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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 05 . 13 up
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1月7日

 昨夜、予告があった――何か騒ぎが、いやたとえそれ以上のことが起きても、おまえたちには関係ない(刑事犯の監房の暴動のことだろう)と。
 (そんな話でもときどき雑報欄に掲載できれば、大した価値があるのだが)
 活火山の上で暮らしながら、〔われわれは〕よくこんな話をする――
 「もし運よくここを出られたら――なんせ自由になるわけだから――いちどうちに寄ってくれたまえ」

 小説〔の素材〕――ふたりは婚姻に神聖不可侵なものを感じているのに別れてしまう。互いに愛し合っていながら、自然のなりゆきで他の人が好きになり、結局ふたりは別れてしまう。

自然婚で(естественным браком)――エフロシーニヤ・パーヴロヴナとの結ばれ方そのもの。

 「何を縫ってるんです?」
 「水洗便所(ウォータークロゼット)の袋です」
 ソロモンたちは考えなくてもいいことまで考えて、〈目下の時局〉(そう、時は流れているのだ!)に応用しようとする。フランスふうの史的芸術のドラマ、それと権力についてたっぷり話し込んだあとで、また技師に同じ質問をする――
 「ところで、何を縫ってるんですか?」
 「トイレットペーパーを入れる袋ですよ!」

 ウラ〔ヂーミル〕・ミハ〔-イロヴィチ〕は海洋学の本を読みながら、しきりにある生物の名を思い出そうとしている――水のように透明で、キメラみたいな姿をした軟体動物の名を。  「そうだ、Pterotrochea coronatiだ!」

 歴史的名文句――《歩哨は疲れた(カラウール・ウスタール)!》――お喋りなインテリどもへの非難として。

1月5日に憲法制定会議は、議長にチェルノーフを選び、議事に入ろうとした。スヴェルドローフが、ソヴェートの採択した「勤労被搾取人民の権利の宣言」を読み上げて採択を迫った。会議は荒れたが、チェルノーフはまず「土地基本法大綱」を採択させた。結局夜の11時、ボリシェヴィキ・左派エスエルが退場すると、歩哨の「疲れた」という一言で閉会になり、ついに再開されることはなかった。夜のうちに解散の布告が出されていたのだ(「岩間徹編『ロシア史』・山川出版社)。

 吹雪のあとの明るい朝、鉄格子を通して入ってくる朝の光。柵の向こうの府主教の庭木。枝々に黒い鳥たちが眠っている。愛すべきコクマルガラスたちと鳩(一羽)が日差しを浴びて金色(こんじき)に輝いている。木小屋の蛇腹に金色の氷柱(つらら)、火力発電所の煙突からは煙が。それと、ここの小役人たち――一方に体を丸めている者もいれば、〔習慣として〕部下たちの前で〔偉そうに〕ふんぞり返った恰好で寝ている者もいる。今や、そんな連中がヒーロー、真の個人の自由〔四尾の法=「普通」「平等」「直接」「秘密」の四原則を要求する民主的選挙法、その略称。前出(九十)〕のための戦士となった。あっぱれ、看手諸君、刑吏諸君、猿のみなさん、害虫のみなさん、きみたちに栄えあれ! さあ、諸君を解放しよう、ノウタリンよ、ウスラトンカチよ、心貧しき人たちよ!

 第5監房に政治犯と刑事犯が入れられている。そこに追剥のフーンクもいる。凝った黒い口髭、胸にはサンクト・ペテルブルグ神学大学の十字架。

 ロシア人の底力は生贄の儀式が始まった瞬間(とき)に発揮される。その始まりが1月5日のデモ行進だ。

憲法制定会議の日。ペトログラードの労働者の平和なデモ隊に発砲。

 襟裏の掛けひもを縫い付けている技師が雑報欄のデスクと話し込んでいる。第4次元よってわれわれはアストラル体〔世界〕を想像することができる。したがって神の存在について思索することも、またそれを受け容れることも可能なのだ、と。

 区の視学官が言う――
 「愛の神は今や官吏の側に移りました。1月9日にはそれは労働者の側にいたわけですがね、今は役人たちの側に移ってしまいました。それゆえレーニンの計画は破綻するでしょう」
 「いやはや大した理想主義者(イデアリスト)だ!」そう言ったのは、われらが編集者である。
 視学官はなおも続ける――
 「もしロシア人の堕落がそれほど大きいものなら、それはつまり、そこからの落差は相当なものだということです」

1月8日

 房はネーフスキイのよう。ネーフスキイ大通り並みに神経立っている。きのう、ココーシキンとシンガリョーフが殺されたことを知った。それでみな沈み込んでしまった。ペシミスティックな私講師のブゥーシ(彼は分析家なので、なおさら落ち込まないわけにはいかない)、つねにオプティミスト(とはいえ、あるイコンの景像(リーク)が自分を守護していると信ずるほどの楽天家)であるМ・И・ウスペーンスキイ。だがチェルノーフは昆虫の吻のようなものをつけたPterotrocheaであるらしい。物識りの論説委員たちは骨を齧っており、雑報記者たちは肉親縁者にせっせと手紙を書いている。記者の中でひときわ目立つ男(彼について書くのは食事のとき、オープンサンドを頬張るときにしよう)は相当な鉄面皮。彼は大いなる意志の人で、その理由は、生まれたとき誰よりも大きかった(と両親が言った)からで、彼自身に子どもが生まれたとき、自分の意志を彼らに分け与えたから、だそうである。なんだかよくわからない。目下の時局と赤インク。

フョードル・ココーシキン(1871-1918)は法律家・社会評論家、カデットの指導者で臨時政府の要人、憲法制定会議のメンバー。監獄病院に突入した兵士たちに殺された。アンドレイ・シンガリョーフ(1869-1918)もカデットの指導者のひとり。医師、社会評論家で、ココーシキンとともに殺害された。

 「われわれはインターナショナルへ進むのです、レーニンの道ではなくインターナショナルの道に向かっているのです!」
 「粉砕されたアジアは、インドは、独立した国になるでしょう。それこそがインターナショナルなのです!」

     カピタン・アキ

 校正係のカピタナキはギリシア人、その姓でよく泣かされた。コミサールたちはアキ大尉(カピタン・アキ)と呼んでいる。

少し詳しくは『花と十字架』(サンクト・ペテルブルグ・ロストーク社・2004)の157-158頁を。

 リトアニア人の兵士たちが牢の監視に回されたのは憲法制定会議の粉砕後である。きょう彼らはわれわれブルジュイを見て笑いだした。うち一人は笑わず、睨(ね)めつけるように思いきり黒目を上に押し上げて権力の尊大さを見せつけようとし、反対にもう一人の小柄な兵士は堪(こら)え切れずに思いきり噴き出したのだった。
 が、話だけははいつまでもやめず――
 「インテリはすでに革命前に粉砕されてたな。「道標(ヴェーヒ)」を憶えてるか? 革命的インテリゲンツィヤは民心に支えられるところがなかったから、デマゴギーにしか頼れなかったのさ」

「道標」――1905年の革命後、右傾化したカデット系知識人が出したロシア・インテリゲンツィヤについての論文集(1909)。

 デリケートな人間であるセルゲイ・ゲオールギエヴィチ・ルーチなどは自分でも思いがけず憲法制定会議のメンバーのグコーフスキイに向かって言ったものだ――
 「土地(ゼムリャー)と意志(ヴォーリャ)は今はどうなってますか? ヴォーリャはもうこのとおりですが、いま問題なのは土地ではないですか!」そう自分で言いながら困惑の体である。が、すぐに誰かがそれを引き取って――
 「そりゃ逆ですよ。あなたは「ゼムリャー・イ・ヴォーリャ」とおっしゃったが、まずヴォーリャが先で、そのあとにゼムリャーでしょう」
 「〈自由に(ナ・ヴォーリュ)!〉などと言うが、いったいどこに向かって行きゃいいんだ? 〈ご自由に!〉だって? なんだい、食べるものもないのに、給料だって払われてないのによ!」

 役人はすべてを失い、もうとても乗り切れない感じという感じ。干からびきって、何に対しても怒りっぽくなっている。

 深更、みな寝静まり、鉄格子の近くにいるのはタバコを吸う者だけである。そこへ典獄がやって来て、イスラエルの話を始める――すべて順調だ、と。
 「そのことを兵士たちに話そうとしたんだが、ぜんぜん誰も聞く耳を持たんのだよ」

 われわれは火山の上に住んでいる。刑事犯たちは今にも暴れ出しそうである――赤十字社が差し入れた食事のことで彼らはわれわれに腹いせしようとしているのだ。第2の雪崩も起きかかっている――発疹チフス。
 牢名主のピョートル・アファナーシエヴィチ・ロフヴィーツキイは独身、衛生学とミューラー・システムの体操の愛好者――ロシアにおけるミューラー式体操の全過程を終えた唯ひとりの人で、何より房内の秩序の維持に気を遣い、朝の6時にその日の当番を起こしてまわる。当番はみなより早く起きてパンを切り分け、オープンサンドを作らなければならない。起きた収容者は順に用便桶か洗面台へ。その間ずっとピョートル・ロフヴィーツキイは秩序が破られないか気を遣っている。房内の無政府状態は最悪である。7時半、全員起床。通風孔を開ける。向こうでは早くもトランプを始めている。何か足りなければ〔看守に〕懇願する手もある。

当時普及したヨルゲン・ペテル・ミューラーの肉体訓練(ボディビル)法。

1月9日

 きのう、ココーシキンとシンガリョーフの殺害の記事を読み、そのときはっきり見てとれたのは、〔復興への転換としての〕バルト艦隊水兵たちの来るべき独裁体制の展望である。
 民主的インテリゲンツィヤはすでに革命以前から厳しい環境にあり、そのため自らの拠って立つべき足場はきわめて脆弱。したがって、残されたのはデマゴギーの道しかなかったのである。海が荒れると、彼らは帆を立てて風のまにまに進んだ。灯台などどこにもなかった。

1月10日

 きのうは面会日。消えていたものが不意に見つかる。ソロモンたちは調査を始めた。人殺しは誰か? 食糧独裁者は二本の足でしっかりと自尊心を支えている。堂々たるものだ。チェルノーフ――人びとへの愛(酒の匂い!)。セリューク――賢く誇り高い弁護士。『二つの社会思想――裁きと異教への寛容さとが世界を創造した」。「裁きは罪の力なり」――これは無知もいいところ、「裁きは力ではなく手続き(プロセス)だ」。ローゾフは「革命とは民衆の聖なる怒りなり」というが、М・ウスペーンスキイは憤慨して――「勝ち誇る連中には与しない」し、「悪いのは百姓に媚びて取り入ろうとする文学(リベラルな)だ」と言う。エスエルのスミルノーフとその赤毛の友(オスコーチン)は時計を獲って〔トランプの賭け〕、大いにはしゃぐ。ピョートル・ロフヴィーツキイ、35歳、独身、ミューラー式体操をやり、自分の箱〔自身の所持品〕に裸の女の絵――〈秩序の友〉というのだそうである――を貼りつけている。〈教授〉とその田舎の産物〔差し入れ品?〕。アキ大尉。

ペトロチェカー〔ペトログラード秘密警察(チェカー)〕の囚人仲間。

 光輝あふるるパリ――自由と労働とブルジョア的な快適・諸設備。思い出。分子レヴェルにまで分解してしまった生活。
 憲法制定会議のメンバーのハンスト。人間の尺度――その死の可能性へのかかわり方。

 わが房の秩序は旧体制の役人たちによって確立され、そのあと新入りたちに伝えられた。「ヴォーリャ・ナローダ」も役人たちの体制(レジーム)に組み込まれ、その一部はアナーキーな房に押し込められたために乞食暮らしをしている(ジプシーの歌い手たち)。
 半白の憲法制定会議のメンバーは夢中になって何かを読んでいる。
 ミハイル・イワーノヴィチの思想。
 わたしが「うちの房の秩序は旧体制に依っているが、現体制はドイツに依存している。おそらくこのドイツ的なものが権力組織においてまたしても優位を占めるだろう」と言ったら、俄かにミハイル・イワーノヴィチが――
 「いや違います! 確かにそこにはドイツ的なものはあるでしょう。でもフランス的なものイギリス的なもの、あらゆるものがあります。なぜなら、今われわれは疑いもなく新世紀の前夜にいるからです」
 最後の審判。故地(ローヂナ)の着衣〔故地を着る〕とは、思うに、最後の審判に人間が身につけるもの、掲げる灯明のこと。

 散歩のとき、府主教の庭の上空をコクマルガラスの大群が舞い、凄まじい羽ばたきの音を残して飛び去った。
 ソロモンたちは「略奪ガラスが飛び立った!」などと言ったが、あれはコクマルガラス――われらと共に生まれわれらと共に生きてきた渡り鳥だ。
 ミハイル・イワーノヴィチも言った――
 「彼らにとっては略奪ガラスかもしれませんが、われわれにとってあれはコクマルガラスです。ところで、われわれはどう裁かれるのですかね?」

 新聞社は閉鎖された。残ったのは「プラウダ」だけ。まさにありとあらゆる汚れものでーっぱいの使徒パウロに降りた容れもの。この物質的道徳的バランスの破壊が徐々に最終段階へと人びとを退(の)かせる(死よ、おまえの毒針はどこにある?)。

ペテロに降りた容れもの、の誤り。使徒言行録第10章11-16節。

 そのようにして最後の審判に姿を現わすのは俗なる役人たち――俗人(アブィヴァーチェリобыватели)とは、俗世俗事(ブィトбыт)のともがら、ブィトとは妥協であり嘘である。して「真実(プラウダ)」も、売春が夫婦の床から出たように、われわれのブィトから出たのである。
 そのとき俗人どもは存在をやめて絶叫した――「死よ、おまえの毒針はどこにある?」

 イオージムとモージク――雑報記者の子どもたちの名。

 ブィトの着衣が一枚また一枚と落ちていき、ありとあらゆる汚物の容れものも降りていく(刑吏の役目その他)。そしてその中に入っているのは、皮を剥がれたばかりの生ける屍。
 容れものはどんどん下へ。容れものに向かって剣を振り上げた者はみな剣によって亡んでいった。
 毎日われわれの房に「プラウダ」を運んでくる。新聞好きは悪態をつき唾を吐きかけながらも、つい声に出して読んでいる。そしてこの容れものがやって来ると、苦痛(精神的な)のためにのたうちまわる。

 番人が番人に訊いている――もうすぐ明けるかと。
     棺はどれも美しく塗られている
     猿どもの……尻っぺた〔赤、朝焼け?〕。

羊の群れの番とも看守とも読める。主の天使が夜番の前に出現した福音書(ルカによる福音書第2章8-9節)からの連想か? 棺はどれも美しく〔赤く〕……は偽善者、まやかし者の意。イエスが律法学者とパリサイ派の者たちに向かって言ったことば――「あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」(マタイによる福音書第23章27節)。参考に『花と十字架』187-189頁。ちなみに「赤い」はロシア語で「美しい」の同義。

 昨夜、われわれの房に2人の逮捕者が入ってきた。ひとりは国立銀行から、もうひとりはオブーホフ工場の人間である。「ですが、もうひとりは――」と2人が言う。「護送中に、衛門のところで逃亡しました。彼の名はウトゴーフです」。彼らはウトゴーフの包みをわれわれに差し出す。包みには、林檎5個、上等な紙巻タバコ「スフィンクス」1箱、それと板チョコが2枚。で、それらはみなわれわれの共有物とされた。しばらくして〔房の外から〕、ハンモックに空きがあるかと訊かれて、誰かが「1つある!」と返事。次に入ってきたのは、かつての外務大臣だ。事務員と大臣の初顔合わせ。片や事務員、片や独裁者でコムーナのメンバーである元閣僚だ。大した漁法である(えらい獲物がかかったものだ! この船は大魚を網で生け捕りにする)。こちらが受け取ったのは林檎と角砂糖5個、ハンモックの上に縞々のルバシカ、便所(ソルチール)、深夜、房内ぶらぶら歩き――自分らのものはこれで全部。

ウラヂーミル・ウトゴーフはエスエルの憲法制定会議のメンバー。

 セリューク(ヤーコフ・ヤーコブレヴィチ)は弁護士(「賢い」が性格が悪い)。横になりながら、あんた、そりゃ嘘でしょうなどと宣(のたま)う。傲慢、横柄。火に包まれて今まさに倒壊せんとする美しい建物にも似て、この期に及んでまだ肩をそびやかしている。
 フセーヴォロト・アナトーリエヴィチは、人を殺さないが誰かに殺されるタイプ(つまりエスエルのタイプ。〔房の〕他の半分は殺し屋。3番目は指導者タイプ。
 食糧独裁者――堂々2本足で立つ大した自尊心の持ち主だが、どうもついてない。
 ニコライ・ニコラーエヴィチ・イワーンチェンコ――ムショ暮らし、駄馬(社会主義の)。
 コムーナの人間の位置がどう決まるのか、言葉によってではなく行動によってどう決まるかを描くこと。地位も階級も身につけているものはみな剥ぎ取られてしまう。

 ウトゴーフが殺されたという噂。しかし真相は誰も知らない。逃げおおせたか殺されたか。横になったら、彼のことはすっかり忘れ、彼の所持品のチョコレートを分けて食べた――戦場でのように。
 窓の格子の向こうの雪が青白くなった。暗い壁の近くで焚火の炎。壁の向こうの輝く空に、府主教の庭木が見える。
 見張りの兵士が兵士に訊いている――「もうすぐ夜明けかな?」(『預言者の書』から)。
 どれも綺麗に塗られている(赤ペンキ)が、棺の中は骨ばかり。
 そこで訊きたい。彼らは生活を破壊し受難者をつくりだす。彼らはユダを演じ、その嘘にわれわれの嘘が乗っかっている。われわれは新しい〔生贄であり〕受難者だ。未来はどうなる? そんなものは……

1月12日

 きのう、自分の当番のときのこと。朝6時。牢名主のロフヴィーツキイ――すっかり頭のはげたロフヴィーツキイがミューラー式の体操をやりながら叫ぶ――「当番!」。当番は3人。自分、セリューク、イワーンチェンコがまず起きて、寝床をたたみ、ハンモックを丸め、そのあと洗顔、パンの切り分け。
 食糧独裁者――顔を洗いながら房の掃除とぶらぶら。バラーンダ、食器洗い。通風孔を開けて風を入れる。
 「あなたは臨時政府の大臣ですか?」
 「いいや!」
 「旧体制の?」
 「そう、皇帝陛下のね」

 こっちの隅では時事戯評(フェリエトン)――赤衛隊の逮捕の仕方が、あっちの隅では大臣を囲むようにしてロシアの未来が、論じられている。遠心力が求心力に変わるし、連邦国家にとって必要なのは強力な執行権で、それはツァーリである云々。

 富籤をやっている。賭けるのはキセーリ付きの3個のオープンサンドとカッテージチーズのかけら。
 事務員の牢名主が大臣に耳を落としたオープンサンドを作ってやった。
 憲法制定会議のメンバーである半白の不屈のエスエルは、自分をプリンスと思い込んでいる少年の小説に没頭、一晩中読んでいる。
 監獄の柵の向こうの府主教の庭木は日ごとに明るさを増してきて、何か特別の意味を帯びてくる。枝の上で寝ている鳥たち。

 ヤーシチクが自由になった。もっぱら話題は壁の中の不自由と壁の外の自由のこと。

 セリュークも解放された。ヴォーリャとは何ぞや? 自由か、意志か? それにしても素晴らしい! セリュークは苦しめられ、精神が歪んでしまった。今は肱掛椅子の上でどう生き返ろうかと夢見ているが、スミルノーフにはどうでもいい話。出されたら働かなくてはならない。内も外も自由と不自由。

 6号房は食事のことで赤十字に挨拶を送るが、7号房はずけずけ言う――「おたくら役人は調子がいいな。〔パンは〕クリーム付きかい?」
 監獄のカラクリ。身をもって知った憲法制定会議の粉砕。ココーシキンの殺害と刑事犯たちの暴動。

 今のところ、われわれを解放するのは飢え。蠟燭の明かりの下でパンを切り分ける。不意に電灯がつく。パンの切り口に毛のような藁。話はもっぱら解放者の飢えとバルト艦隊水兵の臨時独裁のこと。  Б(ベ)が外からもたらしたのは、〈飢餓ミーチング〉なるニュース。

1月13日

 コーザチカが面会に来た。自分も腹ペコなのにチョコレートを差し入れてくれた。
 「大丈夫よ、ミーシャ小父さん、あたしたち、なんとか生きのびる、ボリシェヴィキなんか追い出してやるわ」
 「きみは今、誰かに恋してる?」
 「小父さんが逮捕されたことを新聞で読んでから、恋はしてないわ!」
 面会でのやりとりはエラク疲れる。

 牢名主が問いただす――
 「こんなことをしたのは誰だ?」
 誰も白状しようとしない。

 鉛筆の芯が折れた。誰かが小刀を差し出す。それが誰か確かめなかった。翌日また折れた。また誰かが小刀を差し出した。それが誰かよく見なかった。きょう、下着を括るため紐を引きちぎろうとしていると、目の前にさっと小刀。それを手にしていたのは、とても人のよさそうな顔である。
 「おたくは菜食主義者?」と、わたし。
 「どうしてわかりました?」
 「ということは、当たりですね?」
 「ええ、わたしは神智学者(テオソーフ)です」
 生贄――テオソーフ。
 「ウスペーンスキイです。生贄の条件がととのいつつありますね」

 われらが閣下はできるだけ目立たぬようにしている。読んでいるのはソロヴィヨーフ。読みながら、しきりに唇を震わせている。何か噛んでいるのか。ソロヴィヨーフをよく咀嚼しようとしている? ロシアとは何だ? いったい何が起きたのだ?

 赤十字が食事を差し入れている。感謝したいが、できない。感謝をどう表わすかで2日も言い合った。それと刑事犯の代表と合同するかしないかで、またもや侃侃諤諤。

 ソロモンのひとりが言う――
 「つまり、あなたは正義の道があると信じているわけだ。じゃあ、そうメモしときましょう――『あなたは正義の道があると信じている』と。
 「ではボリシェヴィキに〔期待」しましょうか!」

 (訴訟〔手続き(プロセス)〕に似た)完全に身も心も捧げた(これはストリーンスク〔未詳〕、マ〔リヤ〕・ミハ〔ーイロヴナ〕の)プロセス、それから、避けがたく人びとを獄に向かわすプロセス(骨齧り)。それとは正反対の個人的なプロセス、こちらにはもはや鉄格子も壁もないのである。

 ソロモンと話し始めたら大変だ――3時間ぶっ続けである!

 「取引通報」に、路面電車が一台一台独立(自治)運行するという記事!
 将軍閣下がいきなり起ち上がって――
 「なんたる気狂い沙汰だ!」

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