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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 09 . 29 up
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1918年7月20日

 小市民=個人主義者と完全(インテグラル)社会主義の擁護者。
 忘れられたツァーリ。
 きのう、(州ソヴェートの)「決定によって」ツァーリが銃殺され、州ソヴェートのその措置を中央ソヴェートが正しいと認める報道があった。「貧困(ベードノスチ)」紙にも、〈抑圧者〉、血まみれニコライが「幸いにも無事」おっちんだという記事。

7月16日(火)の夜、ウラルのエカチェリンブルグ(イパーチエフの館)に幽閉されていたツァーリが銃殺された。皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ、皇太子アレクセイ、4人の皇女(オリガ、タチヤーナ、マリヤ、アナスタシーヤ)、それと医師のボートキン、3人の従者も同じ運命を辿った。

 サマーラ〔ヴォルガ下流の町〕からやって来た男が、ジャーナリスト・カフェで話をした――「サマーラの状況はとてもいい。住人は心から〈秩序〉を喜んでいる。小麦粉1プード35ルーブリ。スィズラニ〔サマーラの西、沿ヴォルガの町〕からウラヂヴォストークまで交通路と通信網はすべて確保されている、と。

 ドイツ志向のソロモンと同盟国志向のソロモンが激しくやり合う。

 社会主義者はいずれも迷える宗教の子どもたちである。

 ある者は、きょう自分は雑役夫、でもあすは高等中学(ギムナージヤ)の校長として目を覚ます(とはいえ、この種のことはよくあること)と信じて疑わなかった。またある者は、自分の知識の貯金箱がいっぱいになるや、突然、雑役夫になってしまった。
 文化的価値の生産と蓄積の観点からすれば、この上なく馬鹿げているが、しかしそれでも、その夢の糸はかなりはっきりと見えている。双方の気持ち(立場)を一つに結びつけることを正しいとする、何かしら人間の新しい信念(ウヴェール)のようなものが必要であるのは明らかだ。

 (リーパ)……リーパがだんだん彼には一本ではないように思えてきた。つまり二重になって見えてきたのだ。一本はよく見かける普通のリーパ――頑固で、取り付く島のない、敵意すら抱いている(一緒にいると想像するだけで、自分が限りなくゼロに近くなり、ただのタバコの灰か、気狂いのたわごと)ように思ってしまう存在。それに対してもう一本のリーパは、一緒にいると〈最高の人〉、この女のためなら世界などいともたやすく征服できるし(それも単に可能であるばかりか)、世界はすでに自分のものと思ってしまうような強い力が湧いてくるのを感ずるだった。その第一のリーパのためには〈原則のようなもの〉を設ける必要があった。そのことを考えたら、自分は大丈夫、問題ない(ニチェヴォー)――とそんな気になった。第二のリーパは奇跡を開示するリーパだ。差しで向き合ったとき、彼はまず驚いた――(本人がどう思っていようと)相手があまりに美しく、また不品行なリーパであることに。……この世のすべてのものは、じっと動かず横たわっているものだが、でも、手を当てたら、たとえば山はどうだろう? 動くか動かぬか? 山はひとこと〈わしは動かぬ〉とはっきりと答えるはずだ。ところがそのとき山は自らこう答えたのである――『ええ、わたし動きますよ。でも何のために動くのか……わかりませんけど。でも、構いませんわ。わたしも自分の思うままに動いたり動かなかったりしますから。だからあなたもご自分で、ね、よくお考えになって。もしかしたら、わたし動くに値しないかもしれなくってよ……』。かくして彼は自分のためにリーパを二つに分けた。マーシャ――長司祭の娘、至純にして無垢の乙女マリヤ。

リーパは菩提樹、女性名詞――ソフィヤ・パーヴロヴナ。

 ストーリンスキイ*1はマリヤ・ミハーイロヴナとニキーツカヤ並木通りで「プラウダ」を買い、ツァーリ銃殺の記事を読んで意見を交換し合った。ストーリンスキイは言う――
 「これはまずいぞ。こんなことをしたら、王政復古に要らぬ口実を与えるだけじゃないか」
 マリヤ・ミハーイロヴナはそれよりずっと正確な判断を下した。
 「じゃこれは、チェコスロヴァキア兵*2がエカテリンブルグの近くにいるということだわね」

*1エフセイ・アレクサーンドロヴィチ(1880-1952)はエスエル党員のジャーナリスト(前出)。

*2このころ、チェコ軍二個師団を先頭に反ボリシェヴィキの白軍がエカチェリンブルグに対する包囲の輪を縮めつつあり、赤軍は算を乱して退却しつつあった。チェコ軍団は、西部戦線でドイツと戦う連合軍と合流するために、極東経由でロシアから脱出しようとしていた。一方ボリシェヴィキはチェコ軍団の武装解除を画策(ドイツの圧力によって)するが、その試みは失敗に終わった。ボリシェヴィキに背を向けたチェコ軍団は白軍と共に西方へ進攻を始める。7月14日にはエカチェリンブルグの陥落は時間の問題だった。

 ボリシェヴィキ内の二つのグループ――一つは実験者たち(レーニン、トロツキイ、スヴェルドローフ*1)、もう一つはレーニン信奉者たる〈真面目で正直な働き手たち(トゥルージニキ)〉〔無い才能を勤勉で補おうとする努力家の意〕(セマーシコ、ルィコーフ*2)。後者は〔革命〕事業の重い十字架を背負っており、さらにそれに小者たち(スチェクローフ*3)が続く。「大いなる事業が行なわれているのだ」とセマーシコはよく言ったものである。

*1ヤーコフ・ミハーイロヴィチ(1885-1919)は革命家(ボリシェヴィキ)。ニジニ・ノーヴゴロドの職人の子。大衆のオルガナイザーとして沿ヴォルガの工場労働者を組織・煽動し、1905年にはウラルで活躍、逮捕、流刑、逃亡を経て党中央へ(1912)。レーニンは彼を〈党の生き字引〉と。革命後はソヴェート中央執行委議長となったが、病気で早世。

*2アレクセイ・イワーノヴィチ(1881-1938)はソヴェートの政治家。農民の子。カザン大法科に学び、学生運動で逮捕、追放され、亡命先のスイスでレーニンと知り合う。ソヴェート政府の初代内務人民委員。病床のレーニンの代理をし、またその後を継いで人民委員会議長〈首相)。党内論争では〈右派〉に属し、失脚。38年〈反革命公判〉で処刑された。

*3ユーリイ・ミハーイロヴィチ(本名ナハムキス・オフセイ・モイセーエヴィチ(1873-1941)は政治家。歴史家、評論家。1917年にペトログラード・ソヴェート執行委員、「イズヴェスチヤ」その他の編集委員。マルクス主義と革命運動史の著作がある。粛清され、死後の名誉回復された。

 カフェでの噂話。カザンがチェコスロヴァキア軍に占領された――フランス使節団が公使館で無線を傍受したというもの。アパートの女主人までカフェでこんな話を――
 「トロイツェ=セールギエフ・ポサードがチェコ軍団に占領されちゃったってよ。間違いないわ」
 もう逃げたほうがいいです、お逃げなさい――親切にもそう忠告してくれたのはイワン・カールロヴィチ(ドイツ人)である。口で言うだけでなく路銀まで恵んでくれた。

 ソロモンたちは家に、こっちはカフェに押し込められている。食いものにどこでありつこうか? 晩飯の心配。これまでか、もう何もない。
 便りなし――残念だ。それともあれは〔?〕は着いたのか? 何もわからない。

7月21日

 虚へ向かおうとする心の動き(オネーギンのもとへ行こうとするタチヤーナ)。しっかりと封じ込めていたはずのものが、なぜか夢に出てきた。ボリシャコーフにさんざ苦しめられたスィソーエフの女房(未詳)。(アンナ・カレーニナみたいな)女は嫉妬で情夫を苦しめるにちがいない。

 最後の審判。コーヒー店が12人のソロモンの裁きの庭になりつつある。以前と同様、誰も何も知らないのだが、ソロモンたちはわかった顔して暮らしている。戦争自体はまだ続いており、ソロモンたちは情報収集を続行――調査(法廷)。3つのグループあり。1)通報者(密告者)=風評の種を蒔く人。2)記録係(政治家)。3)ソロモンたち。
 志向の二系列――軽薄無思慮組(すべてはチェコスロヴァキア兵の仕業で、トロイツァ大修道院は占領された等々)とカデット=ドイツ組。党が二つに分裂した。これは二枚貝が蓋をパチンと閉じて一つになるため。

7月24日

 トロツキイの命令で救世主キリスト大聖堂から見苦しいアレクサンドル三世の像が撤収されようとしている。像のまわりは花と栽培樹木でいっぱいである。そこからクレムリンの美しい塔が見える。そのうちの、上部が欠けている塔は現在〈ボリシェヴィキの塔〉と呼ばれている。
 ここ何日かツァーリ〔アレクサンドル三世〕の巨像に足場を組む作業。見上げると、王冠のあたりをリリプート〔小人〕たちが動き回っている。像の重さは1000プード。胴の中に寝室と書斎がすっぽり収まりそうである。靴の中にも男がひとりくらい寝られそう。この撤収作業に2万ルーブリが支出された。前にいちど取り壊しを試みたが、うまくいかなかった。今回計画どおりに実行されているのは、建築家によって像が「組立て式」であることが突きとめられたからだ。ツァーリの首に太い輪縄がかけられ、太い柱にロープの端を縛りつけている。印象としては、小人たちが寄ってたかって巨大なツァーリの首を絞めにかかっている図である。

 登場人物――
 小柄な男は22歳でニヒリスト。
 40過ぎの労働者(これはオーカニエ訛りがあるからセーヴェル出身)。
 修道士。
 モスクヴォレーチエのブルジュイ。
 怒鳴ってばかりいる女。
 ドイツ人。
 その他多くの労働者。その大半はモスクワ人ではない。
 労働者たちはツァーリに関して自分の意見を持っており、ときどきそれを口にする。
 いろんな記念像がモスクワ川に面した石段の下からひょいと姿を現わしたりするのは、舞台現場が市内のあちこちで打ち壊された像の集積場のようになっているからである。

 休憩中の労働者たちが議論している。
 「ナンも持たん司令官を選ばなくちゃな(ツァーリでなく)」
 「なんだよ、それじゃレーニンは司令官じゃねえのか?」
 「レーニン? 〔像を〕ひっくり返して、また像を建てようとしてるんだ。わしらに必要なのは一切ナンも持たん司令官なんだ」
 すると群衆から声が上がった――
 「それがレーニンだろ! 今この国で食い太ってる奴は誰だ? 強奪に遭ってないのは誰だ?」

 楽隊が葬送行進曲を奏でている。遠くに白い棺車が現われた。
 「あの白いのは何だろ? 坊主かな、それとも娘っ子たちか?」
 「棺を運んでるんだよ、坊主なもんか」
 「坊主なしでやるんかい? まあ、コミサールの葬式だものな」
 「コミサールは〈ドベッチまった〉のさ」
 「ヒマワリの種だろ!」
 ニヒリストが口を利いた――
 「そりゃ、ヒマワリの種に決まってる。あんな野郎は川ン中にペッペッだ。ちぇ、あいつら、音楽なんぞ流してやがる」
 40過ぎの男――
 「同志よ、また銅像かい? そんなの、どうもならんぞ」
 「ナンも持たん人間が選ばれるべきだとわしは言ってんだよ。でもあいつらは、われわれこそ管理者だ支配者だとそればっかしで、これまた同じようにみなを殴りつけている」
 「いつもそうだった。以前も殴ったし今でも殴ってる。これからだってわしら兄弟を殴るだろう。なんでだ? それがなくてはやっていけんからさ」
 「面倒臭いな。『立て、壁の前に立て〔銃殺〕!』――それで終わりだよ。それとも3インチ野戦砲でもぶっ放すか」
 「おまえがわしを殺(や)ったり、わしがおまえを殺ったりするのは、決して有効な手じゃない。わかるだろ? わしはそんなの信じない」
 「いったいおめえに何が必要なんだい?」
 「武器は使わんようにするのがいいってことさ。武器なしで生きていくなら信じてもいい。でも、同じことだよ。ツァーリを倒したのに、またツァーリ〔〈コミサール〉の追記〕の像を建てようってんだからな。レーニンもコミサールも同じこと。だからな、誰もいないナンもないというのが一番なんだ」

 と、そのとき、石の段々の下から現われたのはひとりの修道士――
 「不信心者め、おまえらは何をしている? 子〔ニコライ二世〕を殺しただけでは済まなくて、その父〔アレクサンドル三世〕の首に縄をかけようとしている!」
 「見ろ、おかしな奴が出てきたぞ。初めは命令口調ばっかりだったが、そのうち『腹減った、何か食わせろ』の大合唱で、最後に出てきたのがあれだ」
 「手に負えん連中だな、おまえたちはいったい誰の味方なんだ?」
 「おまえこそどっちの味方だ?」
 「わしは聖人の聖骸(モーッシ)を守ってる」
 「そりゃ、モーッシじゃなくて鼠の死骸(ムィシ)だろ」
 修道士は呪いの言葉を発して行ってしまった。群衆の中からこんな声が飛ぶ。
 「これ〔像〕が誰に害をなしたか、誰の邪魔したと言うんだ?」
 労働者たちが――
 「わしらも同じ意見だ。アレクサンドルの像は誰の邪魔もしてないぞ。誰が見たって、ただ突っ立っているだけじゃないか。誰にも迷惑なんかかけちゃおらん……」
 「馬鹿め、おまえはわかってない。いいか、ここは浄められた聖なる場所だぞ。かつてはツァーりがおって、今度はレーニン像が建立されるんだ」
 「司令官てことだな」
 「そうなるだろうよ。でも、そんなのはうわっつらだけだ。わしはな、武器なしでおれんうちは何事も信じない」
 「馬鹿のひとつ覚えみたいにそればっかし繰り返してる。武器なしでもおまえは傷つかなかったんだろうが、じゃあ、これを見ろ」
 シャツをまくると、胸のあたりにかなり大きな傷痕。
 「誰にやられた?」
 「人間にやられたんじゃない、党にやられたんだ。どう思う? これをこのまま残すか、それともやめるか?」
 「傷つけられたことは間違いないからな」
 「おれがやられたとき、おまえはどこにいた?」
 「働いてた」
 「おれも働いてた。いや、おれはおまえに訊いてんだよ――こういうことをほっといていいのか?」
 「いいのさ。だいたいおまえは誰に向かっていこうてんだ?」
 「党だよ」
 「何の党だ? はっきり言え、相手は誰だ?」 
 「なんでそんなこと、おれが知ってる? 傷つけられたから、こっちもやってやるんだ。ああ、でも、おまえはやられなかったんだ」

 いつの間にか群衆が膨れ上がっている。ひときわ高い女の声――
 「自由はくれても、パンはくれなかったじゃないか。こん畜生、こんな自由は悪魔にくれてやる!」
 ボリシェヴィクが言う。
 「ぶらぶらしてないで仕事に行け!」
 ざわめきと叫び――
 「仕事をくれ!」
 「仕事を持ってけ。おまえはちっとも動こうとしない」
 「嘘つけ、誤魔化すな!」
 「いいや、おまえはただ咆えてるだけだ。要するに、働きたくないんだ。悪いのはわれわれじゃない。仕事ならいくらでもある」
 女がひとり、金切り声で他を圧倒しつつ、言いまくる。
 「畜生どもめ、いい仕事を見つけやがったな、ツァーリを潰すなんて、まったく立派な仕事を見つけたもんだ! 今に見てろ、エスエルがおまえらを残らず吊るしてくれるわ」
 段々の下から、紺のジャケットを着たブルジュイが登場。真っ赤な目をして、雄叫びを上げた――
 「さあ働け、働け! ドイツ軍がやってくるんだぞ。おまえらなんかみな縛り首だ」
 高く組まれた足場の王冠の下で、ぼろを着た男が斧をかざしながら、叫ぶ――
 「そうなったら、ドイツの奴らをこれで叩き潰してやるわい」
 そこへ当のドイツ人がしゃしゃり出る。これまたでかい声で――
 「そんなこと信じるんじゃない。ドイツ人は秩序を持ってやってくるんだ。彼らは悪さをしない。するとしたら、あそこにいるあの男に対してだけだ」
 そう言って、王冠の方を指さす。指をさされた男はまたもや斧をかざして――
 「ドイツっぽなんかもう何千年もこれで叩きのめしてきたんだ。これから先もずっとぶちのめすしてくれるわ。あいつらが秩序をもたらすだと? 何を言ってやがる、そんなことあるわけがねえ。奴らは屑だ、碌でなしだ。畜生め、ひとり残らずぶちのめしてやる!」

 素材と構想。こんな感じかな。父親は息子そっくりで息子は父親にそっくりだ。どっちがアレクサンドルでどっちがニコライか。まるで古いペイシェンスのカードでも並べているようだ。アレクサンドルは死なんとしニコライは生まれ出ようとしている。あるいは誰が誰を産んでという福音書の長ったらしい章〔マタイによる福音書の冒頭〕でも読んでいるような気分。
 子は処刑され、その父の首には縄がかけられた。
 女が叫ぶ――
 「きょう、あたしらは麦粉をオシムーシカ〔8分の1フント〕も貰えなかった、どうしてくれんのよ!」

 「誰がやったんだ、そんなこと?」
 「投機さ。だが、どこで投機がといくら考えても、何も出てこない。人間がいる、だが、人間をいくら分析解剖しても、何も出てこないんだ。投機もないし、人間もいない」
 「誰がやったんだ?」 
 「飢えだ、飢えのせいだ」
 「じゃ、飢えはどこから?」
 「戦争」
 「じゃ、誰が戦争を始めた?」
 「ブルジュイ」
 「もうブルジュイはいない。まったく、なんで何もないんだ?」

 40〔歳の〕男は階級闘争の害を言葉で表現しようとする。〈ドベッて〉埋められた――これを前進発展させる必要がある。

 なぜ民衆(ナロード)はのらくらしているか?

 「壁の前に立て、立て!」と、不屈のニヒリスト。

 「あなた、なかなか立派な議論をなさいますな。ところでタバコを吸ってもよろしいですか……心からあなたにお礼を言います」そう言って〔誰かの名を呼び〕問いただした。「それで、ここにいるのは……」
 「ほら、あそこ。あそこに馬鹿みたいに突っ立っとるのがいますが、あんな奴に何がわかるもんですか」

 仕事は少しも捗らない。ハエみたいにのろのろしていて、何のためにこんな仕事をしているのか、この像が誰の邪魔をしているのか、わかっていない。
 「党は、これは自分の親戚(ロドニャ)だ。村の親戚は自分の味方、誰かが自分に不当な仕打ちをしたら、党はわたしを支持してくれる。党はわが友=同志である。他の党のことはさっぱりだ――どこにどんな人間がいるのか、みんなと共通の党なのか神の党なのか、さっぱりわからない」

 まあ待ってな、今にエスエルがやって来て、おまえら全員を吊るしてくれるわ。

 傷を負ってない者は列から離れて、身なりをきちんとしとくこと。
 「こんな時代に傷を負ってない人間がどこにいるって?」
 「それこそおれが言おうとしていることだ。一人ひとりを苛々させ傷つけるように持っていって、もうこれ以上どうにもならんところまで来ているんだ。党に入る〔こともできようが〕、〔そうなったら〕もうナンも……党しかない。党しかなくなる。こいつは絶対なんだ。四の五の言うな、か」
 「そうだ、つべこべ抜かすな!」

 40〔歳の〕男はツァーリの味方だったりレーニンの側についたりしながら、どうニヒリストが転ぶか見守っている。

 キリストの特異なところは、自ら歩いてその生涯を予告し、すべてに先んじていたこと。一方、われら人間は、彼が磔になるまで生きて、望みのすべてを彼に託しつつ、何かが起きるのを待っている。たぶんキリストはわれわれに気づかず通り過ぎていくだろう。おそらく何もしないだろう、何も。
 「さあどうぞ壁の前へお立ちください」

 何か文学の仕事(たとえば教会の古文書の研究のためとか)で、モスクワからエレーツに行くのだということを証明するものが欲しかった。聞けば、どうやらそれを発給できるのがワレーリイ・ブリューソフだというではないか!
 「どうしてワレーリイ・ブリューソフなんだ? 彼なんか何の関係もないだろう?」
 「じゃ、これを見たまえ!」
 見せられたのはブリューソフの許可証と「文芸復興」紙である――なんとワレーリイ・ブリューソフが〔ボリシェヴィキから〕任命されていたのだ。
 「でもこれは、いくらなんでもあのブリューソフじゃないだろう!」

ワレーリイ・ヤーコヴレヴィチ(1873-1924)は詩人、評論家。「ロシアのシンボリストたち」(1894)で文壇に登場。1904年に雑誌「秤」を発行し、純粋芸術を唱えてシンボリズムの理論的指導者となる。しかし1905年の革命を機に、関心が唯美主義・個人主義から社会問題に移っていく。十月革命後はボリシェヴィキの新政府を積極的に支持した。評論集「遠きものと近きもの」(1912)。

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