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プリーシヴィンの日記 太田正一
2012 . 06 . 24 up
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「事務官」という言葉が嫌いだ。自分の仕事はたしかに貿易省の青表紙=ファイルの管理事務であり、自らも「文書係事務官」と称しているわけだが……
わたしは、誠実で精力的な自分の上司が最初の暴動のときに一掃(文字どおり掃き出された)さまを見ている。すでに四等官(文官の四等官は陸軍少将に相当)にも推挙され、閣僚会議の一員にもなって一気に出世の階段を駆け上がったような人物だ。密かに革命家をもって任じ、革命に喝采を送っていたが、大臣が替わったとたん、お呼びがかからなかった。追放されたわけではない、たんに書類が彼を素通りしていただけである。彼はがっくりきてすっかりやる気をなくし、ほどなく退職届を提出した(四等官で終わった)。自分はただの事務官だから大丈夫だろうと思っていたが、突然クビを切られた……
*「垣の下」とは垣根の下に捨てられた〈家なき子〉の意。1917年の日記に初めて出てくる「報復(仕返し)」のイデーと結びついた祈り――『主よ、わたしをお導きください、あらゆることを理解し何ごとも忘れず何ごとも容赦なきよう、どうぞお導きください!』(投函されなかったブロークへの返信にも(百十四))。1918年のオーチェルク集『花と十字架』(その原題の一つが「垣の下の祈り」)のライトモティーフである。この響きは、のちの中篇『黄金の角』(1934)や『現代物語』(1944)にも聞き取ることができる。第二次大戦後の日記ではしかし、個と社会の関係に変化が生じ――「現代の意味は生の倫理的是認の探求にあって〈報復〉にはない……報復の力はすでに自らを枯渇させた」(1945)。
3月18日
さて、これは何を意味するか――「星々が光を失い、空から墜ちてくるだろう*」。星々とは愛すべき明るい人びとの心だ。空を見上げてわたしは呼んでみたい――せめてひとつなりと、自分の心の星の名を。夜空に星が見えないのは、自分の星がことごとく墜ちてしまったからではないか!
*ヨハネの黙示録第6章13節――「天の星は地上に落ちた。まるで、イチジクの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった」。
主よ、本当にあなたはわたしをお見捨てになられたのでしょうか、もしそうであれば、これ以上生きてゆくことに何の意味があるのでしょう? 自殺してみなと一緒に消えることは許されないのでしょうか?
ああ、真っ暗くらの暗闇が天と地を覆っている。盲(めしい)たわたしは道なき道に立ち尽くす。あたりには、水を抜かれた池の魚のように、腐乱した人の肉が転がっている。
どっちみち同じこと! 死ぬことは〈数文字抹消――あるがままの自分〉、〔自分は生きなければいけない。しかしできそうもない〕。死に方はどうでも――自分を殺す〔か〕生きるか……
いや駄目だ、自殺はできない。
精一杯おのれの尊厳を保ちつつ自殺を敢行する将軍なら尊厳の殿堂など汚されても構わないが、しかし死にはさらに上がある。それは他者(ひと)のために命を棄てる死に方だ。
わたしは誰のために命を捧げよう?
3月20日
もうペトログラードから出られないと誰もが言う。町を出ることを禁ずる法令(ヂェクレット)、道路の閉鎖。モスクワへの道を確保しようと、コミサールまでがなにやら棒でも振り回しかねない勢いである〔訳注=道を封鎖しているのはボリシェヴィキではなくドイツ軍〕。一般庶民もペトログラード脱出を図って街道へ――家財を積んだ車馬の列、袋を背負って歩く者たち。
〈自由の町(ヴォーリヌィ・ゴーラト〉のコムーナ*から〔本当の〕ロシアへ脱出できると喜ぶ者もいる。ロシアはまだ生きているし、〔生きていくなら〕そっちの方がいい―ーここじゃないコムーナじゃないぞという気持ちがまたちろちろ燃えている。とはいえ、〔正直〕ここ数日、食糧事情もそれほど悪いわけではない。でもやはりここは出るべきなのだ……
*コンミューン。理想としての共産主義社会(皮肉をこめて)。
自分自身、ここを出る必要があった。家〔フルシチョーヴォ〕から悪い知らせを受け取ったので。ではどうやって脱出するか? システムがない。ボリシェヴィキをうまく利用すればいいのだろうが、しかし誰も近づく方法を知らない。賄賂という手もあるが、これには手際が必要。出張命令なら農業省だが、もうあそこは空っぽだ。きょうはついていた〔?〕。幸せな一日――列車の荷役作業はどうか? ツァールスコエ〔セロー〕から出てるやつ。電話、車輌77台、車掌として。空軍を釣るという〔騙して引っかける〕手はどうか? (いやはや、恐れ入った空想家!)。リヴォーフのときもこんなだった。召使にでも、いやいっそ警察分署長にでもなり済ますか? どこも通行止めだ。でもどこかに抜け道はあるはず。ともかくあっちこっち訊いて回っている。
3月21日
巨大な雪崩がわれわれを呑み込んだが、息ができないわけではなかった。凄まじい量の雪や泥に圧し潰されそうになりながらも、今われわれは誰かが来て自分たちを捜し出し、生きて自由な世界に連れ戻されることを期待している。そしてやっとその自由な世界――真実それがどんなもので、そこにどんな真実があり、大地を支えているのがどんな鯨たちなのかを考える時が来たのだ。
「不可能事」に何か手を講じなくては(自殺は手でない。ならばどんな手が?)。
何が堪らないといって、トゥルゲーネフの国の荒れ果てた家屋敷(ウサーヂバ)のナイチンゲール*ほど堪らないものはない。忌々しい鳥たちが飛んできて、何ごともなかったように歌をうたいだし、チェリョームハやサクランボやライラックが咲き乱れる……
われわれの間でよくボボルィキン*が口の端に上る。トゥルゲーネフの国ならではで、決して耳新しいものではなく、繰り返し語られてきた。ちょうど春のナイチンゲールの飛来や収穫のあとのミヤマガラスの旅立ちそっくりに。ボボルィキンは旦那(バーリン)で古い家柄の貴族。それがマーシカと結婚した。そのころ彼は侍従武官で、本妻とは離婚していたが、いきなり家にマーシカ=リャーブーシカ〔あばたのマーシカ〕を呼びつけ(噂によれば)ると、聖母像を納めた箱の真ん前に坐らせて、こう言ったという――『さあふたりで祈ろう、それから式を挙げるのだ!』。
*ピョートル・ドミートリエヴィチ・ボボルィキン(1836-1921)はジャーナリスト、作家。自然主義的な作品が多い。十九世紀後半の社会各層の世態風俗をよく描いた。『敏腕家』(1872〜73)、『キタイ=ゴーロド』(1881)など。
暴れ者(ブヤーン)〔の息子〕をおとなしくさせるために老母がスイスから帰国しようとしたが、戦争で足止めを喰らってしまう。戦争の最初の年に母親はスイスで病の床に伏し、そのまま帰らぬ人となった*。
*ボボルィキンの話というよりプリーシヴィン自身にかかわる事実。身分違いの結婚(とは言ってもボボルィキン家のような貴族でもなんでもないが)を許そうとしない誇り高く頑固な母親〔マリヤ・イワーノヴナ〕。恐れた妻〔エフロシーニヤ・パーヴロヴナ〕はしばらく夫の実家に近づくこともできなかった。
3月22日
アニーチコフ橋の〔鉄の〕格子に背をもたせかける恰好で、眼鏡をかけた若い娘――とても可愛らしい娘が、通行人に手を差し出している。
その手には石鹸が二つ入った小さな箱。いかにもためらいがちに差し出すので、通行人は誰も娘に注意しない。心ここになく、ただ良心に恥じているというふうだ。石鹸を差し出しながら、かすかに口元がふるえる。何か呟いている、よくわからない。それでわたしは、わざわざ3度も彼女の前を行ったり来たりした。そしてやっと〈メタモルフォーザ〉という言葉を捉えた。
おそらくそれは石鹸の名前なのだろう。
ずっと昔から自分のものと思っていた天の星が急に光を失って闇に消えてしまった。わたしの可愛い雌牛(カローヴシカ)も原則的(プリンツィピアーリノ)に村の百姓たちに屠(ほふ)られてしまった。今さらナイチンゲールの歌など自分にとって何だというのか?
この恐ろしい時代にいろんなことが見えてきた、理解もいくようになった。そしてわたしは、宮殿の黄金に近づく水兵のように、(暗夜に、あれほど長く見惚(と)れていた)自分の星に手を伸ばしたのだったが、星はわたしの手の中で黒い木の葉に変じて、ぱらぱらこぼれ落ちてしまった。
蜘蛛の脚は、もぎ取られても、夜明けまでぴくぴく動いているらしい。われわれの権力もまたそうだ。巨大な蜘蛛の脚のようにまだぴくぴく痙攣している。
外の暗がりでわが獄舎の看守たちが互いに尋ね合っている――
「もうすぐ夜が明けるかね?」
いや、まだだ。朝焼けも始まっていないし、蜘蛛の脚だってまだぴくぴく動いている。
自分は哀れな人間だ。父親がいない。小さいときの亡くなったのだ。そのせいか権力というものの下でどう〔自由に〕振る舞えばいいのかわからぬままに育った。自分は幼いころから権力を憎悪し怖気をふるい――壁づたいにすすっと枕元に入り込んでくる蜘蛛から逃げるように、しんそこぞっとし、逃げて逃げて逃げまくった*。
*この寄る辺のない孤児の境遇またその感覚(シローツトヴォ)は、プリーシヴィンにあってはしばしばその心理的社会的幼稚性を表わすメタファーである。それは世代の宿命におけるナロードとインテリゲンツィヤの葛藤(「インテリゲンツィヤは父なるもの、ブィトを殺す」)として、また権力、祖国、神(父なる神)の信仰に対するインテリゲンツィヤのニヒリズムとして現前する。
母だけがともかく母親らしくわたしを養い守ってくれたが、まわりは嫉み深く嘘つきの酔っ払い――キリスト教徒や正教の百姓という名の奴隷の畑だった。母はわたしにお客の前で歌をうたうことを教えた。
『おお、おまえ、自由(ヴォーリャ)*、あたしの黄金のヴォーリャよ!』
*農奴解放者=アレクサンドル二世の自由(ヴォーリャ)を讃える歌。作者不詳。このヴォーリャはのちの自伝的長編『カシチェーイの鎖』で、思想的にも道徳的にも人民主義(ナロードニチェストヴォ)=従姉のドゥーネチカと対立する伝統的価値観の体現者(母マリヤ・イワーノヴナ)のいわは象徴である。
乳母(ニャーニャ)が『ツァーリが殺された、今に百姓たちが手斧を持ってやってきますよ!』と恐ろしい声を上げて家に飛び込んできたとき、自分はまだほんの子どもだった〔1881年のアレクサンドル二世の暗殺〕。家は商家だったが、百姓たちにとってはやはり主人であり旦那であり支配者にはちがいなかった……
叡知はわが母の自由(スバヴォーダ)の別名だ。
ねぇ、どうかしら――あたしがそれを手にしたら……
権力を手にするロシア人(それで巣作りをというならまだしも)、おのれを無にして働く者など……
きょう人里離れた地方から田舎者がやってきた。話しているうちに話題は〔権〕力に。
ある男が〔権〕力を手に入れた――お金持ちになったが、もう死期が迫っていた。いよいよ最期というとき、彼は自分の財産を管理処分しともかく誰かにそれを遺す必要があった。権力あるところに死もまたあるが、権力を手放さず自分のためだけにもっと生きていたいと考えるのは、これは人間ではなく蜘蛛なのである。そんな蜘蛛を殺してもあの世じゃ問題にもならい、かえって40の罪が赦免されるはず。
わたしは哀れなロシア人。これまでの人生で知ったのは蜘蛛の権力ばかりだ。大きな人小さな人いずれも、幼いころからずっと蜘蛛の脚のような存在で、まわりも平凡素朴な庶民、偉大な変革の時代にようやく解放された人間ような連中で、蜘蛛が自分たちの血を吸うこと、そしてその上に世界全体が存することを、自分たちの生活の基本のルール(血は吸われて当然)と見なしていた。
仆れたのはツァーリではない。ツァーリはまた別の話。まったくのお門違いだ。本来、権力なるものを有するのは、とにかく政治的大ソロモンのごとき存在なのであって、われわれにとって1917年の春に仆れたのはツァーリではなく、あれは蜘蛛――蜘蛛の巣〔権力〕が破れたのだ。巣をずたずたにし、蜘蛛を引きずり出して、その脚をひっちぎってばらばらに投げ捨てたのである。ところで、ちぎられた蜘蛛の脚がいつまでぴくぴく動いているか知っているだろうか? 縮んだり膨れたりして夜明けまで生きているというのだが、ひょっとしたら現政権も朝焼けぐらいまではぴくぴく動いているかも。
帝国崩壊のそもそもからそうであるように、土地も権力も分配分割できるが、たとえば良心は分割不可能だ。名誉も、不幸な人間に対する慈悲の心も、女性に対する敬愛の念も、これらはどれも分割できない。そこには何か永遠なもの必然的なもの――絶対君主制と社会主義共和国の人間にとっても、貴族、ブルジョア、プロレタリアートにとっても同様のものが見出せる。
「沼だ、泥沼だ!」
去年の春に決壊したのはわが帝国の沼の土手で、今年の春はペトログラード・コムーナの沼が汚れた魔物――悪魔や魔女や森の魔や水の魔で満杯状態だ。その泥の中を民衆はぴちゃぴちゃ音を立てながら、恨みを込めて繰り返す――
「沼だぁ、泥沼だぁ!」
家の主婦、以前はお金持ちの奥方だったらしい女が箒を手に通りに飛び出してきた。すると一人の下司が、ゴミや糞尿や犬猫の死骸や汚い氷を、要する汚物という汚物を山と積んできたと思ったら、それらをどかどか棄て始めた。しかもそこはなんと主婦が掃除しようと張り切っていた家の真ん前! しかしそれを誰も制止しなかったから、この下司男、罰せられもせず、あっと言う間に姿を消した。
通りをさらに下ったところでは、重い鉄の棒でお嬢さん(看護婦)方が固い氷を割っていた(もうこれで3日目だ)。そこにさらにもう一人のお嬢さんがトイレ用の小さな石鹸を、遠慮がちに(というよりいかにも恥ずかしそうに)通行人に差し出していた。前を人が通るたびに、彼女の唇がかすかに動くので、何を呟いているのか確かめようと、わたしはわざわざ3度も行ったり来たりした。彼女が繰り返していたのは〈モタモルフォーザ〉という言葉だった。
おそらく石鹸の商品名なのだ。
氷を割っている看護婦たちのわきを通りながら、わたしは自問した――
『いったいどこにメタモルフォーザはあるのか? いったい誰が何に変身し、そこから何が飛び出すというのだろう?』
共有財産がことごとく略奪され、女は乱暴され、どぶ泥に沈められ、民衆の血の上に建設されたぺテルブルグ――この絶美を誇った壮麗な都を政府は見捨ててしまった――そうか、メタモルフォーザとはそのことか?
自分は世界体制の確立だの達成だのについて語ろうとは思わない。たいして理解もしていないし、だいたいが政治家という柄でない。自分は、分割できない素朴な人間的なものの分野に生き、そこで思索している。そしてロシアの作家としては、フランス大革命時代の屋台の前の行列について語ったアナトール・フランス*のように、のちのち人びとに〔事の真実を〕しっかりと平易に語りたいと思っている。
*アナトール・フランス――フランスの作家・批評家(1844-1924)。初め高踏派の詩人として出発したが、1881年、『シルヴェストル・ボナールの罪』で文名を得て以後、知的懐疑主義に立つ皮肉家・ユーモリストとして活躍。ドレフュス事件でドレフュスを擁護し、次第に左翼思想へ接近。ソヴェートでも人気があった。代表作『神々は渇く』。
3月26日
マリヤ・ミハーイロヴナとコザー。わたしはコザーを可哀そうに思う。愛しているからではない! 自分はあの娘(こ)が嫌いだ。でも、あれはまさしく自分そのもの、その気持ちを自分自身に向けたとき、自己嫌悪のあまりわたしの苦しみはあの娘が――美しい星のように輝く目を持ちながら、嫌悪と嘲笑を呼び起こすみっともない服を着たあの若い娘が、可哀そうで堪らなくなるのだ。
もちろんあの娘(こ)は今、苦しいくらいみんなに好かれたいと思っている。でも、そうはならない――一度もダンスを習ったことがない者がいきなり舞踏会でマズルカは踊れないように、昼の通りでも煌々と電気の灯った夜の劇場でも、彼女はちやほやされないのだが、でも家の電灯の明かりの下で、あの美しい目が一瞬、本を離れて、ちょうど愁いを湛えた南の夜の星々がどこか遠くを、はるかな土地をめざすときには、もはやそんな美しい星〔ソフィヤ・ワシーリエヴナ〕を少尉補のパーヴェル・ゴリャーチェフが目にすることは決してないのだ。
そして自分自身も、あのぺちゃんこのレピョーシカみたいな帽子も、中国ふうのジャケット(裾よりなおひどい)も、ぜんぜん気に入らない。どうやら学校に通っていた時分からそういうことにはまるで関心がなかったようで、それがそのままどんどん進んで、とうとうあんな変な恰好に! いやまったく、どこかへ飛んで行きたいのに、羽を毟られた小鳥だから、どこへも飛べず、ただただ前へ前へと(どこへ向かっているのか)進んでいく。わたしが彼女を嫌いなのは、地上の生きものが天の配剤として有つ身体の美しさをまったく無視して、祖国を忘れたロシアの〔親無し〕学生(自分もそうだが)にありがちの、あの形振(なりふ)りかまわぬところ。嫌で堪らないので、あるとき(一度だけ)罵倒してやった。
彼女はわたしの小さな星にそおっと近づいていく。朝の星のように彼女は月に近づいていく。すると月は、自分が暗夜に明るく照らして、なんとか欠点を補ってきた身体の、そのあまりの醜さに驚いて、一気に輝きを失ってしまう。月は青ざめ、彼女も一緒に白っぽくなって身を隠してしまう。
飢餓物語*のテーマ。そんな娘が困難に陥った――パンが手に入らなくなったのだ。こちらはパンで手なずける。〈パンの和平〉を破棄するコザー(朝の星――月。夜の星)。
彼女は、朝の星が青白い月に近づくように、わたしの病んだ心にそっと近づいてくる。月は自分が一晩中あらゆるものを照らして魅力溢るるものを創り出していると思っている。どんな月の魔力も新しい生命を産み出す光とは比べものにならない。とうていかなわないのだ。青白い月は空に隠れる。それと一緒にその消滅の、忠実にして愛すべき報知者(朝の星)も姿を消す。
*一連の『飢餓物語』は1918年に書き始めた革命についてのオーチェルクである。革命当時のさまざまな(とくにペテルブルグの)新聞に掲載されたもので構成する予定だったが、実際に単行本化されたのはソヴェート崩壊後の2004年(『花と十字架』)。〈花〉と〈十字架〉は新生ソヴェートの悲劇的生活と民衆の魂のみならず(「ロシア人は自分の花を滅ぼし、自分の十字架を投げ捨て、闇の王に誓いを立てた」、「花が踏みにじられ十字架は踏みつけにされている。至るところで木が――新しい自分の十字架となるはずの木が切り倒されている」)、作家プリーシヴィンの未来戦略の本質(「自分はきっと誰よりも多くのことを知っている、誰よりも多く十字架上の最期も感じているだろう。自分の秘密、自分の夜。わたしは見る――他人(ひと)のために、日として、花として」)をもはっきりと示している。
自分の悲しみを隠し、自分の秘密を空の瑠璃(ラズーリ)に返そう。
自分の悲しみを天に返そう。天が代わりに喜びを与えてくれますように。金色の光に融かされたわたしの秘密が、密かな思いもかけない歓喜の奇跡によって、子どもたちのために、草原を花で、畑を穀物で、海を無限の広さで、大気を透き通る美しさで飾ってくれますように。
ウールシクにやる餌がなくなった。ウールシクは姿を見せなくなった。週に一度ひょいとやってくるが、そのつど新しい首輪をつけ、真新しい可愛いリボンをつけている。でも、わたしたちをよく憶えていて、忘れることはない。首輪とリボンを毎回イワン・П(ペー)がはずすのだが、次にはまた新しいのをつけてやってくる。
このようにわれらが子犬も二重生活を始めた。あるところでは餌にあずかり、わたしたちとは心の付き合いをしている(「われらが同居人」の文字を抹消)のである。
銀行を〔逃げ出した〕タイピスト嬢は怠業者とされて新聞売りをしていた――ひどく痩せている。夜だけ家に帰った、今はもう新聞売りをしていないのに、ときどき朝帰りする。彼女は指に戦死した婚約者からプレゼントされた指輪を嵌めていた。ここ数日は別の金の指輪を嵌めていた。でもきょう見ると、また違うもっと太目のやつである。
「これ以上言わないけど、あなたはもう銀行に戻ったほうがいいよ」
どこへ行けば、何を〔すれば〕いいのか、わからないようでる。あの指輪、ちょっと加工したらウールシクの首輪になるのだが。
トゥチコーフ橋で今朝、まだ出勤時刻でもないころに、ぞろぞろ役人たちが省に向かっていた。すると誰かが、立派というか、じつに見事な声量で――
「株式通報(ビルジェワーヤ)だ! 夕刊だよ!」
見ると、ひとりの男(役人)が鞄を抱えてやってくる。すこぶる元気な――もちろん叫んだのはその男。ま、いつもの癖でやったのである。いやひょっとしたら、ただ喉をすっきりさせるためだったのかも、あるいは新聞売りをさせられていた怠業者の職場復帰のデモンストレーションなのかもしれない。
「ビルジェワーヤだ! 夕刊だよ!」
みんなが彼を見て笑っている。気は確かか? ハハハ、隠していた二重生活もこれでばれてしまった。
教会のそばに大きな人だかり。ミーチングではない! ミーチングなど完全に忘れてしまった。今さら何を話すことがある? もううんざり。訊いてみた――これは何の行列かね?
「レピョーシキ〔小麦粉で作る円くて平たいロシアの焼き菓子〕だよ! 一個8グリーヴナ〔1グリーヴナは10コペイカ〕だ」
もちろん自分も並んだ。心配なのは売切れること。待ってる途中で売り切れたら時間の無駄である。ああもう駄目かなと思ったとき、売っていた男がどこかへ走っていった。そしてもうひと籠抱えて戻ってきた。よかった、これで大丈夫。
「いくら欲しい、2つ?」
「3つ、できれば4つ、いや5つ……10個でもいいかね?」
「10個かよ!」列から抗議の声。
「心配するなって、たっぷりある」
みんなを喜ばせてやろうと、ライ麦の大きく分厚いレピョーシキを10個、持って帰った。けっこう重い。
「さあ諸君、見たまえ、レピョーシキだよ!」
「わあ、ほんとレピョーシキだわ。あなたいい人ね、さすがあたしのルビーさん、さすがわれらのエメラルド!」
「どうぞこちらへ! ああでもひとり一個じゃない、半分だ。残りは鍵でもかけとくかな!」
まず一個を半分に切り分ける。と、素っ頓狂な声――
「これ、土じゃないか!」
そのあと一斉に――
「なんだいなんだい、こっちも土だよ。 ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ!」
舌打ちするやら唾を飛ばすやら。よく見れば、たしかに中身は粘土と敷藁。悲しいやら悔しいやら。でも笑うしかない。
「こういうレピョーシキを〈土地と自由(ゼムリャー・イ・ヴォーリャ〉というんだよ!」〔訳注・ゼムリャーは土、土地の意。ナロードニキの革命的結社の名〕
「いやいや――」とわたし。「この場合は断然〈ヴォーリャ・イ・ゼムリャー(自由と土地)〉だ。自由(ヴォーリャ)が先さ、なんせわたしは監獄に入ってたんでね」
「で、こいつは土〈ゼムリャー)だから、レピョーシキ〈ヴォーリャ・イ・ゼムリャー〉てわけだ」
誰かが格調高く詩の朗読だ――
『そうして、彼が差し出した手に誰かが石ころを置いた……*』
*レールモントフの詩「乞食」(1830)からの引喩。本文は「なのに、差し出した彼〔乞食〕の手に、誰か石ころを置く者がいた」。
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