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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 08 . 05 up
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5月15日

 儲けの日(バルィシ・ヂェニ)。ドイツの蜘蛛がぴんと巣を張っている。この蜘蛛の巣が〔そう簡単に〕破れないでくれればいい。このことをしっかりと肝に銘じておく必要がある――自分にはそれがわかっているか?
 否。でも、われわれが起こす波動が創造に対して神聖不可侵であることはわかっている。
 国民の多くが今、ウクライナ人やボリシェヴィキと手を組んだドイツ人たちが狡い行動に出たことに腹を立てている。
 植物学者〔前出〕の娘がこんなことを言った――ボリシェヴィキは頭がいいし才能もあるけど、ほかの暴れ者(ブヤーン)たちはボリシェヴィキとはとても言えない、本物のボリシェヴィキはレーニンとトロツキイだけだわ、と。

古くからある迷信で、この日(5月15(2)日)、ものを売って儲けることができたら、その一年は幸運がついてまわると言われた日。

 わが牢の鉄格子の先の暮らしは順風満帆のようだが、そこに入っていきたいとは思わない。たとえば、アレクセーエフカ村の婚礼はオーケストラと専門の料理人付きという具合― ―まるで昔のスタホーヴィチ家〔プリーシヴィン家の隣家の大地主〕のようだからである。

 春だというのにカラカラ陽気で、雪が解けてからこっち、雨はなく、凄まじい寒さである。燕麦の芽が3つに割れ、穀草が管状になって、背丈も3ヴェルショーク〔13センチ強〕しかない。きのうの新月は、顔でも洗ったみたいにすっきりしていた。あたりは緑一色。たぶんひと降りやってくる。すれば、気温も上がって一斉に花が咲き出すだろう。そうなると、こんな恐ろしい時代でも、まだこの土地でずっとやっていけるのでは、養蜂業で自活していけるのでは? などとつい思ってしまう。

 人間の孤立、あるいは言うところのインヂヴィドゥアーリノスチとは、個(リーチノスチ)の小さな家。古い小さな家は壊されても、個は侵されない。個人としての死を自分は恐れていない。自分は死なない。自分を殺そうとしても、どうせおまえたちは自分自身の死を持ち帰るだけだ。大鎌と地獄を引っさげてやってくる死〔神〕は、おまえたちの子どもを徒(いたずら)に怯えさせ臆病者にするだけである。おまえたちが死を恐れるのは、おまえたちの父親たちがその恐怖を作り出して〈人殺し〉になったからだ。

 もうすぐ5月が輝きだして、自分の魂は〈永遠なるもの〉に向かって全開する。人間の事業である戦争はそれでその無意味さ加減をとことん露わにするだろう!
 永遠を照らし出す前の――この何年か〔の歳月〕はいったい何だったのか? 自分はその一瞬一瞬目の当たりにしてしてきた。以来、自分は、苦を目にするときは同情(ウチャースチエ)をもって、歓びを目にするときは微笑みをもって、人びとが試みられている〔責め苦を受けている〕ときは憎悪を抱きながら、人間の平和というものを見てきた。そして本質的には(と自分は思う)、決して人間は互いに殺し合うことなどできない。

 セマーシコ〔中学時代からの友、プレハーノフの甥でのちのボリシェヴィキの大物(前出)〕がボリシェヴィキであること。ラズームニク〔社会評論家で同じく友だが、のちエスエル左派へ〕とそっくりだとわかる。でも、どこが? 二人は本質的に理性的(ラズームヌィ)で、この世的(ゼムノーイ)な人間だが、二人とも挫折を味わった。彼らの革命の運命においては、何かしらつまらぬものが役を演じている――たとえばセマーシコは1年生のときべリーンスキイを読んでいたために、卒業のとき金メダルが貰えなかったし、ラズームニクは詩人のギッピウスにデカダンの仲間入りをさせてもらえなかった。生まれついての純粋さ(道徳性、人間性)。良心との駆け引きがじつに不器用なとこ。秘められたロマンチズム。私的生活の拒絶(自分は私(わたくし)ごとをやっているのではない、私ごとではなく、憎悪や恨みからではなく他人への奉仕のために生きている。だから、こんなに頑張れるのだ)。まこと人の道とは恨み(ズロースチ)からではなく喜びから他人(ひと)に仕えること。

ヴィサリオーン・グリゴーリエヴィチ(1811-48)は評論家。モスクワ大学在学中、農奴制を批判し、退学となる。評論「文学的夢想」を発表、注目される。スタンケーヴィチ・グループと交わり、一時ヘーゲル哲学に心酔。「祖国雑記」誌を編集し、プーシキン、ゴーゴリ、レールモントフらの評論を通じて若い世代に強い影響を与え、ゲールツェン、トゥルゲーネフ、ドストエーフスキイらの後輩・新人を発掘、ロシア文学の黄金時代を築いたが、貧困、過労、肺結核に苦しんで、早世した。

 革命は恨みから生まれる。
 革命は嵐、大気の圧縮だ。
 革命は圧縮された空気であり、故人となった魂(ドゥシャー)の疾走する風である。それは、前駆する、現在への悪しき霊(ドゥーフ)であり、その後方から追い迫るのもまた物故した人間の魂(ドゥシャー)である。
 安息(パコイ)と故人(パコイニキ)、墓地に咲く花々、暖かい日差し、ヒヤシンスの花に漂う死体の臭い。愛は永遠、生は限りなく(続く)。
 動いているのは悪意、恨み、風……
 いっさいを赦す愛はルーシの地で何になったか? バターみたいなものなった。それは、屑、ごみ、がらくた、碌でなしどもを、そう、何でもかんでも塗り込むバターのようなもの――いっさいを赦すのだ。
 どこかで凝縮された大気層に大風=サイクロンが生まれる。革命はおのれを見出せずに悪意をもって他に(未来に)働きかけることを望む、打ち砕かれた個(リーチノスチ)のうちに生まれるのだ。
 未来のために、というのは重要だ。そこに理想(イデヤ)と原則(プリンツィプ)がある。個が破裂し、悪意が生じ、未来の創造のプリンツィプが生まれる――すなわち風、嵐、そして革命が。
 個は現在に、すなわち今の今(現世)への愛におのれを見出す。現世、この世、愛。
 ある者は唯物論者(マテリアリスト)になることを望むが、物質(マテリア)には関わらない――何と言っても理想主義者(イデアリスト)なので。
 またある者はイデアリストになることを望むが、やはりマテリアとは事を持たない。
 ある者は学問ないし科学への傾斜。
 またある者は宗教へ、芸術へ。
 ぶち壊す者たち――創造する者たち。
 思想と愛が仲良くなることはない。たいていの場合、思想が破壊する――それが思想の仕事だから。愛の創造はまったく別の仕事。

 〔今〕エレーツ〔故郷の町〕にいる。日が暮れかかる。風は穏やか。どの通りにも石灰の塵がおおっている――家々の窓にも屋根にも積もっている。おもてはムシムシして息苦しい。とても不快。家々の後ろに庭があった。その菩提樹(リーパ)の木陰でみなが茶を愉しんでいる。大村(スロボダー)の方から牛の群れがあっちの通りこっちの通りと勝手にそぞろ歩き。生まれて間もない子牛だけは所有者の主が、ときおり女や男の子たち、あるいは女の子たちが連れている。われわれ〔家の者たち〕が窓からそれを眺めていたときのこと、突然みなが声を上げた――
 「ああら、カピトリーナ・イワーノヴナだわ!」
 エレーツ市の金満家の奥方のカピトリーナ・イワーノヴナ――鍔広の帽子を被って立派なドレスに身を包んだ彼女が、小枝を振りながら一頭の牛のあとを追っていたのだ。
 「ああまで落ちぶれてしまったんだ!」

 あす自分の家も百姓たちの斧で叩き壊されるだろうが、きょうはまだちゃんとしている。美しい。自分はこの家を愛している――この家はわたしのもの。
 庭と別れて自分はここを去るだろうが、どこかに庭を見つけて、もっときれいな庭を造ろう。わたしの庭は死なない。しかし庭木を伐り倒する輩(やから)が目にするのは死。死のみ(酔っ払いの大鴉!)。

フルシチョーヴォの庭の思い出をプリーシヴィンは、懐かしい幼年時代や失われた故郷の面影をともに何度も繰り返し語る。庭は初期作品の重要なポエチカであり、その芸術の揺るがざるメタファーであった。「暗い庭」(『巡礼ロシア』――キーテジの第二章(1909)、『イワン・オスリャーニチェク』(1912)、クリミアの庭園を描いた『スラーヴヌィ・ブーブヌィ』(1913)、伐採された林檎園(『園生にて』(1918)、フルシチョーヴォの庭とリュクサンブールの〈愛の〉庭(『カシチェーイの鎖』(1927)、芸術家の庭がテーマであるエッセイ(『わたしの庭』(1952)、それとモスクワ近郊のドゥーニノ村の草庭(これは最晩年の『日記」に)など。晩年に限らず、庭(サート)は「日記」の登場人物のようである。

 わたしは常に動いている。だが常に必死で(エライ努力を払って)自らを動かすように仕向けているのだ。どこへ行っても、そこに留まりたい〔と思う〕。つい永遠〔永住〕のプランが脳裡をかすめる。しかし、それが定着することはない。いずれもつれ合い、身動きが取れなくなって、最後はぐちゃぐちゃになるからだ。同じところに居過ぎまいと、〔ただそれだけで〕自分は動いている。
 冷たい北風のように容赦ない革命の怨念が猛威を振るっている。愛だってしかしバターではないのだ。なぜ愛は口を閉じているのか、なぜ風は熱い方角から風が吹いてこないんだ?

 自分の過去の存在の謎をばらすには、どんな尻尾にどうしがみつけばいいのだろう――わからない。
 ぼろぼろにされた魂。ときに夜空を見上げ、満天の星々に向かって、ぼろぼろになった魂が語りかけている。

5月16日

 ボリシェヴィキと対峙するケーレンスキイ。自分がどこかに書いたことが話の種(レゲンダ)になり、それが自分の耳にも入ってきた――あいつ〔つまりわたし〕はドイツ人を装って今こっち〔ロシア〕へ向かっている奴らのために書いているのだ、と。

 この冬のある深夜のこと。自分はよく追剥ぎの出る、人気のない通りを歩いていた。歩きながら考えていた――一気に走り抜けようかどうしようか?。歩いているのは自分ひとりである。と、遠くに人影。自分は武器を持っていなかった。万一に備えてポケットに拳を突っ込む。拳銃を握ってるんだ、下手な真似をしてみろ、遠慮なく一発お見舞いするぞ、と。近づいてくる男から目を離さない。見れば、相手の手には小さな本。ほっとする。本を手にした男は、まあ危険でない相手、謂うならば〈わが友〉である。
 〔ほっとしたのと、ある種の感動から〕その夜、わたしは生きているわが民衆(ナロード)に向けて手紙を書きたい気持ちになった。
 本を手にした見知らぬ友よ、今こそ自分はこの手紙を――われとわが身から最良の友たる同胞たちを切り離し追放してしまったわが素朴なるナロードの胸奥から搾り出されたこの手紙を、きみのために書こう。〔本当にそんな〈手紙〉を書いたかどうかは不明――訳者注〕

 あたりを見まわす――何ということ! 人影などどこにもないではないか! さらに歩を進めると、教会へ向かう者たち。そのうちの2人が、わたしの家の門の近くで足をとめた。そしてどこかの家を指差し、すぐにその手を下ろした。わたしにはピンときた。おそらくその男はこう言ったのである。
 「おい見ろや、この家(うち)、ほんと、とことんやられちまったな!」
 なんて厭な奴、ほんとに軽蔑すべき奴だ! わたしにはこのスキタイ人の国に何十人も知人がいたが、こんな奴にはひとりも出会ったことがない。彼らは人の心の痛みがわかる人間だった。失われた自分の財産のために泣く人たちではなかった。わが商人の町〔エレーツ〕にも、自分の財産を失くし本音を口にして落命した人間は何十人もいたはず。でも、自分の命を賭して真実(プラウダ)を押し通した人間はここには一人もいない。〔本音とプラウダは違う!〕。
 わたしは訊いた――
 「人間〔に値するもの〕はどこにいるか?」
 みなが答えた――
 「人間はみな土の中に逝ってしまった」
 ということは、人間は土地の分割に精を出していたのではなく、文字どおり墓穴――ここのスキタイ人は自分のために穴を掘り、ときどきは犬みたいに自分の食い残しや貯えを土中に埋めていただけの話なのである。
 全土へのアピール――
 『自らを救わんとする者は救われよ!』〔神は自ら助くる者を、とは言わず〕
 そして人間は地中に這いずりこんだ。なぜか? 何としてでも生きたいから、ただ生きたいから。
 〔自分の〕家の敷居のところに男たちが立っている。そのうちの一人――青い半外套を着た男が、何かわたしから貰いたがっている。それで、わたしの気を惹こうとしている。
 「どうだね、調子は?」わたしが訊く――
 男は一瞬、片方の目を細め、復讐心のこもった答えを口にする――
 「〔今〕こっちに向かってるんだ!」
 それは、おまえさんの庭園を掠奪から救ってくれるドイツ軍がこっちに向かっているんだぞという意味。

 そんなふうに自分なりに男はわたしを理解しようとし自分を理解しようとしている。が、その一方で、彼は市民(グラジダニーン)になったのである。われわれは、わが市民生活の諸問題、地域、村、郷、都市生活者の暮らしについて、何時間か語り合った。こちらの意見に対する彼の理解の限界はウクライナ問題までだった。そこで議論はぱたりと止む。
彼は、ウクライナで悪いことをしたのはドイツ軍ではなく、よくわからないがこちら側の裏切り者たちのせいだと主張する。こっちが理解したがっているようにではなく、つまり裏切り者はウクライナ人ではない、そこにはまったくわれわれの理解を超えたもの、どこか虚ろな、生命を感じさせないものがある――つまり、やってくるのはドイツ人ではなくロシアのブルジュイ〔ブルジョアに対する蔑称〕どもだということ。彼はどうやらエスエルとボリシェヴィキを混同しているようで、それ以上は何もわからない。その方面はそうとう疎い。インターナショナルの小さな鍵穴を覗いた程度である。
 要するに、ツァーリ時代と同じ。誰か裏切り者がいる――ところが、それが誰なのかわからない。そこから先がない――袋小路。いま最も必要なのは、市民階級が肝心要(かなめ)の世界大戦の本質を理解し十分に研究することだ。それこそが真の闇なのだから。
 さらに大きく分かれたのがボリシェヴィキについての価値観だ。概してそのボリシェヴィキ評価は、彼ら〔ボリシェヴィキ〕のやっていることは正しく、悪いのはその手下たち。あれじゃ強盗や泥棒と同じだ。帝政時代とどこも変わってない云々。
 兵士の敵前逃亡は正しい、なぜなら主人がいないのだから。主人が逃亡したから、当然〔土地の〕所有者もいない。

 「ドイツ人、へっ、そんなの、おれたちには関係ねえさ」
 「じゃどうする? 収穫は? こんな状態じゃたいして収穫は望めないが」
 「半分でも穫れりゃあ……」
 結論――ドイツ人は人間としてはまあいいほうだが、彼らと手を組んでいるブルジュイは害ある人間だ。ブルジュイはこっちの(つまりケーレンスキイとその他の)人間のこと。
 それで、とわたしは男に改めて訊く――目的は何? 何のためにわたしのとこにやってきたんだね、要するに、掠奪だ、そうなんだろう? ボリシェヴィキは〔分捕り品を〕分けてくれないぞ」
 「さあね」と、相手は答える。「ボリシェヴィキは今はなんてことねえよ、彼らの相手はケーレンスキイだから」
 つまりはケーレンスキイなのである。
 「でももし〔ドイツ軍が〕やってきたら……」
 「主(あるじ)は誰かって?」
 今では、自分もよく耳にするのだが、ドイツ人はこう呼ばれている――〈憲法制定会議〉に取って代わった〈ロシアの土地の主人〉こそドイツ人だ、と。
 「で、その主人はわしらに対して碌でもねえことをするんかな、〔財産を〕没収するとか? 今だってわしら、没収されてんだよ。だから、まあ、たとえそうなっても希望くらい持ってないと……」
 われわれの間には理解はないしあり得ない……だが、人気のない夜道で出会った、本を手にした未知なるわが友よ、この民衆の地下の闇の中でわたしもきみも罪を犯してはいないのか?
 〔いいや! わたしたちは悪くはない=この一文抹消〕。〔追記=「もしきみがわたしと同じようにただの通行人なら、友よ、わたしもきみも罪を犯していない。でも、そのきみの本が政見や綱領であるなら」、もしきみが、わたしと同様、政見でも綱領でもないロシアの言葉に仕えているただの通行人であれば、ああしかし、きみが手にしているのが民衆に向けられた革命の演説集かどうかなど〔わかりゃしないが〕、革命の演説種なんか、そこに人間的な才能とロシアの心が反映していようがしていまいが、〔こっちは〕そんなもの一行だって読む気はないんだ!

 〔綱領と政見の歓喜に満ちた言葉が高らかに響いた。さあ、ぐるろとまわりを見渡そうではないか!=この一文抹消〕
 すれば、わかるだろう――わたしの立っているところが、死に物狂いで土中に逃げ込もう〔潜ろう〕ともがいている人間たちのすぐ傍(そば)だということが。戦場で国家の敵と戦って大量の血を流したのは、そんな、ルースカヤ・ゼムリャー〔ロシアの大地〕の根っこのような者たちだったのだ。自分が出会ったのはそういう人間たちだ。自分は彼らの近くにいる。なぜかと言えば、彼らのうちに生への情熱の力を、息づく自然(プリローダ)そのものを感じるからである。

 もし農民(農民なら誰でもいい)に『どうだい調子は?』と訊いてみれば、こう答えが返ってくるにちがいない――『何ごともなく一日が過ぎたね。腹一杯食ったし、ほらこのとおり生きとりますよ、有難いことに財産もできた……』と。

 昔の連中と比べて、雨や播種が話題になれば、いくらでも話し込んでくる――何と言っても、かつての主人たちが経営には関わらないから。ほとんどどこでもそうだ。しかしそこにはまだ、以前の暮らしの意見や判断は見られない。びゅうびゅう風が草々の茎を折るように、呼ぶ招く霊が今、〔殺された〕かつての主(あるじ)たちの頭上を吹き過ぎていく……風はいったいどこに向かって吹いているのか? その動きその目標が何であるのか、さっぱり判断できない。

 委員会の信じられないほど碌でもない行動に話が及んだとき、わたしは言った――
 「ボリシェヴィキだから……」
 こっちが『ボリシェヴィキ』を口にしただけで、すぐに話が遮られる。
 「それはボリシェヴィキじゃない、強盗どもと一緒にしないでくれ」
 まるで町の裁判所(トリブナール)だ。
 「それじゃボリシェヴィキとは何者かね? いかさま師じゃないか」
 思うに、現政権についての大方の評価は以下のようなもの――権力を掌握している上層部は民衆の真の幸福(ドブロー)をめざしているが、下部の権力者はいずれも群盗である、と。要するに、ツァーリ体制の崩壊前とまったく同じなのである。ツァーリは立派なお方だが、その取巻きどもを見よ――強盗、騙り、ペテン師だらけじゃないか!

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