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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 02 . 19 up
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6月17日

 ある負傷兵が語った話――攻撃に出たとき、エフィームも一緒だったが、攻撃のあと彼がいなくなった。負傷者や死者の中にもいなかった。捕虜になっていれば、3年ぐらいは便りがあったりするのだが、それもなかった。まったく音沙汰なし。どう考えても、やはり生存の可能性はゼロだ。エフィームの女房はターニャといって、まだ若い。子どももいなかった。ターニャはどこにも出歩かない。そんなとき、革命が起こった。まわりの者たちは、じき平和になると言って喜んでいる。女たちははしゃぎまわっているが、ターニャはそうではなかった。
 「平和になんてならなきゃいい」
 村ではターニャだけが〈完全勝利まで〉戦争支持者だ。なぜなら、戦争が続いているかぎり夫は生きて還ってくると信じていられるから。戦争が終わってしまったら、そんな期待すらなくなってしまう。子どものいない若い妻はひっそりと暮らしていた。祭の日にも外に出ない。出てもいつも目を伏せて歩いている。
 革命は革命の、ターニャはターニャの歩みを続けていた。彼女は、土地も、自由も要らない。〈男女同権〉なんてどうでもよかった。時が過ぎていく。森の木々は葉をつけ、庭には花が咲き、もうトロィツアだ。種も蒔き終ったし、委員会が集会を開き、誰もが神妙な顔して土地の話をしている――大集会というのが開かれたら、すべての土地が百姓のものになる、それにはとにかく戦争の即時終結だ。ツァーリがいなくてもお偉いさん方がいなくても、おれたち〔百姓〕は生きてける。ちょぴっと密造酒(サマゴン)引っかけりゃ、なぁにどってことない。
 ターニャはミーチングにも行かない。女たちがいろいろ話してくれた――
 「ミーチングって人、ちゃんとこの目で見たよ。黒いもじゃもじゃ髪が、『旦那方の長櫃(スンドゥーク)の中身を調べよう!』なんてガナッテたっけ。
 そんなとこへ行ってもしようがない。ミーチングはおっかない男だ。

 パーヴェルとフィオーナとワーシカとワニューハは労働者一家、つまり旦那のところで働いていた家族である。彼らはもっか旦那から切り離されていて、かつての主たちは自分でやっていかなくてはならない。これまでパーヴェルの家族が運命づけられていたことを、彼らは今、味わっている。
 領地は天国だ。ボリシェヴィキが人びとを天国に呼び招き、百姓たちは略奪しに出かける。庭の向こうに火の手が上がっている。
 天国は大混乱。この動乱時代(スムータ)を余すことなく描くこと。ライラックの花。

6月18日

 難局。家の中も重苦しい。ミーチングで自分は一百姓として本物の社会主義について語ったりするけれど、どうも期待されているのは、こちらが彼らに略奪を許し土地を分配する――それだけのようだ。誰も何もわかろうとしない。
 足に速い子牛の話。子牛は人間たちの速い時間の流れに同調しようと思い、〔そのサイクル〕流れに飛び込んだ。そしてたったの3日で〔巨大な〕雄牛に変身すると、徴発隊に加わった。

 時代は目も眩(くら)むような勢いでどっかへ向かっていくが、目に飛び込んでくるのは子牛の姿である。子牛は以前と同様ゆっくりと同じテンポで草を食(は)んでいる。時間(代)になんとか関わりを持ち、人(類)の速い時間のしっぽにしがみついていたら、きっといつか巨大な雄牛となるかもしれない。だが、そんな奇跡は起こらない。自然は自ら為すべきことを為すのであって、人間の期待や希望など自然にとって何ものでもない。したがって自然を軽んずることは許されないのだ。

 村委員会の仕事は、第一に〈申請の受理〉である。タネーエフのとこのお婆さんが、家屋(イズバー)の建築資材を申請した。
 「土地委員会に伝えときましょう」
 輔祭が議長と何やら囁き合っているのを見て、誰かが――
 「ひそひそ話は結構だよ!」
 次に受け付けたのが傷痍軍人のパンの請求だ。
 「それは食糧委員会に伝えときます」
 次の次の相談は、〈開封されない封筒〉だった。
 「なぜあんたはそれを開封しなかったのかね?」
 「全権を委任されてねえし、開封には指を使ってやるわけだが、肝腎の指がちっとも言うことを聞かんもんだから」
 「それでも指で開けないと。そうじゃないかね、アブラム・イワーノヴィチ!」
 「しょうがねえな、やってみっか!」
 だが、封筒はまだ抵抗する。
 「はぁ、こりゃ紙こでねぇ、麻だよ。切れねえわけだ」
 「麻の封筒だって! おい誰かナイフを持ってないか?」
 ナイフで封を切り、中身を取り出す。かなり大きな書類である(「ほお、こいつは!」)。

 犂頭はすぐに曲がってしまったが、プラウは土中へ深々と。
 国のかたちが村の生活スタイルによく似ている。わたしのプラウは深々と土に食い込む。あんまり深く入るので、手の力だけでは持ち上がらない、馬でもそう簡単には抜けない。

 政治とは国家のはずみ車。今はそれが伝導ベルトなしで回転している。脱穀機は確かに立っているが、今にも倒れそうである。じっさい、これは驚くべきことではないだろうか? あらゆる政治大会、評議会(ソヴェート)で、農民は統一を呼びかけていて、自らもそのような決定と決議をしている――まるで自分たちこそ本物の社会主義者であるとでもいうように。土地は社会主義者のもの、キリスト教徒のもの、だが、農民の土地は惑星(プラネット)だ。
 神の王国はこの地上に存し、善と財の合体――これぞ土地(ゼムリャー)。
 しかし、はずみ車たる政治はいいとしよう、脱穀機たる社会をこそ見るべきだ。そこで進行しているのが統一合同ではなく、ロシアについぞなかったほどの断絶だからである。目の前に横たわっているのは分配すべき土地、すでにここ2週間にわたって分配が続いており、もうこれ以上分割することはできない。そして日ごとに昂じているのは恨みと苛立ちだ。今に大きな不幸が起きるだろう。彼らのところへ行って、こう言わなくては――
 「土地を分けずに、力を合わせて耕せ。収穫物はあとでその働きによって分け合えばいい」
 彼らは言う――
 「その働きを誰が計算するのか?」
 「大地主農場(荘園)〔時代〕のように班長を選ぶんだ」
 「それじゃどうにもならんでしょう」
 「なぜ?」
 「なぜって、わしらの兄弟はどいつもこいつも碌でなし(スーキン・スィン)だからね。馬を持ってない奴もいる。馬をやれば馬はみんなのものだと言いだすよ。土地はみんなのものだが、馬はどうなんだ? おれは馬を買うために働いてる。なのにそいつは屋根の上で鴉の数をかぞえてる〔ぼけっとしてる〕だけで、馬はみんなのものなんて抜かしやがる」
 見ると、馬1頭持ちと馬なしが互いにじろじろ見合っている――どっちの言い分が正しいかな、と。
 馬を手に入れた人間の力と善き思想を手にした人間の力。残念ながら、馬なしが抱く思想はただひとつ――〈馬を手に入れること〉。じっさい馬なしには何もないのだ。
 誰も同意せず、土地はどうにもならないほどこま切れにされた(1人当て3平方サージェン)。それもなにやらコソコソと。女たちも自分らだけで何か分配している――まったく女たちこそ最悪の生きものだ、鶏卵ひとつをめぐって仲間割れしかねない。どうにも手の施しようがないのは、はずみ車から脱穀機の歯車にベルトがかからないことだ。かからなければ、はずみ車は動かないのに。

 疑問。いつ土地分割が終わるのか、終わればそのあと何を要求してくるのか? おそらく都市の食料品は軒並み値崩れし、スムータもその方向へ展開するだろう。
 ペトログラードの革命は国家的鳥瞰からは確かに社会主義革命と映るが、ここ、つまりソロヴィヨーフスカヤ郷共和国のどこかで起きているのは純然たるブルジョア革命である……いやブルジョア革命でもプロレタリア革命でもない、〈馬なし農民(ベズロシャードナヤ)革命〉だ。
 それら2つの革命の違いは奈辺(なへん)にあるか? それは住人たちの土地利用へのかかわり方にある。もし村のプロレタリアが社会主義について頭を悩ますなら、頭割りではいくらにもならない、いつかは自分のものになると期待するしかないような土地を、いったいなぜああまでして分割配分しようとするのか、わからなくなることだろう。未来に期待するなら、なぜその土地を力を合わせて耕し、穀物を共同の納屋に集積したのち、その売上金を分け合わないのか?

 ある土地委員が受付の係に馬を1頭くれと食い下がっている。受付は駄目だと言う。革命この方、まったく資金が入って来ないので、郷の金庫はからっぽなのだ。委員はなおも粘るが、どうも仕方がない、1頭立て軽四輪(ドゥロシキ)で町へ出向くことにした。餌を与えられていない馬は、途中で動かなくなった。どうしようもない! 仕方なく馬を燕麦畑の中へ。あたりを見回す。びくびくものだ。燕麦は国有財産なので。
 薪も国有財産、ライ麦も国有財産(畑を荒らせば苦役が待っている)。でも、蕎麦とキビは国有財産ではない。

6月20日

 ドイツ人=ゲルマン人から内なるドイツ人であるツァーリ、地主、資本家に移ったが、今は〔その矛先が〕馬〔1頭でなく〕2頭を持ち、分与地のほかに自分の土地1デシャチーナと借地2デシャチーナを持つお隣さんに向けられようとしている。このプロセスの最終段階で、人びとは、ドイツ人=敵が個々人の心に潜んでいること――それはわたし自身の内なる敵でもあるが――を意識する。まさにそのとき革命の花は咲き誇る。
 一個の魂(イワン・ミハールィチ)における外なる敵=ゲルマン人、内なる敵=ドイツ人、役人=敵、地主=敵、隣人=敵、村の女=敵などなどの全発展段階を描き切って、そのあと敵を自分の魂へ、キリストの社会主義へ取り込むこと。

イワン・ミハーイロヴィチの姓は不詳。フルシチョーヴォ村の住人。

6月21日

 現在、郡と郷のすべての委員会が実務者会議の様相を呈している。
 これまで味わった動乱(スムータ)の原因をつくったのは自らをボリシェヴィキと称していた連中であると、今になって住人たちは思っている〔思いたがっている〕。
 その点ユニークだったのは、きのう地方自治体の選挙に関する新しい法律の審議のさい、現郷参事会の長たちが以下のこと決議したこと――それは表決権はないが発言権を持つ選挙委員会に〈ボリシェヴィキ〉を除くすべての政党の代表を参加させたことである。
 しかし、集会のその平和的で事務的な性格をわかりやすく言えば、要するに「委員会は死んだ」ということだ。

 死んでないのは土地が分割されている現場だけ。農民たちは休耕地を耕すことも厩肥を運ぶことも放棄している。地主の休耕地を分配し、小作人を追い出してから、もうすでに2週間以上になる。
 それら休耕地が土地委員会の手に移ったのは耕作の不可を取り決めたさいのことで、ときおり露骨な略奪も行なわれた。たとえば、スタホーヴィチのとこでは1年目のクローヴァー畑(90デシャチーナ)が踏み荒らされた。そのあとでクローヴァー畑は分割分配されて、しかもスタホーヴィチの荘園のものである犂ないし新式のプラウで耕されたのである。そうした略奪行為による国家事業の損害については今さら言うまでもない。もっと深刻なのは、小作人(借地人)の土地の略奪だ。
 エレーツ郡の各村々には、独立農家(フートル)、つまりストルィピンの百姓〔富農〕*1以外にも、少なからぬ大きな土地とはるかに多くの借地(小作)人が存在する。彼らはたいてい用益地(クリン)*2に2〜3デシャチーナを借り、自前の土地も1〜2デシャチーナ所有しているので、生きている財産〔家畜〕である馬を2頭、牛を2頭、20頭ほどの羊を、死んでいる財産〔家畜以外の生産具〕としてはプラウ、たまに穀物刈取り機などを持つことができた。ところが、こうした経営農家が今、借地を取り上げられたうえに、異常なまでの細分化の危機にさらされているのだ。〈家畜所有(スコートノスチ)とは無縁な〉馬なしも自分の分け前〔土地〕を受け取っているが、せっかく手に入れても馬がないので耕作できない。それで隣人たちといろんな取引をしなくてはならない。土地が投機の対象になりつつあるという話も聞いた。

*1ピョートル・アルカーヂエヴィチ・ストルィピン(1862-1911)は政治家。名門貴族・大地主の子。ペテルブルグ大卒後、内務官僚。1903年、サラートフ県知事、農民一揆鎮圧の手腕を買われて、05年、革命の混乱期に内相に抜擢され、06年、首相に。07年、国会の選挙法を改悪し(いわゆる6・3クーデター。この新選挙法は230人の地主の一団に1000人の都市居住者あるいは6000人の農民が送り得るのと同数の代表者を選挙団体に送ることを可能ならしめる法案。そのため第三国会では、地主階級が202の議席(立法部の46%)を占めた)、1910年、農業改革を断行、農村共同体(ミール)を解体して富農を育成し、これを〈帝政の支柱〉つまり革命の防波堤にすることをめざした。11年9月、キーエフで観劇中に警察のスパイ(ボグローフ)に射殺された。〈ストルィピンシチナ〉とは1905年の革命後の反動時代を、ストルィピンのネクタイとは絞首台を意味する。ストルィピンの百姓〔富農〕と呼ばれているのは、彼の農業改革によってミールが解体されたあとに形成された自作農=独立農家(フートル)のこと。

*2クリン(клин)は楔(くさび)の意。楔形をしたもの一般。各種の特徴によって区別される耕作地。たとえば、秋(春)まき耕地。

 馬を持たず〔したがって経営のできない〕村のプロレタリアの、生来の性格ないし不幸によるこのような均一化から、連日、衝突が起きている。共同体として一丸となる精神が失われて、道徳も(文字どおり)地に墜ちてしまった。
 土地委員会の力では不和軋轢はとうてい押さえられない。というのは、これまで委員会には村民の要求を受け止める機能も明確な指針もなかったからである。
 例を挙げると、賃貸借の契約が3月1日以前に為されていれば効力があるが、農民たちがわれわれに示したのは、エレーツの新聞に印刷されたものと至るところに送付された農民代表臨時ソヴェートの本年5月25日付の決議(第8項)――『3月1日以前ト禁止ノ発効以前ニ為サレタ取引ワスベテコレヲ無効トスル』――これだけである。郡土地委員会でさえ、われわれはそれがはたして誤植(ミスプリ)のせいなのか政府とソヴェートの食い違いから生じたものか、究明できていない。
 分配をめぐる騒擾を避けて共同耕作させる試みはこちらからもさまざまなされたのだが、村のプロレタリアの根深いブルジョア的性情にぶつかって、いずれも粉砕された。村のプロレタリアはミーチングその他の集会でこそ土地は〈誰のものでもない〉と言う。しかし自分の村に戻ると、〈土地はおれのもの〉になってしまう。この手の人間は隣村の農民をきまって〈よその国の奴〉などと呼ぶのである。

 選挙では顔なじみでなければ選ばない。土地委員会こそ村以外の人間の役割が重要なのである。小作(借地)人の協同組合=コオペラーツィヤ(cooperation)と共同体(オープシチナ)の再分割。再分割への抑え難い欲求と情熱。そうした協同組合方式ができれば、未来の社会主義化は類が類を呼んで次々と形づくられていくだろう。土地の権利は誰にも吸う権利のある空気と同じ。ゲールツェンが賞讃したロシア人のあの慣例はどこへ行ってしまったのか。

アレクサンドル・イワーノヴィチ・ゲールツェン(1812-70)はロシアの革命家・作家・評論家。富裕な貴族の子、母はドイツ人。モスクワ大(理科)を出た。終生、デカブリストを尊敬し、その後継者をめざした。オガリョーフらと革命サークルをつくり、1834年に逮捕され流刑に。40年、モスクワに戻り、べリーンスキイの〈西欧派〉に。47年、自由のないロシアに失望して、パリへ亡命。バクーニン、プルードンらと親交を深める。48年、ヨーロッパの革命を目撃、6月事件で労働者が街頭で虐殺されたことに憤激し、西欧ブルジョア民主主義に幻滅。西欧主義を清算し、農村共同体の現存するロシアこそが未来の社会主義の祖国となることを予言し、ナロードニキ主義の開祖となる。53年、ロンドンに〈自由ロシア出版所〉を創立、「コーロコル」紙を発刊し、ロシア専制政治と農奴制に反対する果敢な闘争を展開。『誰の罪か?』、『学問におけるディレッタンティズム』、厖大な回想録『過去と思索』、『著作集』(30巻)。

 〈黒い再分割〉。地主にとってこれはことさら自分を侮辱するもの(窃盗もを同じだ、盗まれるからキャベツも植え付けられない)と思われたが、彼らはそれを〈黒い再分割〉でもってやろうとしている。

黒い再分割(черный передел)――ナロードニキが要求した土地の総割替(再配分)。歴史上「黒い再分割」の名で呼ばれているのは、1879年に〈土地と自由(ゼムリャー・イ・ヴォーリャ)〉派から分かれたナロードニキの一派(1879-82)である。1879年8月、これまでの〈土地と自由〉のテロ戦術をめぐって結社の内部で意見が二つに分かれた。結果として、テロリズムを否定し、プロパガンダを主な武器とする「黒い再分割」派(プレハーノフ、アクセリロードその他)と、テロリズムを肯定し、政治改革をめざす〈人民の意志(ナロードナヤ・ヴォーリャ)〉派(執行委員にジェリャーボフ、ペローフスカヤ、フィグネル)。1881年3月1日、後者はついにアレクサンドル三世の暗殺に成功する。

 狭すぎて菜園も造れない。これを脱するには――町での買いものはしかし、高くつく。さてどうするか? いちばんの勤務者であるイワン・ミトレーヴィチ〔前出のミートレフと同人か〕の菜園を奪ってしまうことだ。父祖伝来の共同体の真実が、人びとの心の底で揺れだして、今いまの真実〔黒い再分割〕とぶつかり合う。きっと人びとはサラファンをあまりに長く着すぎたのだ。サラファンが代々継承された最も大事な宝、全村落共同体(ミール)的存在になってしまったが、そうなるまでの過程を知らない連中は、ロシアのサラファンこそ世に稀なる発見と宣言してしまったのである。

 まさにその共同体的精神こそがこれまでずっと社会主義者たちに利用され、現代の協同組合(コオペラーツィヤ)に応用されているのだ。しかし、甦った古いサラファンへの権利は社会主義に異を唱えて、今では各人の土地(神の土地)への権利をこう言い表わしている――『土地は断然おれのもの!』。
 エスエルの破綻(綱領を読み返す)、ロシア革命の婆さん。

 攻勢。募る町での不信感。燕麦も馬も不足している。ロガートヴォの草原では農民たちが嬉しそうな顔で〔演説を〕聴いていたが、そこへ〈ボリシェヴィキ〉(若い兵士)がやって来て――
 「だが問題は、わが軍の戦死者の数だ! いいですか、みなさん、ドイツ軍が和平を望んでいるなんて嘘っぱちです」
 「それは古い政府の話でしょう、新しい政府はどうなのですか?」弱々しい声で誰かが反駁する。
 「新しい政府なんかどうでもいい。ブルジョア出身の大臣が10人もいるんだから」
 みんな黙ってしまう。黙って大鎌を手に取った。自分も何も言わず、その場をあとにした。反革命と呼ばれるものが沈黙のうちに起こっている。その種の沈黙はふつう革命の半分を認め、あとの半分を認めない。ヨーロッパから新しいニュースがもたらされなければ、このまま何も変わらないだろう。ロシア革命のはずみ車は今、脱穀機(社会)への伝動ベルトなしに回っている。

 実用的なインテリゲンツィヤ。純粋科学と応用科学、たとえば数学と機械学、化学と工学があるように、技芸(芸術)にも自由なものとそうでないもの、実用的な、たとえば民間(非教会)の工業的なもの政治的なものがあるわけだが、現代に出現したインテリゲンツィヤは古典的〔インテリ〕と称される実用的なインテリゲンツィヤだ。

 新しい農民野外法廷〔本来なら戦時軍事法廷とでも訳されるだろう〕がつくられた。事件が起こったときは、村委員会の議長に集会(スホード)が要請され、そこで裁きが(始末書か私刑か)行なわれる。コーリャ〔次兄〕曰く――『〈棍棒でぶちのめせ〉なんて、あんなのシェミャーカの裁判だよ』。
 ニキーフォルが中学生〔ギムナジスト〕の歯を殴った。鉄拳制裁だ。こちらは縄を盗まれた。馬の轡(くつわ)の紐。プラウがどっかへ持っていかれた。大鎌が狙われている。野蛮人、いや原始人たちの間で暮らしているような気分である。白樺の木が立っていれば、それを見て、〈大した木だな!〉と思うだけで、それ以上は何もない。切り倒したあとで口にするのは、ただ〈えい、こん畜生め!〉。サモーイロに言ってやった――『中学生の歯を殴りつけるなんていいことじゃない』。彼は同意して―― 
 「規律がないんだ。どっちにどう転がるか誰にもわからんもの」
 「転がらないよ、サモーイロ! でもどうでもいいんだ。本当にわれわれはひとの歯を殴るために共和制を持ち込もうとしたのかね?」
 アニーキンやフィリープやほかの借地(小作)人たちはカデットだの〈ブルジョア大臣〉に、つまり進化(エヴォリューション)の人びとに似ている。馬1頭持ちは農村の不確定で曖昧なマスであり、馬2頭持ちはボリシェヴィズムと黒百人組〔極右反動〕のごた混ぜだ。

 4月9日以前、すなわち郷委員会前は、人気(ひとけ)のない、がらんとした空間、サマゴン。以後のボリシェヴィキ出現まで。反動。ケーレンスキイの攻勢、演説。新聞形式のパンフレット。
 以下は報道記事――
 私刑に関するもの(「談話(レーチ)」144号。ロシア文化連盟(リーガ)について(「談話」144号)。革命婆さんが中央委員を名乗ることを否決(「談話」144号)。
 有害(レーニンストヴォ*1)と回復(攻勢)について(「談話」143号)。中国の復興*2(「談話」143号)。РСДРП(ロシア社会民主労働党〔ボリシェヴィキ〕)の農業綱領について(「新生活(ノーヴァヤ・ジーズニ)」55号)。無政府状態(アナールヒヤ)の諸原因について(「新生活」54号)。

*1レーニン主義(ленинизм)とは少しニュアンスが違うが、意味するところは同じ。イズムは明らかに外国語で、ストヴォ(ство)はロシア語の抽象名詞――集団・党派・階級または社会的・職業的・精神的・イデオロギー的状態を示す。

*21911年10月の辛亥革命(第一革命)、12年1月の中華民国建国(臨時大総統は孫文)と2月の清朝滅亡。第三革命、袁世凱の失脚・憤死。

 ロシア革命の大多数とはそもそも何であるか? 反対すれば人民の敵。わたしは革命に反対だが、人民の敵ではない。それゆえ、わたしは、それが真面目なものでも事件でもなく、いずれ消滅するだろうと期待して「革命」に票を投ずるのだ。

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