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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 06 . 03 up
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(1918年2月22日の続き)

 Ст‐й(ストゥ‐イ)とアルグノーフとチェルノーフは鼠のことなど聞きたくもない。ドイツ人から逃げ出したいが、そんなことをしたら、たちまちパニックだ。

ストゥ‐イは未詳、アンドレイ・アレクサーンドロヴィチ・アルグノーフ(1867-1939)は革命運動家でエスエル党員。

 編集部の電話が鳴った。
 「新聞は発行停止になった。だが社員はその限りでない!」
 その場にいた者は一斉に編集室を飛び出す。誰もいなくなった。もう新聞はお仕舞いだ。

 中国人が商売している――パン6フント24ルーブリ、米2フント8ルーブリ、砂糖2フント24ルーブリ。金はあるので、この手の舞踏会(バール)には出かけていく。

 いよいよ仕事もこれまでというときになって、かえって熱心に新聞を読みだす――どういうことか?

 どこの子か知らないが、わたしを見てゲラゲラ笑う――白痴みたいに。
 「なにが可笑しいんだね?」
 「ドイツの奴らがこっちへ向かってんだよ!」
 「それがどうした? 何が可笑しいんだね?」
 「何がって? だって可笑しいもの!」
 まあ確かに。傍目には滑稽に見えるだろうな。

 何かすべてがひどい緊張状態にあるようだ。通りでのミーチングも長談義もすっかり影をひそめた。ちょっと罵言を吐くか、陰気な顔で考え込むか――要するにその程度。
 ロシア革命は最後の日々を過ごしている。紙上に新奇な表現が――『社会主義の祖国の滅亡』

2月21日に出た人民委員会議(ソヴナルコ-ム)の「危機に瀕している社会主の祖国」なるアピールのことか?

 夜、わが横丁は(今夜はとくに)人気がない。〈十月〉のあの恐ろしい日々が思い出される。あれ以来いちいち判断する癖がついた――今夜は外出すべきだろうか、それとも家にじっとしていたほうがいいだろうか?

 講演に「ノーヴァヤ・ジーズニ」紙の賢人ストローエフがやって来た。演題は〈宗教と国家〉。赤衛隊に入隊した学生が急に立ち上がって、ストローエフに質問する。
 「今わたしは赤衛兵として何をしたらいいのでしょうか?」
 ストローエフの答えはだいたいこんなだった。
 「民主主義国家の理想をプロパガンダすることですかね」
 「いや、自分がいま何をしたらいいのかと訊いたのです」
 「そんなこと知りやしない!」

ストローエフの本名がВ.А.ヂェスニーツキイであることしかわからない。「ノーヴァヤ・ジーズニ」(1917-18)は社会と文学を扱ったペテルブルグの日刊紙。発行人はА.Н.チーホノフ(А.セレブローフ)、編集人はマクシム・ゴーリキイ。

 コザー〔愛称コーザチカ〕はわたしの舞踏会(バール)。人間は誰でも自分のバールを――1フントの砂糖にも歓喜するバールを持っている。これは避けられない。もしわれわれがビザンチン人ならバールもビザンチンのバール。だがロシア人なら野蛮人のバールなわけで、われわれは芸術には専念しない。なぜなら支配階級が兵士と労働者、つまり芸術抜きの〈ペスト流行時の大宴会〉*1だから。(Мар.Мих.*2――監獄、セラフィーマ・パーヴロヴナ、ギッピウス)――それは生きるに値する、精神的かつ真面目なもの。敗北、祖国滅亡はコザーの祝勝である。

*1プーシキンの悲劇『ペスト流行時の大宴会』(1830)。プリーシヴィンの言わんとするところは文化の二律背反――革命時の赤い舞踏会(ペスト)と打ち捨てられた芸術。だがこれには生のエロス(反革命)、すなわち再生への希望が隠れている。

*2マル・ミフ(マリヤ・ミハーイロヴナ・ラズドーリスカヤ)とは逮捕されたときゴローホワヤ通り2番地で知り合った。気象に詳しい若い女性(委細不明)。セラフィーマ・パーヴロヴナ・ドヴゲッロはレーミゾフの妻。詩人のギッピウスはメレシコーフスキイの妻。

 コザーはぐずぐずしている。〔こっちの仕事の〕邪魔をしたくないのだろうが、でもやって来るだろう。こっちは大歓迎だ! 明日おいでとは言っといた。コザーの兄弟はペテルブルグを出て行こうとしている。彼女はわたしを家に招ぶか、あるいは家族でモスクワに行ってしまうか(仕事の関係で)、自分も〔モスクワに〕行くか。

2月23日

 ソヴェート権力に忠告(ソヴェート)を。
 ソヴェートがソヴェートを受け入れる? そんなこともあるかもしれないが、こちらのヴォーリャ〔意志と要求〕は無辺際である。どうせ何の反応もないだろう。だが、友よ、意見を述べるときは慎重に、くれぐれも慎重に!

 レーニンの彗星の尾となって飛んでいくのは、おお、地上の埃とゴミとがらくただけではないか……
 革命の問題が本質と実存をではなく実存の形式を論ずることだと思っている、しかも革命で舞い上がっている人間は、それこそが問題の本質だと思っていること――そこのところをしっかりと脳裡に焼きつけておく必要がある。〔革命の〕指導者たちとは中身のない彗星の弾丸である。真っ赤に焼けた石ころ、煙霧のような発光体、その嘘くさい光の中に彗星のしっぽがきらきらきらきら。疾駆する地上の埃、ゴミ、がらくた。
 彗星のぼんやりした光を構成する物質と精神は、いずれにせよ小市民根性とブルジョアの塊に見える。

 親は早くどこかに嫁がせたいが、肝腎の娘〔コーザチカ〕のほうは婚礼でのキスをぜひともキリスト教式にではなく異教ふうにやりたいのなどと言っている。彗星の尾に堕ちた娘にとって〈われらが革命〉は日毎に忘却の彼方で、もう今は一刻も早く燃え尽きたいと思っている。

 時はマースレニツァ〔大斎前週〕をあっさり飛び越え、総主教がヴェリーキイ・ポスト〔大斎期〕の開始を宣したときにはすでに、われわれが本質(エッセンス)の基準、核心の尺度のように思っていた〈子牛の時〉に〈革命の時〉はぴったりしがみついていた。

(七)のアピスと1917年8月20日の子牛(アピス)を。

 子牛は例によってモノを食み、噛んだかたまりを反芻し、やがては雄牛となるが、もしそれに革命の時がしがみつけば、本当の奇跡が起こるはず。子牛は一瞬にして雄牛となり、犂をつけた馬たちは畑(ニーワ)をあっと言う間に駆け巡って、蒔かれた種も数分後には熟れた穀物となるにちがいない。そのとき自分は、革命のすべての奇跡に対して答えることができて、きっとこう言うだろう――革命は光り輝く透明な彗星ではなく新しい惑星なのだ、わたしは自分の土地とその惑星を取り替えて新しい社会主義の祖国に移り住もう。ああ、でも自分はそれを信じない、ただ土地と時とには敬意を表しよう。
 もちろん彗星はただでは通り過ぎない。そうした現象は幼いころにも、わが貧しき村の上空でも起こっていた。よく憶えているが、家屋敷が明るい光に包まれるなか、わが家の生きものたちのモノを食む音、噛む音を聞いていた。しかし人間たちは(わが暗き人びとでさえ)空に現われた異変に驚き、驚きながらも自分らの平凡な日常を破壊する恐ろしい戦争のようなものを期待していたのだった。そして今、いちばん学問を積んだ者たちも、その同じ彗星が数千年前に出現したときに人間たちが示した反応を知ろうと、灰に埋まった町々の羊皮紙を引っ掻き回したことを、自分は知っている。

 彗星は消えるが、再び天文学者たちは子牛の反芻回数を1分と算定し、平和な地上とわれらが大地と宇宙の実存(ブィチエー)の時を設定するにちがいない。だが、人は昔の人ならず。 ではそれはどんな人だろう? 子牛の時に戻ってくるのは同じ人ではない。目星をつけているのは黒い雄牛、彼が何千頭もの雄牛の中から選ぶのは額に小さな星を戴く雄牛だ、それを聖なるアピスと名付けて、神のため生きとし生けるもののために神殿を建立することだろう。

 われわれには健やかな身体がある。トルコ〔オスマン〕軍が襲いかかったころのビザンチン人のようではない。われわれは芸術に身を入れず、それをことごとく捨て去って、すぐにもドイツ軍が襲ってくるというのに、こうして赤い舞踏会で踊っているのだ。
 ペスト流行時の大宴会はビザンチン式でこれは終わりということだが、プロレタリアの舞踏会は民族戦争後に神となったアピスへの跪拝の始まりだ。たとえ肉体的に不健全な舞踏会であるにもせよ、精神的にはすべての民族が戦(いくさ)のあとに帰依する、豊穣多産の偉大なる舞踏会の始まりなのである。赤い舞踏会こそ最も恐怖に満ちた反革命だ。
 空いっぱいに革命の彗星の尾が広がった。そして赤い光芒の中で人びとはダンス、ダンス、ダンス。

不可避的にユートピアから現実生活へ(革命から反革命へ)の方向を示すプリーシヴィンのベクトル。

 〈文化(クリトゥーラ)〉に代わる言葉を見つけること。〈関係=人と人とのつながり(スヴャーシ)〉から文化に代わるものをなんとか引き出さなくては。

 ボリシェヴィズムは信仰。それゆえ新聞への弾圧は正しい。文化に対抗する信仰だが、ただし惑星の信仰ではない、彗星の信仰である。

 何年のことだったか、多くの人が地球(惑星)と大きな彗星〔のようなもの〕との衝突をひどく恐れたことがあった。衝突しても何も起こらないだろうと言う者もいれば、なに今だっておれたちは彗星の尾の中にいるじゃないかと言い張る者もいる。

 素晴らしいのはどっち――赤い舞踏会か、それともミスティックな社会にいるわれわれが〈宗教(レリーギヤ)〉の〈レ〉について語ったことか、さてどっちだろう?

1908年に会員になった〈宗教・哲学会〉の論争中にもこの種のスコラ哲学ふうの言い回しがよく飛び出したようだ(初期の日記に何度か出てくる)。

 社会主義の祖国――それはこの世のものでない。だからと言って、同じ祖国の社会主義者には何の関係もない(Gens una sumus*1)――同じ祖国の帝国主義者たちだってどれだけの人を切り殺すことだろう。ドイツ人たちの話題はもっぱら、救世軍*2ほどには強そうな社会主義の軍隊の動員解除のこと、らしい。

*1ラテン語で「われらはひとつの種族なり」。

*21878年にキリスト教プロテスタントの一派がロンドンに創始した慈善団体。

   軍隊的組織の下に民衆伝道と社会事業を行なっている。 

 社会主義の祖国か、それともシムーリヌィ・インティテュート〔未詳〕か?

 偶然が法となる。人はたまたま監獄に、たまたま弾丸の下に、そしてモスクワに向かう列車の中でたまたま凍死する。正教のキリスト者よ、教えてくれ――おまえが最後の時〔審判〕のために用意していたその答えだが、いったいそんなもの誰に必要なんだ? 誰もおまえに問いはしないさ。おまえはたまたまこの世から消える、それだけなんだよ!
 そんなことを自分が腹の中で思っていると、老婆はまるでわたしに答えるかのように――
 「ああそうだよ、あんたは何の理由もなく消えてしまうよ。マルスの原に犬ころみたいに埋められちゃって、それでお仕舞い!」

唐突に出てくる老婆のイメージは革命婆さんことブレシコ=ブレシコーフスカヤ。

 すでに〔去年の〕春、マクシム・ゴーリキイは自分のまわりに画家や作家たちを集めて、とことわにマルスの原を讃える記念碑の話をしている。
 「それが実現したら、世界に類のないものになる。ぜひ建てようじゃないか」
 その話は春のことで、秋になったら婆さんが言った――
 「なぁに、マルスの原に犬のように、ね」

革命の犠牲者に捧げる記念碑で、ガラスの地球をかたどった巨大なもの(設計者はГ.Д.ゲドーニ。

 それで今、その画家や作家たちは何をしているか? 最期の時に備えてどんな答えを用意しているのか?
 マクシム・ゴーリキイのところへ行かなくなったころから、彼が「ノーヴァヤ・ジーズニ」に書いている労働者のための小さな訓話が厭で堪らない。だいたい「ノーヴァヤ・ジーズニ」自体が吹き消されてしまって、ほかには何も――あるのは「プラウダ」〔ソヴェート共産党中央委員会発行の日刊機関紙〕だけ。

ゴーリキイが1917~18年にロシアで起こった政治的社会的事件について綴ったもの。『時期を逸した思想』は「ゴーリキイ全集」に収録。

 ルーシはおのれの自由意志(ヴォーリャ)を呑み込んでしまった。(メレシコーフスキイは文化の旗手。)作家たちは監獄に、労働者たちは舞踏会に。ひょっとすると、それでいいのかも。トルコはわれわれにビザンチンの芸術を〔遺し〕、われわれは今、ダンスに興じているのである。

2月27日

 記事を書き、レーベジェフに渡した。マルスの原。新聞に載ったもの――戦争と暴動の定義についてのマスローフスキイの屁理屈。理想主義者のマリヤ・ミハーイロヴナ・エンゲリガールト〔未詳〕は今ではボリシェヴィキを〈コムナール〉と呼び、イワン・セルゲーエヴィチは連隊内の出来事や、そこでボリシェヴィキがどう罵倒されているかを書いている――すなわち赤衛隊はいい給料を貰って労働者たちを戦地に駆り立てている(深夜にサイレンを鳴らし工場防衛を装ってに労働者たちを呼集し、彼らを義勇軍兵士として登録させている)……むろんそれは〈部外者〉の声。だが、自分は何も言えない。いまさらという気がする。年を取ったのかも。でもそうだろうか。ここで、ペテルブルグで生きることを験さなければならない。ピャストが言っている――「2人のロクデナシが絡み合った。自分は部外者だが、でもわれわれはドイツ人を昔から知っている。彼らに期待していたし、今回のことも想定内のこと。でもともかくボリシェヴィキは打倒されなくてはならない」(ドイツとの戦いの場を掃き清めるために)。

ウラヂーミル・イワーノヴィチ・レーベヂエフ(1883-1956)は社会批評家でエスエル党員。ドミートリイ・フョードロヴィチ・マスローフスキイ(1848-1894)は軍事史家。ウラヂーミル・アレクセーエヴィチ・ピャスト〔ペストーフスキイ〕(1886-1940)はロシアの詩人。

 「ヴォーリャ・ナローダ」の閉鎖。人目につかぬところで金勘定だ。お茶を呑みレペシキを食いながら人びとは、逃げるかやめるか、どう逃げるかを考えている。

 イワン・ワシーリエヴィチ(〈専制者〉)は政治を論じ、コザーが質問する――
 「あなたはボリシェヴィキのことを話したいのね? どうしてボリシェヴィキをドイツ人なんて呼ぶの?」
 イワン・ワシーリエヴィチはよく間違う――ドイツ人をボリシェヴィキと呼んだり、ボリシェヴィキをドイツ人と言ったりする。
 ドイツ軍はもう攻めて来ないだろう、たとえチャンスがあってもペテルブルグの占領はあり得ない――そうわたしは思っている。ボリシェヴィズムはコザー〔山羊〕の柵に入ろうとしている。
 「連合国側がドイツを粉砕すれば、彼らの思想は民衆(ナロード)の化身〔神人キリスト〕を受け入れるにちがいない。だが、そのときはもうボリシェヴィズムではないだろう」

 ボリシェヴィズムの真実――それはロシアにおいて市民的無関心のバランスを崩したこと、一人ひとりがその背に生来の無政府・無権力の重荷をずしりと感じたこと、にある。ドイツ人たちは自分らの無政府・無権力状態を他国の権力に移し替えようとする。ならば重いのはどっちの分銅だ? よその国の権力の錘か、それともロシア生得の無政府・無権力のそれか? 揺れる秤(はかり)の針頭は奈辺にありや? それは当然、個の意識に、あらゆるものへの個の応答〔また責任〕にある。(ボリシェヴィズムは俗人のパラサイト。俗人よ、よく見ろ、天秤棒はおまえの肩に乗っかっている! そいつはおまえを押し潰し、市民の鋼となるまでおまえを圧延するだろう。でも未だに、おまえは何もない、ただの裸ん坊だ。おまえは習い性になった感情だけで自分のちっぽけなものにしがみついているんだぞ。もういい加減に、意味がないと知ったらどうだ!)

 電車内は目立って広くなった。ゆったりしている。兵士が四散して、労働者が〈戦地〉に向かったからである。『われわれはベルリンで講和を締結した』とボンチ=ブルーエヴィチが言ったらしい。労働者たちはベルリンへ。

2月28日

 コザーと市場(ルィノク)を歩きまわって、ドイツ製の安物の話になる――
 「ほら見てごらん、もうすぐこんなのが着られるぞ」
 「ああ着てみたい!」と、コザー。「きのうガルデマリン〔艦隊実習生〕と知り合いになったの。あたしを送ってくれたのはいいんだけど、むこうはガルデマリンよ、なのにあたしの服ときたら、もう……」
 「そのうち、きみを救ってくれるのはドイツ軍の中尉かな? そうなったら結婚する?」
 コザーはちょっと躊躇ってから――
 「あたし行くわ。もし好い人なら行かない理由がないもの。だって問題は人間でしょう? ミーシャ小父さん〔プリーシヴィンのこと〕はどうなの? 本当にナショナリストなの?」
 「どうしてわたしがナショナリストなんだね? まあでも、相手は武器を持ってるし、勝利者の名誉があるからなあ。要するに、むこうはドイツ軍の中尉で、こっちは敗けて言葉を失くした国の、書く権利すらない国の作家なんだ。もしきみがそんなドイツ人を選んだら、そりゃナショナリストになっちゃうだろうね」

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