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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 08 . 26 up
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6月1日

 朝も早くから、カッコウの雌は、その優しく深い自前の声を披露しつつ、わが家の屋根の上を飛んでいった。その声がいつまでも耳朶(じだ)に残って、歌のようだった。夢に出てきた〈グレージツァ〉が、こんなことを訊いてくる――『ねぇ教えて。スモーリヌイはどうなったの?』

ワルワーラ・イズマルコーワ。ペテルブルグの高官の娘であることは確かだが、上流階級の子女たちが学んだスモーリヌィ女学院(革命前の最も権威ある学校の一つ)出身であったかどうかはわかっていない。このスモーリヌィの建物は、1917年の秋以降、十月革命の軍事革命委員会の本部にされた(前出)。

 語りかけつつМ.М〔ミハイル・ミハーイロヴィチ〕は以下の宣告を下す――『大丈夫、ドイツ軍はおまえを腸詰(ソーセージ)にはしなかった!』。

 2)〔1)と2)がなぜか逆〕ドイツ軍は一昼夜に150露里(ヴェルスタ)移動し、ヴァルーィキ〔ベールゴロド市の東南、エレーツのはるか南の町〕を占拠した。とすれば、あと2日でわれわれの町〔エレーツ市〕にやってくる計算だ。人民コミサールのソヴェートは(他のソヴェート同様)実戦に備えるため、自分らの中から2名の〈独裁者(ヂクタートル)〉を選ぶと、彼らに全権を委任した。

ふつう〈独裁者〉と訳される言葉。人民コミサール・ソヴェート(別名、人民独裁者(ヂクタートル)参事会)は、ロシア・ソヴェート連邦社会主義共和国(РСФСР)の最初の憲法が採択される1918年7月までの、ロシア地方立法機関のモデルとなったもの。18年5月25日に、エレーツ人民コミサール・ソヴェートは以下のことを決定する――『すべての革命的権力を2名のヂクタートル、すなわちイワン・ゴルシコーフとミハイル・ブートフ〔前者はロシア共産党(ボリシェヴィキ)エレーツ郡委員会議長、後者はソヴェート権力下のエレーツにおける指導者の一人〕に引き渡し、以後、市民の生命、死、財産はこの両者の管理下に置かれる』(ソヴェーツカヤ・ガゼータ紙、1918年5月28日(第10号))。

 なぜかこの2人は、町の防衛を原則決定するや、独裁主義(ヂクタトゥーラ)の方式で、戦争問題の最終的解決のための農民大会を召集した。この間、ソヴェート政権樹立後初めて、目線を下げた、つまり代表人選挙を完全に自由化し、しかもアジ演説もなく討議内容もいっさい住人には知らさず、ただただ代表人を送らなくてはならないようにし向けたのである。このことからも代表人たちへの3日分の食糧持参は党の決定済み事項だったことがわかる。さらにはこんな噂も流れていた――『代表人が戦争に言及する場合、その者は前線からの帰還兵であってはならず、その時点で戦いを呼びかけていた者でなくてはならない』と。
 1)民衆(ナロード)は何かしら最終方針のようなものを待望していた。方針が下されれば、具体的にどの土地が自分の所有となるのか、また危険を冒さず厩肥(きゅうひ)を運べる場所も、前年に播いたライ麦の集積場所も、はっきりするからである。『自分たちだけで実現するのは不可能だ、誰かが行って審議し検討しなくては!』――そんなこともすでにしきりに言われていたのだ。だから、各村から2名ずつ(郡全体で1200名)代表人を送れと言われたときには、ああいよいよこれで最終方針が下されるのだと誰もが思い込んだのである。
 5月16日、(3日分の)食糧を持参した1200人の農民代表団が郡都に集結した。
 まずヂクタトーラはドイツ軍について説明する。大地(ゼムリャー)〔=代表人のこと〕は口を噤んでいた。
 ヂクタトーラは言う――
 「なぜ諸君は黙っているのか? それとも諸君の舌は牛にでも噛み切られてしまったのか?」
 代表人は決して言葉に詰まったわけではないのである。ようやく誰かが口を開いた。
 「何を言ってるのかね? ドイツ人はおまえさんを切り刻んで腸詰にしたわけじゃなかろう? 何のためにわれわれをここへ召集したか、なぜそのわけを言わないのか? わしは断固戦うことを主張している。世間はそのためにこのわしの首に縄をかけるだろうか?」
 大会は何ら成果がなかった。代表団は互に戦争について問い合っただけで、1日残して会場をあとにした。そのころにはどの電柱にも総動員の布告が出ていたのだが、貼られていたのは大会開始後の2時間ほどで、誰かの手ですべて剥がされてしまった。
 農民たちは互いに言い合った――
 「わしらにゃ武器はねえし、逃げる場所もねえ、なあ、そうだろ?!」

 いちいち反論を唱えるヂクタートルが一人いた。
 それで非難の矛先は、ドイツ人だけでは済まず、そのヂクタトゥーラにも向けられてしまう――「何を言ってやがる。ちぇ、そんな権力はとっとと消えちまえ!」

 知り合いのところにお茶を飲みに行くとき、あっちこっちの電柱に総動員を呼びかける紙が貼られているのを見た。よく見ると、そこに2つの署名――MとN。MとNの間に短い横線(-)が入っている。〔誰のことだろう?〕。お茶を飲んで帰るときには、ビラは残らず剥ぎ取られていた。
 こんなことも言われた――
 「戦争の呼びかけではない、ただドイツの奴らをズラす(下線あり)のである〔ズラすは焦(じ)らすの訛り〕」云々。
 さらにこんな言葉も書かれてあった――
 「戦争の話なら、前線からの帰還者ではなく戦争を呼びかけた人間にさせよ!」
 土地の再分割に怒る農業経営者の議論もよく聞かされた。
 「いったいどこの土地を守るというのか? 地主の土地は収奪されて、守るべき土地などどこにもない。額に汗して種を播いた人間がすべてを奪われたのだ。自分のものしか持たない人間は容易に他人(ひと)を信じなくなった。戦争をしても土地は少しも増えない。誰がいったい儲けたのか? いっぱい餓鬼を抱えて町から町をさまよっていれば、土地のことなんかどうでもいい、とにかくその日の喰いものを手に入れるのがやっとではないか? たしかに最悪ののらくら者〔シェリュガン〕だから、仕方がない。でも、大多数がそうかと言えば、意外やそうでもないのだ。のらくら者はせいぜい10人にすぎない。いったいわしらは何を守るというのか?」

 土地はない!

 新たなわが方針――〔自分は〕ドイツ人たちの役に立つ。

 こんな村もあった――『わしらは、大人は残らず行くぞ。ただしこの郡から先へは行かんがな!』

 村によっては――『動員だからわしらは署名したんだ(なんせ町からそれを煽る奴らがやってきたから)』

 郷の、かつてただの巡査(ストラージニク)〔1917年まで地方の最低身分の警察署員〕だった男が、今では郡の独裁者(ヂクタートル)である。連日、人民クラブ〔公民館」の劇場の舞台から村の〔人民〕代表者たちに向かって叫んでいる――
 「ここに集まったのはプロレタリアじゃねえぞ、富農(クラーク)だ……」

 花壇のバラの花と花の間にビートを植えた者がいたが、折角のビートは割れて食糧の足しにもならず、ひと夏咲いていたのは茶色いのバラばかり。

 労働者代表ソヴェートで他のヂクタートルが言った言葉というのがこれ――
 「反革命のヒドラが頭をもたげた。どこの界隈でも諸君はブルジョアどもが現政権を罵倒する言葉を耳にしているはずである。そこでわたしは訴える――メンシェヴィキの同志よ、エスエル右派の同志よ、力を結集して進撃しようではないか!」
 「同志ヂクタートルよ」と今度は労働者代表が言う。「わしらにはわしらを送り出した者たちの同意なしにはあなたに答える力はない。彼らの意見を聞かなくてはならない」
 それに対してヂクタートルが答える。
 「強いてやるのです。強いて決断せねば。権力に強制は欠かせない」
 誰も反応しない。
 怒り心頭に発したもう一人のヂクタートルは大声で――
 「なぜ諸君は黙っているのか?! 牛にでも舌を齧られたか?」

 いちいち文句を垂れるヂクタートルはがっかりし、もともとあまり抗弁しないヂクタートルにバトンタッチしてしまう。

6月2日

 きのう、百姓たちによって戦争と独裁制についての問題提起がなされた――それは『戦闘開始をめぐっては最高権力機関を有するモスクワの同意によるが、ことエレーツ郡に限り対独行動をとらない』というものだった。
 独裁制に関して――村の一部はおおむね反対、一部は『ヂクタートルたちは制限された権力と管理の下に選出される』との決議がなされた。
 大会で農民たちは、独裁制は専横政治よりたちが悪い、獲得された自由を常に農民層から奪う可能性があるその他の理由によって反対を表明した。

 ボリシェヴィキ自体が独裁制の問題をめぐって二つに分裂したが、一方エスエル左派は公然と、これは脱ソヴェートを抑制したにすぎないと言い放った。

   〔余白〕ドイツ人を通しての自己改良化――村のために死ぬ(銃で自殺しよう)。

 現在、大多数の農民は――エスエル右派で、憲法制定会議を望んでいるが、もちろん、それが最初の段階で右にターンするのは想像に難くない。現在の農民の心理の根底に「獲得された自由」、つまり地主連から奪った土地を失う不安があるのである。生きている人間への再分割は、国家的かつ文化的技術的観点から見ていくら破滅的で駄目な存在〔貧農層〕であろうと、やはり〔再分割は〕後ろ盾のない貧農層に何かを与え得る。フョークラは追加を受けた土地にいろんな種を播いていた。ビート、ジャガイモ……。彼女は収穫できることを期待している。農民のもう一つの不安はドイツ人を通して旧体制と掠奪に対する処罰が下されることである。エスエル右派は未だに予め準備された最初の路線と少しも変わっていない。
 村は、卵を抱く雌鳥のごとく、他人の分与地の上に胡坐をかいている。そしてついにはすべてのものから何かを孵す、つまりボリシェヴィキからは〔一語判読不能〕と戦争と地主の土地を、右寄りの社会主義者からは今では憲法制定会議と諸権利とを孵そうとしている。

 きょう5月20日〔旧〕、爺さん(ヂェドーク)、わがプラトン・カラターエフを葬った。

爺さんと呼ばれた人は、幼いころからプリーシヴィンが好きだったフルシチョーヴォの農民。活字になった彼の最初の物語「サショーク」(1913)の主人公のモデルであり、のちの自伝的長編『カシチェーイの鎖』(1927)の登場人物(グーシカ)のモデルにもなった。「わたしの好きなフルシチョーヴォ的タイプ。彼のうちにわたしは自分自身を、いや自分の最良のもの――永遠に失われてしまった、自分自身がいちばんそうなりたいと思った人間を、見ていたのかもしれない」(РГАЛИ)。ルガリは〈文学と芸術のロシア国立アルヒーフ〉の略。

 死の前夜、爺さんは言った――『わしがわかるかい? 〔おまえさんには〕20年も会ってなかったな』
 長靴に手を突っ込む――まだ温かいだろうか?
 葬式にニキーフォル――〈40ルーブリ〉これは柩代。

 彼らの自信、それはべつに信念ではない。彼らの自信は〈〔書き足し〕毒を投げ込まれた井戸から汲み出されたもので〉、自分と似た者同士の員数に在る。本来、信念には〈〔書き足し〕深みが〉、信念は人間的深みと純粋さから出てくるものだが……

 ボリシェヴィキのフェーヂカの問題。彼は自信家(信じている人間)か、あるいは買収されただけなのか? 
 自分はこう思っている。フェーヂカにはゴルシコーフ同様他の連中も同じだが)、有名であることが勲章なのである。地主たちのかつての召使、コック、御者たちが今やスメルヂャコーフ、つまり殺人を通してかつての主人たちに報復しているのだ。その報復の実行には彼らの弱みと短時性〔あまりに時間が短い〕がある。つまり、復讐というおのが使命(ミッション)を完遂した今では、すでに衰亡しかかっているのである。かくしてチェルカースカヤ郷の巡査のブートフ――かつての懲役人――はヂクタートル(これはとくにいちいち突っかかる独裁者だが)の称号を獲得、奴隷から皇帝への大転回を図ると、いよいよ理性と良心のすべての徴候を根絶しにかかっている。
 超奴隷たち(スヴェルフラブィ)のそんな〈自信〉は何によって養われたか? やはりそれは、自尊心の毒が投げ込まれた井戸水を飲んだこと、それと飲んだ人の数の多さによって保持されたとしか考えられない。ところが、信念の源泉は(群衆の華たる)個人・個性・個の深部でしか養われない。われわれの村は辛抱強く卵=思想の上にじっとしている。そして村は外部から邪魔さえ入らなければ、必ずそれを孵すだろう。

 〈死のう〉という言葉は〈生きるのをやめる〉ことを意味する〔ブートフの記事を見よ〕。死の原因は老いや病気や生存競争にある。最初の2つの原因は自然の摂理、第3の原因は人間そのもの〔が原因〕だ。なぜなら、無知無学な人間の大半が常に、ひと握りの、学問ある、血生臭い者たちの手中にあるからである。

 セルゲイ・ペトローヴィチ――
 「うちの娘も学者だ。何でもよく読む。あるとき言った――『パパ、お腹空いた!』。それでわしは娘に本を渡して、こう言ったやったのさ――『じゃあこれでも食べな、ってね』

 ヂクタートルのブートフの記事。農民大会が彼に背を向けようとすると、彼はこんな言葉を放った。『同志諸君、あと2分くれ! 同志諸君よ、やめたまえ! わたしはヂクタートルだが、永遠のそれではないんだ。ただしいちいち抗弁するヂクタートルだ』(つまり、黙って相手の話を聞いてるだけのそれではないということ)。独裁者ピョートルについてベリーンスキイが語った言葉――『国家に役立つ者(有意の人材)たれ。学ぶにせよ死ぬにせよ!――ピョートルの蛮行との闘争の旗に血で認(したた)められたものこそ、まさにこれ』。

「日記」にミハイル・ブートフの論文「死のう」の切り抜き(エレーツ市の「ソヴェーツカヤ・ガゼータ紙・1918年5月29日(第11号))が貼付されている。記事の内容――「……彼らの認識では、ごく少数の怠け者たちが自分らを支配していたのである。無学で読み書きもままならないこれらの人びとは、嘘と瞞着が至るところで行なわれていることをようやく知って、ついに怒りが爆発したのである。ロシアの勤労者は今、自分のものを自分の手に取り戻した。だが、吸血鬼=怠け者どもはそれが気に入らず、資本と贅沢が勤労者にのみ属することを十分知りながら、それらを自分だけの所有物と見なしているので、決して同意しようとはしない。われわれの無知と闇につけ込んで、これら少数派は人民の労働を略奪せんとしている。ひと握りのロシア・ドイツ将校団が、地主と坊主の倅どもが、われらが聖なる真実(プラウダ)を、そのために数百万の犠牲を供することになった聖なるプラウダを殺害しにかかっている。見よ、吸血鬼どもがこちらに向かってくる! そして労働党(トゥルダヴィキ)の同志たちは今、奴らに立ち向かう――奪われた土地と自由をすべて奪還するために。(中略)エレーツの労働者と農民は革命を救ったのである! 貧困階級よ、武器を取れ! 塹壕を掘れ! ブルジョアジーをそこに蹴落として、それを吸血鬼の倅どもの標的にさせるのだ!

ソヴェートの郡権力は誓った――一歩も退(ひ)かず、死ぬときはその場で死のう、と」

 ブートフは血に飢えているが、ロベスピエールのように敢えて思想と一騎打ちはしない、恐れているのだ。奴隷と召使――彼は下僕や奴隷と一緒にいたいと思っており、スメルヂャコーフのように自分の人殺しを隠しながら、民衆が殺人(リンチ)を行なっているような振りをしている。

   〔余白〕溺れた学者たちが岸に這い上がる。

 自然と可能性の通常の諸法則を侵してまで、彼〔ピョートル〕は一方の手で種を播きながら、同時にもう一方の手ですぐにもそれを刈り取ろうとしたのだ。ために自然は彼にとっておのれの永遠なる諸法則から逸脱したものとなり、可能性もまた彼にとっては魔法となったのである。(ピョートルについてのベリーンスキイの言葉)。

ヴィサリオン・ベリーンスキイの論文「ピョートル大帝以前のロシア」(1841)。

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