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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 05 . 22 up
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8月23日

 社会主義者たちが〈あの世〉というやつ、すなわち永遠不変の絶対的調和の法則が好きでないのは、完全に自分の仕事に没頭しているからである。生活(人の世話や取りまとめ)の事務的方面が、彼らの非事務的(夢想的)方面を覆い尽くしている。でも、対立しているのは教会と社会主義ではなくて、社会主義とオカルティズムなのである。

 船乗りが自船の位置を確かめるためにしばしば海上を漂うように、現在、地上を(県から県へと)さすらうナロードも、やはり自分の落ち着く場所を探しているのだ。経度と緯度が海の分界なら、肉親縁者(ロドニャ)は自国で居場所を喪くした者たちの限界点である。不運なのはどっち?
 ロドニャのいない、ロドニャが境界の向こうに残ってしまった人間だろうか? それまでまったく思いもしなかった肉親の顔がひょいと脳裡に浮かんだりする。とうに自分のほうから親戚付合いを拒んでいたのだが。〈食わせて着せて暖めてやる〉――そんなことが最大の美徳になった。食って一息つくことが究極の願望となった。生活形態では遊牧民に、道徳の理想ではモーゼの五戒に帰っていく。肉親の誰もがこれら難民の群れを受け入れ養い暖めるには無力であり、聖書の理想が至難の業であり、そうしてまたしてもわれわれの魂は古代からの最難問に立ち帰っていくという事実。民族移動の問題において望まれるのは、看護人〔医療機関における兄弟姉妹〕ではなく、普通の肉親としての兄弟姉妹、伯母や叔母たち、子どもたち、祖母祖父――要するにロドニャなのである。このような地上のもの(ゼムノーエ)への回帰のなかに心の平和の最良の学校を見出して、この世の暮らしの平常の戒めを実行しようと再度学び直しかつまた人にもそれを教えることのできる者こそ幸いなるかな、である。
 わたしはあるとき、ホテルで働く身寄りのないレット人〔ラトヴィア人〕の老人に会った。彼は自分が天涯孤独の何も持たない人間であると語った。数多い避難民の中で唯一幸福な人間だった。失うものが何もなく、ずっと落ち着き澄ましていた。髭をそり、白髪の突っ立った頭をして、顔じゅう皺だらけの、愛想のいい老人は、そこに姿を現わすだけで、わたしがロシア人たちの間でしか目にすることのない最良のものをもたらしたのだが、その姿や話す言葉からは、どう見てもロシア人でなかったのである。
 以前は、これぞ母国の花と思っていたものを外国人のうちに見出すと、突如として心の奥になんとも言いようのない不思議な力(スチヒーヤ)が湧き起こったものだったが、それはあたかも大地が、冷え固まった巨大な塊にではなく、たえず動く自由の大地に変身した、いや渺茫きわなき海の岸にでも出たかのごとき感慨に満たされるのだった。背後には、ものみな死に絶えた不明の大地――わたしを育んだ過去があり、前方にはすべての土地と国家と民族をひとつにつなぐ大洋が広がる……
で、氷のごとく(四語判読不能)が戻されていくらしいのだが、しかしその氷はすぐにも解けて、生きている水、生命の水となるに相違ない。

 ナロード、ロシアの素朴な民衆にともし火をかざしてドイツ兵の居場所を示してやるなら、彼らはすぐにもやっつけに行くだろう。そんなふうに馴らされているから、わが軍勝利のためのこれ以上のお膳立てはない。力を結集し、その力にうまく方向性を与えてやればいいのだ。軍の配備や結集については、連日、新聞で読んでいる。期待が大きいだけに、記事は現状より〈かくあるべき・かくあらねば〉のほうに多く重心が移っていることを忘れているようだ。長い田舎暮らしのあと、県庁所在地の利害や空気にどっぷり浸かってみて、自分はひどく驚いている。あのソログープでさえ――

祝福されたる野と畑、それと
素晴らしきコオペラチーフ

などと書いたのだから、ロシアの奥深いところはどんなことになっているのだろうと思ったのだが、じっさいは相も変らぬ劫(こう)を経た静寂だ。今年の1月、ノーヴゴロド主教管区の蠟燭製造工場の会計係が仲間とともに〈ミツバチ〉なる消費組合(コオペラチーフ)をつくることを考えた。個人の家で最初の会合をもったが、数時間後には逮捕され、これ以上〈ミツバチ〉にかかわらぬよう厳しく命じられたあと放免された。何日かして、「素晴らしきコオペラチーフ」についての記事を読んだ参加者のひとりが、友人のもとへ行って、こう言った――
 「県知事に直接かけあったほうがいいんじゃないか、意外とあっさり許可が降りるかも?」
 「そうだな、じゃあ行ってみてくれ」と友人。「近ごろはだいぶ自由になったみたいだ。国会でもそういうことを採り上げているし、新聞の論調だって『われわれは思いの丈を口にしていいようになった』などと言い出しているからね」
 知事の許可が降りたので、現在〈ミツバチ〉は組織的な会議の開催を表明している。ただし、この歴史的日々における県庁所在地の日常には、なんら変化はなく、社会活動も皆無に近く、新しくできたのは、まあ「キネマとグラフ映画館」くらいのものである。

フョードル・ソログープの詩「家事の苦労を軽んずるなかれ……」(1915)から。のちにこれは『寺院の嘉音』(1915)に収録された。

 だが、いま何をなすべきかをきれいさっぱりと忘れるなら、県庁所在地の生活面にそれがどのように映っているかを見るにしくはない。映っているのだ、それはもじつにはっきりと! 自分は今、ロシアの一千年を描く大きな黒い気球の前に立っている。聖ソフィア寺院の傍らを巨大なトラックやら軍用車やらが通過し、そちこち散策する人群れの中には、学帽みたいなどっかの外国兵の赤い帽子さえ見えている。受けた教育のせいか、わたしには、兵といえばロシア兵と(たぶん)ドイツ兵のイメージしか浮かばない。ところで最近、新兵徴募(兵役)に対する民衆の目は、それを否とするほうに向かっている。兵隊というものは、まるごと囚われた、必要欠くべからざるところの永遠(ヴェーチノスチ)だ。その姿ときたら、特異も特異、異様も異様――まるで鋳造された電動仕掛けの像のようで、スイッチを入れられると、いきなり行進を始めるのだ。それでその外国の兵隊たちもスイッチが入ったみたいに、ひょいと起って、普通に歩き、当たり前に敬礼し、知り合いにでもするように挨拶などし始める。  「フランス人だ、フランス人だ!」群衆の中から声があがる。
 ノーヴゴロドにフランス人が現われた。なぜだ? 誰もがそれを口にし、誰もがその理由(わけ)を思いめぐらした。
 「ほんとにおまえさんたちフランス人かい?」
 「わしらはロシア人だよ、フランス戦線から戻ってきたのさ」と、兵隊たちが答えた。
 フランス戦線からの帰還兵が県庁所在地の群衆と合流し、互いに知り合いになり、話を交わし、戦況を説明し始めた。わたしはひとりのフランス兵〔ロシア兵だが〕と言葉を交わし、仲良くなって、数分後にはふたりともフロントにいたのだった。そこはフランス戦線ではなく、単にドイツ軍と対峙したフロントだ。でも、どっからか同県人たち〔ノーヴゴロド県〕の叫び声のようなのが聞こえてくる。
 「てことは、なんだね、奴らも砲弾が不足しているってことだ! そうよ、向こうだって、銃後は唸ってるんだ。なんだってフランスとイギリスの軍隊は攻めねえんだろ?」
 フランスの女たちはジョフルに対して、じゃそういうことなら夫を返せと言い放った。もちろんジョフルは国の事情をやさしく詳しく解説してやった。

ジョセフ・ジャック・ジョフル(1852-1931)は第一次大戦で北部・北東部フランス軍総司令官としてマルヌ会戦に勝利し、1917年に元帥、アメリカ特使。第一次大戦後に来日もしている。

 「奴らも砲弾が足りねえんだ!」誰かが叫んだ。
 気がついたら、ロシア兵はパリにいたのである。ロシアとの連絡はうまくいかず、フランスを離れることにした。たしかに戦闘はあったが、それ以上に(一語判読不可)が大変だった。目いっぱい働き目いっぱい殺した。900人ちゅう生還したのが450人。いくらか悔しい思いを抱いて帰ってきた。彼らが所属したのはフランス軍には組み込まれない別枠の外人部隊だった。この部隊への接し方も特別で、最後は各大隊(バタリオン)に配属されたのだという。
 最高司令官更迭*1のニュースは小店の主人によってもたらされた。カールポフ〔その主人〕はわざわざ追いかけてきて、その話をした。そしてわたしに問うた――
 「それで、どうなるのかね? これからどうなるんだろう?」
 イワン・ツァレーヴィチ*2が遠ざけられるというのが、どうにも信じられない、そんなことあり得ないと思っている。しかし、そのあり得ないことが起こった。ツァーリ〔ニコライ二世〕自ら指揮を執ることになったのだ。

*1最高司令官更迭――ニコライ・ニコラーエヴィチ大公はロシア軍の最高司令官の地位を降ろされてカフカースに左遷された。詳しくは(二十八)の注を。

*2イワン・ツァレーヴィチ(イワン王子)は、ロシアの民話に登場するいちばんのヒーロー。さまざまなヴァリエーションがあるが、最も有名なのは「イワン王子と火の鳥と灰色狼の話」。三人兄弟の末っ子のイワンが、どこまでも親切な灰色狼の背に跨って大活躍する。そしてついに念願の火の鳥と金色のたてがみを持つ馬と〈麗しのエレーナ姫〉を連れて父王の国へ帰還し、めでたしめでたしとなる。ここではイワン王子と左遷された最高司令官のニコライ・ニコラーエヴィチ大公のイメージが重なっている。同じニコライでも、皇帝ニコライ二世より大叔父であるニコライ・ニコラーエヴィチ大公のほうが人気も同情もあった。

 「ツァーリのことはいいんだ、問題は取巻きどもじゃ!」そう言っているのは、灰色の百姓たちである。

どんよりした、ぱっとしない、なにも知らない、無学な、の意(ロシア語の形容詞はсерый)。また名詞では灰色オオカミ(この場合〈灰色〉は枕詞)。ちなみにイワン王子は灰色狼に跨っている。狼の噂をすると狼が出る(噂をすれば影がさす)。

 カールポフはもう何でも知っているのである。
 「そうさ、彼〔イワン・ツァレーヴィチことニコライ・ニコラーエヴィチ大公〕の作戦は、ペレムィシリあたりからおかしくなったんだ。正義漢でそりゃあ立派な人物だが、軍人としてはちょっとなぁ。ドイツの奴らを片付けられなかったからね。追放は免れんだろう。じゃ、これからどうなる? これからは本当の権力を打ち立てるんだ、直接的で唯一の、手っ取り早い……あれでもないこれでもないばっかしだったし、遅滞、引き延ばし、どれもこれもじつにくだらんかった。ああいう意見の不一致なんてものも、わしに言わせりゃ、何の足しにもならん無駄話さ。喋りだしたら、ただもうだらだらといつまでも。だからね、権力というのは決断的で手っ取り早くなくちゃいかんのだよ!」
 「それはどういう権力だろう?」
 「行政管理上の権力ってことさ! 役人や地主は自分が何をやってんだかわからんのだよ。今は議論なんかしてる場合じゃない。共通のモメントを理解し合ったら、それに従わなくちゃ駄目だ。馬鹿な奴らには、自分のものがみな戻ってくる、時を経てまた再び権力が自分らの手に戻るってことが、わからんのさ。ナロードには権力を振り回すなんてできゃしねぇんだよ」

 政府の〈社会的信望〉という理念は、時をおかずに国民全体の理念となるにちがいない。お百姓たちはそれをツァーリへのナロードの親近として理解するだろう。ただし問題は、それが全面崩壊の前に為し遂げられるかどうか、だ。

第四次国会でブルジョア諸政党から成る進歩ブロックが設立を主張した、いわゆる信頼内閣のこと。その閣僚名簿は1915年8月の「ロシアの朝」紙に発表された。

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