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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 08 . 21 up
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 ユローヂヴイのグリーシャ。

юродивыйは本来、ロシアの修道生活に現われた遍歴の行者(よく狂人を装った)で、正教会はこれまで36名のユローヂヴイを列聖しているという。彼らの奇矯な言動が民衆によって預言や予言として受け取られたり、それゆえ支配者に恐れられたりしたこともある。赤の広場のワシーリイ・ブラジェーンヌイ(1469-1552)は有名なユローヂヴイ。聖愚者。ここでは町や村で、気の変な人、変わり者、馬鹿、痴愚、神がかり、市井の予言者ほどの意。

  戦争が始まる前、グリーシャは、家々の窓やドアを棒で叩きながら、『おりゃあ戦(いくさ)に行ぐど!』と叫んでいたという。その彼が今では――『雪の降る年の1月に戦は終わる』と言っている。これをどう考えたらいいか?

 これは絶対に秘密だといって話してくれたが、パーヴェル・ニコラーエヴィチ〔シチョーキン〕が毒ガスにやられたので、女房のタチヤーナ・アレクサーンドロヴナを驚かさないために、顔を見せなかったらしい。きょう、やって来た庭園の賃借人が言うには、みなが彼を、タチヤーナ・アレクサーンドロヴナは病気だから行かないほうがいいと説き伏せて、行かせなかった。女房は知らないのか、夫の噂を耳にしていないのだろうか?

 役に立つのはどっちだろうか? 年を取った馬か若い馬か、それともその中間くらいだろうか? 要するにどんな馬を買ったらいいかで、トーニャ〔未詳、使用人か?〕とリーヂヤが議論しだした。動員がかかれば買ってもしょうがない。よく馴らされた年寄りの馬は即戦力になるが、翻せばいつでも馬無しの状態〔早く死んだり怪我をしたりして〕になり得るわけだ。若い馬の場合は、いや、トーニャもリーヂヤも買うなら若い馬がいいという意見なので、結局は何歳の馬にするかが問題なのである。戦争は1年後に終わるというサゾーノフ〔外相〕に期待するなら3歳馬だが、もしそうならなかったら、どうするか? どう考えたらいいのだろう?
 あれこれ予想を立ててみる。そこで思い出したのが馬鹿のグリーシャだ。グリーシャは1週間もぶらぶらとチョールナヤ大村(スロボダー)まで歩いていって、家々の窓ガラスを棒で叩き割りながら、『戦に行ぐ、おりゃあ戦に行ぐど!』と喚いたそうだ。彼に意見を聞けないか? 彼はなんと言うだろう? 村の女占い師もやはり「1月には……」と予言していた。アンドリューシャ〔この男も村のユローヂヴイか?〕も聞かれて、やはり「1年後〔に戦争は終わる〕」だと。そういうわけで3歳馬を買うことになった。

 巡礼者。自由になった霊が、半死人の肉体を引きずっている。巡礼者〔プリーシヴィン自身〕にはそれを持ち上げる力がないので、ただずるずると地上を引きずりながら、その死にかけている人に、広野(ひろの)の自由、花の美しさ、馬の群れ等々を見せてやるしかない……

 森林が伐採されたので、電線を見て、初めて霜が降りたことを知った。

〔1月23日。〕誕生日、43歳だ。(1916年)わたしは一方では、アメリカへ逃亡を企てた張本人であり、これまでずっとその〈アメリカ的存在〉の発展過程(ラズヴィーチエ)として生きてきているし、また一方では、ありとあらゆる〈Я(ヤー)〉の闘いへの突入、喪失、分裂、噛み砕き(自責の念)、そしてほんのたまにだが、また以前のように、統一された〔ひとつにまとまった〕〈Я〉が顔を覗かすこともあるけれど、すぐにそれも蜃気楼みたいに雲散霧消して、またもや無為が始まるのだ。

第2作である『巡礼ロシア』第一部の「著者まえがき」で、少年時代のこの〈黄金のアメリカ行き〉に触れている。エグゾーチカへの飽くなき憧憬。自分の人生のキャリアーはここから始まったのだ、と。

 金儲け人間〔商人〕が、実務に長けた耕作人間〔農民〕が羨ましいなら、自分も同じことをやってみればいい。やればできるさ、簡単に! 彼らの仕事は驚くほど簡単で単純でたやすいことのように見える。だがその本質は、仕事自体にではなく、彼らが〔抱いて〕為さんとする素朴な信念にこそあるのだ……

1月25日

 ラスプーチンによるシチュールメルの指名――結局すべてがラスプーチンに帰する。

これには現在、歴史家たちに異論が出ている。

 小さな旅から――地平線の消えたその高空(たかぞら)に向かって、ひとすじ厩肥(きゅうひ)の道が延びていて、その先に見えてきたのは深い涸れ谷だった。馬の群れが次第に、蹄の音がどんどんと遠ざかっていく。そのとき自分はあまりにもはっきりと思い知らされたのだ――ロシアがただただ大きな、茫々たる広がりのうちに在るということを。

 戦争。今や農村と都市は逆転してしまった。以前は田舎者は日常生活上の不満で限りなく落ち込むのが常だったが、今では都会人がそれをはるかに超えた欲求不満に陥っている。聞こえてくるのは、物価高を嘆く声だけだが、村の嘆きはそれよりまだましな嘆きである。村人たちは人間のこと――父や息子や兄弟を悲しんでいる。こちらの嘆きは都会人のそれとはまったく別個のもの、そうではないか!

1月26日

 冬の巣に棲むミツバチさながらの田舎暮らし。町の巣箱(ウーレイ)には給餌もなく、ブンブン羽を鳴らしているだけ。一方、村はだんまりを続けて、ただただ春を待っている。そう、ひたすら待っているのだ。それは流氷前の春の河川の膨らみのようなもので、避けては通れないし、まあそれなりの意味があるのだろう。でもやはり、自分なりにそれを加速させたいと思っているのだ。だから自然界の事象に関わらぬ御仁は、不信心者が仕方なしに終夜祈禱祭に出たときみたいに、もう疲れて疲れてへとへとになる。

 モスクワに七面鳥を売りに行こうと考えた者たちがいた。10羽ほど買ってオホートヌィ・リャート*1。あそこなら、見る間に完売だ。儲けた金で商人宿*2に移ったら、1週間そこでたっぷりとニュースと噂話を仕込んで村に帰るのだ、と。

*1モスクワ市の中心部にある野禽(肉)市場。ここの商人は極右翼的だった。警察にそそのかされて、よく学生集会やデモ隊を襲撃した。

*2ポドヴォーリエはもともと旅籠、旅人宿の意。地方の修道院が都市部に所有する修道士宿舎兼付属教会、ないし地方の商人が都市部に所有する宿泊所兼商品置場を指す。ここでは後者。

 この手の話には誰でも熱心に耳を傾ける。そこには芸術作品に寄せるような信頼感がある。そんな夢物語が現実の話でないことは百も承知している、でもまったくあり得ない話ではないだろう、なら一考に値するはず云々。
 都市に対する農村の明らかな勝利。金で買われたような、七面鳥の儲けから出てきたそんな噂話に、どんな得(とく)があるのか? この種の風聞は乞食のボロみたいなもので、河水が膨脹する時分の村人たちの、唯一たしかな春の期待など益もなくボロボロずたずたになってしまう。がしかし、すべて事の本質は物価の高騰、生活必需品が値上がったことにあるのだ。
 ここに紹介するのは、パーティーがあるというので出かけていった、ごく普通の中程度の家庭である。家の主婦は肝臓を病んでいて、医者たちをぐちまくり、薬代も薪代も馬鹿にならない、肉も小麦もどうしようもなく高いなどなど、次から次と苦情を並べ立てた。ほかの主婦たちだってそんな会話は面白くない、退屈だうんざりだと思っていた。でも、そこからなかなか抜け出せない。そこでわたしは、最近「ロシア思想」誌で読んだシングの戯曲の話をしてみようと思った。それは非常に面白いもので、自分が死んだ後で妻がどんな行動をとるか験そうと、死んだ振りをする夫の話である。たった数分で、パーティー〔の雰囲気〕は救われ、全員無事にアイルランドのどこかの海岸に漂着した。話し終えて、わたしはふいと茶うけのクラッカーに手を伸ばしたが、急に誰かが――『ところで、クラッカーも値上がりしたってこと、ご存知かしら?』。結局、話題は物価高に移ってしまった。

アイルランドの劇作家で詩人のジョン・ミリングトン・シング(1871-1909)の『谷間の黄昏』のこと。シングと言えばアラン島。代表作に悲劇『海に騎り行く人びと』、喜劇『西の国の人気男』。

 通りに出る。オーチェぺリの時期には、田舎だろうとモスクワの場末だろうと、相変わらず通りの真ん中だけが赤茶けた太鼓腹みたいに膨れ上がる。歩道など危なくてとても歩けない。でかい荷橇が烈しく行き交うので、足を掬われてしまうからだ。愉快な歌をうたいながら道路の黄色い瘤を軍隊が行進していった。それを見て、女たちはスカートの裾で涙を拭っていた。

1月29日

 人間――それは存在(ブイチエー)のかけら、あたかも自分が自分のために行動しているかのごとくに想像を逞しくする存在のかけらであり、あらゆる結びつき(関係)の世界を意識(心の中で)している生きものがいるとしたら、それがその同じ人間なのである。

бытие――哲学的には、(意識に関わりなく客観的に存在する物質、自然などの)存在、客観的実在、物質。たとえば「存在が意識を決定する」の存在。また(社会生活の物質的諸条件の総体としての)存在。たとえば「社会的存在」の存在。旧約聖書の創世記はロシア語で〈Книга Бытия〉。

 そのブイチエーの胸焼けに悩むエクレジアストの「空の空なる!」。それと父を亡くしたハムレット。

エクレジアスト〔またエクレシアスト〕は旧約聖書の「伝道の書」の筆者(ソロモンが書いたとされる)。「伝道の書(エクレジアステス)」は現在では「コヘレトの言葉」と訳されており、コヘレトを固有名詞として扱うことが一般化している。その1章2-14節に、「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉――コヘレトは言う。なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい……見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった」。第一次世界大戦後(1926)に出たヘミングウェイの小説『日はまた昇る』の冒頭には、ガートルード・スタインの「あなたたちはみんなロスト・ジェネレーションなのよ」と併せて、この「コヘレトの言葉」(1章4-7節)が引用されている。

 われわれはみな二つの大きな軍(いくさ)の生き残り。われわれはみな唯ひとつの戦(いくさ)を生き残ったが、勝者ないし敗者として生存を続けている。

 けれど、人類がこれまでやってきた戦というのは(当然、今次大戦もそうだが)、原始的(初期的)な分割の再現(繰り返し)にすぎない。

1月30日

 自然の中から。自分の子どものころは、冬の庭にツグミがやってくることは決してなかったが、今はツグミはロシアの至るところで越冬している。きょう、ソスナー〔 〕の川べりではミヤマガラスの大群が見られた。1週間前には大きな雪の吹き溜まりの、日当たりのいい場所では、ネコヤナギ〔ヴェールバ〕説明???が大きく枯枝を広げていた。

 スチヒーヤを感じる心――鳥の渡り。どの鳥たちも渡りの季節の到来を自由にまで達したところの温和従順(スミレーニエ)(農民もそんなふうにして戦場に行くのだ)と考えているのだ。ところが今、1羽のミヤマガラスが病を発してソスナーの川べりで冬を越す羽目になった。しかしミヤマガラスは回復した――暖冬だったので。ミヤマガラスは越冬が気に入ってしまった。翌年そのミヤマガラスは自主独立を宣言し、冬を越すために独り居残り、身を滅ぼした。

 動員。戦争を感じる心はスチヒーヤを感じる心。兵士が行く――兵士は分離孤立の心を抑えとどめるまでにおのが感情の滅却を完成させたとたん、共同の仕事(戦い)において輝きだして自由を獲得する――自由が、鳥のように美しい羽が生えてくるのだ。ロシアの兵士(鳥)のそれ、それこそがわれわれをして(トルストイをして)感動せしめたもの。
 ところが、個々の兵士にあっては、鳥に一般であるものがそのまま輝いてはいない。ほとんどがそれに抗(あらが)っている――抵抗と、自己との闘いとが、ヒトのヒトたるところを形づくるのだ。

 エレーツのコソ泥。いかさま師。
 「こんな時代は何をやっても、心に肉刺(まめ)をこさえるだけさ――なんと見上げたコソ泥根性だろう!」
 「だからこそ、良心的な男(だと言ってある男を紹介されたのだ)とわしは引き合わされたのだよ」
 「そんな人間〔良心的な人間〕、いるもんか! おれは断じて信じないぞ!」

 町は山の上。石造りの城のような家々はコソ泥たちの巣窟だ。そのクレムリの周囲に大きな村(スロボダ)。コソ泥たちの巣窟と商人たちの家々の狭い隙間で生計を立てているのが知識人、弁護士、医師たちである。進歩派の弱小新聞がこんな界隈でいかなる生活を引きずっているか、容易に想像できるだろう!

2月4日

 ペラゲーヤ・イワーノヴナの祈り。昔はわたしも祈ってましたよ――『聖母様、この人を男にしてください!』とね。でも今ではこう祈ってます。『聖母様、あの人を返してください、昔どおりのあの人を返してください!』

 雪だまり、でこぼこ道、大きな窪み、轍(わだち)、つるつるの橇道、それと烈しい車馬の行き交い。前方に何か黒い大きなもの。それがいきなり地中に消えたかと思うと、今度はこっちが路面の大きな凸凹に足をとられてぶっ倒れてしまった。ようやく穴から這い出し、波打つ凸凹のいちばん高くなったところで、その黒っぽいものと対峙したのである。それは馬鹿でかい荷橇だった。4人の女と1人の男(農夫)が乗っており、目と目が合ったのはほんの一瞬――今度は女たちがこちらの大穴に転げてきた。それでわれわれは折り重なって同じ大穴のムジナになったのだった。

 日が照っているのに吹雪。地吹雪は狡猾にもキツネの尻尾で雪だまりを掃き均(なら)している。

 大きなオオカミが4頭、吹雪に向かって疾駆する。その波状の駆け足。巨大な体躯と思ったが、降ってくるのは雪ではない、まばゆいばかりの日の光。

 全身これ氷結の木が大きく大きく揺れて、まるで野をその痩身の鞭で叩いているかのよう。同時に、見えない月が白い野原を照らしている。

 自分のこと。本当はライプツィヒからパリに戻ることなどなかったのだ。戻ったために、まったく余計な、通り一遍のことが起きてしまった。男らしさ(最初の衝動、拒否に際しての)を示す余力はまだあったのに、同意する男らしさ〔の力〕が足りなかったのだ。逸した人生、あの失われた自由は今、どんなに貴重なものに思えることだろう! 夢想と衝動の人生、ひょっとして夢の実現であったかもしれないあの人生!

4回目のデート、気狂いじみた初恋はリュクサンブール公園で消えた。

 有益にして好ましき、抑制された分別知性(ラーズム)よ! ああ、でも当時、そんなものは何の役にも立たなかった。なぜならブイチエーはどれも固定化した形式のうちに予め反映されており、何よりまず前提としての〔経済〕生活があったのに、いいや自分たちはまったく新しい何かをもたらす、当然もたらすはずだ――とそんなふうに感じもし思ってもいたからである。今ではそれが的外れ――(今思えば)旧いやり方でも容易に避けられた失敗だったのだが……

 信ずること(ヴェーラ)は夢の実現の第一歩。自然の奇跡は夢想の事業において生ずる。奇跡は〈信〉の事業、節度は〈理〉の事業。芸術と科学は〈信〉の地球儀に引かれた緯線と子午線だ。
 科学に善(ドブロー)はあるか? 無い。だが、科学は啓蒙教化において、すなわち蒙を啓かれた生活の新たな段階で善(ドブロー)となる。

2月5日

 雌鶏。垣根がくすぶっている。舞い上がる雪煙(ゆきけむり)が本物の煙のよう――上からも下からも。郷〔郡と村の中間の行政単位。ソヴェート時代に廃止された〕に向かう百姓たちを乗せた2台の大型荷橇が入ってくる。降りてきたのは全身これ雪だるまの男。しばらくパタパタ雪を払っていたが、上体を起こすと、今度は藁束でもって履いてたワーレンキ〔フェルトの長靴〕をバッサバッサ。

2月7日

 荒れ狂う2月の吹雪が吼えている。敵意に満ちた地吹雪が雪をあらかた掃き散らしたので、氷層(ナスト)が剥き出しになった。その上をさらさら音を立てて枯葉が滑っていく。その先は白い雪原。まるで秋のステップを転げていく風転草(ペレカチー・ポーレ)だ。ひっからびた、刺ある〈野〉の敵意――1日どころか2日も3日も。これがいつまで続き,どんなふうな終わり方をするか占う――それがわれわれの仕事である。だが、意外とあっさり終焉を迎えた。2日ほど続いた寒気が吹雪を捕らえ、〔馬にのせるように〕鞍をのせると、それに跨って突っ走り、しばらく魔女と丁々発止。そしてついには縛り上げてしまう。寒気の勝利! 吹雪はやみ、強大にして静かな、完全な支配力の下に、ものみな鳴りをひそめてしまった。2月の吹きが過ぎると、奉献祭(スレーチェニエ)の最後のマロースだ。このマロース――もがくだけもがいて、打ち負かせずに、最後は自分のほうからふにゃふにゃになる。そしてついに冬の幕は下りてしまう。2月の末にまた吹雪はぶり返すが、もうマロースの下っ腹には力はこもらず、いよいよすべてのものが本格的に流れ始める。吹きがふにゃりと和らいで、いつの間にか小雨に変わっている。

キリスト迎接祭、また進堂祭。聖母が嬰児イエスを神殿に伴った日で生後40日目に当たる旧2月2日(新暦2月15日)の祭り。十二大祭のひとつ。この時期の酷寒。

 きょう6日、クセーニヤの葬儀。
 エルゼルームの占領。葬儀とトルコの話でもちきりだ。年寄りたちが〈散っていく〉。自分は〈物故した人〉が何人になるか数え上げながら、ああでもあの人たちは向こうで〔あの世で〕顔を合わせているんだと思った。何かとても薄い膜が自分らと彼らを隔てているだけだから、少しでも相手の心に近づく努力をすればすべてが理解できる――そんな気がしてくるのだ。すると、あっちの誰かが『わたしたちのところにクセーニヤ・ニコラーエヴナが来られましたよ』などと言うではないか。そうか、そうだとすると、きっとわたしの母もクセーニヤ・ニコラーエヴナのすぐそばに坐ろうと急いでいるのかも。なにせ向こうはこっちとは世界が違うのだから……

エルズルームに同じ。エルズルームはトルコ北東部の町。アルメニア高原にあり、ユーフラテス川の水源に近い。昔からの軍事・交通の要衝にしてトルコ東方防備の拠点。ロシアのカフカース軍〔司令官は歩兵大将のニコライ・ユヂェーニチ。のちに国内戦で白軍を指揮〕と第三トルコ軍との戦闘は、1915年12月28日(旧16年1月10日)から16年2月18日(旧16年1月10日)まで続き、勝利したロシア軍がエルズルームの要塞を占拠した。この町にはすでに87年も前に(1829年6月27日)、プーシキンがロシア軍とともに意気揚々と入っている(『エルズルーム紀行』)。そのとき詩人は市内見物をし、モスクや墓地や軍司令官のハーレムをじつに丹念に調べて回っている。なのでロシア人にとってエルズルームは馴染みのない異教の町の名ではない。

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