2012 . 09 . 29 up
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*7月16日(火)の夜、ウラルのエカチェリンブルグ(イパーチエフの館)に幽閉されていたツァーリが銃殺された。皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ、皇太子アレクセイ、4人の皇女(オリガ、タチヤーナ、マリヤ、アナスタシーヤ)、それと医師のボートキン、3人の従者も同じ運命を辿った。
ドイツ志向のソロモンと同盟国志向のソロモンが激しくやり合う。
社会主義者はいずれも迷える宗教の子どもたちである。
ある者は、きょう自分は雑役夫、でもあすは高等中学(ギムナージヤ)の校長として目を覚ます(とはいえ、この種のことはよくあること)と信じて疑わなかった。またある者は、自分の知識の貯金箱がいっぱいになるや、突然、雑役夫になってしまった。
文化的価値の生産と蓄積の観点からすれば、この上なく馬鹿げているが、しかしそれでも、その夢の糸はかなりはっきりと見えている。双方の気持ち(立場)を一つに結びつけることを正しいとする、何かしら人間の新しい信念(ウヴェール)のようなものが必要であるのは明らかだ。
*リーパは菩提樹、女性名詞――ソフィヤ・パーヴロヴナ。
*1エフセイ・アレクサーンドロヴィチ(1880-1952)はエスエル党員のジャーナリスト(前出)。
*2このころ、チェコ軍二個師団を先頭に反ボリシェヴィキの白軍がエカチェリンブルグに対する包囲の輪を縮めつつあり、赤軍は算を乱して退却しつつあった。チェコ軍団は、西部戦線でドイツと戦う連合軍と合流するために、極東経由でロシアから脱出しようとしていた。一方ボリシェヴィキはチェコ軍団の武装解除を画策(ドイツの圧力によって)するが、その試みは失敗に終わった。ボリシェヴィキに背を向けたチェコ軍団は白軍と共に西方へ進攻を始める。7月14日にはエカチェリンブルグの陥落は時間の問題だった。
*1ヤーコフ・ミハーイロヴィチ(1885-1919)は革命家(ボリシェヴィキ)。ニジニ・ノーヴゴロドの職人の子。大衆のオルガナイザーとして沿ヴォルガの工場労働者を組織・煽動し、1905年にはウラルで活躍、逮捕、流刑、逃亡を経て党中央へ(1912)。レーニンは彼を〈党の生き字引〉と。革命後はソヴェート中央執行委議長となったが、病気で早世。
*2アレクセイ・イワーノヴィチ(1881-1938)はソヴェートの政治家。農民の子。カザン大法科に学び、学生運動で逮捕、追放され、亡命先のスイスでレーニンと知り合う。ソヴェート政府の初代内務人民委員。病床のレーニンの代理をし、またその後を継いで人民委員会議長〈首相)。党内論争では〈右派〉に属し、失脚。38年〈反革命公判〉で処刑された。
*3ユーリイ・ミハーイロヴィチ(本名ナハムキス・オフセイ・モイセーエヴィチ(1873-1941)は政治家。歴史家、評論家。1917年にペトログラード・ソヴェート執行委員、「イズヴェスチヤ」その他の編集委員。マルクス主義と革命運動史の著作がある。粛清され、死後の名誉回復された。
ソロモンたちは家に、こっちはカフェに押し込められている。食いものにどこでありつこうか? 晩飯の心配。これまでか、もう何もない。
便りなし――残念だ。それともあれは〔?〕は着いたのか? 何もわからない。
最後の審判。コーヒー店が12人のソロモンの裁きの庭になりつつある。以前と同様、誰も何も知らないのだが、ソロモンたちはわかった顔して暮らしている。戦争自体はまだ続いており、ソロモンたちは情報収集を続行――調査(法廷)。3つのグループあり。1)通報者(密告者)=風評の種を蒔く人。2)記録係(政治家)。3)ソロモンたち。
志向の二系列――軽薄無思慮組(すべてはチェコスロヴァキア兵の仕業で、トロイツァ大修道院は占領された等々)とカデット=ドイツ組。党が二つに分裂した。これは二枚貝が蓋をパチンと閉じて一つになるため。
登場人物――
小柄な男は22歳でニヒリスト。
40過ぎの労働者(これはオーカニエ訛りがあるからセーヴェル出身)。
修道士。
モスクヴォレーチエのブルジュイ。
怒鳴ってばかりいる女。
ドイツ人。
その他多くの労働者。その大半はモスクワ人ではない。
労働者たちはツァーリに関して自分の意見を持っており、ときどきそれを口にする。
いろんな記念像がモスクワ川に面した石段の下からひょいと姿を現わしたりするのは、舞台現場が市内のあちこちで打ち壊された像の集積場のようになっているからである。
楽隊が葬送行進曲を奏でている。遠くに白い棺車が現われた。
「あの白いのは何だろ? 坊主かな、それとも娘っ子たちか?」
「棺を運んでるんだよ、坊主なもんか」
「坊主なしでやるんかい? まあ、コミサールの葬式だものな」
「コミサールは〈ドベッチまった〉のさ」
「ヒマワリの種だろ!」
ニヒリストが口を利いた――
「そりゃ、ヒマワリの種に決まってる。あんな野郎は川ン中にペッペッだ。ちぇ、あいつら、音楽なんぞ流してやがる」
40過ぎの男――
「同志よ、また銅像かい? そんなの、どうもならんぞ」
「ナンも持たん人間が選ばれるべきだとわしは言ってんだよ。でもあいつらは、われわれこそ管理者だ支配者だとそればっかしで、これまた同じようにみなを殴りつけている」
「いつもそうだった。以前も殴ったし今でも殴ってる。これからだってわしら兄弟を殴るだろう。なんでだ? それがなくてはやっていけんからさ」
「面倒臭いな。『立て、壁の前に立て〔銃殺〕!』――それで終わりだよ。それとも3インチ野戦砲でもぶっ放すか」
「おまえがわしを殺(や)ったり、わしがおまえを殺ったりするのは、決して有効な手じゃない。わかるだろ? わしはそんなの信じない」
「いったいおめえに何が必要なんだい?」
「武器は使わんようにするのがいいってことさ。武器なしで生きていくなら信じてもいい。でも、同じことだよ。ツァーリを倒したのに、またツァーリ〔〈コミサール〉の追記〕の像を建てようってんだからな。レーニンもコミサールも同じこと。だからな、誰もいないナンもないというのが一番なんだ」
いつの間にか群衆が膨れ上がっている。ひときわ高い女の声――
「自由はくれても、パンはくれなかったじゃないか。こん畜生、こんな自由は悪魔にくれてやる!」
ボリシェヴィクが言う。
「ぶらぶらしてないで仕事に行け!」
ざわめきと叫び――
「仕事をくれ!」
「仕事を持ってけ。おまえはちっとも動こうとしない」
「嘘つけ、誤魔化すな!」
「いいや、おまえはただ咆えてるだけだ。要するに、働きたくないんだ。悪いのはわれわれじゃない。仕事ならいくらでもある」
女がひとり、金切り声で他を圧倒しつつ、言いまくる。
「畜生どもめ、いい仕事を見つけやがったな、ツァーリを潰すなんて、まったく立派な仕事を見つけたもんだ! 今に見てろ、エスエルがおまえらを残らず吊るしてくれるわ」
段々の下から、紺のジャケットを着たブルジュイが登場。真っ赤な目をして、雄叫びを上げた――
「さあ働け、働け! ドイツ軍がやってくるんだぞ。おまえらなんかみな縛り首だ」
高く組まれた足場の王冠の下で、ぼろを着た男が斧をかざしながら、叫ぶ――
「そうなったら、ドイツの奴らをこれで叩き潰してやるわい」
そこへ当のドイツ人がしゃしゃり出る。これまたでかい声で――
「そんなこと信じるんじゃない。ドイツ人は秩序を持ってやってくるんだ。彼らは悪さをしない。するとしたら、あそこにいるあの男に対してだけだ」
そう言って、王冠の方を指さす。指をさされた男はまたもや斧をかざして――
「ドイツっぽなんかもう何千年もこれで叩きのめしてきたんだ。これから先もずっとぶちのめすしてくれるわ。あいつらが秩序をもたらすだと? 何を言ってやがる、そんなことあるわけがねえ。奴らは屑だ、碌でなしだ。畜生め、ひとり残らずぶちのめしてやる!」
「誰がやったんだ、そんなこと?」
「投機さ。だが、どこで投機がといくら考えても、何も出てこない。人間がいる、だが、人間をいくら分析解剖しても、何も出てこないんだ。投機もないし、人間もいない」
「誰がやったんだ?」
「飢えだ、飢えのせいだ」
「じゃ、飢えはどこから?」
「戦争」
「じゃ、誰が戦争を始めた?」
「ブルジュイ」
「もうブルジュイはいない。まったく、なんで何もないんだ?」
なぜ民衆(ナロード)はのらくらしているか?
「壁の前に立て、立て!」と、不屈のニヒリスト。
「あなた、なかなか立派な議論をなさいますな。ところでタバコを吸ってもよろしいですか……心からあなたにお礼を言います」そう言って〔誰かの名を呼び〕問いただした。「それで、ここにいるのは……」
「ほら、あそこ。あそこに馬鹿みたいに突っ立っとるのがいますが、あんな奴に何がわかるもんですか」
まあ待ってな、今にエスエルがやって来て、おまえら全員を吊るしてくれるわ。
傷を負ってない者は列から離れて、身なりをきちんとしとくこと。40〔歳の〕男はツァーリの味方だったりレーニンの側についたりしながら、どうニヒリストが転ぶか見守っている。
キリストの特異なところは、自ら歩いてその生涯を予告し、すべてに先んじていたこと。一方、われら人間は、彼が磔になるまで生きて、望みのすべてを彼に託しつつ、何かが起きるのを待っている。たぶんキリストはわれわれに気づかず通り過ぎていくだろう。おそらく何もしないだろう、何も。
何か文学の仕事(たとえば教会の古文書の研究のためとか)で、モスクワからエレーツに行くのだということを証明するものが欲しかった。聞けば、どうやらそれを発給できるのがワレーリイ・ブリューソフ*だというではないか!
「どうしてワレーリイ・ブリューソフなんだ? 彼なんか何の関係もないだろう?」
「じゃ、これを見たまえ!」
見せられたのはブリューソフの許可証と「文芸復興」紙である――なんとワレーリイ・ブリューソフが〔ボリシェヴィキから〕任命されていたのだ。
「でもこれは、いくらなんでもあのブリューソフじゃないだろう!」
*ワレーリイ・ヤーコヴレヴィチ(1873-1924)は詩人、評論家。「ロシアのシンボリストたち」(1894)で文壇に登場。1904年に雑誌「秤」を発行し、純粋芸術を唱えてシンボリズムの理論的指導者となる。しかし1905年の革命を機に、関心が唯美主義・個人主義から社会問題に移っていく。十月革命後はボリシェヴィキの新政府を積極的に支持した。評論集「遠きものと近きもの」(1912)。
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