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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 04 . 24 up
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 こう言うこともできよう。すなわち、正教徒は見えざる城市(グラート)のために同志は地上の目に見える城市(グラート)のために身を捧げんとしたが、自身、見える城市も見えざる城市も手にすることはできなかった。言い方を変えれば、正教徒たちは自らをナロードと称し、同志たちは自らをインテリゲンツィヤと称しただけだったのである。その中間にいたのが、現在カデットないしブルジョアと呼ばれる〈ロシアのヨーロッパ人たち〉で、彼らは個〔人〕の自由を擁護した。
 しかしながら、ナロードも同志も、ロシア国内ではその自由に正当性を見出さず、常にカデットを憎悪し続け、ついでその憎悪の対象(非難の矛先)がヨーロッパ化したインテリゲンツィヤに移ったため、今ではインテリたちもゴリラの餌になってしまったのである。
 したがって、ゴリラ出現の因が「同志プラス正教徒」にあるのは間違いないのだ。
 「われわれはみな同志であり正教徒なのであります!」
 要するに、同志たちの見える城市も正教徒たちに見えざる城市も同じものなのだ。ただその信者たち僧院の門はあまりに狭く、みな一緒に同時にとはいかず、大天使アルハーンゲルに一人ひとり名を呼ばれて入るしかない。
 その肝腎なことを、同志たちは怠ったのである。正教徒たちはその道をともに歩き、見えざる城市の死の狭き門を個々別々に通っていったのに、同志たちは全員を何の準備もなく煉獄さえ無視して一緒くたに通してしまったのだ。

カトリック教会の教義。生きているうちに犯した罪の償いをせずに死んだ人の霊魂が贖罪を果すまで、火によって苦しみを受ける場所。天国と地獄の間にあるという。正教会は煉獄を認めないので、〈同志〉が正教徒ではないことを暗に言っているのか?

 人びとが教会に行って奇蹟者のイコンに口づけするさまをよく目にする。それぞれその前に身繕いをし、整然と列をつくり、自分の順番が来たところで、恭しく心こめて口づけをする――それも必ずや自分らしく独特の仕方で。
 『われわれはみな平等だ!』と〔誰しも〕言うが、その平等とはどんなものだろう? 信仰心の厚い男が恭しく列に並んでいると、前から押され後ろから圧されて、倒れらたそれこそ大変、踏みつけられて、最後にはとんでもないことになってしまう。そんなふうにして見えざる聖なる城市(グラート)は汚され冒涜されたペテルブルグとなり、人間はゴリラになったのだ。
 自分はそんな同志たち正教徒たちを教会や街中でよく観察した――どこでも同じだった。何もかもが美しく始まったのに、突然みんなが、おおこれはみなおれたちのもの、この町、この都、黄金に輝く壁を持つこの壮麗な宮殿はみなおれたちの財産なのだとしみじみ感じて、天にも昇る心地なのだが、そのあと全員が一斉に駆けだした――神聖な〔そのわがもの〕の何たるかも知らぬまま、突進し、まず〔真っ先に〕城市(グラート)の壁から黄金を剥がしにかかったのだ。だが、その黄金を手に取ってよくよく見れば、なんとそれは誰も欲しがらぬ、ただの被せ金(めっき)!
 燭台も黄金ではなく銅製であることが判明した。
 城市(グラート)の扉を押し開いた者たち自身がまず驚いて、こんなふうに言っている――なに、すべてはナロードの無教育の賜物さ。いつだって泣き喚いているじゃないか。その暗愚、ナロードの暗さを単なる無教育・無教養のせいだぐらいにしか思っていないのである。
 だがわれわれは、教養と教育が外見上ひとをより立派に見せていることを知っている。読み書きできる人間が祖国を裏切ったこと、祖国をドイツ人の為すがまましてしまったことを、知っている。
 いいや、足りないのは教育ではなく教化啓蒙だ。不足しているのは聖なる血による新たな洗礼、新たな聖水による灌ぎ〔灌水〕なのだ。正教徒たちは生き方こそ下手だったが、死に方は立派だった。一方、同志たちは良き生活の準備をせねばならない。そしてそのためにはやはり個が煉獄を通らなくてはならない。

 さらにイワン・ワシーリエヴィチとわたしは敗北主義について語り合った。われわれが共有する思想はこんなものだった――鞭身主義(フルィストーフストヴォ)〔(十六)の編訳者の参考メモ(1)〕と正教会の関係が敗北主義とロシアの国家の関係と同じであること。そしてフルィストーフストヴォがラスプーチンに向かったように、敗北主義はトロツキイに向かうだろうということだった。
 敗北主義の原理の一例を、われわれは、父親の財産を蕩尽して『娘たちよ娘たちよ、わしを責めるがいい、今のわしはただの一新兵にすぎんのだから!』と言った(とかいう)ノーヴゴロド商人のアルチューシカに見ていた。

 メシチャンストヴォ〔下層市民階級、町人、俗物根性〕。ドン・キホーテは寂しがっている。あるときドン・キホーテは独りになる――サンチョがどこかへ行っていたので。水汲みにでも行ったのか、薪割りにでも行ったのか……

11月1日から2日にかけての深夜。

 見張り番。武器ならどんな武器でもあった。黒い鉄の門。モスクワはすでに壊滅状態。ケーレンスキイはどこかへ退いた。南からはカレーヂン〔前出。カザークのアタマン〕。兵舎にはゴリラども。ゴリラにはボリシェヴィキもエスエルも必要ない。必要なのは約束の履行だ。ボリシェヴィキが勝利したのは、彼らがインテリゲントではなく、直接兵舎と工場に働きかけて関係を結んだため――エスエルみたいに書斎で手を拱いてはいなかったからだ。

11月2日

 ユダヤ人のヴェーラ・スルーツカヤの葬儀。オーケストラ付きで葬られる(赤い棺)。公衆はいかにも汚らわしいものでも見るように葬式を眺めている。こんな声を聞いた――
 「またパフォーマンスだ、こんなの誰に必要なんだ!」
 「悪魔どもの葬式さ」
 四月の弔いと比較すべし。

ヴェーラ・クリメーンチエヴナ・スルーツカヤ(ベルタ・ブロニスラーヴォヴナ)はボリシェヴィキのペトログラード委員会委員(1874-1917)。

 ジェーニャとカーチャとソーニャが、ロシアのマラー*1は誰なの、とわたしに訊いてくる。それも再三再四。それでやっとその理由がわかった。女の子たちはシャルロット・コルデ*2の役を演じたいのだ。

*1ジャン・ポール・マラー(1743-93)はスイス生まれのフランスの政治家・医師・物理学者。アンシャン=レジームの矛盾と絶対王政の民衆抑圧を批判した。革命の告発者・ジャーナリストとして活躍し、〈八月事件(1792)〉後、コミューンに地歩を固め、国民公会議員に選出され、ダントン、ロベスピエールともにジャコバン派を指導。ジロンド追放後の93年、入浴中にシャルロット・コルデに刺殺された。国家の階級性と革命の推進者としての人民の存在を正しく認識し、大規模借地の分割を唱えるなど鋭い感受性と抜群の構想力を持つ天性のデマゴーグであった。

*2コルデ・ダルモン(シャルロット)はマラーを暗殺したフランス人女性(ノルマンディ出身)。ジロンド党の影響を強く受け、マラーを専制者・祖国の敵と信じてパリへ。1793年7月に彼を暗殺。4日後、ジャコバン党員らにより処刑(ギロチン)された。古典劇詩人コルネーユの子孫。

 3月からこの方、ほとんどの革命家たちはそんなふうにフランス革命を思い描いており、今ではあまりに熱が入りすぎて、フランス革命を演ずる俳優たちは肝腎の芝居のことなどそっちのけで互いに本気でやり合っている。

 〈人間〉という言葉の意義への疑義。フランス革命でつくられた人間についての疑念。再び猿に変身するということ。

11月6日

 〔小説化の試みと思われる〕飢えの時代の小説(ロマン)。革命初期のコーザチカと終わりのコーザチカ。勤めと食物における大混乱(ベザラーベルシチナ)。母が去って、家族は崩壊しつつある。コーザチカはあるカフカース人を〈感じのいい人〉と思っている。課長だったオクーリチ〔役人でかつての同僚〕は頑丈な男、率直で誠実な愛国主義者だが、今は勤めを離れて、地下室に籠もっている。
 わが君主制主義者の女役人は選挙人名簿を放り出して、言った――『あたしはツァーリ派ですよ!』
 一味(シャーチヤ)が焚火をした。翌朝から行列。火のついた鉋(かんな)屑を並んでいる女性たちの列に投げつける。女たちが一味に向かっていった。まったくどうしようもない。恐ろしい碌でなしども……
 曹長が赤衛隊の連中に小銃の扱い方を操典に従って教えている。彼自身はボリシェヴィキの味方でもカザークの味方でもない。どちらをも厳しく批判する。

11月7日

 ボリシェヴィキの攻勢は本質的には講和を要求する兵士たちの攻勢だ。それは崩壊した軍の最初の前衛たちの、自国に向けられた攻勢であり、そのあとで軍そのものがパンを求めて駆け出すはず。

 民主主義陣営の根本的過ちはボリシェヴィキの攻勢の何たるかがわかっていないことにある。それを彼らはいまだにレーニンとトロツキイの仕業と思っていて、それで彼らとの協定を求めているのだ。
 民主主義陣営は、〈指導者〉なんか関係ないこと、攻勢が社会主義者たちの主導によるものものではなく、ただ平和とパンを求める軍の最初の前衛たちが起こしたものであること、がまるでわかっていない。この運動が自然発生的なもので、事を起こすに必要なのが思想(イデア)ではなくスチヒーヤであることもわかっていないし、運動そのものが革命の第一日目から始まっていたこと、ボリシェヴィキの勝利が予定済みだったこと――そんなこともわかっていないのである。

 夏のころ、ワシーリエフスキイ島に薪を積んだ大型ランチが接岸して、通りの真ん中に短く切った薪を山と積み上げた。(暑いうち)この薪の山は兵士たちのワルプルギスの夜だった。今はすでに秋で、その山の中から聞こえていたバラライカのトレモロもぱったり止んで、今度はそこからときどき銃声が聞こえた。1発、2発、少し間を置いて3発と、また適当に間を置いて4発、5発、6発と音がした。きのう誰かが何のための射撃か説明していた。泥棒を働いた者たちが薪の山の中で銃殺されたということらしい。

乱痴気騒ぎ。ワルプルギス祭の前夜(4月30日から5月1日にかけての深夜)に、魔女たちがブロッケン山中に集まって魔王と酒宴を張るというドイツの伝説。

 大きな鉄製の空のタンクにネヴァの波がぶちあたって、それがどこかで大砲を撃っているように聞こえる。通行人の多くがその音に聞き耳を立てて、やはりそれを砲撃と思うらしく、ヂーカヤ師団が、いやナンとかいう兵団がペトログラード救出奪還のため前線から遣られてきたのだとか、海から艦砲射撃する手はずのナンとかいう艦隊の話を始めるのだった。また多くの人は鉄製のタンクにぶつかる鈍い波の音を上の空で聞きながらも、やはりひそひそ声で噂し合うのは、暴君(チラン)どもからペトログラードを救ってくれるのは誰かということだった。

ヂーカヤは「荒々しい、野蛮な」の意。1914年8月に編成されたカフカース土着の騎馬軍団。ダゲスタン・イングーシ・カバルヂン・タタール・チェルケス・チェチェンの6つの連隊に、オセチン人の歩兵旅団とドン・カザーク第8砲兵大隊が加わった。この師団はロシア軍の漸次的崩壊とは関係なく最後まで戦闘能力と規律を持ち続けた。コルニーロフの命令によりペトログラードへ進撃(臨時政府を廃止させ、各ソヴェートを失墜させ、革命を壊滅させるのが目的)したが、臨時政府と労働者・兵士代表ソヴェートがあらゆる手を尽くしてそれを阻止した。

 射撃音に似た鈍い波の音に耳を澄ましながら、わたしはわが建物の黒い鉄の門のそばを歩いている。同じ建物に住む住人たちを略奪者たちの襲撃から護ろうとしているのだ。狭い通路を行ったり来たりしていると、昔、獄舎の隅から隅を行きつ戻りつ*1しながら、いつ自分は自由になれるのか、いつ世界は資本家たちの権力から解放されるのか、いつ世界を解放するカタストロフィーがやって来るのか、いつエルフルト綱領*2によるプロレタリア独裁が実現するのかと、そんなことばかり考えていたことを思い出していた。

*1青年プリーシヴィンがマルクス主義者サークル(1895~96)の活動中に逮捕され(1897)、まる1年をミタウの独房で暮らしたときの記憶。

*2エルフルト綱領――1891年、ドイツ社会民主党が民主主義的な改革案を提示した綱領。

 世界的カタストロフィーがいま起こって、プロレタリア独裁が到来したというのに、わたしは昔のように牢の中にいて、撃てもしない小銃を手にうろうろしている……
 いま自分はそれ〔プロレタリア独裁〕を信じていない。カタストロフィーとプロレタリア独裁がもし起こったとしても、自分はそれは解決とは見なさないだろう。なぜなら、今では天国の門が開けられて、大天使アルハーンゲルが神意にかなった人びとを個々別々に通しているからだ。

 ときどき女子中学生のカーチャとジェーニャとソーニャがやって来て、撃てもしない小銃を抱えたわたしの軍人姿を笑う。彼女たちは買ってきたアントーノフカ〔広く栽培されている晩成種の林檎で甘酸っぱいいい香りがする〕を袋から出し、一緒に食べながら、よく笑う。きょうは3人とも、真面目な、少し青ざめた顔をしている。何か企んでいるようだ。娘たちが言う――
 「それで、誰がマラーなの?」
 その意味がわたしにはピンと来た――少女たちはシャルロット・コルデの役を演じてペトログラードを暴君から解放しようとしているのである。
 「レーニンなの? それともトロツキイ? どっちがマラーに似ているの?」
 女子中学生たちが問いただす。
 それに答えて自分は、天国の扉のそばに立ち、神意にかなう者たちの名を呼びながら個々別々に導き入れる大天使の話をしてやった。
 わたしは言った――ボリシェヴィキはレーニンとトロツキイに〔そっくりだ〕、ボリシェヴィキは解体しつつある軍の前衛なのだよ、と。
 「で、マラーはどこにいるの? 誰がマラーなの?」
 「そんなのはいないさ……」

11月8日

 彼らのうち〔の〕一人(二語判読不能)巻きタバコをくわえた南京虫がわたしの部屋に入ってくるや、いきなり政治談義を始めた――おれはボリシェヴィキのクーデタの世界的意義を認めているなどと。
 「ロシアは――」と彼は言う。「豊かな自然の恵みを巨大な遺産として有している。ボリシェヴィキは遺言を引き裂き、トランプをシャッフルして世界の全面的再分割に挑んだんだ」
 そんなことを言ってから、彼はわたしに、ある毒虫の世界的意義について語りだした。
 「南京虫は大きいか? ぜんぜん大きくないが、深夜に血を吸うから、でっかい体の人間は目を覚ます〔活気づく〕のさ」

 十月蜂起で自分の見方が確立しつつある。あれはボリシェヴィキではない、崩壊しつつある軍の、国内の平和とパンとを要求する最初の前衛なのだ。

 自分は密かに思っている――そもそも2月〔二月革命〕からして〈革命〉なんてどれもこんなものではなかったのか? ケーレンスキイがあれだけ憎まれるのは、彼がこうした雪崩の進路を斜めに突っ切ったからではないのだろうか?

 灯油の行列から戻ってきた主婦が大ニュースをもたらす――
 「レーニンがドイツに宣戦布告しようとしてるって!」
 「講和を申し込んだボリシェヴィキに対してウィルヘルムが送ってよこした厚かましい返事のせいらしいよ」

 主婦はバルト艦隊の2人の水兵を見かけたので、そのニュースを話してやったという。
 「あの水兵たち、きっと『完全勝利まで戦おう!』なんて言ったかもね」
 ナンとかいうさ迷える兵団の話を聞いた。兵団のナンバーとさ迷っている場所の名まで教えられたが、なんだかひとつも思い出せない。
 さ迷える兵団という言い方が変だった。
 子どものころ、死にかけていた小母さんのことで、大人たちが、謎めいた、あまり聞き慣れない言葉を口にしたのを憶えている。
 「あの人の腎臓はさ迷っているのよ!」〔遊走腎のこと〕
 あれはどうやら、大変な遺産を有する小母さんの死とかかわりがあったようだ。(三語判読不能)小母さんは遺書を書かずに逝った。
 わが主婦は変人だ。クーデタがあったことさえ認めず、毎日毎日ツァーリのために祈っている――皇帝がまだ生きて〔いると思っていて――〕いまだに国を統治しているかのように。そしてわたしみたいな〈教育のある〉、概して〈上等な人間〉は巧くツァーリに〈執り成してくれる〉が、店の前で行列している庶民や赤衛隊に対してはずけずけと――
 「あんたらはツァーリを裏切ったんだよ」
 赤衛隊を彼女は一味(シャーチヤ)と呼ぶ。ぐらぐら揺れる奴らという意味だ。ツァーリのテーブルからこぼれたパン屑を口に入れてる奴らは黒百人組だ、と。
 彼女には誰も手を出さない。気狂いだと思っているからだ。きょう選挙人名簿が回ってきたが、彼女はそれにざっと目を通すと、こう言った――
 「ツァーリ派の欄はどこ?」
 誰かが答える――
 「いまは共和国だよ。ツァーリ派なんかないよ」
 「でも、あたしはツァーリ派なんだ!」主婦はそう言って、選挙人名簿を放り投げた。
 彼女はケーレンスキイを憎んでいる。

 有り難いことに、きょうで門の警備から解放だ。これで夜はこれまでのことを書くことができる――ぱっとしたものは何もないが。ボリシェヴィキに対してゼネスト。さすがの〔隣人である〕画家〔ペトロフ=ヴォートキン?〕も絵を描くのをやめてしまった。彼は戦争のさ中にも革命のさ中にも描いていた――昼、日が差せば油絵を、夜は電灯の明かりの下で水彩画を。換気用の小窓を開けると、射撃音が聞こえてくる。彼はわたしの慰め手だった。それがも『もう描けない』と言う。
 外は厳寒(マロース)。雪が積もっている。こんなとき、以前なら『おお新品(アブノーフカ)だ、新品(アブノーフカ)だ!』と歓声が上がったものだが、もうそんな声も聞こえてこない。頭に浮かぶのは軍のことばかり――兵隊は飢えと寒さに参っていることだろう、と。

 電車や通りで何度も耳にするのは、『パンが2日で4分の3フントだと!』。あとは吐き捨てるような悪口、批判、罵詈雑言。
 「約束したのに、なんだ、こん畜生!」
 ネーフスキイで衰弱死した馬を何頭も見た。
 われわれにもこんなことが起こるのだろうか? 誰がわれわれを救うのか? 誰が死に瀕している母の遺産でわれわれの間を引き裂くのだろうか? 本当にわれわれは裁判まで行ってしまうのか? もし裁判になったら(ヨーロッパの)、わたしは自分の取り分を放棄する。

 才能――それは内なる自由人の生活方法(ブィト)。それは自由の家(ドーム)。
 わたしたちはみな姪のソーニャ〔例の女子中学生。もちろん実の姪ではない〕のことを笑った。ソーニャは春には革命で舞い上がり、赤旗に狂喜し、群衆とともに『起て、立ち上がれ!』を歌った。彼女のあだ名はコーザチカ。

 あるとき彼女は、砲撃のあとで、駆け込んできた。まるで有頂天である。
 「こ~んな砲弾(たま)が頭の上を飛んでったわ!」そう言って、指で直径1アルシン〔7センチちょっと〕ほどの円をつくって見せた。わたしたちは大いに笑った。
 コーザチカはもう舞い上がらない。彼女に怖いものはないが、通りで起こることはもう何もかも嫌なのである。射撃をしんから憎悪していた。いちどどっかの劇場で美しいカフカース人を見て夢中になった。恋焦がれた。一緒に通りを歩いていると、突然〈変身した〉という。歓喜にからだが光り輝いた。
 どこかで自分の伝説的カフカース人を見てしまったのである。
 おそらくあのカフカース人とは別人なのだが、そんなことは問題でなかった。あのカフカース人に似ていればよかったのだ。
 教会は人でいっぱいだ。司祭が祈っている――
 「主よ、われらが魂を鎮め給え!」
 でも、教会の柵の向こうの通りで、誰かが誰かに訊いている――
 「せめて何か協定に達したとか、そんなことはないのかね?」
 誰かが答えた――
 「奴らと協定なんかあり得ねえよ」
 教会では祈りが続いている――
 「われらが魂を鎮め給え!」
 自分も教会の柵の外で祈る。主よ、助けてください! すべてを理解し、すべてに耐えることができますように。何ごとも忘れることなく、赦すことなく。
 悲しそうな顔してコーザチカがわたしのところにやって来る。飛んだり跳ねたり、せめて歌でもうたってくれたらいいのだが。なんてったってまだ17歳! なのに、とても興奮し、眉がつりあがり、額に皺を寄せている。ロシアを救うことを思いついたらしい。しきりにわたしに――
 「今、ロシアのマラーは誰なの?」
 「きみはシャルロット・コルデみたいになりたいんだね?」
 「そうなの、そうなりたいの。マラーはどっち? レーニン? それともトロツキイ? どっちがヒキガエルに似てる?」
 「どっちも似てないけど、ひょっとして、おまえさんはもう、チンパンジーを殺すのが朝飯前のようになってるのかな?」
 「いやよ、あたし、猿なんか殺したくないわ」
 ねえ、ねえ、と娘はしつこく迫る――
 「その、土の中のヒキガエルそっくりの、本物のマラーをあたしに教えて!」
 わたしはあれこれ思いめぐらす――腹を空かせて狂暴化したこの娘をどうしたものか、と。思いついたのが、シャリャーピンのチケットを手に入れて彼女と一緒に彼の歌を聴きに行くことだった。そしてそれを実行した。娘はシャリャーピンによってようやくシャルロット・コルデが頭から離れたのだった。
 シャリャーピンの歌が少女の気持ちを変えたのか、それとも教会での祈り――『主よ、われら魂を鎮め給え!』が届いたのか、ともかくコーザチカはマラーを口にしなくなった。
 コーザチカのために(二語判読不能)嬉しい。さいわい子どもの運命の苦杯(チャーシャ)はわたしを素通りしていったが、しかしわたしはそのあと、正しく自分のために――不思議な知られざるもの、正しく本物の神(自分の信ずる神)に向かって、自分なりの祈りを静かに繰り返し祈った。すべてを理解し、すべてに耐えることができますように、何ごとも忘れることなく、赦すことなく、主よ、どうか御手をお貸しください、と。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


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