成文社 / バックナンバー

プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 01 . 16 up
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 女との別れが瀕死の鳥の痙攣のようだと〔さっき自分は〕書いたが、書かれた当の若者も、今では興奮の面持ちで、砲兵(斥候)の話に聞き入っている。騎兵ではあるけれど、彼もまた斥候兵なのである。斥候というのは普通の兵隊よりずっと危険な任務だ。青年は実科学校を卒えたばかりで、やはりゲオールギイの受勲者ということだった。
 その彼が話してくれたのは、内容からいうと、狩猟そのものだ。まず巡邏(じゅんら)。音を立てずに歩を進める。自分が足を止めれば、後続も足を止め、それが隊の中核に伝えられて、部隊全体が停止する。地面に目をやれば、かなりの数の足跡! 野営、待ち伏せとなる。そこで考える……この先に小さな塹壕らしきものあり。進むべきか否か? 足音忍ばせて進みながら、まだ考えている。塹壕? それとも雪か何かだろうか、と。おっと20歩先に何か見えてきた! 兜(かぶと)だ、そこで一斉射撃……
 「みなさんは死について話をされてますが、どう言ったらいいかな、おれは(一語判読不能)だったので、こう思うのですよ。なんだか自分はまだ子どもで……後備軍、そう、あれから何年になりますか、ついこのあいだのことみたいです……こんな調子でどんどん時は過ぎてゆくのでしょうね。ほんとにあっと言う間で……今も昔も大した違いはないです。でも、今は面白い! 今が面白くてしょうがない! おれは自分が騎兵であることにとても満足しています。砲兵隊や歩兵隊にいたら、どうだったでしょうね。でも、ここは面白い、断然面白いんです」 
 そこで砲兵が口を挟む――
 「おたくら、いつもラッパばかり吹いとるね!」
 「ラッパを吹く、結構じゃないですか。恰好わるいですか? おれはこの目で――本に書かれたものじゃなくて、ちゃんと自分の目で見る。たとえば、監視哨です、一時間二時間と注意深く目で追う。藪、小川、それから風車――もうほかには何も、それでもおれは目を光らしている。と、ふいに見えてくるんです。そう、風車の羽が、ちょっと動いた。ほんのちょっと……しまった! すぐに電話で報告、ほんの二言三言。で、何か音がしたかと思うと、もう風車は姿も形もない! どうして面白くないことがあるでしょう? じゃ、こんなのはどうだろう。一本の道が見えるている、くねるように進む荷馬車の列。次の瞬間、すべてが一変する。馬たちが頭を下にして吹っ飛んでゆく。人間も、馬車も、積んでいた大量の荷物も。それを自分はじっと見ている。おかげで今では、死は少しも怖くない。自分は死なないとわかってるから。たとえ殺されてもこんなのは無駄死にじゃない〔自分の命を高値で売りつけるんだから!〕。どうしてこれが面白くないことがありますか?」
 談論風発。わたしたちは朝まで喋り合ったのだが、当然ながら、たった一晩で話し尽くせる内容ではない。幸せな斥候兵は、朝方、グロドノに去った。わたしは居残った――〔前線に〕近い、銃後のヴィリノに。なんだか申し訳ない気がして仕方がなかった。

グロドノは白ロシア(現ベラルーシ共和国)の北西端に位置する河港都市。ポーランドとリトアニアの国境に近い。ここを流れるネマン川は白ロシアに源を発してバルト海に注ぐ全長937キロの大河(リトアニアでの呼び名はニャムナス)である。グロドノの城市は1005年にすでに歴史に名を刻んでいる。1224年にはドイツ騎士団によって、1241年にはモンゴルの来襲によって破壊されて、公領をリトアニアが占領した。盛り返した時期もあったが、1260年ごろリトアニアに奪還された。その後はポーランド分割までリトアニア領の一部のままだった。ウクライナ語でグロドノ、白ロシア語でフロドナ、ポーランド語でグロドノ、リトアニア語ではガルディナス。Гродно―град―город(城市、まち)。

2月16日

 リトーフスキイ・イェルサリム。ペトログラードからせいぜい一晩だが、すでに戦場である。北西部地方にとってヴィリノは、西側〔ドイツ帝国〕にとってのワルシャワのようなところだ……。

    グロドノ行き

 軍人たち、これら灰色の人影はもう何時間も列車を待っている。立ったままの者、坐ったままの者。そばに寄ってその肩章に敬意を表すれば、話すこともできる。大半が実戦を体験しているから、誰かひとりくらいは質問に応じてくれるだろう。
 将校用の車輌。赤鼻のシベリア連隊の大尉は――「わしはもう五十の坂を越した……半世紀も生きたってことさ。教えることなんてできない。生きて、ただ黙りこくってるんだ。誰もナンも知らんよ。話すこたぁないな。命じられたことをやり、曹長の話を聞いてるだけさ」
 アウグストフ〔ポーランド北東部の森林地帯。小品「水色のトンボ」の現場―『プリーシヴィンの森の手帖』所収・成文社〕とライスボールの間の街道を、自軍の縦隊が進んでいた。その脇の道をドイツ軍の縦隊が――双方ともおのれの使命を果たさなければならないが、発砲する暇(いとま)がない。だが、すぐそばまで来ている。われらがミチューハ〔兵卒への蔑称〕たちの手巻きタバコに火がつく(ミチューハはタバコなしでは済まない)。一方、向こうにも懐中電灯の明かりがともる。

 人間ひとりが亡くなるように軍団ひとつが消えていった。戦闘音。死に物狂いの一斉射撃。われわれが進めば向こうも進む。わが軍のあとを整然とドイツ兵が、ドイツ兵のあとに自軍の輸送隊が……

 ぱたりと戦闘が止む。カザーク兵が連隊旗を持ってきた……もう一旗……連隊は救われた。司令官が〔旗竿から〕旗をはずし、それをカザーク兵が運び去る。
 疲れきった灰色の人影。闇に包まれている……各自、小型の懐中電灯を所持しているようだ……
 ドイツ人について。悪意でも憐憫でもなく、ただ驚き。分別も狡さも持ち合わせていないといったふうに、さっさと殺しにかかる。病院(ラザレート)では泣きごとひとつ言わず、何の要求もしない。攻撃となると極めて冷酷だ。

 夢。書いておいても別に差し支えはないだろう――戦時に見るのは何の夢か? 今になってよくわかる。夢とは、鉄のローラーが路上の小石を圧し潰すように、さまざまなファクトが四方から人間を圧し潰しにかかるとき、それらファクトに対しての個人的な避難所なのである。
 こんな夢を見た。わたしはアウグストフの森のほとりに立っている。すぐ近くから、救いを求める声が聞こえてくる。声の主は、とても通り抜けられない大きな沼(のような水溜り)に、今まさに沈もうとしている。わたしもはまってしまいそうだ。もう頭しか見えないが、わたし自身も沈んでいくので、声を出す。頭を後ろに反らして、この世での最後の空気を吸い込もうとする。そして最後の助けを喚(よ)んだ……。
 目覚めてすぐにわかったのは、死につつあるわが友――それが敵に包囲された第二〇軍団であったこと、わたしの魂が、隣の軍団の将校の話に応答したのである。包囲した敵の一斉射撃。それが聞こえてきたときの苦しい胸のうちを、その将校は語ったのだ。わたしを驚かしたのは、部隊の、純粋に個人的な関係だった。愛する身近な人を喪って、その目は涙でいっぱいだった。

 大佐は竿から連隊旗をはずすと、それをカザーク兵たちに手渡した。彼らは敵陣を突破し、旗を無事に持ち帰った。それはつまり連隊が救われたということ。普通われわれは連隊を〈数〉と思っているが、彼らにとってそれは〈旗〉なのだ。旗を奪取されたら、全員無事でも、連隊はもはや連隊ではない。しかしカザーク兵の一人が旗を守って突破したら、それは連隊が救われたということだ。銃後と戦場ではまったく事情が異なる。夢がそれを見抜いた――死に瀕した第二〇軍団をわたしは、沼にはまった友というかたちで夢に幻たのである。

 町全体が戦争そのものに圧し潰されていた。辻馬車を雇っても、ホテルまで行き着けるかどうか、わからない。通りの一方に干草を積んだ車馬の列。もう一方には、がらくたを満載した避難民の馬車。どちらも詰まって動けない。にっちもさっちも。避難民の馬たちが車馬の干草に首を突っ込んで盗み食いしている。「ああ!」だの「おお!」だの叫ぶ中に混じる悪罵の凄まじさ。

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