2012 . 10 . 08 up
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*1918年3月にソヴェート政府がペトログラードからモスクワへ。以来クレムリンの敷地内への立入りは禁止され、通行許可証(と厳しいチェック)が必要になった。
世界創造。もぎ取られた腕。王笏のないツァーリの像の印象は格段に良くなった。表情が柔らかく穏やかだ。〔腕がないため、却って〕両の翼を大きく後ろに開いた大鷲の威厳さえ〔感じられる〕。
市民〔国内〕戦争や新たな前線(フロント)の展開について新聞がどう書き立てようが、今ロシア人の心の中では〈世界創造〉が始まっているのだ。人群れができると、どこでも会話はオープンになって、相手を形式ばった〈同志(タワーリシチ)ではなく、ざっくばらんに〈兄弟(ブラット)と呼ぶ人間が増えてきた。
その小さな教会はほんのちょっと地面から突き出していて、どう見てもたった今生えてきたという感じ〔表現が似ているので、前出のクレムリンの教会のようだが、こちらは救世主キリスト大聖堂の傍らにあった聖母讃美教会(1705)〕。何人かわたしのすぐ近くで話している。話題はどうやらモスクワだ。
「不思議な話もあるもんだ――モスクワに火を放ったあのフランス人〔1812年のナポレオン戦争〕が、今じゃわが友人ときてる。フランス人はどうだい、ロシアの敵なのか味方なのか? どうも信じられん」
「まったく。フランス人てのはいったいわれわれの何なんだ?」
「何ものでもないさ」
「じゃ、こいつは?」そう言って、像を指さす。
「ついこのあいだまでツァーリだったが……ただな、彼の立場になれば、おまえさんだってこう宣(のたま)うはずだよ――きょうフランス人はロシアの敵だが、あしたは友である、ってね」
赤軍の兵士がこっちへやって来る。
「同志よ、一ヵ所にかたまっちゃいかん、解散せよ!」
「見ろよ、あの野郎、きのうまで労働者だったくせに、きょうは権力と武器を手に、ずいぶん偉そうに歩き回ってやがる」
ツァーリの像を指さしながら、その男は兵士に向かって――
「おい兄弟よ、どうしておまえさんらは、この像みたいに、そんなでっかい顔してのし歩くんだ? こいつは民衆に災いをもたらした張本人だぞ、わかってるのか?」
そこでしばし紛糾。
「ソヴェートの人間はわかってない――連中は人だかりを見れば、すぐ逮捕しにかかる。そりゃナンなんだ? なんでそんな馬鹿なことをする?」
窮した兵士は即刻解散を命ずるが、会話はだらだらと途切れることなく続けられる。
「おれはな――」と一人が言う。「もうおたくらの〔赤の〕広場にゃ行かねえよ。殺したきゃ殺せ。もう行かねえ」
「同志よ、おれはその意見には反対だ。おたくたちが彼を兄弟と呼んでることに気がついたんだが、ほんとのところ、あれがはおたくらにとってどういう兄弟かね?」
「そりゃもちろん兄弟だ」
「じゃあツァーリも兄弟か?」
「ああ、ツァーリも兄弟だ」
「おたくらは労働者じゃないか。ほう、それじゃ、おたくらもツァーリも同じ親父の子なんだ?」
「もちろん、そうだ」
「では、なぜ市民戦争になるんだね?」
「そんなことはよくある話だろ。昔むかし男が二人一緒に暮らしておったとさ。仲が良いのに、よくまあ派手な喧嘩をやらかして……」
「取っ組み合いの喧嘩をね。でも、おたくらは彼らを兄弟と見なしてるんだ?」
「市民戦争、万歳!」
「武器を手にするな!」
「同志諸君!」
「わが兄弟よ!」
「おれはおまえの兄弟じゃない。市民戦争、万歳!」
きょう、記念像への愚弄はピークに達した。首に縄をかけ、鼻の先に梯子が架けられ、今、王冠の前で(そこには以前、十字架が置かれていた)、男が何かやっている。なにやら頭の中でも引っ掻き回しているようだ。そしてついにそこへ太柱を立てる。
「不満そうな顔だね、きっと怒ってるんだ!」
「そりゃそうだろ。お祈りにやって来る婆さんたちはこの像に向かって十字を切ってたんだからな。これは聖堂に尻を向けてるが、年寄りたちはいつもこれに向かって十字を切ってたんだ」
「聖堂には尻向けて酒場には顔向けて、な」
今、ツァーリには王笏どころか腕もない。腕があったところが大きく口を開けている。鼻の下から梯子がはずされ、首のロープもはずされた。王笏も腕もないその姿はこれまでより格段に素晴らしい――表情が柔和になった。その顔は恐ろしい断末魔の瞬間の人間の顔のようだったが、今は少しずつ明るく落ち着いたものになり始めている。
モスクワで。6月25日―7月29日。セマーシコと会う。ボリシェヴィズムの再検討、ドイツ人どもにケリをつける。ゲルシェンゾーン――快適(ウユート)、ソファー、共同体(コムーナ)の家。13人目のソロモン。井戸の中の太陽。ブリューソフ――その病とその職務、ブールヴァールの一軒家で。ヴャチェスラフ・イワーノフ――「背教、《神から臍を切り離して》*1」。地質学教授のイワーノフ〔?〕曰く――「〔ツァーリの〕像は無害である」。ヴャチェスラフ曰く――「彼は生きている。それを破壊しようとするのは、要するに、まだ生きているからだ!」―「いや、害などない。25年もモスクワで暮らしているが、わたしは一度も像を目にしなかった」。アンナ・ニコラーエヴナ・チェヴォタリョーワ*2がモスクワとペテルブルグについてアレクセイ・トルストイに語った――「わたしはモスクワの愛国者(パトリオット)ですよ!」
*1ペテルブルグのセクト鞭身派(フルィスト)の指導者の一人(パーヴェル・レフコブィトフ)の言葉(前出)。
*2正しくはアナスタシーヤ・ニコラーエヴナ・チェボタレーフスカヤ(結婚してチェチェールニコワは文芸批評家で翻訳家(1876-1921)。
*プーシキンの叙事詩『ルスラーンとリュドミーラ』(1820)の登場人物。
めったにあることでないが、もし可能ならそうすべき人生、生きたいように生きた人。途中で考え直すとか思いとどまるようなこともせず、おのれの人生の最後の瞬間まで生きたいように生きることができる人間は幸福だ。
像の上の方に、大理石に寄りかかるようにして白髪の紳士が立っていた。よくはわからないが、何か〔解体作業に〕期待をかけている様子が見てとれる。足下に奥方らしき人。紳士が降りてきて、彼女の手にキスをし、その腕を取って、像のすぐそばへ。彼らは何を目にし、何を耳にしたのだろう? そのあと二人は、花壇の脇を通ってスタロコニューシェンヌィの方へ歩み去った。*日記となったノートのこのページに新聞(「ヴェチェールニャヤ・クラースナヤ・ガゼータ」の第14号)の切り抜きが糊付けされている。詩1編とのスケッチが3つ。1)破壊されたアレクサンドル三世の像、2)記念像の残骸の山と労働者たち、3)救世主キリスト大聖堂の、木材で覆われたクーポルの上部を描いたもの。
*背後にシベリアにおけるチェコ軍団の反乱がある。二月革命後、チェコのマサリク(のちチェコスロヴァキア共和国初代大統領)らがロシアに来て、ロシア在住の同胞および捕虜となった同胞から成る部隊を拡大させ、3万の軍団を創設した。ソヴェート政権がドイツと休戦すると、彼らは祖国独立のためにフランス戦線への移動を望むようになり、ウラヂヴォストーク経由で帰還させることになったが、日本の陸戦隊の上陸やセミョーノフ軍の動きを憂慮したソヴェート政府によって行く先を変更されるなどしたため、チェコ軍団は大いに動揺し、1918年5月以降、ペーンザ、オームスク、サマーラなど各地で反乱を起こした。たとえば、サマーラでは8月に、憲法制定会議委員会がチェコ軍団の後押しで、政府を発足させるに至った(首相ロゴーフスキイ以下のほとんどはエスエル)。(『マサリクとの対話』所収「ロシアのチェコ軍団と共に」(成文社))。
*コンドラーチエフ(1892-1938)はエコノミスト。十月革命後、モスクワ農業大学教授その他を歴任。農業経済学と農業計画に関する著書あり。スターリン時代に粛清され、死後に名誉回復。
ロシアの社会主義の性格は個人的なものの拒否にある。個人的な、たとえば芸術作品のようなものが絡んできただけで、社会主義は停止してしまう。これは共同事業なのだ。つまりインターナショナルは共同事業、祖国も共同事業なのである。
祖国と社会主義の祖国。ロシア革命の登場人物を列挙すること。
*ワシーリイ・ワシーリエヴィチ(1864-1933)は社会政治評論家、法律家、エコノミスト。社会主義経済と政治史の著作がある。1926年に亡命した。
――モスクワ――
貴族のロシア。アルバート。記念碑の大理石の階段と、奥方を連れた貴族の後ろ姿。威圧する巨像(コロース)とゲルシェンゾーンの快適(ウユート)。
大胆な闇商人たち。
穀物を隠匿する百姓(生活の建設者――ゼウス)。ハモヴォーズ(хамовоз)。
ブールヴァール暮らし。
国民教育委員部(コミサリアート)でのやりとり――
「誰があなたに民俗学研究の権限を与えたのか?」
大使たちが帰国した――このことは何を意味するか?
上院。ヴャチェスラフ・イワーノフ。ゲルシェンゾーン。背教あるいはキリストを反(アンチ)キリストとすり替える。
インテリゲンツィヤをやめる。コンドラーチエフ――放蕩息子、チェコスロヴァキア人、セマーシコは反インテリゲンツィヤ。
ベルヂャーエフ――反キリスト。
ゲルシェンゾーン――ボリシェヴィク(二語判読不能)。
ストルプネル〔不詳〕(三語判読不能)。
ヴャチェスラフ――棄教。
カフェ・ジャーナリスト。愚かなソロモンたち。今ロシアは今奈落の底にある。誰が引っぱり上げるのか――ゲルマン志向。チェコ人はチャーミングだが、あっち(ドイツ人)はしっかり者。突然、爆弾が。ドイツ人は弱気、ドイツが粉砕される……
ロシアの悲劇の目撃者たる自分は、もうすでに心の底で、狂犬じみたわが革命家たちに同情し始めている。そして来るべき復興にも困惑を隠し切れず、〈許さない〉という原則(свое)すら、忘れがちである。こっちが〈許さない〉と言っても、〔向こうは〕そうはさせないだろうが……。ウリヤーナ*! 前はスヴェトラーナだったりタチヤーナだったりもしたが、今はウリヤーナだ。なんと素敵な名前だろう、なんと彼女にぴったりの名前だろう! それは祖国とキッチンと子どもを持つに相応しいクリスチャン・ネームになるはずだ。おお、神聖にして不可侵のわがウリヤーナよ!
*ロマンの相手ソフィヤ・パーヴロヴナ・コノプリャーンツェワ。
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