちたり、優しかったりと――見せたので、自分の心も沸き立った。わたしは彼女を恐れ、哀れみ、勝利者のように威張ったり、夫や彼女の過去に嫉妬したり、彼女は自分を完全に騙しているのではと、いや自分こそ彼女を瞞着しているのではなどと思ったりした。二人は彼女の寝室で激しくキスをし合った。キスの猛攻。喘ぎつつ彼女は叫ぶ――『あたしのものよ、永遠にあたしだけのものになって!』
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