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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 03 . 20 up
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8月4日

 こうした肉体労働にはわれわれ〔百姓でないがわれわれ〕にはとうてい達し得ないものがある――それは自分の〔今している〕仕事がこの上なく大切かつ厳粛なものという意識〔あるいは自覚〕。それなしには、市場で最後まで、つまりパス無しで最後まで競り合うこともできないような……なにか堂々としたもの。はるかな遠い日に、腰の悪い〔わたしの〕乳母は、ミルク壷を抱え、痛む足を引きずるようにして、いつもの自分の小道を氷室の方へ歩いていく。どう言えばいいのか、その後ろ姿の、おおそれにしても、それはなんと厳かな聖務の執行であったろう!

 わたしの母は、自分の巣を出てザドーンスク*1あるいはオープチナ僧院へ向かうたびに、別人のようになった。わがナロードもそうで、旅に出る――それだけで人間が変わってしまうのである*2。今はわれわれインテリゲントも民衆の心とその一部を受け継いで、その広さその寛大さでもって異邦人たちに感動と衝撃を与えている。われわれは今、文学、芸術、地下政治の各分野から一介の旅人(巡礼)としてこの民族貪婪のもつれ合いの世界に足を踏み入れたのだ。そしてまさにそこで世界平和の道を説き伝えようとしている。

*1エレーツ市の南東に位置する町。有名なザドーンスク聖母修道院がある。

*2変わる(преображается)――ここではキリストの変容(マタイ伝17章2節、ルカ伝9章28〜36節)と同じ言葉。十二大祭の一つである変容祭(主の顕栄祭)はまもなくやって来る(旧8月6日)。

 ロシア民衆の特徴を言うなら、それは幸運成功時の自画自賛〔手前味噌〕に尽きるが、その根っこには単調な日常生活における自己嫌悪がある。

 わが生活にまったく欠けているもの――平凡な喜び。

 半未開の状態にある。書斎にヒヨコたちが侵入し、テラスには馬の首輪を置いている。自分は脱穀場で眠り、届けられた新聞はすぐその場で読んでしまう。

8月7日

 村のキリスト変容祭は、まるでヴォトカ専売店での騒ぎのように過ぎた。酔っ払い同士の喧嘩。発砲さえあった。取っ組み合いが始まったのは午餐のあとすぐ、教会と警察署のまん前で。ナイフまで抜いた。分署に警官を呼びにいったところ――
 「行かん行かん。行ってどうなるもんでもない」
 結局、射ち合いになった。耳を聾さんばかりの銃声。小さい女の子を死ぬほど怯えさせてしまった。
 一日、村に行かなかったら、またいちだんとひどくなった。ガキどもがうちの畑で勝手に馬に草を食わせていたが、誰も追い出そうとしない。年寄りたちもこちらに手を貸す気がない。
 「みんな、どっかに向かって動いてるんだが、それがどういうことになるのか、まだわからん」
 「自尊心てやつさ。こいつが自分の何かに目覚めたどっかの婆さん〔革命婆さんのブレシコ=ブレシコーフスカヤ?〕みてえになっちまったんだ」
 モレーヴォでは収穫されたライ麦がすべてサマゴンに変わって、〔それでも足りずに〕われわれのとこにまで〔ライ麦を〕借りにくる始末。
 「ケーレンスキイは何を得ようとしとるのか? 栄誉だろうよ、まあそれはそれでいいもんだが、でも栄誉はライ麦とは違うぞ。ライ麦は食っちゃおしめえだが、栄誉は残ろう。キリスト様もそうだ、いまだに忘れられんほどの栄誉を得とるんだ」

 所有について。所有とは人間を縛りつける杭(くい)だ。それも、自分を思うほどにこの世のことすべてに心くばりができるようになるまで責め続ける杭である。なぜなら、それが所有制の遺訓であるから。おのれを愛するがごとく物質世界を愛せよ。モノについてのこの戒めはブルジョア世界にも社会主義世界にも同様に伝承されている。
 去年伐採した森のうち全部で8デシャチーナがオヴラーグで地域全体を侵食から守っている。窪地の多い疎林であるにもかかわらず、その価値は私的であると同時に社会的である。先祖は百年の間ここに森番を置いてきた。どこにでもあるようなそんなオヴラーグがちゃんとした収入をもたらしていたのだ。そんな土地を村委員会がこの春、これは国家の所有物と言ってきたわけだが、今ではそこに積んであった薪の山まで運び出された。薪が無くなると、今度は村の女たちが草を取りに入って、草だけでなく若木まで刈り取ってしまった。そのあと馬の群れまで放ったから、いよいよ若木も若草もめちゃくちゃになった。わたしはひと夏、闘った。村の寄合いでも頭を下げ、年配者たちにも頼んで回ったが、どうにもならなかった。さんざん踏み荒らされて、もう手の施しようがない。  若芽を守りながらいつも言い聞かせてきた――もうこれは自分のものではないけれど、自分はみんなのものとして守っていくのだ、と。でも、そんな話を誰がまともに聞くだろう。私的所有の感情を味わったことのない〔そういう教育なり生活環境を知らない〕人間には、社会的共同所有がいかなるものかがわからないからである。
 個人としてはわかっている。でも、持ち主が40人もいる土地には手を出せん――『そりゃ駄目だ』とはっきり言う。
 そして口裏を合わせたように――『このままじゃ駄目だな、権力みたいなもんが必要だ』などと言う。権力を認めているのだ。
 「同志諸君! 権力はわれわれ自らのうちにあるのです」
 「てことは――」と、みなが言う。「わしらにゃ無いってことだな」
 村が自らを管理できないのは確かだ。なぜなら、村ではみんなが身内だし、権力は余所者(よそもの)と思っているからである。たとえば、この村ではキャベツと胡瓜がまったく手に入らない。隣家の子どもたちや子牛が踏み荒らして、まともに収穫できないのだ。畑を踏み荒らした者には罰金を科したらどうかと提案してみたが、通らなかった。
 「そんなことすりゃ――」と彼らは言う。「刃傷沙汰だぞ」
 村は狭い。身内同士ですべてを分配し直したので、〈権力は血縁者を愛さない〉、〈権力には親戚がいない〉と誰もが思っている。
 だからメシコーフのような男が代表に選ばれたのだ。知性のかけらもない元刑事犯は住む家どころか杭の一本も持たないが、ただ依怙贔屓をせず公正(プラウダ)を第一に考えるということで選ばれたらしい。でもまあそのプラウダの正体だってはなはだ曖昧なのである。いったい彼は何によって生きているのか? ただの浮世離れした空想家ではないのか? 考えてみれば、権力だってずいぶんこの世離れしている。

 われわれは何かを待っている――何かの決定ないし事件を期待し、同時に誰もが何も起こらないと感じている。

 不幸不運の因は、われわれの革命が(その根底において)世界で最もブルジョア的なものであることに在る。所有者の革命ではなく所有者になりたいと願う者たちの革命なのである。それら未来の所有者たちは社会主義の公式(決まり文句)を連呼して現在の所有者たちをやっつけ過ぎたから、やっつけられた側は地下の穴倉に隠れてしまって、今ではまったく回復不能の状態で、ただひたすら神の国に視線を走らせるばかりである。
 初めのうちはそれでも土地所有者を不愉快にさせただけだが、そのうち国家(ネイション)の団結をと呼びかけ始めた。やっつけられた側はそれを拒絶した――社会主義者などよりドイツ人のほうがよっぽどマシなので。

 あるいはひょっとして、心の底ではプラウダの何たるかを知っているのかもしれないが、しかし恨みは深い、頑なにすべてに逆らおうとするほどに。ドイツ人なんかどうでもいい、クソ喰らえ! とにかく秩序だ、秩序が戻ってくれたらそれでいい。望むのはそれだけだ。

 どの新聞も書いているのは、嘘と皮相なことばかり……

 いま社会生活自体が戦線離脱の様相を呈している。みんなが逃げる、免れようとしている。一方、政府は必死で団結を呼びかけている。前線では逃亡者を機関銃で引きとめているが、こちら〔銃後〕も似たようなもの。避けられない。逃亡は暴力的手段でを阻止しなければ……必要なのは残酷な独裁制だなど言い出している。そうなることをむしろ心待ちにしているようだ。ある変わり者は――『言わせてもらうが、おれは清廉潔白な人間だから、みんなの幸せのためには自己犠牲だって厭わない、銃殺されたってかまわない。母なるルーシってのは、いいか、むしろ自分の身体が八つ裂きにされるのを(淫らなまでの悦びをもって)待ってるくらいなんだ、そうなんだ』

 わたしは町から戻る途中で靴を脱ぐと、馬に鞭をあてながら歩きだした。前の坂をゆっくりゆっくり登っていく百姓がいた。その荷馬車の横を兵隊たちが歩いている。そのつまらない馬鹿げたやりとり――
 「製粉所んとこのオーストリア人〔捕虜〕はなんで取り上げられちまったんかな?」
 「粉屋は自分でやってけるんだ。いつも『わしみたいに働いてみろ!』なんて抜かしてたからな。そんで庭先をぶらぶら歩き回っとるのさ。なんせてめえの庭だ。がっぽり儲けてぶらぶらしてんだ!」
 「儲けたか、ふうん、ところでおめえは何を儲けた?」
 「おれがどうしたって? なんでそんなこと訊くんだよ?」
 「どうせライ麦は没収(と)られちまうから、そうなる前にサマゴンにしちまおうと思ってんだよ。みんなそうなんだ」
 「おれは家がねえから……自分で建てなくちゃ……」
 「以前は干草広場にゃ荷車がいっぱい停まってた(ありゃあ凄いもんだった!)が、今じゃどうだい、街道で女たちを見かけりゃ必ずジャガイモをふんだくってる。あんなんじゃどうしったって無事に広場まではたどり着けねえ」
 脱走兵たちのやりとり――
 「なんで戦うかって? 誰を守るって? おめたちをか? おめたちゃいってえナニモンだい? なんでおれがおめたちを守るってよ?」
 もぐり屋〔すぐにいなくなる〕の兵隊たちのやりとり――
 「ところでニコールカがいなくなっちまったよ。おい、みんな、ここはよくねえ、あっちじゃ8時に起きたが、登録〔雇いの?〕なしだ。でも今はいいぞ、気持ちがいい、なんてったって自由だからな!」
 労働者たちに対する不満の声――8時間労働制とか、親愛なる同志たちは何もしない、とか。
 「パンをやらなきゃいいんだ! けちけちしなきゃ駄目さ!」

 なぜ自分〔プリーシヴィン本人〕は信頼されないのか? 自分は農民よりずっと多く働いているのだが。

 侮(あなど)られ辱められたルーシは自分の放蕩息子を思いきり殴りつける機会(とき)を待っている。
 文学と芸術と芸術によく似たこの社会主義――それらはどれも公然と、あるいは密かに自分の父親に向かって『ニェット!』と言って、迷える息子を遠くへはるか遠くへ送り出そうとする。
 メシチャン〔小市民ふう〕なテーマ。柵近くに見事な梨の木が立っている。枝もたわわに実をつけたが、樹冠が大きく隣の敷地に垂れていたので、美味しい実はほとんどそちらへぼたぼた落ちた。

 こちらが働いているのを見て、村人たちが言い始めた――『ほれ、あれが旦那(ガスパヂーン)だったおっさんだ。でもよ、〔あそこで穫れたものを〕百姓が7回も買えば、いくらなんでももう旦那じゃねえな」

8月8日

 才能ある作家はみな口を閉ざしたが、でも、才能のない写真家たちが才能ある報道記事を書いている。

 乾いてる。村の方から打穀の鈍い音が聞こえてくる。乾燥がひどいので種蒔きは中止。種蒔きが終わったら、すぐにもピーチェル〔ペテルブルグ〕に潜入だ。水面下でこれからどうなるかを確かめる。自分のテーマをひっさげて生き抜くか、それともここに根を下ろすか? 

 近ごろはどうも雇い主のとこで暮らしているといった感じ。なんとかひと月生き延びた。でも、あとひと月はどうかな、生きられるかな? そんなことを思ったりする。

 現在の国家は、物質(モノ)の私的所有の原理とそれを売って子孫に引き継ぐ権利の上に築かれている。モノを所有する者たちからその原理と権利を奪うことは、すなわち彼らだけでなく、彼らの父たち母たち祖父たちをも辱しめることを意味する。その原理と権利を引き継ぐ力は、魂の――そう、誰もが思わず跪いてしまう魂の、汚れなき処女の泉を本源とするものでなくてはならない。そうであるなら、決してその力は強制や暴力になることはない。だがもし強制や暴力に転ずれば、様相は一変する。いったい誰が今それを強いているのか?

8月9日

 種蒔きを1デシャチーナ。耕作を2分の1デシャチーナ。最初に蒔いたライ麦は立派に芽を出した。空気が乾いているので、まぐわは埃だらけだ。まだ誰も蒔かない。ヂェニースは金持ちである。蒔き時を心得ている。彼が取りかかると、みなも一斉に動きだす。

 長老(スターレツ)が姿を見せる(やれ首輪だ、やれまぐわだ!と)。村の長老はみなに経営の何たるかを教える――何事にも大胆に取り組めと。それが民の民たる者の第一義だが、次の一義は明らかに革命的泥棒的フーリガンへの一歩である(『おいパーヴェル、あやのつらに一発かませ!』)。  帰ってきたボリシェヴィクのフェーヂカが話している――今これが禁じられてる、やっちゃまずいんだ、ぜんぜん別のレコードが回りだしたんだよ。

8月10日

 数デシャチーナ鋤き起こす。夜、雲がかかった。深夜に慈雨。蒔いた種をちゃんと跳ねかし濡らしてくれた。
 一日中、引っぱり回されて、苛々する。キビ畑から子牛を追い出し、牧場からは馬たちを。まったく。年寄りがひとり、勝手にスモモ〔セイヨウスモモ〕の林に入り込んで、枝を曲げたり木を〔2本も〕折ってくれた。寄合いでは決めても決めても、また同じことの繰り返し。そしてすべてが悪ガキどものせいにされて終わる。
 なかなかしっかりした男の子。その子を掴まえて訊いた―うちの畑の草を馬に食わせろときみを唆(そそのか)したのは、誰なんだね?
 「うちのパパです」
 その子を脱穀場に連れていって、父親に糺すと――
 「とんでもねえ!」と父親は言う。
 「それじゃ、この子を罰してもいいんだね?」
 「そりゃもう好きなようにやってくれ!」
 わたしは男の子の耳を掴んだ。泣き叫んでも、親たちは黙って見ている。母親のほうはどぎまぎしながら囁くように言う――
 「どうぞどうぞかまいませんから!」

 立派な愛すべき人間〔スターレツ〕と泥棒一味のあの反抗精神についてはとことん考えてみる必要がある。

 農民が穀物の値上がりを望んでいるというのは嘘だ。多くの農民は自分で穀物を買っているし、概して値上げには反対である。町の物価を上げるべきじゃない、自分らだって穀物の値を下げたいと思っている。

 どこへ向かっているのか、まだわからない。

 レーミゾフは結局、自分の殻を破れない。

 ひょっとしてひょっとすると、ロシアは破滅に向かっているのではないか? ああした新しい機関――土地委員会、食糧管理局、村委員会、どれもこれも明らかに馬鹿げている。しかし人間はその間にぜんぜん違う生きものになってしまった。ほんとに馬鹿げた、訳のわからない行動をとっているが、心理学的には市民(グラジダニーン)だったことは疑いないのである。額をぶつけ合ったが、それでわかった。村がボリシェヴィキから得たのは、農民たちがナンセンスを通して真実(プラウダ)を知ったこと……

 革命的破壊と混乱がなかったら、この夏にも戦争は勝利に終わったはずだ――誰しもそう思っていた。
 8時間労働制のことでは労働者階級に対する怒りが増し、都市部では燃料も穀物も供給しようとしない農民への憤懣はいや増しに増している。

 専売(独占権)はおそらく農民たちには認められない。そうなれば、争う余地なき絶対的権力が樹立されないかぎり、神のみぞ知る〔われわれには想像もつかないような〕ことが起きてしまうだろう。

 まわりでみなが草を刈り、運び、脱穀し、種を蒔いているときは、夢見るどころではないしそんな暇もない。労働を実感(文字どおり体感!)するからだ。にもかかわらず、それほどはっきりとそれほどリアルな(夏には3倍もリアルな)厳しい労働をこなす彼らが、土地と自由と世界平和について毒ある夢を見、頭が変になって、今また何でもないような顔をして汗を流しているけれど、これがまた大祭がめぐってくると、朝からサマゴンをかっ喰らって、忌まわしい村の通りは酔っ払いで溢れて、地主の旦那のいたころとは比較にならないほど始末が悪い。

 聞こえてくるのは『百姓が悪い!』だ――なぜなら、薪も収穫物も出さないから。だが百姓たちだって町の人間と同じで、人さまざまである。確かにそうだが、その構成員はいずれ同じマス同じプロトプラズマであって、自らの教師たちの碌でもない悪習を踏襲し実行しているにすぎない。

 手で種を蒔いたり畑を耕していたのだが、ちょうどそのころ庭の林檎と梨とスモモが盗まれていた。亡くなった母が大事に育てた大枝がへし折られた。まるごと倒された木もあった。仕事を中断してそっちへ行き、後片付けをし、もう一度畑に戻ってみると、はたしてキビ畑には村の子牛が、クローヴァー畑には馬の群れが。どうしようもない! あまりの仕打ちに、種を蒔きながら何も考えられなかった。自分の仕事はこれでいいのか、ともかくできるだけ早く切り上げてどっかへ逃げたほうがいい。
 播種が終わったところで、小雨がぱらぱら。わたしは3日ほどどこにも出かけなかった。きょうになってお天気雨がやんだので畑に出た。思わず歓声を上げた――驚きと喜びと。なんと、蒔いた種がみな芽を出していたのだ。これが奇跡でなくてなんだろう! 一斉に芽生え、しかも若緑色。下のほうはピンクの、上はすでにグリーンの、じつに美しく愛らしく、みなが一つにまとまって――ああ自分はこれらすべての主(あるじ)なのだ、自分はこれらすべてに生命を与えたのだ、もちろん自分のすべての罪も――どこからどこまで自分が種を蒔き耕したかも知っている。そしてこのライ麦を造りだしたわが労働、まさにこの瞬間(とき)こそは嫡出子の、放蕩息子たる夢(メチター、ここ大文字)の誕生なのである。きっと二人の迷える娘たちであるゼムリャーとヴォーリャもこんなふうに産声を上げたのだ。

ゼムリャーとヴォーリャ――〈土地と自由〉はロシア語ではいずれも女性名詞、だから娘たち。1870年代に活動したナロードニキの革命結社。前出。

 1プードの種の袋を首にかけ、いいかげん履き歪めた長靴をはき、汗だくになったり冷え切ったりしながら、わたしは、ひと夏ほっくり返して、ふっくらふんわりした畑に種を蒔いた。そうしてそれら新たに生まれた弱々しげな子どもたち(ゼムリャーとヴォーリャは、やがてこの世をうろつきさ迷い、自分が生まれた畑の黄金の自由(ヴォーリャ)と黄金の種(セメナー)のおとぎ話を語って、人びとを欺くことだろう。
 そのアダムのはるかな子孫であるミハイル・ワシーリエヴィチは、エレーツ市の郵便局で42年も働き、ずいぶんと齢をとって、今では頭も真っ白だ。老人は郵便局を通過する無数の新聞のうちから一紙だけ家に持ち帰って、マホルカ〔刻み〕で特製の太い紙巻タバコをつくると、笑うと子どもみたいになる明るい目をしばたたかせながら〈ゼムリャー・イ・ヴォーリャ〉についての記事を読む。農業労働の迷える子どもたちはこの老人を慰め喜ばすが、仕事がきつくて辛いため、しぜん畑から放蕩息子たちを遠ざけてしまう。
 竃(ペーチ)の火。燃えているペーチはロシアそのものだ。ペーチは一家の主婦――そこが旅路の果てである。

 ボリシェヴィクでありエスエルでありエスデックであるチーホノフがわたしに手紙をよした――〈ブルジョア〉という単語を括弧でくくって。おそらくそれは、指導者たちも全員がじ考えだということだ。現代の求神主義のインテリたちとイコンの関係のようなもの、つまり不信と不誠実さを表わしているのである。一方、普通の人たちは、そこには何かある、庶民とはかけ離れたこの世で最も有害な人種=ブルジョアがいると盲目的に信じているのだ。われらが農民たちは自分たちがよく耳にし口にもする言葉〈満州(マンジュリヤ)〉に倣ってその有害人種を〈ブルジュリヤ〉と呼んでいる。

日露戦争(1904-05)以来のこと。日本とロシアが満州・朝鮮の制覇を争ってから、まだ12年しか経っていない。

 モスクワ会議は前もってよく計画準備された会議のはずだったが、まともなものが何も出なかった。意味がなかった。そこで出会ったのはせいぜい革命は続いていると考えている者たちと革命が終わったことに同意する者たちである。

モスクワ会議――モスクワで臨時政府がロシアの全反革命勢力を合同する目的で 開いた会議。1917年8月12日から15日まで。

 わたしは、革命は終わった、あとはもっぱら〈おのれを貪り喰らうもの〉として存在するだけ――そう思っている。じっさい、革命はいかなる民主的土壌から養分(いのちの糧)を得ようというのか? 農民は地主から土地を奪った、労働者は短期間、革命を引き入れたし和平についてあらゆることを試みた、しかし何も起こらず、飢えた胃袋をどうすることもできない。そこで問われた――『革命はいったい何をもっていのちの糧とすべきであるか?』答えはひとつ――『内なる軋轢(あつれき)。雑多な党の分裂こそいのちの糧である』と。

 だが、困ったことに、革命は最後までからっぽの国庫(カズナ)に凭れかかって八方塞がり。つまり、とどのつまりがどん詰まり。

 エレーツ市議会選挙。知人たちの名簿。リスト№1。候補者をではなく名簿を選ぶというので、А・А・ペトローフは大いに戸惑う。フリーシマン氏はチョールノエ大村の教会の前に赤い更紗を張ったベンチを据え、そこに〈公約〉を書き出した――№1リストは人民に自由とパンと燃料を供給するので、ぜひ№1リストに投票せよを、と。するとひとりの老婆が(デマゴーグ〔民衆煽動家〕のフリーシマンを指さして)言った――最後に現われるのは必ずこいつみたいな魅力たっぷりの偽預言者、ゴグとマゴグ*1だぞ。こいつらは嘘八百を並べ、何でもかんでも約束する。悪魔みたいに、石ころをパンに変えよと言っって主を誘惑するぞ、でもな、キリスト様は――『人はパンのみにて生きるにあらず』*2とお答えになったんじゃ』

*1ヨハネの黙示録20章7節に、「この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする……」。専制君主、恐怖の支配者。聖書・回教伝説中の王ゴグおよび国民マゴグの名から。

*2マタイによる福音書4章4節。

 №1リストだけが至るところに貼られた。ほかのリストは敢えて貼り出さないか、貼っても剥がされてしまった。兵隊たちは言う――№s1リストが行き渡らなきゃ、戸毎に配って歩くぞ、と。鐘の音と〈マルセイエーズ〉の音楽が一つになった。№1リストが運ばれる。約束するのは無償教育化、それと『児童労働の廃止を要求しよう!』だ。
 「戦争が終わったら、だよ」と郵便局員。「今すぐということじゃない。彼らは理想と実現を一緒にしてるんだよ!」
 田舎人のいつもの顔が消え、色つや落ちて、今ではどこの占領地区でも見かける顔になってしまった。それは、食料品が無いとかほとんどの店が閉店に追い込まれたというだけではない、どの顔にも国外や首都でよく見られる不安と戸惑い〔何とかしなければという〕切羽詰った表情があったからである。
 これがわが運命(さだめ)か――つまらぬ俗事や家事に妥協しない自分に割り振られたのが、家計を切り盛りできない妻だった。経済観念がない(暗算すらできない)から、どうしても自分が本来の仕事を放棄して、一切がっさい(農事も家事も)切り回さなくてはならない。自分には大きな計画がある。それは人びとにスキタイ的暴動にかわるブルジョア的徳目を教え込もうというものだが、しかしそこには概して現代のマテリアリストの陥りがちな悲劇――一揆、暴動、叛乱を起こさんがために説かれるブルジョア的徳行というやつが潜んでいる。

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