成文社 / バックナンバー

プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 06 . 10 up
(百十三)写真はクリックで拡大されます

3月1日

 敗北主義の源。まずは、ロシア・インテリゲンツィヤから創造を阻害するものを析出分離する必要があるが、レーニンの軍事的敗北主義はその最終段階(エタップ)にすぎない。

帝国主義戦争で自国政府を敗北させ、戦争を国内戦(市民戦争)に転化させようとする政策。

 ファナティズムへ移行するアスケティズム(聖母マリアを前にしたウシャコーフ〔エスエル〕、エスエル党。個人的完成は当面延期。地下室からの脱出。デカダン主義。他の出口は酒、極右反動の黒百人組)。
 目標――個人(インヂヴィードゥウム)ないし国家の維持とその完全化。戦争とは一面では国家の導火線(ドイツ人、ボリシェヴィキ、マルクス主義者)であり、また一面では個人崇拝を伴う民主主義者たち(エスエル党、アメリカ、イギリス)である。
 コザーは妥協して省(内閣)に願書を出したのだが、ボリシェヴィキは受けつけなかった。かくして〈われらが革命〉はその最後の後ろ盾を失うのだ。いずれコザーはドイツ人に願書を出すことになる。

 С(エス)は都を脱しようとしており、Р(エル)は留まるつもりでいる。Сはドイツ人と一緒にいたくないのだ。Рはボリシェヴィキよりドイツ人のほうがまだましだと言う。おそらくみんな留まるだろう。耐えられなくなったら歩いてでも脱出するはず。
 正直な話、この冬以来、そうとう疲れが溜まっているので、ここ数日のペトログラードの命運にそれほど通じていない。たぶん自分がいちばんわかっていない。たとえば、ここを出る(手段はともかく)か留まるかは各自の判断に任されているわけだが、日頃かなり精力的な人物と思われている知人たちにしてからが、ほとんど誰も決めていないことがわかったのである。自分に是非を迫っても結果は同じ、やはり決断できずに宙に浮いてしまうだろう。何かを導き出せる(論理的に考える)唯ひとりの人間――それはレーニンだ。「プラウダ」に載った彼の論文はまさにその論理的狂気、気狂い沙汰の典型である。論理的狂気などという病名があるのかどうか自分は知らないが、ロシアの年代記作者がわれらの時代〔現代〕を別の名で呼ぶことはないにちがいない。
 いつか自分が無駄話民主会議と呼んだような、言葉ことば言葉の戦争が今も、ドイツ軍侵攻前夜にも、一大最大勢力を保っている。お喋りな政治屋や新聞記者(ブンヤ)には、たとえば、彼らが戦争を暴動と称すれば、そんなことがきわめて重大な発見のように思われることだろう。
 マニアックに(ほとんど〈狂気の沙汰〉だが)惚れた相手との付き合いを手紙のやりとりだけにとどめる恋人をひとつ想像してみよう。

3月2日

 朝、新聞。使節団が追い払われる。婆さん(主婦)にドイツ軍がやってきたらこうなるだろうということを幾つか挙げてみたら、意外な反論が返ってきた。
 「ま、そんなこともあるかもしれませんが、ペトログラードに着いたとたんにすぐ引き返すかもね、そうよ、そのまま退却するでしょうよ」
 「しかし、どうしてそんなことになるのかな?」
 「どうしてそうなるのかは知りません――それがあたしの信念だから」
 夜になって、和平調印がなされたことを知る。そのことを婆さんに言うと――
 「ほらね、あたしの言ったとおりだわ」

3月3日

 戦争の遡及力……破廉恥漢と……因循姑息の魂と……骨がらみ……個の骨は撒かれて終わり。時は来たりぬ――只今は人間観察の時なり。
 主人たちが逃げ出してから、ずっとイグナーチエヴナは腹を空かせた者たちにパンを提供していた。わたしにも食べさせてくれた――1フント5ルーブリで。

     飢えの話

 今は誰もが一切れのパンと1フントの砂糖につられて寄ってくる。彼女も昔の裕福な花嫁みたいにそう思っている。彼女のことが好きなのか、それともただ食いもの目当てでやってくるのか、わからない。しかしたしかに男は寄ってきた。もちろん彼女が好きなのだ。でもズバリ言ってしまうと、こんな時代にもかかわらず、いやまったく、彼女には快適生活のすべてが――つまりサモワールも乾パンもバターもとにかく何でも一切がっさい揃っていたのである。
 赤衛隊の家族がブルジョアの住居に侵入しだしたことで、マリヤ・ミハーイロヴナの動揺は頂点に達した。男はそんな〈勝手な侵入〉から彼女を守るために彼女の家に住み着き、ロマンもいよいよ佳境に入る。
 わたしはイグナーチエヴナに見惚れていた。トヴェーリ出身の60歳、髪は真っ白、顔は若々しく、元気一杯。しかし物静かな、やさしい女性である。主人たちがピーチェル〔ペテルブルグ〕をあとにしたとき、イグナーチエヴナは1日パン5フントを受け取り、それを飢えた人たちに配り始めた。あの人にもこの人にも、と。で、自分の分はその8分の1も取って置かなかった。その日1日生きれれば、それでよかった。とにかく相当な数の人間を5個のパンで養ったのだ! かつては労働者1人に5フントだったが、それでは足りないので、カーシャと脂身(サーロ)と、ミルクも付けたものだが、今はとても無理。1人あてひとかけら、16分の1だ。それでも誰もが感謝感激雨あられ。
 夕方、お祈りを始める――心は穏やかだ! でもドイツ軍が迫っている。『ああ、どうぞご勝手に! あるいはそういうこと〔占領〕も必要なのかも。こっちがしっかりしてたら、神様はドイツの専横をお許しなさるはずがない。ということはつまり、あたしたちが罰当たりなことをしたのだわ、あたしたちの罪のためにドイツ人たちはやってくるのということだわね』――そう思うのも無理はない。『あたしたちがしっかりしていたら、主は敵の力を逸らしてくださるだろう。すれば敵の軍勢は町のはずれで踵を返して自分の国に戻っていくはず――〔18〕12年のフランス軍みたいに』。夕べの祈り。イグナーチエヴナの魂は安らかだ。
 イグナーチエヴナがパンを5個受け取っていることを、わたしは知らずにいた。あるとき彼女の主人たちのところに立ち寄った。ご主人たちは〔一家して〕出て行かれましたと彼女。あれこれ四方山話――
 「それでパンの配給券はどうなりました?」
 「受け取ってますよ」嬉しそうに言う。「1日5フントをね」
 「ほう、5フントも! わたしにもちょっとだけ分けてくれませんか?」
 「まあ仕方ないわね!」
 1フント切り分けてくれたが、こっちは彼女がその1フントを15人に配っていることを少しも知らなかった。5ルーブリ50コペイカを支払う――同額で中国人から買っていたので。
 老婆は呆気にとられた。
 「こんなに? どうしてまた?」
 「そのくらいしますよ。よかったら、毎日1フントに付き5ルーブリ50コペイカ払います」 
 彼女はかぶりを振り、何も言わなかった。翌日、わたしは彼女から友人のために2フント受け取り、それ以後〔自分は〕注文があるたびに〔5ルーブリ50コペイカで〕5フント受け取って、イグナーチエヴナには25ルーブリ50コペイカ払っている。
 腹を空かせた人たちが老婆のところへやってくるが、今では彼女には彼らに食べさせるものが何もない。
 神のみ恵みを(まあなんとかなるさ)!
 イグナーチエヴナは2ポルチーナ〔1ポルチーナは50コペイカ〕差っ引くようになった。そこまで行っってしまった。ケーレンカは受け取らない――これは本物の札でない。
 心配で彼女は眠れない。電気だっていつなんどき消えるかわからない、そうなったらあの人たちも……

ケーレンスキイ紙幣。1917年の臨時政府が発行した20ルーブリと40ルーブリ札。

 「武器を探していましたよ。20人ほどがドアを叩いて回っていました。『ぶち抜いちまえ!』あの人たちは床板を打ち砕きました。武器を探していたのです。見つけたお金は持っていきました。次の日には余分な配給券を回収し始めたのです(ほれこれが家宅捜索の全権委任状だとか言って)」
 結局、イグナーチエヴナの手には、パンもお金も無くなり、電灯と電灯の間を恨みがましく行きつ戻りつしながら、何もかもボリシェヴィキのせいよ、だから何としてもドイツ軍にやっつけてもらわなくては……」

1918年に書かれた短編「パン5個で満腹」のヴァリアント。『飢餓物語』(のちに『花と十字架』に収録。

3月4日

 戦争の遡及力が一切をぶち壊した。朝から口ずさんでいる――『そうと決まってみな黙り込む』。
 ドヴィンスク〔ラトヴィアの町ダーウガフピルス、西ドヴィナ川流域の都市。ドヴィンスクという名は1893年から1917年まで〕が占領されると、われらが革命によって醸成された小市民根性(メシチャンストヴォ)の臭いがしだしたが、それはかつてわれわれの間で〈ブルジョアジー〉という言葉で表現されたのとは違う正真正銘のメシチャンストヴォであった。占領後、『ドヴィンスクでは砂糖が1フント16コペイカもする』という噂が流れた。プスコーフ占領後に(「プラウダ」の記事に拠れば)ドイツ軍は戦争初期と同じ蛮行に及んだらしい。42歳以下の男はすべてドイツへ送られる、とか。だが実際は、42歳以下の男たちも自由にプスコーフを出ていて、そんな話はでたらめだと言っている。ドイツ人は誰にも危害を加えていないし、かえって食糧事情は良くなったようである。レーミゾフの話だと、パンこそ払底しているものの、レーヴェリ〔ターリン〕では鰯やサッパの類は1箱無料で配られている。『フォンタンカ〔ペテルブルグ市内の運河〕で爆弾が破裂した』――これも「プラウダ」紙だが真実(プラウダ)でない――『飛行機から投下された』と言うけれど、市民は――あれはボリシェヴィキの自作自演で、ドイツ軍が空から撒いているのは、秩序を取り戻すとのビラだと言う。要するにこれは一種のメシチャンストヴォの窒息性ガス。初めこそ火と毒ガスだったが、今では白粉(おしろい)を撒いているということだ。

 夜になって、ひもじさからくるのだろうが、突然、頭痛がして床に臥せる。これは本物の飢餓かも。誰かが、決して出ることのない文集〔出版〕の話をしきりにする。それでシベリアの子どものための雑誌について話し合う。

3月5日

 ここ数日、昼抜きで夜だけずっと続いている感じ。その日一日のことを思い出そうとしても、まるで夢の夜である。政治、政治、何もかもが政治と絡んで混沌。そのかすかに揺れるカオスの上を〈夢〉が、まさに〔われわれが〕〈夢〉と呼んでいるものが、いかにもか細くちょろちょろ流れている。

     子鼠

 「今、あたしね、何でも思い出すの! 忘れることなんかぜったいない。お腹を空かしたまま(キャベツをいろんなふうに調理し、それしかないからパンなしで食べたの)食堂を出て、階段を降りようとしたとき、踊り場にちっちゃな鼠を見つけたわ。子鼠はどっかのアパートに潜り込もうとしていた。でも、できないの。どこのドアも閉まってたから。そのとき、あたし、何を考えたと思う? 『もし本格的な飢餓に襲われたら、あたしきっとこの子鼠を逃がさない! もうすぐそうなるんだわ』。あたしはなぜか急にその子鼠を追っかけたくなって、爪先で……子鼠は慌てて逃げる。あっちこっち。上がり段まで走るけど、すぐまた引き返してきた。あたしはそれをまたしつこく追いかけた。するとね、子鼠は踊り場の格子に思いきり体をぶつけた。そして次の瞬間、格子と格子の隙間から大きくジャンプして落ちていったわ。5階から吐いた唾みたいにね。あたしはすぐに駆け下りた。見ると、小鼠は仰向けになって、小さな足をぴくぴくさせてた。どういうこと、これ? どうしてこんなことに?」
 あたしは子鼠を見ていた。すると通りの方から3人の軍人さんがやってきて、こう言ったの――
 「ちょっと待ちなさい。外に出ちゃだめだ。いま飛行機が飛んでるんだ。爆弾を落とすかもしれない。そこにいたほうが安全だよ」
 軽食堂から誰か出てきて訊いている――
 「そいつはロシアの飛行機かね、ドイツのかね?」
 「ドイツの飛行機だ、十字の印がついてる白い飛行機だ」
 「ドイツの飛行機は落とさないよ」
 何を言ってるのかあたしにはわからない――どうしてドイツの飛行機が爆弾を落とさず、ロシアの飛行機が落とすのだろう? 子鼠を見る。もう足をぴくぴくさせていない。
 軍人さんが言ったわ――
 「ほう、鼠じゃないか!」
 もうひとりが言ったわ――
 「飛び降りたんだ、自殺だな、こりゃ」
 もうひとりも――
 「見てろ、じきにこんなのまで喰うことになるぞ」

短編「子鼠」(1918)は『飢餓物語』(のちに『花と十字架』)に収録。

 一日が夢のように思われることがある一方で、ずいぶん昔に経験したある日の記憶が、突然なまなましく甦ってくることもある。

 見えてきたのはステップの黒い山(カラダグ)だった。わたしとキルギス人の猟師は鷲〔ソウゲンワシ〕とイヌワシを捕まえにいくところである。わたしの手には網と殺した野生の羊〔アルガリ〕の生温かい心臓だ。カラダグの山の頂きにはイヌワシが棲んでいる。わたしたちは罠をこしらえ、その中に心臓を置くと、洞窟でしばらく待機した。不意に上空に鷹が現われ、子どもが揚げる凧のように舞い始めた。そして大きな円をひとつ描くと、ばさばさ音を立てて、まっすぐ心臓めがけて石のように落ちてきた。こちらは間髪入れずに飛びかかる。翼がもつれて頭がのけぞった。嘴も裂けよとばかりの烈しい声。目は黒い火のようだ。ハリーは鷲をすばやく網でぐるぐる巻きにすると、さっと鞍に跨っていた。あっと言う間だ。わたしたちは村(アウール)へ引き返す。

カラダグではなく、クィズィルタウ山。1909年にカザフスタンを旅したときの思い出。オーチェルク『鷲』(1918)の初出は1948年。

 朝。羊の群れをステップへ追う雄山羊たちに出会う。村では犬たち子どもたち女たちがわたしたちを取り囲む。みんな嬉しくて堪らないのだ――なんせ鷲を仕留めたのだから!
 さて問題は、鷲に仕事を覚えさせるその方法でだ。野生の鷲を仕込んで野ウサギや狐を捕まえるのだが、そのやり方はかなり独特である。まず天幕(ユルタ)の壁から壁へロープを張り渡し、そこに鷲を乗っけて両脚を縛る。頭には革の冠を被せて目が見えないようにして、いきなりロープを揺らす。猛禽は振り落とされまいと体を緊張させる。また揺らす。鳥はまたもや体をぴくり。ユルタにはキルギス人たちが坐っている。鷲から片時も目を離さない。みんながロープを引く。鷲がぴくっと動く。それを繰り返す。ユルタを出るときもいちいちロールに手を触れる。そのたびに鳥はバランスを取って落ちまいとする。深夜、羊の群れを見回ったり狼を嚇しに出かけたりするときも、やっぱりロープを軽く揺すっていく。そのつど鷲は必死にバランスを取る。深夜になっても、鷲に安息は訪れないし、朝また、出入りのたびに揺らされる。1日目も2日目も餌はお預けで、ただロープだけ揺らされる。すでに羽はほつれて逆立っている。首も一方に傾(かし)いでしまい、あと何度か揺すられたら、ロープに逆さまにぶら下がってしまうにちがいない。だが、大きくぐらっときても、なんとか持ち直した。ようやく革の冠がはずされた。肉片(煮たやつか脂身)を目の前に突きつける。ただしこれは見せるだけ! すぐには餌を与えず、しばらくしてから喰わせる。喰わせてまた目を覆い、またまたロープを揺らす――それも1日中。白い生肉を食わせたあと、今度は生温かい血の滴る赤い肉を見せつけてから、やっと解放する――もちろんユルタの中でだが。
 「カー!」と人間たちが声を上げる――犬でも呼ぶように。
 すると鷲は本当に犬のように肉を求めてユルタの中を一周する。キルギス人たちが笑う。鷲は肉をくわえて飛び上がり、また食べたくなって降りてくる。
 「カー!カー!」キルギス人たちは叫ぶ――みんなが肉を手に持って。

 ユルタの外でも変わらない。馬に跨った男が肉を見せながら「カー!」と声を発すると、鷲はすぐに舞い降りてくる。鞍の上にも降りてくるようになった。

 野ウサギが走る、鷲が飛び立つ、野ウサギの背に鋭い爪。血が迸る。鷲は好きなだけ啄むことができるのだが、そこで声がかかる――
「カー!」
 用意してある肉片を見せるだけで、鷲はせっかく捕らえた獲物を放り出す。これが馴らされた手乗りの鷲!
 人間はさっさと獲物を自分のものにする。

 昼も夜もなぜか思い出されるのは、あのステップの人たち。鷹匠ならぬ鷲匠たちのこと。どう考えても、今のわれわれの立場は、ロープの上で揺さぶられている鷲である。それはどう見ても、ドイツ人がロシア人を捕らえている図そのものではないか!

 朝、歩き出す。春である! ただオーヴァシューズがどうにもならない。空は青く輝き、何もかもが歓呼の声をあげている。でも、通りに鳩の姿はない――本当に1羽も。どうしたというのだ? 残らず〔人間に〕食われてしまったのか、それとも飢えて死んでしまったのか。
 食料品が一斉に市場から消えた。ボリシェヴィキなどもう怖くない。飢えとドイツ人がすべてを圧し潰してしまったのだ。勤めはセカセカアクセクしかもイイカゲン――行こうが行くまいが同じこと。
 〈ナロード〉は今や〈インテリゲンツィヤ〉に転じつつあるという思想(インテリ保存のため)。〈ナロード〉はインテリゲンツィヤを駆逐つつおのれをも駆逐して〔新しき〕インテリゲンツィヤをつくりつつあるのだそうだ。そのインテリゲンツィヤの中に〈見えざる城市〔キーテジ〕が姿を現わすだろう。
 夜に入って凍りつく。つるつる滑る。足下は暗いが、星の明るい早春の夜。至るところにサーチライトが線を引く。講和成立。しかしサーチライトは夜空でまだ何かを待っているようだ。いったい何を? こんなときにまた子どもじみた遊びかい……

     断片

 以下は、1月30日(前々回(百十一))の日記に出てきた詩人アレクサンドル・ブロークの論文(「インテリゲンツィヤと革命」(「労働旗」1918~19年1月)に対するプリーシヴィンの反論である。これをまとめたのは「日記」編纂者の一人であるヤーナ・グリーシナ氏。少々長いが、非常に興味深いものなので翻訳掲載させていただくことにした。
 プリーシヴィンは『見世物小屋のボリシェヴィク』(「ア・ブロークへの返信」(ヴォーリャ・ストラヌィ紙)1918年2月19日)と題して詩人に論争を挑んだのである。

     ※   ※   ※

 「今や圧制者たちに人間らしい心で接することが不可能であることが明らかになった。チャンは沸き立っており、このまま最後まで行くだろう」

 「このスチヒーヤに心を寄せる者はその仮面舞踏会へ出かけていって踊ったらいい。それが嫌なら牢屋に入っていたらいい。舞踏会と牢獄――それは個の世界、リーチノスチ。ただし旦那(バーリン)気分で、沸騰しているチャンに近づいてはならない……近づく前に考えてみろ。それでもと言うなら……さっさとチャンに飛び込め!」

 「悔悟する旦那としてそのチャンの縁ぎりぎりまで近寄ろうとするアレクサンドル・ブローク。彼はわれわれインテリに革命の音楽を聴きにいこうと言う。なぜなら、われわれに失うものは何もないから、われわれこそ真のプロレタリアなのだから、と。
 なぜこんなに軽々に語れるのか、本当にブロークには見えていないのではないか――自分が〈プロレタリヤ〉と称しているものと摺り合わせるためには最後のものを、とうてい差し出すことのできないわれわれの言葉(それはわれわれ力には及ばない)を差し出さなくてはならないということが、本当にわかっていないのではないか?
 詩人自身の呼びかけを載せた新聞はいかなる新聞であるか? 現政府の力を後ろ盾に他紙を廃刊に追いやってその資産を使って売文業者どもを世に放ち、赤衛隊の番兵をまわりに配している新聞ではないか。(続く)

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


成文社 / バックナンバー