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プリーシヴィンの日記 太田正一
2012 . 04 . 29 up
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11月11日
最悪の結末。マリヤ・ミハーイロヴナ。彼女はサーヴィンコフの本部にいたある人物から直接聞いたらしいのだが、コルニーロフの反乱の前にすでにケーレンスキイはサーヴィンコフにこう言っていたという――『きみはコルニーロフと反革命をやろうとしているようだが、わたしは手を引くよ』
何もかも駄目にしたのはケーレンスキイだと言う者もいるし、サーヴィンコフだと言う者もいる。それを確かめるために文書や資料を分析する必要はない。サーヴィンコフにはソヴェート鎮圧にコルニーロフが是非とも必要だったし、ケーレンスキイはソヴェートと与(くみ)しようと思っていたのだ。そして二人とも自滅した――一人は将軍によって、もう一人はソヴェートによって。
至るところで耳にした――社会革命党(エスエル)が自らをもケーレンスキイ(エスエルは彼を支援しなかった)をも破滅させたのだ、と。
革命自体が民主的インテリゲンツィヤのナロードへの無理解(またその逆も)を示している。信じがたいほどお互い相手を知らないのだ。その無理解の根本原因は、おそらく最初の革命家たちのそもそもの信念とナロードの信念の差にある。ボリシェヴィズムはナロードと革命的インテリゲンツィヤの共通の子である。ボリシェヴィキのインターナショナリズムは、行き着くところまで行ってしまった〔人類の〕宗教以外の何ものでもない。これこそがロシアを滅ぼしたのであって、いま言われているような、やれソヴェートだ、やれサーヴィンコフだ、やれケーレンスキイだということではない(コルニーロフはいちばん罪が軽い)。
さらによく言われているのは、初めから政府は列強に対して自分たちは戦えないと表明しなければならなかったこと、これじゃいくらなんでも最悪の結果になるのは当然だ、というもの。だが、それはあり得ない。なぜかと言えば、当時、住民の大半は〈ブルジョアジー〉の側に立っていたのだから。
農民会議が開かれている――エスエル党の最後の痙攣だ。軍に阿(おもね)って、チェルノーフを押し立てようとしている。無駄な努力だ。ドイツの支援を受けてロシアの全人類的精神(オプシェチェラヴェーチェストヴォ)は最悪の結末を迎えることだろう。
インターナショナル運動の過程で、すべてのインテリゲンツィヤ・グループがナロードの信仰・信念(民衆出(ナル)の社会主義者たち)と妥協して道を誤った。結果、愛国主義(パトリオチズム)の胚子を生ぜしめたのである。
11月12日
軍は存在しない。黄金(きん)は強奪され、社会はばらばらにされ、民主主義は自ら自宅の土台を壊しにかかっている。いったいこれはどういうことだ? 縋(すが)りつける浮遊物があのチェルノーフ? 土地問題がわかる男として未だに軍での人気を保っているチェルノーフか? それとも口止めされたままの憲法制定会議か? だが、その先はどうなるのか? 誰もが肩をすくめる。誰もが〈占領〉という言葉を口にする。
そして、ふと思う――『もしかしたら、何にもなかったのではないか、何も起こってはいないのではないか?』と。マニーロフシチ〔ゴーゴリ『死せる魂』の登場人物のマニーロフから。前出〕。ただそれだけのこと。
いま政治家たちは、未来ではなく過去のことを狂ったみたいに議論し合っている――悪いのは誰か、元凶はどいつだ、と。働くのは後(あと)知恵ばかり。ケーレンスキイはどう行動すべきだったか、去るべきだったと言う者もいれば、逃げるなんて不可能だったと言い張る者もいる。
「じゃあ訊くが、これまでこの国にマニーロフでない奴がいたことがあったか?」
烈しい波浪が威厳ある鳥たちを断崖から追いやった。ぶつかり逆巻く波と泡は崖を洗うが、嵐が過ぎれば、巌は厳として元のままである。いずれ、飛び去った猛禽たちも古巣の頂きに舞い戻るだろう。
荒れ狂う海はいかなる者をも留め置かなかった。だが、嵐は静まり、鳥たちは古巣の巌頭めざして飛んでくる。
もうすぐ夜明けだ。断崖の頂きに鳥が一羽。見下ろす海は穏やかに息を吐き、岩肌をやさしく舐めている。あんなに烈しく花崗岩の岩骨(権力の屋台骨)を揺るがし侵したのに、逆巻く怒涛は知らずにいた――自分たちが嵐のときよりもずっとその目標近くまで来ていたことを*。
*(七十四)―1916年3月5日に似た記述あり。レールモントフの詩「断崖(ウチョース)」のイメージ?
かつては「わがロシアでは」という言い方をしたものだが、今はそうでない。ここはどこだ? なんて大きいんだ! 互いに貪り食い合うこの怪物ども――おれたちは、ロシア人とは何者だ?
われわれは今、外国人たちも加わるはずの新しい〔芝居の〕の幕間(アントラクト)にいるのだ。
祖国(ローヂナ)はすっかり霊的・精神的なもの(ドゥホーヴナヤ)となり、もはや誰もこれを奪うことも分けることもできないことをわれわれは知っているが、しかしこのドゥーフに改めてどんな形を与えたらいいのか、わからない。
客の一人は言う――ロシアを滅ぼしたのは、エスエルやエスデーのソヴェートではなく執行委員会の独断的な奴ばらだ、革命はババア〔革命婆さん〕の演説や〈マルセイエーズ〉なんだ、あんなものは雄牛を苛々させる赤い旗なんだ。
歩いていると、声がする――
「ああお茶だ、お茶にしようぜ!」
お茶は払底していて、どこの店にも置いてない。
「仕方ねぇ、じゃあカーシャにするか!」
「ひき割りもねえ、もう脂身(サーロ)しかねえよ」
サーロをちょっと齧って、またもや大鎌を振るい始める。要は、腹を空かしても、何か口にすれば元気になるのだ。いま地上で起こっているのは、戦争や分割だけではない、力を合わす、手を結ぶ、つまり同盟(ソユース)であり、草刈り(協同作業)場への夢は〔残っている〕ということである(軍事組織、少尉補のための農業学校)*。
*この箇所、状況が甚だ不明だが、少しあとに茶店にいた男が出てくるので、おそらくプリーシヴィンはこれらの人びとと議論を始めたものと思われる。
共有化*――そんなことになれば自分が襲われると地主は考えたが、これは誰に対しても向けられているのだ。黒い再分割。
*обобществление――共有化とは社会化、〈集団化〉と訳せないこともない。
12月21日
結局、村には戻らなかった。ここに、ペトログラードに、地獄に居残った。
タチヤーナ・ワシーリエヴナ・マーイスカヤ〔未詳〕を訪ねる。落日が燃え尽きようとしている。
真のブルジョアジーと現在この言葉の意味するもの。
だが、「ヴォーリャ・ナローダ」紙のわが道連れたちこそ真の俗物(メシチャーネ)だ。
わたしは答える――いよいよまずいのは小市民根性なんだが、土地を借りてそこにちゃんと落ち着いたアダムは真のプチブル。それで2番目のアダムがやって来たときには、もう土地は誰かに貸されていた。2人のうちどっちがいいか?
問題の解決――2番目のアダムは悩んだが、これは彼の満腹度の問題であって精神性(ドゥーフ)の問題ではない。
『革命運動成長の鈍化に対する方策が問題になり、それについて非常に興味深い議論が戦わされた』(「ノーヴァヤ・ジーズニ」207号)。
外は吹雪。12時過ぎに電気が消えたので、〔わたしたちは〕修道院付属の教会で仕入れた蠟燭に火を点して、また話を続けた。
わたしが「ロシア人は自分の精華(はな)を滅ぼし、自分の十字架を投げ捨て、闇の王アヴァドンに誓いを立てた」と書いたことで、みなに非難された。
「アヴァドンというのは――」とみなが言う。「小市民根性と貪欲の霊(ドゥーフ)です。でもロシアは深く悩み苦しんでいます。労働者や兵隊の顔は、あれはもう病人の顔ですよ。そこには人殺しと懺悔しか、闇の霊の薄暗い安楽な暮らししかありません。でもロシアはまだ一線を越えちゃいませんよ」
長い議論が始まった。多くがわたしの意見に反対だった。客人の一人でいちばん忌憚のない人物が言った――
「そのとおりだ。わたしも、ロシア人はまだ一線を越えてないし、どんな汚らわしい行為をも後悔し得ると思っています。出口は見つかります」
誰かがふうっと息を吐いて――
「そうだね。多くの聖物が盗賊どもの手で造られるような国でね、死刑執行人でいるのは、そりゃあ苦しいに決まってる」
それに対して、茶店にいた男がこともなげに――
「ロシア人は神から臍を切り離さなくてはいけないんですよ。そうすりゃ何もかもはっきりします。一方に善きもの(ドブロー)が、もう一方に悪しきもの(ズロー)がある。でも、神がいるうちは混乱は収まりませんよ」そしちょっと考えてから、こう言った――「臍が神から切り離されたら、人間は自分に閉じ籠るからね、盗賊たちには出口がなくなる、〈あの世〉からおれたちのところ来ようとしても、もう出口がない。そうなったら、あいつらの首を掻っ切るなんてわけはない」
わたしたちは問い質す――どうしたらロシア人は神から臍を断ち切れるか?
それに答えたのは、ずっと物思いに耽っていた男である。
「そんな努力は必要ないね。流れに逆らって進めば、いっそう神みたいなもの(ボヂェストヴェンノエ)にはまり込む。手は打たれていますよ。安物の更紗はほら、いやあらゆるものがドイツ人から、儲けるための秘訣も、暮らしの勘定、設計、見積もり、これすべてドイツ人から教わったんだ。だからね、臍は自然に切り離されるんだ。そして人間は閉じ込められて、出口はなくなるんです」
「だが、ケーレンスキイもボリシェヴィキも――」と、男は続ける。「わたしに言わせれば、どうでもいいんだ。彼らはいつも神みたいなものに逆らって進むんだが、いつまでもそんなに逆らっていられると思いますか? 〈時〉が来ます。そしてガツーンと一発喰らうのです! 彼らをくるむのは何でしょう? 青い聖骸布です。ありとあらゆる与太者(フリガーンチキ)が酔っ払って乱暴狼藉を繰り返し、小銃をぶっ放し、フォンタンカで人を溺れさせ、立派な分別あるブルジュイを牢にぶち込んでいます。でも、〈時〉が来るんです。彼らは懺悔し、ちゃんとしたまともな人間になります。牢から出されたら、義しきブルジュイは感動して、きっとこう言いますよ――『おお、フリガーンチキよ、きみらはなんと多くの神々しいものを身につけていることか!』なんてね」
「ただし――」と、男は考え考え、さらに先を続ける。「今は駄目です、その〈時〉じゃない、ドイツ人たちは何もくれず、臍も切ってくれない。なぜかはこの人が(と言ってわたしの方を見た)さっき言われたように……つまり、ロシア人は一線を越えてしまった、だから元には戻れないのです」
わたしたちはその一線についてもう少し突っ込んだ話をしたかったが、突然、電気が消えてしまった。それでみなして手探りで暗い家から通りへ出たところで、そのままばらばらに散ってしまった。
通りは吹雪で、人影もなく、まるで人里を遠く離れた荒野のよう。と、不意にわたしを恐怖が捉えた。わたしはボリショイ大通りの方へ駆けだした。そっちへ行けば人か電車に出会うだろうと思ったからだ。しかしボリショイ大通りにも人影はなかった。恐怖はいよいよつのってきた。ぐずぐずしてはいられない、さあ急ごう! やっと自分のアパートのある通りへ折れる。家はすぐそこだ。そのとき、吹雪の中を何やら大きな黒いものがこっちへ向かってくる。
わたしはぞっとした。くそ、襲(かか)ってくるなら来てみろ!
だが、その巨きな黒いものは、突然、黒い小犬になってしまう。
なんと、吹雪の中から飛び出してきたのは、一匹の小さなプードル!
部屋に戻って、さっきまでみなと話し合ったことを思い返す。さっきのプードルが何やらロシアのメフィストフェレスのようなものに変身して、わたしに向かってこんな話をしたのだった。
「ロシア人はね、神から臍を切り離す必要があるんだよ」
農民にわたしは問うた――「いまロシアは誰に住みよいか?」と。彼は答えた――「誰にも。なあも土地とは関係ねぇからな」。兵士は答えた――「誰にも。だぁれも戦争と関わっちゃいねぇんだ」。商人は答えた――「誰にも。だぁれも商いをやっておりませんので」。要するに、ロシアは今、誰にとっても住みよくないのだ。
いま起きていることに何か意味があるとすれば、それは、未来のために自分の現在を犠牲にするという人間の意識の中にあるのだ。
そこで再び農民に訊いた――「おまえさんはいま何を犠牲にできるか?」と。すると農民は――「自分はいまからだを壊していて、何も捧げるものがない」と答えた。兵士は――「そりゃあ、いっぱいあるさ!」と。商人は――「わたしら自身が犠牲者なんです。でも、どんな神様に身を捧げたらいいのかわかりませんので、ハイ」
いろんな人間に質したが、誰にも、現在起きている事件が意味するものを発見できなかった。でも、ひとつだけわかったことがある。それは、みんなが何かいいことをじりじりして待っているということだった。ただ待ち望んでいる大衆はシロアムの池*の前の巡礼たちのよう。
*シロアムとは〈遣わされた者〉の意。イェルサレムの南東にある池。キリストの奇蹟によって、この池の水で目を洗った盲人が見えるようになったという。ヨハネによる福音書9章6節。
翻って言えば、救いを約束する人、約束を守るために自ら身を捧げんとする人とは、いったい何者なのか? そうした人たちの行為に評価を下すとき、〔あらゆる〕意味を喪失したこの時代に後世の歴史家はまともに光を当てることがあるのだろうか?
ロシアでわたしはまだそういう人たちに出会っていない。彼らに仕えている召使たちは知っているけれど。召使たちは世界的事業の主人たちの下で働いているだけだ。では、その主人たちとは何者か?
きょうは新聞の切り抜き。屈辱。とてもやっていられない。いまロシア人はなんと呼ばれているか? 以前のようにブタ呼ばわりされている、しかもフランス人までわれわれをブタと呼んでいるのだ。
ウィルヘルムへ、ロイド=ジョージへ、万国の組織された労働者たちへと移っていき、その興味深い討論(ディベート)を書き抜いていると、次第に世界的な意味のようなものに近づいていく。それが面白い。つまり、事(ヂェーロ)はすべて向こう〔ヨーロッパ〕にある。それでそれに没頭する。
むろんヨーロッパ人のこと。すべてを解く鍵はあちらにあるのだ。一方にはウィルヘルムと国民が、もう一方にはイギリスが。ロシアの教養階級は、ヨーロッパ式才能の個性豊かな〔個の存在が保証される〕ライフスタイルを期待しているから、当然、イギリスを支持した。庶民はツァーリのために戦い、教育のある階層はツァーリを打倒するために闘った。ドイツ人はあらゆる点でイギリス人よりロシア人に近いので、ツァーリが打ち倒されると、イギリスと戦う必要がなくなった。そこでロシアの教養階級はナロードに〔背を向けた〕。ツァーリは打ち倒されたが、〔ツァーリが〕そうなった理由がわからなかった。
現在、ロシアは、人類の世界史的勢力〔列強〕の権力下に、彼らの影響下におとなしく身を置いた。いまロシア人たちは必死である。いちばん眺めのいい場所を占めようと急いでいる――そのためにとても高い席料を払ったので。
12月30日
レーミゾフの家のドアをノックする。どなたでしょうかとメードが訊くので、申し合わせていた通りにキルギス語で、答える――
「ハバル・バル?」*1
〈どうかね?〉という意味だ。
若いメイドは笑いながら、「バル!」と答える。
ドア越しに彼女がレーミゾフに言っているのが聞こえる。
「ミヤマガラスが来られましたが!」
わたしのキルギス語は、どういうわけか、彼女の頭の中では〈ミヤマガラス〉になってしまう。いつもそうなのだ。ナースチャは白づくめ――白いプラトークを首に巻き、おまけに自身が白ロシア人である。誰かが彼女にロシアは滅んでしまうと教えたらしい。それできょう、彼女はそのニュースをわれわれに伝えようとして――「ロシアが滅ぶんですって」と言った。わたしの〈ハバル・バル?〉に対しても――
「はい、そうです。ロシアは滅びます」と答えるから、こう言ってやった――
「嘘だよ、そんなことはない。レフ・トルストイとプーシキンとドストエーフスキイがいるかぎり、ロシアは滅びないさ」
「どういうことですの? レウって誰ですか?」
「トルス・トーイだ」
「レウ・トルス・トーイ?」
プーシキンは難しかったが、ドストエーフスキイはあっさり覚えた。レフ・トルストイとプーシキンとドストエーフスキイは、ナースチャには神秘がかった三位一体(トロイツァ)みたいになった。
「じゃあ、その3人があたしたちを統治しているのね?」
「ああナースチャ、そうじゃない。問題はね、その人たちに権力を与えないことなんだ。彼らに権力が行かないことが不幸の因(もと)なんだよ。でも、それでも彼らは僕らと一緒なんだ」
あるとき、詩人のクズミーン*2がやって来て、自作の詩を読んだことがあった。ナースチャも聞き耳を立てていた。そしてそのあとでわたしに訊いた――
「この人がレウ・トルス・トーイ?」
ソログープが来たときも、また訊いてきた――
「この人がレウ・トルス・トーイ?」
彼女は詩が好きである、とっても!
いつか通りの反対側に人が集まったとき、演説家が言った――「ロシアは滅びます、まもなくドイツの植民地になるのです!」。すると、白いプラトークのナースチャが人群れを押し分けて、その演説をさえぎった。そして人びとに向かって――
「同志のみなさん、この人の言うことを信じてはいけません。あたしたちにレウ・トルス・トーイとプーシキンとドストエーフスキイがいるかぎり、ロシアは滅びはしません」
*1「こんにちは!」ほどの意味。短編「わたしのノート」(プリーシヴィンの『森の手帖』所収)に、武装したキルギス兵にユダヤ人と間違われた作家は、知っていた唯一のキルギス語「ハバル・バル!」で危うく難を逃れる。
*2ミハイル・アレクセーエヴィチ(1875-1936)は詩人・作家・作曲家、音楽批評家。貴族の出身。1905年に文壇にデビューした。デカダン的象徴主義から、やがて神秘主義を脱して耽美主義に徹する。詩集『アレクサンドリアの歌』(1921)、小説『カリオストロ伯』(1919)。
12月31日
〈歩きながら(ナ・ハドゥー)〉、つまり易々とわけなく生きている人たちがいる。が、歩みを止めたとたん、ぼんやり虚ろな状態に陥ってしまう(そういう人たちがいる)。物凄い数を読みこなす読書家がいるが、読み終わると何も憶えていない(そういう人たちがいる)。現代も同じようだ。今、ロシアという国家にいるわれわれは新年の結び目にいる。しかしこんな生活を体験しても、これからどうなるのか、何をすればいいのか、誰もわからずにいる。
何をなすべきか、わたしが言おう――やはり学ばなくてはいけない。ロシア共和国市民よ、小さな子どもたちのように学ばなくては。勉強しなきゃいけないのです!」
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