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プリーシヴィンの日記 太田正一
2012 . 11 . 25 up
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9月2日
きのう町から戻ったエフロシ-ニヤ・パーヴロヴナがN*の様子を話す――なんだか苦しそうで、頭は白いし、頬がこけて、年寄りみたいだった、と。顔にはペテルブルグにいたころの艶がまるでなく、立て襟のルバシカを着て、子どもたちをうるさく叱りながら歩いていた。それでも一家の主としての権利にこだわっているから、本物の父親のようにも本物の一家の主のようにも見えた、と。フローシャのお喋りがあっちに飛びこっちに飛びするので、ときどき彼〔プリーシヴィン〕は待ったをかける――『そう話が飛んでは、わかるものもわからなくなる』
*ソーニャの夫、アレクサンドル・コノプリャーンツェフ。
彼女の瞳(め)の、あのちょっと狡そうな灯(ひ)が今、生きいきと蘇ってくる。〔町で〕別れるときの、また村で別れるときのあの空気が、カルメンが自分を領している。もう二人の関係はあり得ないと思う気持が一方に、もう一方にはああした嘘に対する堪え難い嫌悪感、二人の出会いのある種幻想的な偶然性、ほとんど舞台芸術と言ってもいいような〔……〕
どうやら、もうあっさりと身を引いたほうがいい、そうしなくてはならないようだ。二人の関係が始まったころのあの高さに相応しいゆいいつ品位ある行動――きっぱりと永遠に別れるのがいちばんだ。だが、月日は空しく過ぎたわけではない。過去の経験がそっと耳元で囁いた――その安易さは見かけだけで、見ようによっては愛(欺瞞)のポエジーでさえある、その安易さ気楽さその甘さこそ情欲持つ表現形式の一つなのだ、と。もう二度と会えないと本当にわかれば、情欲のあとには何が来るか? 生きることへの無関心、貧困、みすぼらしさ、苦しみ、難儀、重苦しさだ。それですぐにもその気持を行動に取って代えようするが〔如何せん、それは〕長く困難な流浪(さすらい)のあとでようやく可能なこと。彼女にはそれは容易でないが、そうする必要もない。なぜなら彼女には、その〈人を虜にする王女(ツァレーヴナ)〉である自分をいくらでもアピールする可能性があるからである。
よくわからないのは、彼女が彼と一緒にいるときの自分尾の感情だ。嫉妬なのか? いや、どうもそうではないようだ……彼女、わたしの美しい人(プレクラースナヤ)があんな恥ずべき嘘をつく、それも二度も三度も……どう言ったらいいのか、彼女への恨み、敵意のようなもの……おそらくこの感情は嫉妬の最も忌むべき形態ではある。では、裸のこの剥き出しの嫉妬から逃れる手はあるのだろうか? 彼女の欺瞞を暴くことは彼女を殺すこと、彼女の潔白を暴くことは自分自身を殺すこと、彼を(あの怠け者を)暴くことは彼を殺すこと、つまりすべてをやってしまうことになる――やっつけて(ビッチ)愛して(リュビッチ)。それで本当にビッチもリュビッチもできなくなって、ただテーブルの隅に腰かけて、あの男が関係を断つまで待つことになる……そうなったらなったで、そっと泡立つクリームの卵白(ベゼ)〔キス〕を自分の口に入れるのだ! 『甘い?』と彼女が訊いてきたら、こう答える――『甘いよ、とっても。きみも甘い?』―『ええ、あたしも甘いわ』
それでは却って彼女は自分よりもっときついことになるのでは、と考える。自分にはよくわかるのだ。彼女への愛おしさが改めてこみあげてくる。それは深い川の淵か湧き立つ雲の間の無限の深みから生まれてくる摩訶不思議な感情――。
自分は言う――愛してはいない、家庭の義務を果しているだけさ。いや、愛してる、もしきみに覚悟があるなら、僕は家庭を捨てよう。彼女は言う――彼〔夫〕を愛してるの、だから決して捨てないわ。でも、あなたのことも愛しています。あなたは誰も捨てては駄目です、あたしの静かなお客でいてください。そのうち〔早晩〕あなたのすべて〔あたし?〕をあなたに奉げる方法を見つけますから。
10年ほど前に見た夢*を思い出した。自分は部屋で眠っている。ドアを隔てた隣の部屋で彼女が誰かと寝ている。と、彼女が自分の部屋に入ってくる。自分はすばやく毛布の下に何かを隠す。彼女が自分のベッドに腰かけようとするので、自分は言った――『気をつけて。そこに僕らの罪(グレーフ)を隠したんだから』。そのときどうやら彼女は自分に対する特別な優しさのようなものを感じたらしく、〔たぶん〕隣の部屋で寝ている〈誰か〉に対する自分の忌々しさを払いのけようとしたのだろう、「サティリコン」の絵を指さした。描かれていたのは、次々に何かの傍らを過ぎていく騎士たちである。『ほら見て。馬上の騎士が一人、また一人、三人目の騎士が行くわ……』。そう言いながら、彼女は隣の部屋のわたしのライバルの方を指さして――『ほら、あの人も通り過ぎて行ってしまった』
不幸の原因は、〈われらが罪〉が荒々しい〈男性的な〉やり方でなく、自分たちに共通のもっと繊細で微妙な深夜の月の触手でなされたことにあるのだ。だからもし誰かが横合いからその触手を引きちぎってくれなければ〔手を貸してくれなければ〕、解決などぜったいできないのである。
二人の月。
夜おそく、たしかまだ夜明け前だったが、自分は窓の外に目をやって、思わず溜息をついた。なんと魅惑に満ちた光景だろう! 僕らのトネリコの木のすぐそばに、とても明るい二人の月の、輪郭こそ少しぼやけているものの、じつに繊細で微妙この上ない鎌の刃が輝いていたのである! そして朝が来る前によくあるように、そこにはとくべつ強く輝く星が勢揃いしていたのだ。大熊座、北極星、明けの明星、金星その他の星と惑星が。そしてなぜかそれらがみな一点にかたまっていて、二人の月の最新の鎌を全天あげて讃えていた!
彼女がそこで夫への自分の愛について何を喋ったところで、それは表現形式の違いにすぎないが、彼に対する関係とエフロシーニヤ・パーヴロヴナに対する自分のそれは、本質的にまったく同じものである。
結構ちやほやされて育った美しい娘は、ときに大変な自信過剰、あまり他人(ひと)の意見を聞かない。
8月11日〔9月11日の誤記?〕
きのうフルシチョーヴォに出かけるつもりだったが、『出国する主要国の大使たち』という記事を読んで、急遽とりやめて、大使たちの出国の理由を考えてみることにした。それがドイツ軍の占領のことを言っているのなら、下手に出歩かず、嵐が過ぎるのを待ったほうがいい。初め考えたのは別のことだったが……いや、これは、ドイツが和平の匂いを嗅ぎつけたか、単に和睦の必要を感じたのかもしれない。そのため、ドイツと友好関係にあるロシア政府〔ボリシェヴィキ政権〕を認めない同盟国〔連合国〕側がさっさと大使たちを召還したのだ。きょうになって、だいたいそんなところだろうと結論し、切符を手に入れるために駅に行ったが、なんと、きのう乗るはずだった汽車が事故を起こして、かなりの犠牲者が出たという。
特別の関心を持ってツァーリ〔ニコライ二世〕の日記を読む。ツァーリの日記に対する笑い嘲りは堪え難い。なぜならこのドキュメントはその率直さに悲劇のすべてが含まれているからでる。
ウリヤーナ〔ソーニャ〕のことがいつかな脳裡を離れない。その夫のこともいろいろ考え続けている。彼はあらゆる点で立派な男だ。でもなぜ、自分らはこんなことになってしまったのか、たしかにこういう立派な人間は多いしどこででもお目にかかれる。だからといって、つねにそのまわりでこんな不快で忌まわしいことが起こっているのだろうか? ウリヤーナは彼について行けばいい。そのほうがいつまでも幸せでいられるのだから。わざわざ要らぬ変化を求める必要はないのだ。それでも彼らの菜園の柵の中では何か小さな不和やもめごとが起きていて、彼女の体を月の光が刺し貫く。光を浴びて立つわがウリヤーナ――自分は何も欲していないし願ってもいない、ただ自分自身に怒っている、いや彼女にさえ……だがまあ、こんなことはどこにでもあるだろう。思えば、いったいどれほどに人間に――あらゆる点でこの上なく賢く美しく真面目な人間たちに出会ったことだろう。だが生きておのれを月の光に曝(さら)した人たちはいずれ劣らぬ変人・馬鹿者ばかり。そしてそれが生の法則なのだ。どう見ても、宇宙ではモラルや生存(ブイチエー)の道理が占める場所(割合)は非常に限られている。
クマニョーク監督官*がやって来た。現場をひと目見るなり、こう叫び立てた――『おいおい、干草(ほしくさ)が中まで濡れてるじゃないか! なんで覆いをかけないんだ? ああ、なんだこりゃ、穀粒に籾殻が混ざってる……』
*監督官も査察官も同じ人物。クマニョークとは「クム(男)、クマー(女)」の俗(愛)称で、赤子の洗礼に立ち会う人、代父(母)のこと。ここでは世話役、お上の意。民話ではキツネの異称。
怒鳴り過ぎて、腹が減ったらしい。何か食べたくなった。
「よし、いまから女地主のとこへお茶を飲みに行くぞ」
「ああちょうどいいところへ……」女がこっちへ歩いてくる。「あれがその女地主です」
汚れたスカートと、長靴姿のリーヂヤ〔長姉〕が木桶を下げて、彼らの間を通り抜けていく――乳絞りの帰りなのである。一緒に歩いていたのはニコライ〔次兄〕だ。棒を手にして、こっちは乞食よりひどいコートを羽織っている。
「あの女地主のとこに行っても……」とみなが言う。「お茶は出ません。本人がお茶を飲まんですから」
査察官は菜園に入っていく。ニンジンを2本引っこ抜き、それを食べると、帰ってしまった。
査察官は貧窮委員会の議長と会う。査察官というのはあちこち渡り歩いた人生経験の豊かな(ジヴァールィ)、見た目も中身も沸騰した薬缶みたいな男である。
「この程度の貧窮には――」と査察官。「援助は無理だな」そう言い捨てて、その場を離れた。夕方近く、また腹が減ってきた。
「お茶でも飲めるとこはないのか?」
「貧窮委員会の議長のとこなら」
「さっきの? あれはちゃんとした男なのか?」
「そりゃもう、ちゃんとした男ですよ」
議長の家でたっぷりとお茶を飲み、ジャムを3種類、それとアルコールを少々。飲み終わると、言った――
「わしは、同志諸君、もちろん叫んでばかりいる。それが仕事だからね。でも、いいかな同志諸君、諸君のためにならんことをしようなんて、ちっとも思っとらんのだからね」
翌日、百姓たちがライ麦を送り出すために駅へやって来る。濡れたままのも袋詰めにしたらしい。早くも袋の小さな穴から芽を出しているもの、全体がもう緑がかっている袋もある。村の責任者は、できれば出荷を見合わせたいと思っている。
「命令だ、袋を積み込め!」査察官が叫ぶ。
そしてもちろん、送り出された。そのあと村に戻ると、査察官は、レーニン同志は回復に向かっている*から「快気祝いに」穀物一人当て5フントを送ることを説得してまわった。
*レーニンの暗殺未遂事件は8月30日。重症を負う。8月に入ると、レーニンは穀物徴発に反対する富農(クラーク)の反乱に対して大量テロの指示を出したが、8月30日に、モイセイ・ウリーツキイ(メンシェヴィキからボリシェヴィキに転じたのち要職に就き、反革命を厳しく取り締まった)、続いてレーニン自身が共にエスエルの銃弾に倒れた。レーニンの狙撃犯はエスエルの女性テロリスト(ファーニャ・カプラン)とされているが、当時カプランは失明状態で、テロの実行は困難だったという証言もある。「政府は9月2日、大量赤色テロによる報復を宣言、ペテログラードでただちに〈反革命派および白衛派〉512名が射殺された。前年に設けらた共産党員だけからなる機関――非常取締委員会(チェカー)(議長ジェルジーンスキイ)は一党権力防衛のために積極的な活動を開始していた。
アルチョーム――経営する百姓。飢えた狼のごとき貪欲さ。何事も狼の流儀で理解する。この男の村の巣にはおのれの真実(プラウダ)があり、クマニョーク〔キツネ〕たちには憎しみを抱いているが、彼らとうまくやっていけば儲けられるとわかっているので、羊の皮をかぶって彼らの番人みたいなことをしている。
アルヒープ――生まれついての富農、村のブルジュイだが、この男の頭の中には何かある。一杯ひっかければ、悪魔のところへすっ飛んでいき、あることないこと喚き散らして荒れ狂う。常に心が掻き乱されているので、片時もその顔から獣の目が消えることはなく、人間がつくった法律に抵触する。したがって、この男が人間的なものに近づけば近づくほど、いよいよその雄叫びは野性味を増し狂暴になってくる。この男が反対意見に耳を傾けることはまず地球が転んでもあり得ない。すべて大雑把、えいっとひと跳び。議論になどならない。顔も姿もゴリラそっくりだ。
シーニイ――スタホーヴィチのとこの召使だったこの男は、辱しめられた主人たちに秘かに仕えていて、穀粉や蜂蜜その他をナプキンの下に隠して届けている。召使ながらおぼろげな特権階級の意識がある。ところが一方では、誰にも気に入られようと必死なのだ。この男のキャリアはひとえにその原理の上に成り立っている。水中からまったく濡れずに出るためには、誰にでもいい顔をしなくてはならない。現在この男は誰にも必要とされている。村には今、この男を嫌う獣は一匹もいない。どんな獣にも巣はあって、巣にはそれぞれ狼の真実、ゴリラの真実、いろんな真実があるが、シーニイにあるのは嘘だけだ。地上にこの男の巣はない。人非人。百姓たちを引っ掻きまわすために送られてきた悪魔、要するにこの男、あくまで悪魔である。今は誰もがこの男にぺこぺこしているが、陰ではこの男を吊るす木を指さしているのだ。しかし間違って別の男を吊るす羽目になるかも。それはなぜか? 吊るされるころにはこの男、よその県に出向いて(収穫の管理者の仕事に就いて)いるはずだから。しかし、仕事がうまくいかずに、決算報告書の提出を逃れるために火を放つかもしれない。備蓄穀物はすべて行方不明、そして本人はすでにスモレンスク県へ高飛びだ……
ワーシカ――幸せな泥棒。
生活の根っこまで嘘でびっしり。まるで黴。クマニョークと組まなきゃ生きていけない。たとえ真実(プラウダ)を世に問おうと思う精神錯乱者(狂人)が現われても、勝ち誇る地獄の党類(うからやから)が全貧窮委員会の支援を受けた悪魔的出版物〔新聞雑誌パンフレットその他〕でもって彼に対抗するにちがいない。
すべては根本的な不正のようなものから起こっている……
それはわれわれの以前の体制そのものだ。ただ現在はみなの目が光っていて誤魔化しが効かないだけである。市民教育を否定する学校、のようなもの。
ゴーリキイがルナチャールスキイの下で外国文学の一大出版事業を計画している*。外国文学というのが面白い。どうやら文学界にも経済界とそっくりのクマニキがいるようだ。
*1918年にマクシム・ゴーリキイが設立した「世界文学」出版社。「彼は多くの芸術家、作家、学者を、飢餓や屈辱、死から救い、大公や、詩人や、死刑を宣告された旧ブルジョワや、大学教授などの運命を軽減した。彼らに仕事とパンを与えるために、国立の大出版所「世界文学」を創立し、何百人もの作家や学者を翻訳者、調査者、編集者として雇った。また「芸術の家」や「学者の家」をつくって、ペトログラードの多くの知識人を保護した」(マーク・スローニム)
もう夢中になりその人のためなら死んでもいいと思うような女性とめぐり合う――結構なことではないか。つまりそういうことになってしまったのである! 死んでも構わない……と、目の前に二股道――どちらも恐ろしげな道である。不幸に至る道か、それとも〈ま、いいか(ニチェヴォー)〉?
……何を下らんことを! それは雨が大地をひたひたにしたということなのだ。冷えきった心、感情そのものが消えつつあるが、でも……
9月2日
リョーヴァ〔長男〕をエレーツに連れていく。正しきミハイルよ、いいかな、強者が強いのはあらゆる武器を所持しているからだ、弱者には武器は一つ――〈狡猾〉しかないのだぞ……
村はずれまで行ってみる。土地も、村々も、何も変わっていない。ずっと向こうに地主屋敷(ウサーヂバ)が、濃い影を落としている庭園(公園)も見える……屋敷*は蛆のたかった死骸のようだ……
*おそらく実家。プリーシヴィンが幼年時代を過ごしたフルシチョーヴォの家屋敷である。
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