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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 04 . 01 up
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(9月1日と2日にかけての深夜・続き)

 ケーレンスキイの人気は、ボリシェヴィキ(の〈民主主義〉)よりむしろカザキ(の〈ブルジョアジー〉とわたしなら呼ぶが)によってさらに高まったのである。ボリシェヴィキは妥協の救済者であるケーレンスキイにしがみついた(生活は妥協なり!)。今やケーレンスキイはボリシェヴィキに傾き、〈カザキ〉は次第に離れていく。と不意に通りの方から聞こえてきたのは、その彼を嘲り罵る声……

本来ならカザークの複数形はカザキー、ボリシェヴィークの複数形はボリシェヴィキー。煩瑣を避けて音引きを廃した。

 おお、哀れなスモーリヌィよ、おお、ベールィ・ザール〔白の間〕の吸殻やもうもうたるタバコの煙の中に佇むわたしの哀れなグレージツァ*〔1914年1月23日の〈アピス〉の注〕よ! 確実に1露里はありそうな修道院のアーチ式の回廊のようなところを通って、わたしが遠くへ――市民の軋り音から可能なかぎり離れようとしていたちょうどそのとき、彼女が、そう、あの白衣のグレージツァが〔わたしを〕迎えてくれたのだった。そうして一緒にふたりは、立派な円柱の立ち並ぶベールィ・ザールの方へ歩いていった。白壁の窓ガラスがだんだん青味を増していく。おお、なんという美しさ! やがて夜が明ける。わたしは通りに出ると、その静穏にして稀有なる美を湛えたラストレッリ〔スモーリヌィ宮のイタリア人設計者〕を仰ぎ見た。そしてその驚くべきスカースカからしばらく目が離せなかった。

 しんじつ作家もまた嘘偽りなきプロレタリアだ。それゆえ工場労働者のように自分の肉体の力をではなく、肉体の本質たる精神の力をこそ売るべきであり、売るときは潔く巧く立ち回るべきである

舞い上がらず、しらふの、あるいは〈霊感は商品じゃない、原稿を売るのだ〉と言ったプーシキン流の、これはプリーシヴィンの自作へのこだわり。彼は作品を書くことを〈職人仕事〉と呼んだ。

 革命は人間洞察の知恵に欠ける――それが悩みの種。『一気に改造しようとしてはならない』――そう主張するのは生活人だが、それでも革命は一気にそれをやろうとする。革命のさなか大地と触れ合うとは――いっそう素晴らしいものに変化するための、困難な、悲哀に満ちた道を知るということだ。

 マリイーンスキイ劇場の野蛮人。頬骨高く、額〔の血管〕を怒張させたその顔は、いやに深刻だ。

モスクワのボリショイ劇場と並ぶペテルブルグのロシアの音楽・舞踏文化の殿堂。臨時政府は重要な会議の場所として使用した。ボリショイ劇場も十月革命直後、同じような目的で使われた。

 夜明け。パンの絵。看板。まだ開かないパン屋の店先の石段に老婆が腰を下ろしている。並んだ列のそこが先頭……
 電車の中で酔っ払った兵士が喧嘩を吹っかけ、悪口雑言を吐き散らす。まわりの人びとは腹を立てる。コミサールが男を諌めるが、酔っ払いは逆にコミサールに――
 「おたくとは話したかねえよ、おい白帽さんよ、どこのコミサールか知(し)んねえが、おれはナロードの権利で兵隊やってんだ、おまえさんなんかどうでもいいんだよ」
 そこには何も言わない将校が何人かいた。無力な乗客たちもその無礼な酔漢に何ひとつ言い返せない。

 われわれは今、ロシアから遠く、できるだけ遠くへ去ろうとしている――いずれ振り返って見ることだろう。あまりに近すぎて、長い間まともに見ることができなかったのだ。こうしてどんどん遠きへ行けば、これまでにない愛を抱いて戻ってくるにちがいない。

9月8日

 バセーイナヤ通りの半地下のクラブ〈土地と自由(ゼムリャー・イ・ヴォーリャ)〉。低い天井。壁が赤く塗られている。マリヤ・スピリドーノワが労働者や兵士の一団(左派エスエル・インターナショナリスト)と話し合いを続けている。苦悩するマルーシャ〔スピリドーノワの愛称〕はまさに教会暦に描かれた不朽の殉教者だ。彼女を囲んでいるのは生産労働免除の組合(党)活動家たちで、ことに目につくのがフィーシマン某――したり顔の、さも得意げにフラシ天の帽子をかぶっている。この男は地区から中央委に這いずり込んで今は800ルーブリを貰っている! 機械の取付工は腕が良く、やはりドイツふうのカイゼルという姓である。さらに何人か似たようなのが話しているが、選挙のテクニックに驚くほど通じている。残りの人びと(マス)は何も喋らない――とくに兵士たちは。夢中で「土地と自由」紙に読み耽っていて、必要なときだけ、ああとかおおとか声を発する。ここには〔組織下に〕彼らのような人間が10万人ほどいる。

二月革命以後、エスエル党の左翼は「土地と自由」紙を中心に団結した。

 「そうなんだ」と、ラズームニクにわたしは言う。「あれはなんと言うか、信仰だね……」
 「地上における神の王国なんだ!」ラズームニクが応ずる。
 「きみらは少数兵力〔勢力〕は釣り込まないの?」
 「それはいいんだ。どっちみち釣り込まれる人間は釣り込まれるし、そうでない人間は釣り込めないからね。そこにいくと女性は……」
 「ということは――」と、わたし。「どうでもいい〈そういう女〉を率先して釣り込め〔誘惑せよ〕ってわけかな? ふぅむ、それじゃどうも気まずい……」
 「まあ、たしかに!」

 ロシアを行けば、ココロ千々に乱れて(つまり分裂して)、おまけにハラを立てた空っぽアタマばかりに出会うので、つい自分で自分に訊いてしまう――『おい、いったいナロードはどこにいるのだ?』。以前なら、きっとこう答えていただろう――『問題は軍隊さ。もうその軍隊が存在しないんだよ』。今はっきりしているのは、ナロードの魂がまるごとこの巨大な組織のロープでぐるぐる巻きにされているということだ。
 土地、経営、工業、家庭、みな放りっぱなしで、何もかもが空っぽになり、分裂し、憤って、どの物故者も十倍は死んでいる――トゥルゲーネフ、トルストイ、閉鎖された大学。市民は1日2分の1フントのパンでなんとか生を繋いでいる。ナロードのナロードたるその精気(ドゥーフ)がみなここに、組織の中に逃げ込んでしまっている……
 そんな組織も何かドゥーフの表現だとは思うのだが、でもそれは消える、消えてしまう――夢のように。ドゥーフとはそも何?
 まず第一に、このドゥーフ、ペテルブルグではほとんど眠ったままである。ここにあるの勢力争い、まさに戦(いくさ)。土地が欲しい農民は〈土地と自由〉の組織員とは何ら共通するものがなく、彼らが発する唯ひとつの問いは――土地をくれるかくれないか。一方ここには、平党員にとってはまさに興味深々の日々の状況があるのだ。きょうは地区の選挙戦略会議が、あすはブロックの、あさってはスモーリヌィの大きな会議が、どっちが勝つか――〈全艦隊は我らとともに!〉―〈同志諸君、我々は勝利した。フィンランドには左派エスエル以外に指導者はいないのである!〉。ここではありとあらゆるグループが闘っている――生活での闘いさながらに。いやむしろトランプ賭博と言ったほうが当たっているかも。実人生はレアリティのまわりを回っているのだ(創造)。
 しかし何がどうあろうと、地方では、雄牛のようなものが、古い時計のリズムに遵(したが)って草を食んでいる。いくらジタバタしても、雄牛はそれ以上速くは草が食えないのである。春を冬に戻すことも秋を春にすることもできないのである。〔こちらでは〕何でも可能で、何のチェックもない。誰が出し抜くか? トップを切る者は何を見るのか?

9月10日

 プーシキンがあれほど誉めそやした役人たちの街、勤労の街区を抜けて、かつて勤めていた省の建物へ。
 村では土地の分配、ここでは権力の分配だ。ロマンチックこの上ない恋愛はたいていベッドの上で終わるが、多くを約束する権力もたいてい断頭台で終わる。
 農業省の役人から聞かされたチェルノーフの話を少々。彼は最初の演説(創造的な仕事について)で役人たちをうっとりさせ、演説が終わってみなが各持ち場に散るときには、〈さあやるぞ〉という気にさせたらしい。だが、そのあと奇妙なことが起こった――大臣〔チェルノーフ〕は全勤務者に個人情報の提出を要求したのだ。それはかなり難しいことだった。勤務者の数が半端でないので、トラック一台では足りないだろう。提出などとても無理。一笑に付されてそれきりになってしまった。次に起こったのは農業プロジェクトの〈ザヴォローシカ〉だ。大臣はいきなり役人一人ひとりに「就職のさいに誰の推薦を受けたか、また現在に至るまでのおおよその政治的見解(表現がじつに巧妙だった)を書面にて提出せよ」と言いだした。ついに造反(ブント)が、続いて機構全体のモラル上および事務上の崩壊が始まった。

突然の混乱、紛糾、もつれ、ごたごたのこと。『ザヴォールシカ』は1913年に発表された一連のオーチェルクの総題である。1905年(日露戦争敗北)後の国内の大混乱に関して農村の人びとの暮らしを中心に報告した(『村の十月一七日宣言』その他)。

 現在、役人はすべて、敵対する二つの党に分かれている――腹の中では現状に大いなる不満を抱いている者と、時代をチャンスに変えて、可能なかぎり多くのものをちょろまかそうとする者に。
 はっきりしたのは、旧体制の役人が新体制の役人よりも潔(いさぎよ)かったわけではなく(これはぜんぜん当たらない)、ただ頭が良かったということ。
 綱紀紊乱。これまでは優秀な職員(アパラット)が思想だけでなく〔それを表現する〕言葉までそっくり大臣に提供していたものだ。大臣は会議に臨むにあたって、あらゆる質問に対応できるカンニングペーパーを忍ばせていたから、本物の馬鹿でも大臣席には(国家に損害を与えることなく)そうとう長いこと坐っていられた。しかし今や、あれほど便利で優秀なアパラットが賢明な大臣にとって害ある働きをなす存在になっている。以前はどんなに血のめぐりが悪くても、大臣はアパラットの動きをいちいち気にせず、自信をもって国を思うことできたのだが、今で最も嫌な軋み音を立てるアパラットに歯ぎしりしながら、不幸の因はすべてアパラットにある、最も信用の置けない者たちを完全排除しなければ――つまりそれで身上調査の実施の要求ということに相成ったわけで……そのようにして徐々に損なわれた権力は、罪深き恋のように、自分の愛人をベッドに引き込んでいった。とはいえ、権力のベッドは恐ろしい。権力の断頭台こそベッドなのである。大臣から村の土地委員会の議長まで、ロシアでは、不幸の因はまったく同じ――〈麗しき貴婦人〉が野蛮人にキスすれば、野蛮人はすぐに彼女を情婦にしてしまうのだ

麗しき貴婦人(プレクラースナヤ・ダーマ)――ミューズないしシンボリズムにおける(無性の)理想的女性(身分は淫売婦)、その形象。野蛮人の権力下にあるロシアのメタファーともなる。詩人ブロークに『麗しき貴婦人の歌』(1904)あり。神秘的な美の偶像と淫売婦、文化において上下めまぐるしく所を変える。

 ペトログラードへの途上ですでに、敵意、苛立ち、悪意の奔流に出くわしている。鮨詰めの車両ではちょっと体が触れたり押したりしただけで、ぶつぶつ文句を言い始める。謝ってもまだ謝り足りないという顔でぶつぶつ――落とし前をつけろと言わんばかりに。
 市内を3日間、歩き回る。順応できないうちは空腹でふらふら状態だった。もちろんホテルはあるのだが、まずお茶1杯とオープンサンド3個で4ルーブリに驚かされた。ひとは飢えに苦しめられて、ぶつぶつ独りごと言い始めるが、事態の深刻がわかってくると、ぶつくさ言いつつ、しぜん、市中を流れる黒い大河〔ネヴァ〕に行き当たる。

 わたしのアパートに娘と年老いた母親が暮らしている。老女は朝の5時から列に並んでいて、娘のほうは食糧省に勤めている(月150ルーブリ)。母娘はほとんどジャガイモとまだ青い(安い)トマトしか口にしない。ときどき(なんと嬉しいことに!)少しだがミルクかバターあるいは乾魚(ヴォーブラ)が手に入ることもある。夜明けの5時、すでに老母は列に並んでいる。いちど朝スモーリヌィから帰るときだったが、列の一番前にいる母親の姿を目にしたことがあった。秋の、まだ光も射さない時刻に、彼女はパン屋の石段に腰を下ろしていた。黒いプラトークをかぶっていて鼻の先しか見えないが、死人のように青ざめた顔で、じっと看板のパン(きれいに描かれた絵である)を見つめていた。あるときなどは、急にわたしの部屋に入ってきた――満面に笑みを浮かべて。そのとき自分は書きものをしていたが、彼女はそんなことなどお構いなしだった。要するに、脂身(サーロ)が少し、安く手に入ったことを伝えたかったのだ。サーロを使って何か作り始めたが、そのうち凄まじい臭いがしてきた。老女は葱と大蒜をサーロで炒めることを思いついたのである。
 「わたしは――」と老女。「食べません。ただ娘に気づかれないといいのですが……」
 夜、食事のあとで、そっと訊いてみた。
 「どうでした? お嬢さん、気づきませんでしたか?」
 「ええ、気づかずに――」老女は喜んだ。「食べてくれましたわ! わたし、とっても嬉しいんです、とっても! あの子、気づきませんでしたの」
 3日ほど食糧切符が〔手に入らず〕、〔切符なしでは〕誰も食事にありつけない〔みんなそうなんだ〕と思っていたから、家主のとこにも〔顔を出さないでいた〕。飢餓には苦しんでいたが、癇癪は起こさなかった。腹を立てても仕方がない。そんなとき、またいきなり老女がわたしに言ったのである――
 「まあどうなさいました? あなたはお金持ちじゃありませんか! 」
 こういうことだった――金さえあれば、並んで並んでやっと1週間分(わずか2分の1フント)しか手に入らない肉屋ではなく、市場(ルイノク)に行けば、肉もバターもハムも好きなだけ買える、だからお金持ちは昔のような暮らしができるのですよ。その後しばらくして、ギムナジアを卒えた娘さんが働きに出たこと、150ルーブリ貰っていることがわかった。でも、ネヴァの岸壁で薪を積み上げれば(力仕事だが)1日で40ルーブリ(!)稼げることもわかった。

 お喋りなペテルブルグ――これは裸ん坊の大河だ。裸ん坊たちの自分流のお喋りが喧しい。彼らは自分たちがその河水を動かしていると思っている。海に急き立てられて、それゆえ自分たちがざわめいている――そんなこと知りもしないしわかろうともしない。

 社会主義をめぐる出版物に関するミーチング。ボリシェヴィキは臆病者だとどこでも言われているが、なぜか誰もが彼らを非常に恐れている。エスエルの老人たちとメンシェヴィキの防衛主義者たちは、ボリシェヴィズムの基には、平和の、すなわち唯物主義的で、腹の底からのエゴイズムの伝道(宣伝普及)が在ると言うが、彼らにはそれに対抗するものが言葉以外に何もないのだ。彼らの言葉はシャボン玉――空中ではじけ散る。飛びつきたい言葉がないのだ……。強いものとは、いずれナロードの悪魔の誘惑にも対抗できる強いものとは何だろう? それは古い神(昔の名は役に立たない)の新しい名か? それとも市民戦争〔国民同士が殺し合う〕でおのれの顔を取り戻す逞しいナロードの棍棒なのか?

9月14日

 あっちでもこっちでも喧嘩。長年にわたって培われた関係が破綻に瀕している。事件は拡大するが、大きくなればなるほど喧嘩の原因は小さくなる。それもそのはずだ。のしかかる重苦しさに生きることがますます耐え難くなってきているから。
 そんな空気の中でわたしはラズームニクと別れた……何が原因で? わたしは彼に言った――チェルノーフの新聞に署名はできない、自分の短編を解版してくれないか、と。すると彼は――それはできない、もう組み終わっているから、と言った。そこで自分は、作品の題を変え、他人の名で出すことにした。だが、作品は密かに復権を果たし、実名で印刷された。まったくくだらない話だが、でも互いの関係はこれでお仕舞いである。

右派エスエルの「人民の事業」紙のことと思われる。

 土地の分配に加わったのが主として土地を持たない人間で、大半が耕作の意味も何も考えたことのない連中であった。それと同様、権力の分配に加わった人間もほとんどの場合、創造的な活動には最も不向きで無能な裸ん坊たちだった。裸ん坊とは、土地が失われた天への道を額に汗して取り戻すべく運命づけられた人間の呪いから生じたものであることを忘れしまった者たちのこと。そういうわけで国家権力とはまずなんといっても人間の不幸なのである。

 権力がむき出しになってしまった。これはもう権力ではなく単なるスケレット、肉のない骨にすぎない。権力の骨とは功名心であり自尊心である。スケレットは、義務感どころか祖国への思いどころか自立精神どころか、侍従補の礼服すら商人の制服すら着けていない。望むところは功名心、ただそれだけ。今はただ権力のことしか頭にない。空手で掴もうと必死である。土地も同じだ。労せず手に入る時代が来るだろう。村のニキータが言ってたっけ――『土地は有り余るくらいあるんだ! でもよ、耕す奴がいねえ』。それで土地はオブラーグ〔耕作に向かない深い溝地〕になってしまうだろう。
 権力は裸のままで、土地のような創造的な衣服を身につけていない――土地なしの権力と権力なしの土地。

 ブルジョアジー。破綻の責任がブルジョア階級、すなわち〈エゴイスチックな衝動〉の複合物(コンプレックス)にあることは、疑いもなく正しい。が、はたしてブルジョアジーとは誰のことだろう? わずかな土地しかない(分与地は20平方サージェンの)村を例に取れば、馬1頭持つ男は馬なし男にとってはブルジュイ〔ブルジョアの卑語)である。(そこから『馬を与えよ!』という社会活動が生ずる)。しかし馬なし男の心理(学)から言えば、馬1頭持ちは2倍も3倍もブルジュイだ。彼はすでにこのブルジョアの気持ちを味わっている、が、それはまだ幼年時代の、軽微なもの。では、いったい誰がブルジョイか? (村でブルジョアジーと呼ばれるのは、欲得ずくの(貪欲な)衝動で動く不確定なグループである)。
 革命の初めのころは、権力をめざす者たちは、それでも生娘にでも近づくみたいにずっとずっと遠慮がちであった。最近は権力が強迫されて、兵士も代表も誰はばかることなく姦するありさまだ。

 9月14日の民主的な評議会で。予備議会(プレトパルラーメント)。

1917年9月14日にペトログラードで開催された全露民主会議のこと。ケーレンスキイ臨時政府が招集、その予備会議の正式名称は「ロシア共和国予備会議」。

 チェルノーフの過ち。ナロードへの媚(こび)。
 自ら読者を求める作家は碌なものでない。読者を無料の付録と〔思っている〕ジャーナリストも同じ穴の狢(ムジナ)。

 劇場前の通りで混乱があった。軍の将校が――
 「なんでこんなに混雑している? ケーレンスキイでも拝もうというのかな? なに、まだ見てない? そりゃ残念だ!」

 〔大会の開かれる劇場内〕。ジャーナリストたちはだいぶ前からオーケストラ・ボックスの中だ。まるで衣装箱の中にでもいる感じ。いろんな人たち〔がいる〕。〔たとえば〕ヴラドゥイキン〔未詳〕、わがエレーツ出身のセミョーン・マースロフ〔エスエルの有力活動家〕。それと新たにインテリゲンツィヤに身体をねじ入れてきた連中――〈半インテリ〉、兵隊、、協同組合員、首都の虫けら、だ。
 ケーレンスキイはじっさい優秀な人間だ。チェルノーフはペテン師ではない、いや、あれは単に小者にすぎない。たとえ定言命令*1について声高に熱っぽく叫ぶことができても、あれは断じてペテン師ではない。カーメネフ*2? あれも大物詐欺師ではない。あれは石ころ(カーメニ)だ。ボリシェヴィクだ。あの声は誰だろう? ボリシェヴィクが後ろに隠れて叫んでいる――『おれじゃない!』。

*1定言命令――定言的命法。哲学者カントが唱えた道徳的命令。「汝殺すなかれ」。
断言的命法、無上命法とも。

*2レフ・ボリーソヴィチ・カーメネフ(ロゼンフェーリド)(1883-1936)はボリシェヴィキの党活動家。ユダヤ人。革命運動のためモスクワ大を中退、亡命・流刑生活を送った。ロシア革命で党中央委員、「プラウダ」紙を編集、しばしばレーニン路線に反対を唱えた。全露ソヴェート中執議長・モスクワ=ソヴェート議長・通商人民委員を歴任。党内有数の理論家(初代レーニン研究所所長)、レーニン全集の編集に関わった。20年代の党内論争でトロツキストとして除名、のち復帰、30年代の〈反革命〉公判で再び有罪、処刑された。

 〔民主的な会議がテーマの〕ちょっとした世界戦争のエピソードなら、未来の劇作家にはずいぶん書きやすいはず。なんせ会議の場がドラマトゥルギー劇場だから。
 半地下のようなオーケストラ・ボックスに百人ほどの雑報記者、速記者、ジャーナリストがいて、上演中のドラマを正確に記録している。
 地方から出てきたわたしにひときわ強烈な感動を呼び起こしたのは、ケーレンスキイの演説だった。その印象をわたしはジャーナリストたちと分かち合った。彼らももちろん、田舎者のわたしから目を離さない。彼らはもう何百回も聞いているから、演説を聞き流している。だんだんそれと同じような奇妙な状態にわたしも領されていく。これは生活ではないぞ、これは劇場の、つまり台詞として残るだろう最上の言葉のようだ。
 もちろん防衛問題を語っている人たちは前線に出て、祖国のために命を捧げる覚悟でいる。でもそれでどうなるのか? 〈自分は死ぬ覚悟だ〉ではなく、〈我々は……〉でなくては……
 「それでどなたも賛成なのでしょうか?」とケーレンスキイが問いかける。「ここにおられる方々がわたしの言葉を嘘と言おうとしている――そういう確信がなければ、わたしはここでは話ができません!」
 「そうだ、そういう人間が来てるんだ!」ボリシェヴィキの一団が合唱する。
 ケーレンスキイはボリシェヴィキと闘う。ドラマチックなシーンである。聴衆はボリシェヴィキの一人をずたずたにしてやろうと構えている――
 「あいつはどこだ? どこに隠れやがった?」
 すると一人の男が立ち上がり(これが当のボリシェヴィク)、挑むようにあたりを睨(ねめ)回す。一瞬にしてざわめきが収まる。ボリシェヴィクが腰を下ろす。ケーレンスキイは祖国防衛の話を続けている。
 ケーレンスキイは大男。誰よりも頭一つ大きく見えるが、考えてみればここは劇場――立って喋っているのは彼だけなのである。
 実際(現実)の権力はこんなものでない、恐ろしいものだ。ここのはどうも芸術家がこしらえた書割みたいにやさしい権力だ。
 次に登壇したのはチェルノーフ。まるで16世紀の狡猾な書記官(ヂヤーク)といったところ。農業問題について言辞を弄するが、すぐに「それは農業問題の定言命令だ!」と野次が飛んだ。するととたんに亡命政治家じみたロシア・インテリゲンツィヤの本性が曝け出されてしまって、この男がただのアレクサーンドリンスキイ劇場の書斎人であり、ヂヤークを演じる下手な役者であり、百姓出の大臣であり、何もかも嘘っぱちであり、したがって口から飛び出す言葉が決して生活とは結びつかない――そんことがすべて一瞬にしてわかってしまったのである。
 このひどく奇妙な空気はやはり劇場特有のものだ。じっと坐ったままの観客、ことに最高司令官について行こうと思っていた(たぶん)者たちは、しかし、誰ひとり腰を上げない。誰もケーレンスキイのあとを追っかけないだろう。芝居がはねたら全員まっすぐ家路につくにちがいない。

 生けるロシアの至るところで罵られているこのボリシェヴィキとは何なのか――どんなに罵られても、ロシア中の暮らしが彼らの圧力下で営まれているのだ。そんな力がどこにあるのか? 今や多くの人間がボリシェヴィキを臆病者呼ばわりしている(これが大流行)、だが、それはまったく正しくない。間違いなく彼らには何か根本的思想力(イヂェイナヤ・シーラ)のごときものがある。彼らには、自らを高く高く上昇させ、幾千もの同胞の破滅と忘却と親たちの再埋葬と故国の荒廃すべてを見下す堅い意志、高度な緊張と集中とがあるのだ。
 祖国の凡なる息子として生きているわれわれには、それは理解することも正当化することもできない。獣じみたこんな人間の下劣さにはとても耐えられない。しかし彼らにはできる、やってのける、気づきもせずに、ただ蔑んでいる。
 理解できないので、それでわれわれはこんなことを言う――『革命(レヴォリューツィヤ)じゃない、これは動乱(スムータ)だよ。革命は世界の歴史のエタップだが、動乱は家事(家庭の用事)にすぎない、中国式の革命だ!』と。だが、ボリシェヴィキは本物の進歩思想を抱いている――自分らの革命は世界の事業、全世界の新たな建設者という一種特別な信念を護持している。この信念は個のうちに体現されることはない。これはナポレオンの信念であり、インターナショナルであり、2×2が4である。
 かくしてこの地上に、われらの新しき、その近視眼ゆえ百万倍も恐ろしいナポレオンが即位したのだ。彼らには個人としての名は無い――彼らはボリシェヴィクだ。

 動乱か革命か。
 これを動乱という。なぜなら、われわれは何も達せずにすべてを失ったから。しかし喪失は、いいや国の完全滅亡も彼らを嚇かさない。国家(ナーツィヤ)は死ねないのだ。もしいま資本主義の勝利であるとしても、どうせ一時的なことではないか。そのあとまた火事は起こるだろう。ボリシェヴィキの観点に立てば、国土防衛はまったく途切れず行なわれているし、それは日々の糧〔食物〕、日常の暮らしの事実と見なされる。ボリシェヴィクの熱狂(エントゥジアズム)は国防を素通りする。インターナショナルのこの熱狂と祖国防衛のそれとは別もの(相対立するもの)と思っていた人びとにとっては、まったく困ったこと、はなはだ遺憾なことである。それは実利性を最終目的とする俗物(メシチャン)たち。とはいえ、ツァーリ以後、このエントゥジアズムは真剣な討議の対象になっていない。

9月17日

 予備議会。ブルジョア階級に要求が刃物のように突きつけられている――社会主義者になれ!と。地方におけるソヴェートの役割は非常に立派なものだった。グルジア人(一級市民)は次のように言うことで喝采を浴びた――『われわれグルジア人は、それでなくとも難しい国家の状況を〔猶予なき諸要求を突きつけて〕より難しくするようなことはしない!』。
 典型的なミーチング人〔空疎な議論好きの集会人〕であるウクライナ人。外国語を操る白ロシア人。毛むくじゃらの地方自治体役人。協同組合員。イスラーム教徒。
 〈農民に土地を兵士に平和を〉ばかりがフル回転して、もはやこれは言葉の淫事。もっぱら語られるのは、政府の土地政策があまり明確でない、平和への頑張り・粘り強さがさっぱり伝わってこない……

 何ヵ月か閣僚だった政治亡命者たちがまったく思慮分別の人となったのは、〔生まれて初めて〕生きた現実〔また事象〕に触れたから……地方の代表者たち――敏腕家、市の活動家、グルジアの協同組合員はいずれも自分の為すべき仕事を持った思慮分別の人。そしてその対極がミーチング人たち――ウクライナ人、ボリシェヴィク、白ロシアの協同組合員……まさにフレスタコーフシチナ(同志アブラーム)の来襲である……ああ、こりゃ駄目だ、不可能だ……円積問題、どん詰まり、お手上げだ――でも、こんなもの、地上を風が渡れば(ほんのひと吹き)、あっさり吹っ飛んでしまうだろう。なんで〈ダー〉と言わない!

フレスタコーフはゴーゴリの戯曲『検察官』の悪ヒーローの名。フレスタコーフシチナはその風、傾向、主義の意。前出。浅薄かつ図々しい大ぼら吹き。

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