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プリーシヴィンの日記 太田正一
2010 . 06 . 23 up
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2月10日
経年とは必ずしも一致しないが、おのれの年歯にふさわしい感情というのがある。自分と同年代の人たちはどんな仕事をし何を求めているか、そうしたことを思って、いやでも自分の齢に気づかされる。ああ、そういう齢になったのだと、改めて注意を促されたりする。たとえば、自分には今、メレシコーフスキイやゴーリキイやイワノフ=ラズームニク*といった人びとが最後の力を振り絞って力(権力)を得ようとしているのがわかる。もう十分遊んだんだ。幕は下りたんだよ、もう穴に引っ込んだら。社会生活万歳! 個人主義なぞくそ食らえ!
*イワノフ=ラズームニク(筆名、1878-1946)――は社会思想家、文芸学者。本名ラズームニク・ワシーリエヴィチ・イワーノフ(ラズームニクの名は3世紀のローマの聖人に由来)、グルジアの小貴族の出。ペテルブルグ大学数学科在学中(1901)に反政府デモで逮捕・流刑の経緯は、レーミゾフ(モスクワの商家の出、モスクワ大学物理数学科中退)とほとんど同じ。以後、文筆活動を開始。早くからプリーシヴィンについての評論――『偉大なる牧神』(1910-1911)を書いている。ペテルブルグでの社会・文学活動に積極的に参加し、多くの雑誌の出版にかかわった。社会・文学生活のさまざまな問題に対する彼の合理主義は、プリーシヴィンとは相当肌合いの違うものだが、なぜか気が合った。1939〜40年と、プリーシヴィンのアルヒーフ(主に日記)の整理と目録作成に携わったことはすでに記したとおり。その生涯は、帝政ロシアからソヴェート独裁体制に至るまで、文字どおり〈牢獄と流刑〉の繰り返しだった。二人の友情は1941年に彼がドイツへ出国するまで続いた。大戦後にミュンヘンで餓死。回想録『牢獄と流刑』(1953)には、獄中の彼にプリーシヴィンがこっそりとお金を差し入れていたことが記されている。
フトゥリスト(未来派)たちを相当ビッグな才能を有する誰かが拾い上げなかったら、ゴーリキイやメレシコーフスキイのような人間は、却って無気力に陥っていたかもしれない。
人間としてのレーミゾフ*というのは、まったく存在しない。おそらく存在そのものがセラフィーマ・パーヴロヴナ*のうちに収まっているからだ。彼女は彼をまるごと呑み込み、教え導いた。今では彼に自殺を勧めている、が一方で、わたしに向かっては、なにどうせ生は続くのだからと、自殺行為の無意味さについて語るのである。いったいどういうこと? まあしかし、セラフィーマ・パーヴロヴナはそういう、つまり〈魂で〉語る人なので、それがみな好意として受け取られる。彼女が『あなた、可哀そう』と言えば、この同情は決して侮辱的なものではなく、天与の恵みとなってしまう。そして最も驚くのは、あれほどの容姿と品格(内面的な貫禄とでも呼ぶべきもの)にもかかわらず、というかそのせいで、彼女を前にすると、いかなる肉欲もまるで今にも死にそうな人のそれのように勢いを失くし、同時になぜか一切を達観してしまうこと、である。まことにそれは遥かな雪の山顛にそそり立つ難攻不落の砦、谷間の住人たちはそこへ登ろうなどとは思ってもみない。
*アレクセイ・レーミゾフ(1877-1957)とセラフィーマ・パーヴロヴナ(1876-1943)については、(十三)の編訳者のエッセイを。
短編『いいなずけ』*1のヒロイン――あれはまさしく〈マルーハ〔情婦また仲を裂く人の意〕〉、セラフィーマ・パーヴロヴナそのものである。つまり、娘はあの雪の山頂から下りて来たのだ。下りて来て、彼女はおのれの秘密の、最も神秘的なものとのつながりを感知し、ほんのしばらく軟化する。それというのも、いずれまた一瞬にしてその同じ場所に難攻不落の雪山が出現する(つまり、自分が聳え立つ)とわかっているからだ。そこへ至る道は二つ――修道女となるか、マルーハ(雪の山)となるか。シャモルヂノ〔この女子修道院はオープチナ僧院から十四キロ離れたところにある〕のインテリ出身の誇り高い修道女と、柔和なフェヴローニャ。尼僧は真実、柔和、キリスト。マルーハは傲慢、フェミニズム、死のごとき英国銀行頭取*2、そう、まさにその死がセラフィーマ・パーヴロヴナにあっては明々白々だ!
*1レーミゾフの作品のように読み取れるが、これに該当するものは知られていない。
*2プリーシヴィンはこの時期、英国に渡った初恋の人ワルワーラが〈銀行の頭取〉になったと思っていた。なんとも烈しい思い込み!
1914年2月の日記中、日付が記されているのは8日と10日。10日以降にとくにマルーハについての記述が集中している。目下、婦人問題がテーマであり、日付のはっきりしない断章は、芽生えかけた創作のためのノートである。マルーハが時にセラフィーマ・パーヴロヴナだったり、時に〈永遠の女性〉ワルワーラだったりと、記述に混乱と韜晦がみられる。
誰ひとり登ったことのない雪の頂。その麓の村からは、「登りたいのにかなわない(хочу и не могу)」という声が聞こえてくる。ともあれプリーシヴィンもまた、レーミゾフの妻の何か不思議な磁力に引き寄せられた村人のひとりであったことは確かなようである。
麓のその同じ小道で、春にはナイチンゲールが歌をうたっていたのに、今はそうでない。きらきら光っているのも、明るい日差しの中のねばつくような木々の緑ではない。見えるのは黄葉に蔽われた黒い幹、聞こえてくるのは蓄音機の、泣くようなジプシーのメロディーばかり。
自分は何でもできる。でも、彼女はそうでない――わたしはそうしたいが、それはかなわない。そうなんだ、わたしはしたい、わたしはできる。で、それ以来、わたしの胸のどこか深いところで始まったのだ、新しい音楽が。そう、自分は何でもできる!
肝心なのは、すべてこれがひとつの小さな誤解であること。ただ彼女(雪の頂)に対して二言三言、いや、話す必要などないか……逢って、見つめ合ったら済むのだから。でも、どうして? どうして逢えない? 逢いに行けないんだ? いや、大丈夫、いつかきっと逢う!
……自然が、あの厄介な山の周辺の自然が、破滅的な終末に向かっている。わたしのロマンは四季折々のそれ〔マルーハ〕を描くこと!
婦人の日〔日付はないが3月8日であることはわかる〕。春はミモザ。
永遠に女性的なるもの。ヒロイン。
ナターロチカが独りで留守居。
「ママはどこ?」
「お仕事よ!」
「なんだって? ママが働いているって?! 何を言ってるんだい!」
「知らないの? もう3ヵ月になるわ。フォンタンカ運河の端の、ほら、高い煙突が四本立ってる町工場、そこの会計課で働いてるのよ」
これは未完に終わった作品のためのノートの書き出し。可哀そうなナターロチカは独り家で留守番をしている。窓辺にミモザ。ペテルブルグの春である。家にはもう一人(他人)――女中がいる。以前は女中などとても雇えなかった。セルゲイ・ペトローヴィチ(夫)は教育学上の新しい道を開拓しようとしているので、収入はあまりない。将軍の娘である妻は所持金ぜんぶを使い果たすと、女らしさをそっくり差し出してしまう。他人の家の床洗い、台所女になり、娘を学校に連れて行き、食事の支度をする。まるでヒロインだ。付き合いなどまったくなくなった。自分は平凡な女、夫には全然ふさわしくない――そんな気がしてくる。それで書き始めたのが詩。不和、矛盾、対立と、悲劇の材料には事欠かなかったから。夫には、妻が〈何でもドラマにしてしまう〉ように思えている。
彼らのセンチメンタリティは、天性の〈神の小さな牝牛〉、つまり善人であること。
「それでママは、いくら貰ってるの?」
「30ルーブリよ。9時に家を出て、6時に帰ってくるの」
目一杯働いて月に30ルーブリぽっきり! なのに、女中への支払いが30ルーブリ以下ということはない。ナターロチカは今、独りぼっちで母の帰りを待っている。
まったく、大した稼ぎだ! 詩作のあとはフランス語の翻訳、それに校正の仕事までしている。
なにやら滝を登る魚のよう。凄まじい高さから水が流れ落ち、魚が銀鱗をきらめかしながら岩から岩へ、上へ上へと登って行く。ジャンプに失敗し、腹を上にして泳いでいくもの、体が千切れてしまったもの、岩の上で猛禽のオジロワシについばまれているもの、子どもに網で掬い取られるもの。だが、止めることはできない。どうしても上流へ、産卵場所まで行き着かなくてはならない。当然だ、魚の利は繁殖にあるのだから。
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