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プリーシヴィンの日記 太田正一
2012 . 04 . 15 up
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(10月14日の続き)
夢でもういちど出会い*1があった。どうもこれは墓場まで繰り返されるのかもしれない! わくわくするような冒険と告白と――でも目が覚めたら、いきなりガチャンと掛金がかけられたみたいで、起こったことをみな忘れてしまった。ただし心臓だけはまだ波打っていて、夢のヴィジョンに揺さぶられている。それはさながら海。沈む奇跡の町キーテジ*2を洗う烈しい波のよう。何もかも沈んでしまった。もう何も見えない。ただ海だけが穂先を砥いで襲ってくる。凍るようなその冷たさ! 残念なのは、消えてしまった夢のヴィジョンだ。なんとも堪らない。あれは何だったのか? 答えてくれる人はいないし、自分でもどう言ったらいいのかわからない。見えるのは海、海、海! 戻ることもかなわない、逢うこともかなわない。生きていても仕方がないぞ。もう駄目だ。こんなところでは生きていけない。とても無理。そうか、だから岸があんなに美しく見えるんだ。ああ、及びもつかぬもの、無理も、不可能も、みんな海中に隠れているんだ。
*1ワルワーラ・イズマルコーワが夢に出てきた。
*2奥ヴォルガにあるスヴェトロヤール湖、異教徒の侵入の際して、その湖底ないし湖畔の丘の地下に消えたとされるキリスト教の伝説上の町(城市)。その起源がキリスト教伝来以前の土俗的信仰にあるのか、その後この地に移り住んだ旧教徒(正教会から異端視され迫害を受けたさまざまな分離派宗徒〉たちの強い信仰心のあらわれであるのか、まだよくわかっていない。敬神の念厚き義の人は湖底の教会を見ることも美しい鐘の音を聞くこともできるという。邦訳「湖底の鐘の音」(『巡礼ロシア』所収・1909)は、プリーシヴィン自身の奥ヴォルガへの旅。
コーザチカ〔(八十八)〕は15歳と6ヵ月の女の子。ひやっとした鼻と子どもっぽいちょっと凹んだ唇をしている。どんな歌でもうたうし、自分でも作っている。
「あなたに詩をあげるわ――あなたは〔ぜーんぜん〕詩人じゃないから」
わたしはよく〔コーザチカに〕ロシアの国境(くにざかい)の話をしてやった――そこで見たこと驚いたことを。
「ロシアはびっくりするほど広いんだ、わたしは国中を旅してる。この国がどこで終わりほかの国がどこから始まっているか、正確なことはわたしにもわからないんだよ」
「どうして?」と彼女。「地理は? 地図はある?」
「ほら、こっちがロシアの南」と、わたしは続ける。「レールモントフのカフカースだね、こっちが嵐のカスピ海。ここから黄色い砂漠が始まる。砂丘に囲まれた湖があるんだ。湖の岸にはフラミンゴという鳥がいて、その先もやっぱり黄色い山、黄色い大地、どれもきれいだけど、見上げる空はどこまでも青い。それとそよともしない大気、炎熱だ。黄色い大地はもう動かない、どうもそこが地の果てらしい……」
「ああ、パミールね!」コーザチカが言う。「ケードル〔セイヨウスギ〕の森に囲まれた高原ね。だからパミール〔世界の屋根〕って呼ばれてるんだわ」
(山羊(コザー)の目をして、鼻がひやっとした可愛いコーザチカは、生きがいを求めてヴォルガを旅しよう――そう思って、毎月3ルーブリ貯金している)
われらがペテルブルグの生活は〈敵意に満ちた旋風〉*1で、そこへあらゆるものが屑やガラクタみたいに巻き上げられていく。なんだか夢でも見ているようだ。知人も、肱掛椅子も、教会も、御者も――どれもありれた現実の確かな対象には違いない。しかし溶融してしまった日常生活の地は大きく色を変え、恐ろしいまでに波立っている。旋風を巻き起こしているのは槍を手にしたドゥーフ*2のごときものであり、まわりの者がみなそいつとつるんでいるのだが、大衆(マス)には、そのドゥーフの主義(原理)に唯一対抗できるのが〈霊的なるもの(ドゥホーヴノエ)〉であることがわかっていないのだ。
*1「ワルシャワ労働歌」――1831年のポーランド反乱当時の愛国歌の一節。第一次ロシア革命のとき広く愛唱された。ポーランドの詩人ヴァツワフ・シフィエンチツキの詩をロシアの作曲家クルジジャノーフスキイが作曲(1897)。
*2ドゥーフ(дух)とは、精神、気、気力、元気、息、呼吸、霊、霊魂、幽霊の総体。また「法の精神」の精神、「時代の風潮」の風潮など。台頭するボリシェヴィズムの恐るべきスチヒーヤのこと。
槍を手にしたドゥーフに対抗するさまざまな組織や協議会や党がつくられた。そいつに対してどれだけの住民が反対しているかを数字で証明しようとするが、どうにもならない。数字による証明も、分別ある者たちによる説得も協定も、まったく役に立たない。明々白々な相互誤解のためである。
数十万の人間が斃れた戦場から吹いてくる風……天寿の半分も全うできなかった数十万の生命は大地を離れて、風となり嵐となって、われわれのいつもの生活秩序をかき乱す。こちらはうろたえるばかりで、自分たちのより価値ある未来を、そんな不安定なドゥーフどもに見せつけてやれない。対抗できないのである。『為すべきは祖国防衛!』――これがわれらがメシチャンの〈立場〉なのだが、その息の根をとめようと、ぐるぐる頭上を嘲り舞っているのが〈闘う旋風〉である。
アパートの管理人が「株式報知」を手にしてやって来て、拳銃を買ってたほうがいいなどと言う。広告には250ルーブリと出ているそうだ。
「拳銃なんかぜったい携帯しないし、わたしはそういうやり方を憎んでいる」
「わかった。でも、あす、ここに強盗どもが押し込んできて、みんなの見ている前で女たちが乱暴されるかもしれんよ」
いや、できない。駄目だ。それは自分にとって屈辱以外の何ものでもない。そこまで堕ちることはできない……拳銃なんか!
「あなたは従軍したじゃないか。軍隊と一緒に占領下の町に足を踏み入れたのでしょう? なら、家々の窓敷居に並べられてる聖者のイコンに自然に目が行ったはずだ。キリストの磔刑図が花と一緒に飾られて、チュールのカーテンが垂れてたはずですよ。ああしているのは、銃の撃てない、いや撃ちたくない人間たちなんですよ」
そういえば、たしかに、占領地の家の戸口には十字架が下がってた。窓にはイコンが置かれていた。そしてふと頭に浮かんだのが、このアパートにもユダヤ人とムスリム人が数家族いて、当然、彼らのとこには正教のイコンがないということだった。そうなんだ、このままじゃ自分は彼らを破滅に追いやりかねない。
どうしよう?
それでもこんなとき、ひとは、ぼんやりとではあるが、心の深いところで、目に見えぬ聖なるキーテジの、祖国防衛の守護聖者(敢えて名は挙げない)の聖物〔イコン〕のようなものを思い浮かべるのではないか。
わたしは信じている――真(まこと)の都には真の道があることを。そこには人の手によらぬ美が、われわれのと同じ〔イコン〕がきらきら輝いている。イコンは血塗られても、糞尿にもまみれてもいない。大地は花畑。ダイヤやルビーやトパーズの光を放っているのだ。なのに、われらがドゥーフの外皮はと言えば、紙上の生命なき言葉と嘘さむい流言蜚語にびっしりと覆われている。
友よ、同志よ、世界の人びとよ、われわれはあんな言葉で喋りはしない。あれでは言葉は、烈しくぶつかり合って宙に巻き上げられた石ころか砂のようなもの。われわれの歩む道は別にある。唯ひとつの道がある。
上京してからふた月ものあいだ、自分はあちこちの集会や公共の喋り場(ゴヴォリーリニャ)で話されていることに注意深く耳を傾け、記事を読み、ともかく言葉という言葉をいっぱい蓄えた。と同時に、わが魂は、破滅を免れんとして死のトスカの中で必死にもがいたのであった。いいや、友よ、同志よ、世界の人びとよ、われわれはあんな言い方もあんな書き方もしなかった。あんな言葉はどこにもなかった! もうわれわれの言葉はただの砂粒、生命のない石ころになってしまったのです!
こうした状況から一幅の絵画*をものしようと、自分は画材を集め、言葉を拾い、その言の葉の一枚一枚に糸を通していく。きょうもいつもどおり仕事を進めているところへ、店の行列から戻ってきた家主の声。彼は恐ろしいことを口にした。自分は仕事を中断して、まずその話を新聞に書きたくなった。しかし、自分の言葉は死んだ石ころである。あれは要らない、これも要らない。ではどうするか? 「株式通報」を手にした家主は、これはどうしたって拳銃を買ったほうがいい、とそればかり言う。
「どうしてあなたはそうしないのか?」
*「わたしの言葉による絵画の始まり……」これは、小品「ひかりの都(まち)」(『プリーシヴィンの森の手帖』所収)の一行。
10月22日
落ち着かない。なんと居心地の悪いこと! ウユート〔快適な場所〕の消滅だ。「土地と自由(ゼムリャー・イ・ヴォーリャ)」の夢より心地よい場所はない。大地に腰を下ろす者にはウユートがなく、大地を去る者にはそこをウユートのように思い出す。だからそこへ帰りたいと思う。帰りたくて仕方がないのだ。
レーニン〔初出〕のような革命のドゥーフは、官僚主義のドゥーフと縁続きである。血が繋がっている。レーニンのドゥーフも官僚主義のドゥーフも生命から切り離されている。それでウユートの破壊に血道をあげるのだ。
革命とは〈おまえ(ты)〉の廃止でもあり、〈あなた(вы)〉の廃止でもある。
レーニンはそれを通過させる。
官僚たちと同様、レーニンの革命も地上の人間の暮らしにとって絶対に欠かすことのできないものを等閑に付す。あるいはウユートの名において、あるいは革命の名において。ウユートと〔高邁なるボリシェヴィズムの〕志向――これは駄目だ。総数。個の等閑。レーニンは個とウユートをごたまぜにする。レーニンおもて(顔)の生活はメシチャンだ。もし自分がレーニンから個を守ろうとすれば、ウユートを欲する人びともみな自分と同じ行動をとるだろう、でそのあとはまた予定調和の到来だ。
10月28日
状況確定の日〔ボリシェヴィキの政権奪取〕。抑圧された憎しみが公憤に取って代わろうとする。『これは冒険(アヴァンチューラ)だ、冒険主義者だ!』。アヴァンチューラの裏の顔。こんなことを誰が始めたのか? 自分自身への! アヴァンチューラだ、アヴァンチューラだ!
恐怖の第一日目。『何も起こらんさ』と同じことばかり繰り返す者。『今は何もない、そのうち、いや、大丈夫、何も起こらんよ』。
一味(シャーチヤ)――赤い親衛隊(帽子を後ろにずらして被り、靴の前半分には底がない)。黒百人組(極右反動)の果てである。〔曹長が言った――〕
「一味がおれに襲いかかってきたが、こう言ってやっよ――『ああ、おまえらは揃いもそろって碌でなしだ、ツァーリを売った碌でなしだよ。ツァーリがおまえらに何か悪いことでもしたか?』」
『ボリシェヴィキがやられたんだ!』
『ほう、そいつあ、ありがてえ、じゃあ、いよいよツァーリのおでましってわけだな』
ネーフスキイ大通りで行き過ぎ(エクスツェス)。発砲と赤犬〔赤い親衛隊〕。
犯罪と民衆。今や〈完全に道を失っている〉。ネーフスキイで厄介なことが起こった――ミーチング、一味の武装解除。ドンパチ。
曹長が一味について語る。
「そいつは遊底の閉じ方も知らんから、銃を取り上げて、言ってやったよ――『おいおい、小銃は武器なんだぞ。兵士の要諦にそう書いてあるだろ、そんなこともわからんのか?!』
「慈善箱を手にし、〔銃の〕白い負い革を十字にかけた男だが、そんなの、おたく、どっかで見かけなかったですかな? 疲労困憊なんだが、なかなか品がいい。肩に白い負い革をかけて慈善箱を手にした男なんだが、そいつがずっとわしのあとを尾行てるんだ。どこに行ってもそいつがいて、必ずこんな演説をおっぱじめる――『同志のみなさn、個人的な利害は忘れましょう』。そして最後にこう言って終わるんだ――『そういうわけで、もう自分のことばかり考えるのはやめようではありませんか』」
電気が、消えたと思うとまた点いて、点くとどの家でもベルが〔轟きわたる〕。
何が起こったか、それが何を意味するのか――わからない。わからないから、人が集まっているところへ出ていく。すぐに合点がいく……原因は明らかにドイツだ、ウィルヘルムだ、つまりボリシェヴィキがやって来たのだ。ボリシェヴィキはよその国の政府。
わがアパートの住人、住宅委員会の〔メンバー〕は、黒百人組の組員である果実商、コルニーロフを支持する女、君主制主義者〔のマリヤ・ミハーイロヴナ〕、エフロス・アント〔これは名と父称のみ。エフロシーニヤ・アントーノヴナ?〕とその〈一味〉。
曹長が言う――『ところで、ほかの国は和睦に向かうだろうな』
10月29日
郵便配達夫――『カザーク兵が、真夜中に、赤衛隊を斬殺したよ』
「ノーヴァヤ・ジーズニ」と「ヴォーリャ・ナローダ」が前線の状況についてまったく逆のことを報じている。
ケーレンスキイ自身が指揮を執っているのはまずい。〈ケーレンスキイ〉の名は聞きたくないと、どの党もこぞって反発。
個々に要求(党の)を出すのはまだ早い。「ノーヴァヤ・ジーズニ」で、現にポグロームがあり〈ブルジョア〉新聞がだんまりを決め込んでいるときに、〈〔異〕分子〉排除の記事を読むのは滑稽だ。
ボリシェヴィズムは党同士の無意味な敵意を生んでいる。ボリシェヴィキは言葉の澱(おり)だの滓(かす)だのをかき混ぜていよいよどろどろにし、カザークは相変わらず〈祖国防衛〉の一点張りだ。つまりは、条件を押しつけるやつが勝利者になるのだ。
そもそも支配的な二つの党――社会革命党(エスエル)と社会民主党(エスデー)が大変動(ペレヴォロート)のしょっぱなから対立抗争しているのである。エスエルは今、ボリシェヴィキの敗北に乗じようとしている。舳先を、統一にではなく新たな解体(崩壊)に向けているが、(ほかにも大きな勢力が……)台頭しつつあるのが第三の勢力のカザーク軍団だ。
10月30日
以前は、〈進歩思想の持ち主たる〉わが老人たちがなぜ「ノーヴァヤ・ジーズニ」をあれだけ嫌い、新聞自体にあれだけの憎悪を抱いているのかわからなかったのだが、今では自分自身が「ノーヴァヤ・ジーズニ」とそのすべての偽善の種*をしんそこ憎んでいる。これ以上続くなら、政治的憎悪が心を毒するだろう。だから今は、以前のように〈自分は党より高いところに立っている!〉と口に出して言うことだ。
*偽善の種=「イウードゥシカの種」。イウードゥシカとはサルトゥイコーフ=シチェドリーン(二十一)の長編『ゴロブリョーフ家の人びと』(1875-80)主人公のあだ名。残忍や背信を見せかけの親切で隠す奴の意。イウーダ(ユダ)から。
〔電車で。〕こんな声が飛び込んできた――
「すべては真実(プラウダ)のためと言う奴もいるし、やっぱし金しかねって言う奴もいる」
国会にはボリシェヴィキへの寛容さが出来つつある。ぬかるみということだ。マリヤ・ミハーイロヴナは絶望のきわみにある。
「あたしはジロンド党*に入るよ」
「ジロンドだって!? マリヤ・ミハーイロヴナ、カデットに行くべきだよ!」
「どうしたってジロンドだわ!」
*フランス革命当時の商工農ブルジョアジーの利益を代表する、穏健な共和派の政治団体。反革命に妥協的だった。指導者のうち3人までがジロンド県の出身だったことからこの名がある。ジャコバン派と対立し、1793年に敗退。
ケーレンスキイのことは噂にも聞かなくなった。罪深い男だ。わたしは、彼が殺されることを、彼の軍隊が伝説をつくって(無駄話は要らない)本格的に突っ走ることを、望んでいる。われわれは同意による不同意にさんざん苦しめられてきた。党を超えた何かが求められている。
ボリシェヴィキは党ではなくドゥーフだ。党間の衝突と言論の無力から生まれたドゥーフだ。この暗く陰気なドゥーフを吹き飛ばすには、大地のドゥーフが起って、すべてを浄化しなくてはならない。
国会を辱しめたボリシェヴィキの行為は償われなくてはならない。償われなければ、われわれに祖国はない。なのに、こうした怒りに対して〔国会は〕妥協の提言で応えようとしているのだ。
モスクワの噂を隣のお嬢さんが話してくれた――
「クレムリンに居坐っているのはボリシェヴィキですけど、ヴォロビヨーフの丘〔雀が丘〕はメンシェヴィキが占拠しています」
同じようなことはしばしば耳にした。
「ヴォロビヨーフの丘はメンシェヴィキだってよ」
「あした肉を買いに行けるかしらね?」わが家主の主婦が言う。「あしたは闘争があるらしいけど」
「行かんほうがいい」
「そうね、状況は……」そう言ってキッチンの方へ行きかける。「知事の時代よりずっと悪いからね」
夕食が運ばれてきた。主婦がまた同じことを言う――
「出かけようかしら?」
「出ないほうがいいよ。見たくないものを見てしまうから」
「わかった。どうなるか見ていましょう」
わが主婦は君主制主義者だ。かなり醜い面相の持ち主なので、誰もが魔女か気狂い女みたいに彼女を怖がっている。赤衛隊に対してずけずけ真実が語れるのは彼女だけである。
〔ワシーリエフスキイ島〕14条通りのレーミゾフの家へ走る。なんとか通り抜けられた。検問は鉄の門の小窓越しに行なわれている。よく見ると、住宅委員会の武装兵が持っていたのは猟銃である。どの建物も小さい要塞だ。明かりの点いたアパート、サモワール、古くからの友人、知人、愛する人たちのいるところから夜の闇の中へ出て行くのは、本当にぞっとする。背筋がゾクゾクしてくる。黒インクのような闇。小雨が降っている。すれ違う人もほとんどいない。自分の家に帰るだけなのにいちいちびくついている。鉄の門越しにときおり夜番の声が聞こえてくる――こっちには6連発銃があるんだ、いいか、こいつは……」
なんと恐ろしい生活だろう! 「主よ、慈しみ給え!」教会で人びとは祈っている。
編集所できょう聞いた――「ヴォーリャ・ナローダ」を売っていた女が殺された、新聞は没収され、ネーフスキイで焼かれた、と。
無事に帰宅できたと言って喜んでいる。主婦が話している――
「これから、あたしたち、どうなるかねえ?」
「何も聞けなかった。どうなるかわからん。あしたには終わるかな」
「肉を買いには行かない。どうなるか、様子見だわね」
レーミゾフのところにセミョーノフ=チャンシャーンスキイ*1が来ていた。お年寄りらしく教訓的な話し方――彼が発見した新しい真理について語る――
「われわれは現在、クロムウェルとフランス第一次革命の時代におるわけだが、彼ら〔ボリシェヴィキ〕はプロレタリアの共和国を始めようとしているんだ。われわれに必要なのは――十月宣言*2で提唱されたもの、すなわち個人の〔自由な〕権利のための革命なのです。社会主義というのは個人の自由の正反対(アンチポード)ですよ」
*1セミョーノフ=チャン=シャーンスキイ(アンドレイ・ペトローヴィチ、1866-1942)は動物学者、昆虫学者。高名な地理学者のはピョートル・ペトローヴィチで別人。
*2十月宣言、または十月詔書。1905年の革命の頂点をなす10月ゼネストのさなかに、それに対する譲歩としてニコライ二世が出した詔書。1905年10月17日に出された。動乱を速やかに終わらせるために、内閣制の採用し、人格の不可侵、良心・言論・結社の自由を住民に与える。国会選挙権の拡大、国会の〈承認〉を受けない法律は無効とする、国会議員には政府の行為の適法性を統制する可能性を与える。この詔書によってロシアは立憲制へ前進することになるが、実際は矛盾だらけだった。プリーシヴィンは1905年11月26日にルポルタージュ「村の十月一七日宣言」を書いている。
「火から逃れて炎の中へ〔一難去ってまた一難〕。帝国教会の拳を逃れて社会主義の拳の下へ、個人の自由は素通りだ。
そういうわけで、今は、学者、哲学者、芸術家など、ものを考える多くの人間は自宅に引き籠って、考えて、考えて……思案投げ首だ。
しかし最後は動物の〔本能的な〕喜びで終わるにちがいない……1フントの砂糖がたまたま手に入れば、ただもう狂喜して、あのころは良かったとツァーリ時代を懐かしがるだろう。
10月31日
なんという名の神様かわからないのだが、ずっとこれまで相談に乗ってもらっていた神様。何かあるたびに取り縋(すが)った、あの導きの神……
言葉と伝説。1789年のフランス革命が生んだ人間が、世界戦争の所産たる動乱(スムータ)のロシアで、またまた猿の状態に戻ったのだという、言葉。あるいは人間の先祖が猿であることをロシアがどのように証明してみせたかという、伝説。
イワン・ワシーリエヴィチ・エフィーモフ〔隣人でコーザチカの父親〕との対話から。ゴリラが直立した!
ゴリラが真実を求めて立ち上がった。
電車の中で烈しい言い争い。誰かが真理を烈しく擁護し、ケーレンスキイを泥棒だと言っている。
「それじゃレーニンは盗まないんかい?」反駁する少々弱気な声。
「レーニンは釈明なんかしないさ。彼を見習ったらいい!」
その口喧嘩がそのあとどうなったか、わからない。唸り声のようなのが聞こえてきたので、わたしは人を押し分けて、真理のために唸っている男の方へいった。なんと、そこにいたのはゴリラだった。
「そりゃ乱暴だ……」
「つべこべ抜かすな、血を見るぞ」
誰かがいかにも弱々しげな声で――
「同志のみなさん、われわれは正教徒じゃありませんか!」
ゴリラは静まらず、さらに狂暴になって、どっかへ突っ込んでいった。
わたしとイワン・ワシーリエヴィチは、あのとき聞いた『同志のみなさん、われわれは正教徒じゃありませんか』という意見について、一晩中語り合った。
〈同志のみなさん(タワーリシチ)〉と正教徒(プラヴァスラーヴィエ)はまったく別のカテゴリーに属すること、したがってこれら2つの異質なフレーズの結合がはなはだ奇妙に感じられたこと。両者の間に誰かがプラスの記号を置いた(同志+正教徒)ので、ゴリラが怒り出した――そんな気がした。
問題はそこである――勤労者の団体と信仰者の団体をひとつにすると、なぜ同志も正教徒もゴリラになってしまうのか? イワン・ワシーリエヴィチとわたしの討議はもっぱらそこに集中した。
われわれはボリシェヴィキの兵士たちが犯した数々の裏切り行為、ペテルブルグでの乱暴狼藉はいちおう脇に置き(二次的なこととして)、ともかく彼らの本質――すなわち兵隊たちが単純素朴な、ろくに読み書きもできない農民出身であること、教会の決定的影響の下に育って、何かわからないがより高きもののためには個を圧し潰さねばという思想を頭に叩き込まれた連中であること――その側面だけを取り上げて論じ合ったわけだが、詰まるところ、それは、ドストエーフスキイが〈耐えよ、コンスタンチノープルは……〉と慰めた「虐げられし人びと」なのである。
もちろん、この言葉は即「行動」ではない。コンスタンチノープルのことなど誰も知らないし、それが何のためにわれわれに必要なのかもわかっていない。肝腎なのは、その言葉がある種の精神状態〔モラル〕を、何かみなに共通する大いなる真実(そのためにここ数年の間に10万もの人命が失われたのだ)の意識を生み出しているということだ。したがってこのコンスタンチノープルの都を〈見えざる町キーテジ〉と呼んでもいいのである。
誰がどんな独りごとを言ったとか、わたしが信者かそうでないかとか、教会に祈りに行くか行かないかとか、そんなことはどうでもいいのだ。問題はいかに生きるか、だ。醜い生き方はまったく問題外、ぜんぜん誉められたことでない。いずれにせよ、そんな生き方は非難され、こう言って弾劾されるだろう――「イスカリオテ〔のユダ〕はあの見えざる町キーテジの裏切り者なのだ」と。
畢竟(ひっきょう)するに、われわれは正教徒なのである。
言い方を換えれば、われわれは同志なのである。やはり〈Я(ヤー)〉ではない、〈Мы(ムィ)〉だ。なぜなら、そういう人たちはみな――革命婆さんもヴェーラ・フィーグネルも、来るべき国家のために個を振り捨てて苦行者の道を歩んだのだから。
最近、こんな話を聞いた――フィンランドでレーニンがどうしても美術館に行きたくなったが、それがどこにあるのか知らなかった。そこで知合いの誰かに訊く前にこう言ったという――『ただし〔このことを〕誰にも言わんでくれ……』と。
レーニンは芸術を愉しめる男だみたいな話はするな、というわけだ。
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