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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 08 . 19 up
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5月24日

 この冬の貧弱な雪が一瞬にして融け、まとまった雨も降らずに5月が過ぎようとしている。お湿りにも生気が感じられない。木々は葉をつけたが、マローズィ=ソーロキが5月に持ち越したみたいで、花の蕾は早くも死にかけている……

マローズィ=ソーロキとは露暦3月9日(新暦3月22日)、昼夜平分の日。四十人の受苦者の祭日に当たり、昔から非常に寒い日と言われている。

 5月上旬がまるで10月のよう。空はどんよりと灰色、天と地に切れ目がない。平べったい天が平べったい地とひとつになって、ぞろぞろとそのまま家畜小屋へ追い立てられていく山羊の群れのようである。
 わかっているのは、もう2度とわがグレージツァ(唯ひとりの許婚〔この語抹消〕)は夢に現われまいということだ。以前は、彼女が夢に出てくることをどんなに望んだことだろう! だが、じっさい夢に出てくると、〔自分は〕生きているという実感がまるでなくなって、何かこう嗅覚を持たずにこの世に現われた獣みたいになったものだ。

前出。幻像の意で、夢にたびたび登場する初恋の人。ワルワーラ(イズマルコーワ)はプリーシヴィンの〈永遠の女性〉。矛盾したエロス体験の複合(コムプレクス)である。

 こんな提案をされた――有用な人物ないし誰か他の者と組んで自分の所有地を委員会から賃借するようにしてはどうか、と。それに対してわたしは、それがたとえ自分にとって有利なものであっても、自分の庭の使用料を自弁するのはあまりに馬鹿げているからやはり呑めない、だいいち法律が認めていない――どう言われようと庭は自分のものだから、と答弁した。
 「誇り(ゴールドスチ)があるから、借りるわけにはいかないよ」
 有用な人物は言った――
 「誇り、ね。そいつはいいことじゃないよ」
 「おたくにとってはそうだろう」と、わたし。「おたくはどこでも有用な人間で、誇りはおたくにとって有害だろうが、自分にとっては大きな利益なんだ」
 「利益? いったいどんな利益です? 誇りを利益とする人間なんているだろうか?」
 「もちろんそれは金銭的なものじゃない、精神的な誇りだ」
 「誇りが精神的な利益に? そんなことあり得ない」
 「いや、あるさ!」
 「そんな理屈、聞いたことがない……」
 この有用な人物との言い合いは、まさにドン・キホーテとサンチョ・パンサのそれだった。結局、彼がわたしの内に誇りを利益とする人間――旦那(バーリン)を認め、おのれの内に利益はすべて従順(スミレーニエ)に(つまり召使)に属すると断ずる、まったく別の生きものを認める結果に終わっただけだった。
 会話のあと考えたことは――『裸ん坊同然のわれわれロシア人は、濁った水底(みなそこ)、闇の底を数百年、這いずり回って、コソとの音も立てなかったし、それで今もって何もわかっていない。だが近ごろようやくざわざわしだしたのである。それは騒ぎというほどでもなく、われわれが一度に水を動かし――もっとも、どこへ動かしたかはわからない――別の小さな流れの方にか、湖の中にか、はたまた海に向かって動かしたのかは判然としないのだが。

5月25日

 酷寒(マロース)。経営する唯一の神、土を耕す神、農家の主(あるじ)にとって、革命時代はおそらくひどいものであったに相違なく、連日、新たな原則(ナチャーロ)に則った〔農業〕経営についての、またブルジュイやプロレタリアや未来のあらゆるシステムについての空疎な言葉を聞かされるのは堪らないし、うんざり〔滾滾(こんこん)〕、しまいには吐き気を催したことだろう。
 川の真砂のように家族は増えるが、出口はなし。誰もが主の首に縋りついているから、ここはしっかり経営したいのである。でも、相変わらずぺちゃらくちゃら喋繰りばかり――秋にコクマルガラスがミヤマガラスと別れるときのように。ミヤマガラスは遠い温暖な国へ渡っていくが、コクマルガラスは寒冷な土地で暇を潰すしかないのだ。主は心配で堪らない。若い連中とどうやり合うか、心配が講じる余り、本人まで掠奪に加担しかねない〔若者に負けじと〕。  主人の心労はセミョーン・バブーシンの心臓を烈しく打った。彼も飢えと寒さと疫病は避けられないと見ている。昼夜の別なく嘆じていたが、若い連中はどうかと言えば、たえず兵士たちからアルコールを奪うことを画策していた。銃で武装し、丘の〔上の酒造工場〕襲撃を試みる――ドイツ軍への突撃さながらに! 工場の小窓から迎えてくれたのは機関銃だ。それで全員必死に逃げたが、小銃の半分はそのまま自宅に持ち帰った。
 「てめえたちの足の下が底なしだってことに気づきもしねえでよ、この馬鹿たれどもが!」無茶する若者たちにセミョーンが言う。
 セミョーンには自分が為すべきことが、彼らにもそれぞれ為すべきことがあるのだが、それでもやはりアルコールは手に入れたい。そして脳漿を絞りに絞った〔本当に〕。兵隊は天使ではない。でもアルコールの近くに腰を下ろしても、それに手を触れようとはしないのである。なぜか? 探りを入れた。わかったことは、兵士が呑むのは真夜中で、日中はしっかりと酒樽を守っていたということ。抜け目のない連中が深夜、雁首を揃えた。よく見ていると、兵士たちは窓敷居の上でだらしなく酔っ払っているようだ。すぐさまふん縛っちまおう。と、また機関銃が唸りだす。丘の上からは大声で――
 「おい、こっちだ、どうした? さあ登ってきやがれ!」
 丘の下に大勢ひとは集まるが、機関銃が怖いので、誰も登ろうとしない。すると突然、酒樽が上から自分らめがけて落ちてきた! それも次から次と。要領のいい連中はすぐに容器を取りに戻る。頭のあんまり働かない者たちはただぽかんと口を開けてその場に突っ立っている。
 最初の酒樽が小川へ。小川と言っても、馬に〔それも用心しいしい〕飲ませるような泥の水溜り。樽は岩にぶつかって凄い音を立てた。40ヴェドロの大樽がばらばらになり、アルコールが薄まったことは確かである。偶々(たまたま)水の近くにいた男などはすぐさま腹ばいになり、馬みたいに直にアルコール入りの泥水を啜っている。集まったその人の数――泥(黒土)でも何でも、構うこっちゃない、とにかく飲みたい飲みたいの一心だった。そこへまた1樽、もう1樽。さらに噂を聞きつけて、あっちの村からもこっちの村からもどんどん集まってきた。手には、耳付きの大桶、洗濯桶、飼葉桶、それも小さい樽からでっかい樽まで。女たち、年寄り、子どもたちまで。
 セミョーン・バブーシンの嘆きはいかばかりであったか! めちゃめちゃ大声で――
 「ああ、やめろ、やめとけ、ああ、ああロシアは駄目になった、わがルースカヤ・ゼムリャーは地に堕ちた、どうもならん、もう破滅だ!」
 とても我慢できない。思わずセミョーンも走り出す。
 「しょうがねえ、おれだって。畜生め、こうなったらトコトンただ呑みしてやる!」
 そう言って、空のチェトヴェルチ〔3リットル桶、4分の1ヴェドロ〕を手に取った。もう死んでもいいような気になった。
 丘の上の工場に火の手が上がった。あたりが昼のよう。セミョーンが見たのは、泥の中に横たわる数え切れないほどの人間たち。人間の泥といった感じか。人と泥の見分けがまるでつかない。
 セミョーンは樽のひとつ(中にまだ数リットル入っていた)へ、そしてその前に跪いた。
 この世もこれが見納めか、おさらばさらば! 半チェトヴェルチを一気に呑んで、ぼおっとしたら、もう何がなんだかわからなくなった――跪いたそのままの恰好で! 吸い込んだはずの空気がからっぽになる。それでも少しも動かない。まだ意識のあるらしい誰かがそれを見て、驚いた。『やっこさん、どうかしちまったか?』。そう言って、ちょっとセミョーンの方に行きかけたが、足を取られて、鼻面から泥の中へ……
 「くたばっちまったかな?」いちばん近くの男が訊く。
 誰かが近寄った。そしてセミョーンの体を火事の方に向けると、その顔を見て――
 「駄目だこりゃ。死んじまったよ!」
 主がいなくなっても、お天道さまは昇った。連隊は総崩れ。飲み崩れて、顔も体も泥の中。第一番の主であるはずのセミョーン・バブーシンからが相変わらず横たわったままである。その隣にのびていたのが村の牧童……牛の群れはとうに冬麦の畑へ散っていた。それでも徐々にお天道さまが暖めてくれたから、セミョーンの体がぴくぴくしだし、やがてむっくと起き上がる。目は開いたものの、やはり何がなんだかわからない。村の男たちがひとり残らず酔い潰れているとわかって、思わずセミョーンは頭を抱える。記憶が戻った。
 「ああ、まだおっちんじゃいねえな!」
 大きな声で泣き喚き、まず真っ先に畑から牛たちを追い出しにかかった。

 婚礼。(下線あり)土地の分割に氏素性の不明な兵士がやってきて、知らぬ間に仲間に加わって、分与地を受け取った。空き家を借り、立派な馬と牛を一頭ずつ買い込み、クラースナヤ・ゴールカに結婚式を挙げることを思いついた。花束、音楽、コック。家には独りぽつんとセミョーン。

復活祭直前の第一週で、昔からの結婚週間。

 セミョーンは嘆きながらも考え直した――『よおし、がんがん呑んでやる。たかってやるからな!』。意を決して婚礼の席へ。しかしワインが出てない。なんてこったよ! 〔花婿はじっと坐ってる……客たちが叫んでいる〕『樽ごと持ってこいてんだ!』

 自分は何を書いているのだ?
 牢の鉄格子越しに見る素晴らしい人生か? 釈放されたその日に見た人間の暮らしについてか?
 ゴーゴリのべリーンスキイとの闘いについて読む*1。セマーシコ=ラズームニクの出どころは完璧にべリーンスキイである。すべてが磔刑へ、苦の道へ向かっている*2

*1作家ゴーゴリと批評家ベリーンスキイの有名な論争。ゴーゴリの「友人との往復書簡抄」に対してべリーンスキイが個人的に激烈な反論(「ゴーゴリへの手紙」)を加えた(1847)。若きドストエーフスキイの運命も大きく関わることになった。「ゴーゴリへの手紙」の公開は1905年になってから。

*2「べリーンスキイを読めば、長年ロシアの革命的インテリゲンツィヤを支配し、ついにロシアの共産主義を生むことになる世界観の内的モチーフを学ぶことができる」(ニコライ・ベルヂャーエフ『ロシア共産主義の源流』)。

 ニコライ二世の帝国の終焉は、官僚どもが多数の敵対するグループに分裂し、結果、空疎な言葉と空疎な案件だけが異常増殖したためである。

5月26日

 雨後のライ麦畑は希望そのもの。もういかなるイリュージョンもない。間一髪の……経営! 最近亡くなった者たちがぞろぞろと、じつに邪気のない素朴な様子でわれわれの前に立ち現われた――雨のあと土塁の上で羽を乾かしているミヤマガラスの群れのように。わが隣人などは、彼らと一緒に死ねなかったことをしきりに残念がっている。
 「ミヤマガラスになりたいのかね?」
 「そうでもいいさ。そのほうがまだましだ」
 「そりゃ駄目だよ!」
 自分はこれまで自分たちが〈人間〉と呼んできたものが再び創造される(しかも今それがイリュージョン(欺瞞)と思われているのだが)ところを見てみたい、だから生き延びたのだ。
 帰る道みち、この地に建てられてばかりの学校が目についた。そしてそのことが最近、わが身に起こったことを彷彿させた。いったいいかにして〔こんな時期に〕こんなのを建てることができたのか? どこからそんなイリュージョンが、希望が、信念が生まれたのか?
 われらが坊さんの詰まらぬ建造物――未完成の教会の屋根はどっかの農家の納屋そっくりだし、鶏舎も至ってお粗末である。壁があるだけで屋根はない。建てたのはたしか去年の秋で、そのころはまだ面倒なことを考える余裕があったのだが、今はそんなことすら思い出せない。労働の意味が完全に失われた……
 思いがけず、ふとこんなことが頭に浮かぶ――『ナポレオンはロシアの寒さ(マロース)で敗走した。彼は人類を救済したかったが、マロースのせいで亡んだ。レーニン、この人類の救済者も、たぶん飢えのためにここロシアの地で亡ぶだろう』。
 われわれをして今あの小学校を建てさせすことができる者は誰であるか?
 以下も同じ問いだが――
 わが百姓、つまり中程度の労働者農民層をして〔自分が〕少しも信頼していない相手の手に最後のパンを差し出させる者は誰であるか? その恐ろしいほどの浪費と無駄の例をあれだけ見せつけられてきたにもかかわらず。
 奴らはよく知っているのだ――もし農民たちの良心に向かってこのそら恐ろしい現状を説明すれば、ぜったい彼らは自分たちの蓄え(隠匿物資)を差し出すだろうことを。何と言っても、彼らには祖国を、ロシアを思う気持ちが強いわけだし、ロシアのためならすべてを差し出すだろうことを……
 それを説得する奴は誰か? 農民大衆(マス)のすぐ近くにいて、わしらはいつだってあんたたちの味方だよという顔をしている者たちだ。 そいつはどこの誰?
 しかし肝腎の農民、そんな自分の与(あずか)り知らない〈全人類〉に、なんでまた自分の最後のパンを差し出すだろう? 農民はスペンサーなど知りもしない。ましてや委員会の手を通しての〈人類の救済〉なんて!

ハーバート・スペンサーはイギリスの哲学者・社会学者(1820-1903)。ダーウィンが『種の起源』で主張した〈進化論〉の概念をむしろダーウィンに先駆けてその思想の中心に据え、それを広く自然および人間の諸分野に適用したことで知られる。主著『総合哲学体系・全10巻』(1862-96)。

 人類救済の名において祖国そのものがこの大国が完全に滅びてしまう。そんなことは無自覚的盲目的自然発生的人間などの理解が及ぶところではない。そういう人間は穀物を隠匿するので、人類の救済者たちは彼らをみな人類最悪の敵と呼んでいる。
 感覚としてわたしは、レーニンが政治家の理性(ラーズム)と計算(ウチョート)だけで何を捉えようとしているかを知っている。自分(インテリゲント)と零細農家の主たちの間に横たわる深淵、その感覚。
 だが、わたしには彼らと共有するものがある。身体の、世界の、祖国の、土地の感覚だ――これにはレーニンもまったく手が出ない。そして村にも自然界にも(と自分は思っている)、最下等の動物の世界にも、そんな感覚感情を踏み越える存在がいるのだ。彼らは踏み越える者=犯罪者と称されている。
 身体、自然、大地の共同性の感覚感情を踏み越えて、他者を殺害したのがカインだ。

アダムとイヴの間に生まれた長兄(カイン)は嫉妬に駆られて弟のアベルを殺した。「創世記」第4章2-12節。旧約に記されている人類最初の殺人者。

 われわれは、いずれレーニンに付き随って備蓄隠匿者たちを密告することになる単純幼稚(プリミチヴ)な人びとを指折り数え上げることができる。
 ザハール・カピトーノフ――これは強盗、戦争で自分の指を撃った(前出)。
 パーヴェル・ブラーン――職人で本当の農民ではない。まだ25歳なのに頭は完全に禿げている〔書き足し――酔っ払いの(2〔抹消〕あるいは3代目)〕。
 ニコライ・クズネツォーフ――この男の嗅覚には得難いものがある。鼻腔を風上に向けるだけで儲け話〔自分が得すること〕を嗅ぎ出すので。
 村全体でもこんなふうなのが8名おり、いずれも刑事犯の犯歴を持つ。とにかくはしっこい抜け目のない連中だ……

5月27日

 いっさいが、貧しく哀れな人間(〈プロレタリア〉)への同情でも愛情でもなく、ひたすら金持ち(〈ブルジョア〉〉に対する憎悪で動いている。もし彼らが自分の憎しみを愛でもって検証できるなら、決して彼らは自分の友(や仲間)を泥の中に引きずり込みはしないだろう。

5月28日

 〈全住人が右傾化した――襲撃することが少なくなり、ずっと静かになった〉と言う。自分は思った――政治的な意味での右傾化だが、なに、襲撃は続いているぞ、と。〈右傾化がひどくなった。人びとはあらゆる種類の天候(パゴーダ)に注意を怠らない。現政権が右傾化したのだ。つまり住人の声に耳を傾けているのだ〉。
 〈権利(プラーヴォ)〉によって〈右傾化した(パプラヴェーロ)〉。

 村は巣籠り中の雌鳥(ナセートカ)のよう。社会主義の思想(イデア)は見知らぬ鳥たちが産んだ卵のようなもの。去年から村は抱卵していて、そのうち雛が孵ると思っている。そしてついにその時がきた。雛が殻をつつく。それを見守る雌鳥。出てきたのは、なんと自分の雛ではなかった! ガチョウの子でも鴨の子でもない、ぜんぜん見たこともない郭公(カッコウ)の子どもたちだった!

周知のように、カッコウは自分のではないほかの鳥(モズ、ホオジロ、オオヨシキリ、オナガなど)の巣に託卵し、それらの鳥を仮親として哺育される。

 村の年寄りはうまいことを言ったものだ――
 「わしらは罪つくりぞ、罪人ぞ、わしらのベロは見ろ、じつに滑らかにできとる!」

 余所ものの、借りものの思想(イデア)が村に入ってきたのである――巣籠りの雌鳥が余所ものの卵を抱かされて、それとは知らずにじっとじっと雛が孵るのを待っていた。
 巣籠りの雌鳥は卵を抱えて、辛抱強くわが子に会える日を待っていた。
 雌鳥は考える――もうすぐだ、もうちょっとの辛抱だ。そしてついに殻をつつく音……

 村ソヴェートに電話電報。3日分の食糧〔大会中自分が食う〕を代表団は各自持参せよ。その代金はあとで払ってくれるらしい。
 これまでは、ありとあらゆる下らぬこと詰まらぬことに煽動演説(アジテーション)は付きものだった。昼も夜も喋りまくり、百姓代表はそれでいちいちいっぱい食わされていたが、今は余計なことは言わずに、ただ『3日分の食糧を確保し集合せよ!』――ただそれだけである。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


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