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プリーシヴィンの日記        太田正一

2010 . 10 . 17 up
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 新しい女、不和対立。神聖にして不可侵の内なる個は突きとめられたが、女性の生の仕組みを言えば、それはおのれを捧げることにある(また、巧くずるく振る舞えないことにもあるだろう)。夢想家にめぐり会う。女はその夢想家が好きなのだが、自分にリアルな欲求が起こる時点でもう相手に我慢できないのがわかっている。その欲求(男女がひとつに結ばれること)が実行不可能だと最初からわかっているからである。彼女は男と同様、女として満足を求めている。にもかかわらず、男に行動の自由を与えてしまう。で、そのあと、(おそらく)自分の気持ちを犠牲にして、男のために姿を消すのだ。あとは男の遍歴。男にはすべてが可能だ。結果、女は銀行頭取、男は(牛蒡の中のボボルィキン)

「銀行頭取」は、この時期プリーシヴィンが抱いていた妄想。2月10日の日記にも記されている。英国に渡った(らしい)初恋の人ワルワーラが「死のごとき英国銀行頭取となった」と。ボボルィキンはこのころ構想中のロマンの登場人物(前出)。牛蒡(ごぼう)の棘まみれの男とは間抜けの意。

 賢者の幸福とは愚。賢い人間の愚かな状態にある僅かな時が、のちのち幸福として想起されるのである。だからといって、愚鈍と幸福が同じものだなどと勘違いしてはならない。幸福それ自体は存在する。だが、それを誰よりもたやすく手に入れるのは愚者たちだ。  

7月14日

 7月には、涼気を孕んだ、澄明な、物思いに誘うような日があるものだ。川面や、昨日までに半ば取り入れの済んだ畑、路傍の森にも、そんな同じ静寂が。

 肉親たちへ遺言をしたためる。十字架にはこんな墓碑銘を――『わが亡骸のかたみに』。   

7月27日

 街中。事件について車掌が語る。三色のリボンを付けた白馬の代表。しかし警察はいなかった。最高位にある人間の光景。酔っ払いはおらず、すべて閉じられている。在郷軍人は礼儀正しくそこらをぶらぶら(酒は飲んでいない)……赤毛のムジークが訊ねている――ところでツァーリは戦場に行かれますか? 酒の販売所は閉鎖。国営ヴォトカ専売所での営業のみ。酔っ払いの姿はほとんど見られない。日蝕時における太陽の如し。「ヴォトカ販売禁止とは、陛下よ、よくぞご決断を。どうか恙無くあられますように!」そんな声を聞いた。

1914年7月、ハプスブルグ帝国とセルビアとの戦争が始まったとき、ロシア政府内に二つの立場――長期戦への準備不足を理由に部分動員にとどめるべきだという立場と、直ちに総動員令を出すべきだという立場があった。セルビアの保護者を任じるニコライ二世は自らの決断で総動員令を発した。8月1日、ドイツがロシアに宣戦布告、それに対して翌日(露暦7月20日)、ロシアもドイツに宣戦布告した。

 すべてこれ最期〔死〕の前兆。ある古儀式派の人物との出会いも、森林火災や日蝕やストについての会話も、すべてこれ年代記作者が口にする最期の前兆。

 戦争の兆し――森林火災、大旱天、ストライキ、飛空器。おかげで娘たちを嫁にやらなくなった。ラスプーチン(ペテルブルグの伝説)が刺された*1。赤い雨雲、雷雨。森と古儀式派*2。退屈な日常生活からの解放の喜び――台所と下級飲食店=家と戦争。

*1この殺人未遂事件は、6月29日の昼過ぎに起こった。場所はラスプーチンの故郷のポクローフスコエ。犯人は若い女性で、名をヒオニヤ・グーセワ。隠し持っていた短剣でラスプーチンの腹部を一突きしたが、未遂に終わった。数日の間、ラスプーチンは生死の境をさまよった。犯人はトームスクの精神病院に強制入院させられた。背後に反ラスプーチン派の修道士イリオドールらがいたことは間違いない。サライェヴォでの発砲事件とほぼ同じ時期に発生した。

*2『巡礼ロシア』第二部キーテジ――湖底の鐘の音・第二章ヴァルナヴァの秋
以下を参照されたい。

 ときどき新聞を読み、通りを歩き、ふと自問する――「今の季節は?」夏だということを忘れている。自然も同じ。無人の、反響するアパートは奇妙な音に満ちている。

 否。この戦争のあとで世界はもちろん、しばらくは戦争からわが身を守るだろう。だが、可能性はそれを排除しない。で、一方にイギリスの優位、教養人の鎧だ。戦争を廃棄するには生きた勤労者大衆が戦争の可否を決定する必要があるのだが、でもそうなったら、社会主義者の声などはたと聞こえなくなる。ケーレンスキイは非常に機敏に苦境を脱した――賢い男だ。まあそうしか言いようがないではないか。にもかかわらず、この嬉しさ、この元気! 通りは活気に満ち、誰もがその喜びを〔戦争による〕一体感の源泉から汲み上げている。一方、民衆への感情(計画的な愛国主義)――そこには多くの心地よい嘘がある。ひょっとしたら〈すべて欺瞞〉ということも。

アレクサンドル・フョードロヴィチ・ケーレンスキイ(1881-1970)は政治家。ペテルブルグ大卒。政治裁判で弁護士として有名になり、1912年に第4国会(ドゥーマ)議員に。トゥルドヴィキ(勤労党)のリーダー。エスエル(社会革命党)右派に属し、17年の二月革命でペトログラード・ソヴェート副議長、臨時政府に入閣。はじめ法相、ついで陸海相、7月事件後に首相、のちに最高司令官も兼任した。ボリシェヴィキによる十月革命によって排除され、フランスへ亡命。

 メーニシコフ〔ミハイル・オーシポヴィチ――時事評論家(1859-1918)〕はすでにすべてを調べ上げて、オーストリア=ハンガリーを分割している。彼のことば――「嵐とは自然の贅を尽くして言い表わされた現象。雷鳴が轟く―なんという清々しさ、オゾンの塊だ!」。彼は異民族やユダヤ人についてもこう語る――「彼らの魂のさなぎの中に、目に見えぬかたちで、なにやら蝶のごときものが生まれて、まったく新しい生きものとして飛び出そうとしている」

 ともかく訊いてまわった――誰が何を知っているのかを。そして考えた。こうした大事件が起こって、運命はかくも小さな目撃者を選んだ。みな子どもと同じで、何がどうなるかわかっているわけではない。子どもみたいにただ嬉しがっているのである……
 国会議員のコーリャはふとあることに思い至った。戦争が完全決着して武装解除になるといったようなことだ。以来ずっと考え続けているが、それでどうなったわけでもない。いずれにせよ決断するのは武装勢力だし、つまり軍備が必要なのである。だがそれでも〈最終戦争〉という思いが多くの人の脳裡にあることは知っておく必要がある。動員を妨げるものはたくさんある。〔事件の〕あまりの速さ、その唐突さだ。恐怖に駆られたが、思い直して、走りだした。そして誰もが異口同音に――「順調に進んでいる、露日戦争のときとは全然ちがう」と。

国会議員のニコライ(コーリャ)・ロストーフツェフはプリーシヴィン家の領地と境を接する一族のひとり。ロストーフツェフ家については日記にたびたび登場する。

8月1日〔ペテルブルグ〕

 シェストーフ*1が来て、わたしの考えと予感をすべて是認して、言った――ドイツ人たちは、われわれが戦争の原因であると信じており、ロシア人たちもまったく同様に、ドイツ人こそ戦の元凶であると思っている。また、残虐さについても、そこにはことさらの野獣性など聊かもなく、単に戦時における苛酷なつらい旅程にすぎない、と。
 ピョートル・ストルーヴェ*2がマニフェストを出版し、そこでストルーヴェの愛国主義に敵対する古いインテリゲンツィヤの存在を暴露した。夕食の席で、愛すべきД.А(デ.ア)〔未詳〕が、半ば目を閉じて、予言を始める――「いま自分には見えているのは大国がひとつ、すなわち野蛮なロシアと、全欧に散った小さな共和国(かつての大国の残骸)だけである。それら細分化された国家群がやがて連合を組んでロシアを粉砕し、ひとつの共和国となるだろう――」
 共和国でなければ、ただの集団社会だ。

*1レフ・シェストーフ(1866-1938)――宗教哲学者・作家。本名レフ・イサアーコヴィチ・シワールツマン。裕福なユダヤ人の商家に生まれ、モスクワやベルリンの大学で学んだ。代表作に『トルストイとニーチェの教説における善』『ドストエーフスキイとニーチェ・悲劇の哲学』など。革命後に亡命、パリで客死。一世を風靡したロシア最初の実存主義哲学者。

*2ピョートル・ベルンガールドヴィチ・ストルーヴェ(1870-1944)は経済学者。ペルミ県知事の息子、ペテルブルグ大法科卒。「ノーヴォエ・スローヴォ」誌を編集、合法的マルクス主義を主張した。またロシア社会民主労働党創立大会の宣言を起草したが、のち右傾化して解放同盟を結成、やがてこれが立憲民主党(カデット)に発展し、その中央委員、第2次国会の議員に。ソヴェート革命に反対して国内戦では白軍を支持、パリに亡命。著書『ロシアの経済的発展問題の批判的考察』(1894)、『農奴制経営―18-19世紀ロシア経済史の研究』(1913)。

 ナロードは賢くなった!

 電報を受け取って、亭主に何かあった〔召集令状〕と思い込んだ〔村の女房は〕、字が読めないので、わたしに読んでくれと持ってきたが、しきりに『お蔭様で!』を繰り返す。〔亭主に令状が来たことが〕嬉しいのだ。

 まずは勝利だ! 武者震い? いいや、ぶるっときたのは、わが内なる自然感受(чувство природы)*1のためである。見上げれば、雲の下ではミヤマガラスが大乱舞――列を組むかと思えば、ぐるりと大きな輪を描く。凄まじいその数。(グレープ*2よ、棺に覆い(ポクローフ)が掛けられて、聖母庇護祭(ポクローフ)はもうおしまい!)。で、いずれまたそこは絢爛たる花園に、冬麦畑の黒土(チェルノジョーム)に。おお、だがそもそもそこには、敗残のわが戦死者などよりはるかに多くの屍が転がっていたのではなかったか。

*1外的自然を内なる自然として捉え得た瞬間のこと。「森に入ると、その人は自分自身になった」――ウラルの作家マーミン=シビリャ-ク(1852-1912)も自然感受をそう表現している。戦争への武者震いよりずっと強い振動は、空を覆い隠す(ポクローフのごとき)ミヤマガラスの乱舞から起こった。

*2グレープ(?-1015)はムーロムの公、ウラヂーミル一世の子。スヴャトポルク一世の命によりスモレンスク近郊で殺された。やはり殺害された兄のボリースとともに〈ロシアの大地の守護者〉として敬われている。兄弟は正教会によって聖列に加えられた。ここはおそらく、空を覆うがごときミヤマガラスの群れを目にして、大地の庇護聖人グレープと聖母庇護祭(ポクローフ)の連想を呼んだものだろう。聖母庇護祭は正教十二大祭のひとつで旧暦10月1日。ポクローフは大地を覆う白い布=黒土を覆う白雪(時すでに10月!)であり、戦場の累々たる屍の幻景である。

 『勝つぞ、ぜったい勝つぞ!』と誰かが言っても、返ってくるのは『そんなこと誰にもわからんよ!』。

 旅の途次、若い学生と話す――「戦場に向かう」気持ちなどを。橋〔一線を越える〕――意志。飛空器――矢。空飛ぶもの〔鳥〕を墜す――死の鳥。 

 太陽の、月の、星辰の流れに沿って営為し、あたかもそれらをわれらの血を分けた肉親でもあるかのように感じ、個人的な感情――現代のわれわれとはまるでかけ離れた感情だが――を抱くほどにも馴染んだ、その運行において変わることなき天体との蜜月の牧者の時代に、こんな言葉――『日よ、とどまれ!』(イイスス・ナヴィン〔ヨシュア記〕10章12節)は生まれたのである。
  今まさにそのことが国家と国家の間で起こっているのだ。なにやら憎むべきドイツ国なるものが現われ、個人的に近しい〈血を分けた〉セルビア、〈英国女が援けてくれる〉、友好的なフランス(二語判読不能)国家の名の――人が人を奴隷としない、天体の運行のごとき(三語判読不能)、世界的な人間関係の徴(しるし)、その徴に意識的な人間の活動が付け加えられようとしている。それらが……総なだれ式の狂気が人びとをとらえて歌われだしたのがこんな歌――「ドイツ人、ドイツ人こそは誰よりも!」。途方もなき発光体(天体)をめぐる輪舞が、ビールのジョッキを片手に、くわえタバコで、「ドイツ人、ドイツ人こそは誰よりも!」。輪舞のさなかに新しき洗礼を受けて、人びとは国家的人物、すなわち頭を悩まさぬ天体の、通常の運行に対する(一語判読不能)無人称的存在となるのである。

 家でみんなでデザートにミルク入りのサクランボのキセーリ〔果汁やミルクに澱粉を加えて煮たもの〕を食べていた。偶然、皿のキセーリがヨーロッパ大陸の形になったので、わたしはさらにスプーンでその輪郭を整えてみた。すると、いま交戦中の大国――本物みたいなフランス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、ロシアが出現した。そのことを子どもたちに話し始めたら、面白がって見ていた女中までが、こんなことを訊いてきた――「セルビアってのはどこにあるんです? それからドイツは?」。そこでわたしは、いかにドイツという国が世界から(一語判読不能)されたかを説明し、地球のあと半分、つまりアメリカを描くために、皿をもう一枚使わなくてはならなかった。わたしの全世界は二枚の皿の中にあった。

 ネーフスキイ大通りで、1ルーブリするウスペーンスキイを10コペイカで売っていた。ヨーロッパの地図――作戦地域〔戦場の〕……辛くなる。

グレープ・ウスペーンスキイ(1843-1902)――作家。「現代人」誌の編集同人。「ラスチリャーエワヤ通りの風習」(66)、「零落」(69)、代表作は「大地の力」(82)。農民生活をドキュメンタリータッチで描いた最も力あるナロードニキの作家だったが、晩年発狂し、精神病院で死んだ。(十三)に、娘のヴェーラの写真。

 日蝕が始まった――8月8日。クリュチコーフ〔クジマー・フィールソヴィチ(1890-1919)はドンのカザーク。一等ゲオールギイ十字勲章所持者〕にわたしは言った――「ほら、太陽を見ながら将校が兵たちに説明してる――なにも恐れることはないぞ」
 すると、クリュチコーフも――「なんも怖くはないさ。月が太陽を隠しただけだ。人間とは関係ない。そういうことは暦にちゃんと書いてある」
 「ではなぜ聖書に『日よ、とどまれ、すると日はとどまった』と書いてあるのかね?」
 「聖書にはいろいろ書かれてるが、ともかく自然は変化しないんだ。エクレシアスにはこうある――動物はものを食って生きている。自分もそうだ。動物は生きている。自分も生きている。動物は死ぬし自分も死ぬ……魂は人間にも動物にもある。男と女は子を産み、子もまた同じ霊によって生きている。つまりは魂だけである。魂は形を持たず、魂は霊であって、よく言われるように、羊の魂にも山羊の魂にも形はない。が、理性は形を有するので、われわれにこう教えている――自然は万古不易、日をとめることはできないと」

旧約聖書コヘレトの3章18節にこうある。正しく引用すれば――人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。

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