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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 03 . 11 up
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7月16日

 森番をしていた男がやって来て言う――伐採を止められない、勝手に伐られて運び出されている、と。
 「もう見張りは無理だね。こんなとこで働くなって逆に言われちまった」
 森番は行ってしまった。土地委員会に要請書を出す。1ヵ月後、町からエスエルとエスデーの党員がやって来た。
 「おたくには見張り人はいないのかね? いない? それじゃ訊いてもしょうがないな」

 誰も革命の顔を見ていない――誰もそれを出し抜くことができないから。革命と伴走している者は革命について何も語れない。革命が傍らを通過していく者にも何も見えない――ゴミや舞い上がった埃で光が遮られるから。もちろん革命は半人半獣的なしろもの。革命と一緒に突っ走らなければ、見えるのは、どんどん背後へ不潔をまき散らしていく獣のでっかい尻だけである。

    大鎌の刃を研ぐ

 根気の要る作業。鉄のハンマーで細い刃先をトントン叩く。マルクス主義の大波が打ち寄せた若い時代にもやはり、強情張って誰の言うことにも耳を貸さず、刃のように細いひとすじ道を必死に歩いて行かなくてはならなかった。ぼんやりとだが、憶えているのは、艦隊や軍に金を出すべきでないという基本的主張に対して『そうかな?』と思ったこと。どうして祖国を守らずにいられるのか? 誰かがやらなくてはいけないのに。なぜそれがおれじゃないんだ、と。そして今、その答え――そんなことは、それで儲ける奴にやらせりゃいい、守りたい人間はいくらでもいるさ、だ。死刑の問題はまさにそれである。死刑はこの社会には無くてはならぬもの、なら、この社会の中で刑吏を選べばいい、おれは死刑執行人なんかにはならないぞ。現在この社会はその手の仕事〔死刑制度〕を放棄しようと申し合わせたところだ。そこでケーレンスキイとチェルノーフは自ら死刑執行人なろうとしているのだ。彼らがやっているのは、〈確固たる王権の土台〉とか〈神聖なる君主の特権〉とか、要するにブルジョアジーが掲げていた看板を〈革命の達成〉だの〈デモクラシーの土台〉だのに替えただけである。言葉と形式こそ変われ、本質的には何も変わっていない。アピス〔日記の(七)の注〕も以前と同様、畜舎に繋がれていて、舞い上がる路上の土埃もなんのその、革命の旋風には目もくれず、自分の永遠の反芻を繰り返している。

ヴィークトル・ミハーイロヴィチ(1873-1952)――エスエル(社会革命)党創設者の一人。1917年の第一次臨時政府で農相、ソヴェート政権に反抗し、18年チェコ軍団の反乱を煽動、国内戦の口火を切った。20年に亡命。

 だが、トルストイは自分を裏切らない。ケーレンスキイの〈悲劇的な必要性〉にも従わないだろう。

 春の陽光とともにやって来た純真無垢の光の子らのような三月(マールト)の日々に、革命は始まった――世界の平和を呼びかけて。そして今、夏の急変期を迎え、もうすぐイリヤーの日〔予言者聖イリヤー祭は旧暦7月20日、新暦8月2日の暑い盛りに執り行なわれる〕だ。鳥たちは歌をうたわず、麦の穂はうなだれて、刈取られるのを待っている。革命はもう齢なので、死刑制度を復活させ戦争に干渉した。つまり、すべて昔のやり方に戻ってしまったのだ。そのあとに新しきマールト〔革命〕の到来、六月(イユーリ)に所有〔権〕のマールトが始まった。ブルジョアとともに、革命は、遺産相続による物的蓄積の持ち主のみならず、じちんと系統立てられた立派な知識と才能の持ち主(その適応能力は実用一点張りのインテリの狭い活動枠には収まらない)にまで触手をのばした。彼ら、すなわち革命(レヴォリューション)に対抗し進化(エヴォリューション)を擁護する、きちんと系統立てられた知識と精神の持ち主たちと足並みを揃えたのは、自助努力によりあらゆる略奪的資本蓄積論に逆らっておのれを控えめな独立的存在たらしめた純真無垢の所有者たちである。アナーキズムに対し、秩序の名において声を上げるそれらの人びとのあとから、早晩、腹の突き出た連中もぞろぞろくっついて来て、三月(マールト)、四月(アプレーリ)が終われば、またぞろ所有〔権〕の夏は始まることだろう。
 マールト的〈中途半端〉の意義とイユーリ的終焉。

    人さまざま

 家にまた兵隊たちがやって来て、勿体つけてわたしに、庭のサクランボを食べてもいいですかと言う。『どうぞ、いくらでも!』――すると彼らはそれぞれ一つだけ捥(も)ぎ、〈馬鹿ていねいに〉お礼を言って立ち去った。おそらくあれはわたしを試したのだ――こいつはブルジョアかプロレタリアか。

 深夜、泥棒が金敷(かなしき)を盗んでいった。あしたは草刈りなのに、これでは大鎌が研げない。泥棒の大量繁殖だ。いちばん貧しい百姓さえ粗末な馬の首輪が持っていかれるのだ。徐々に生活(ブィト)が二つに分かれていく――所有者と泥棒のそれに。徐々に徐々にわれわれの生活は、島の敵対する未開種族たちの間に住む人のそれに近づいていくようだ。きっとその醜悪な暮らしの中には、面白くてためになるものもいっぱいあるのだろうが、今はそんなことを言っている場合でない。興味もないし暇もない。教え説く相手もいない。夜、仕事を終えた夕食前のこと、馬たちを仕切りに入れて、はずした首輪を前後を逆にして(盗まれるのが怖いので)、家の正面のテラスから見えるところに置いた。そうすれば夕食の前にひと息つけるうえに思索に耽ることもできる。ここずっと自分は船上の人で、確かにどこかへ向かっている。『ひょっとしたら、自分はロビンソン〔・クルーソー〕かも。ならばこの船は、自分の本当の故郷(ローヂナ)に漂着するはず。着いたらその本当の故郷の人たちに話してやるのだ――ヨーロッパ人のいない島で自分が野蛮人たちとどんな暮らしをしていたかを

 出版社の「ルーチ〔一条の光〕」がシリーズ本を出そうと言う――『ソフトカヴァーの、できれば綴じ本で』と。

 乾燥場に板を打ち付ける。
 肩の上に頭がのっかっていれば、さして難しい仕事はないのだが、どうも仕事は愚者たちが好きらしい。

 大地との出会いはどこまでも広大にして自由。鋤(すき)を手に気一到すれば身は大地の釘と化す。土の仕事〔農〕こそ哲学だ。ひと鋤ごとにまた考える。

 社会主義者とカデットの論争にはカデットについての真実がある。政府のトップにありながら、彼らはゆっくりと遅れていった。しかし、その理由はわかる――運輸委員会でのオクーリチと半所有者〔中途半端な地主〕である自分の立場を思い出せば、わかる。労働者と兵士代表ソヴェートと郡委員会。大臣たちは、行動できなかったか、奇妙な行動をとるかしたのだ。とにかく〈人民大衆を落ち着かせる必要があった〉らしいので。

 望みのものを手に入れたイワン・キリーロヴィチは、自分を魅了してやまぬ言葉と形象の輪の中へ飛び込んだ。

7月19日

 ライ麦の刈り取り。完全に倒れてはいないが、四方八方に首をかしげているから、刈るのが難しい。それで端の方から齧り始める。ちょうどレピョーシカ〔偏円状の焼き菓子〕を毟るみたいに。穂はもつれてぐちゃぐちゃだ。雄牛が通っていったのだ。大鎌の取っ手の曲がりに指にあたり、痛くて力が出ない。刈り手の長い列と短い列。刈られた畝は、腕のいい調理人に下ろされ〔て皿に盛られ〕たチョウザメの肉のよう。取っ手の曲がりが臍のあたりにくるようにする。桶一杯の水。ときどき刃を研ぐ。ムシトリナデシコ。1日で2分の1デシャチーナは立派なものだ。2人の刈り手のあとに女が3人。刈り取られたライ麦の山。横になると、青と青の上〔畑と空の連想〕、群れ飛ぶ雀、揺れるそよ風――馬車に揺られているのか? 身体、生のきわみ。目を細めると、目の前には刈られた草の茎。そのあいだに緑の斑点と花弁、それと形の違ういろんな草、草、草。先の曲がった太い〔茎〕と細い〔茎〕。上の方を切られたもの、下からばっさり刈られたもの。見事なその切り口、大したものだ(シーラ、シーラ)! ここまでかな? 全部は無理か、しかし息は上がっていない。まだ元気。この元気あってこその人間不死論なのだ。刈り取り。汗まみれ。シャツが身体にくっつく――火照ったり、蛙みたいにひんやりしたり。右腕が痺れて、大鎌の刃がうまく砥石にのっからない。必要なのは力の加減。樫の大木みたいな若者が振るっているのはたいして切れない鎌だが、それでもどんどん刈り進んでいく。もう一列、さらにもう一列! 見事な山が出来上がる! 築かれた――自分の――麦の山。その上にしばし横になって、見上げれば、空、休息、自分の穀草(フレープ)。

 〈土地と自由(ゼムリャー・イ・ヴォーリャ)〉のスローガンを掲げる、これらすべての都市住人たちの目的(面白いのは――42年も郵便局で働いたミハイル・ワシーリエヴィチがわたしに「土地と自由」紙を貸してくれと言ったこと)。

ナロードニキの革命的結社が発行した同名の非合法機関紙(1878-79)。編集者にクラフチーンスキイ、クレーメンツ、プレハーノフ、チホミーロフ、モローゾフ。

 湖岸の小さな道を村のガキどもがいくつも束を引きずっていく。パンが足りないから自分たちで脱穀して、いっぱいピロークを焼くのだ。目の端に、奪い取られた〔自分の〕森にいる馬群がちらり。

 この土地での自分の社会活動は幕を降ろした。われらが議長のアルチョームも、ゼームストヴォの代表が選出されたから(とはいえ、選ばれた連中がするのは委員会(コミッシア)をつくることだけ)もう委員会(コミチェート)は開かれないだろうと言っている。

7月22日

 昨夜、ライ麦の刈り取りが終わった。まだ少し残っていたライ麦のかたまりをぐるりめぐって、われわれが言う――『さあ一気にかませ〔一気に刈っちまえの意〕!』。すると女たちが一斉に叫ぶ――『あご鬚だけは残しとけ!』。そこであご髭分だけ刈らずに残して、それを括(くく)った。女たちが麦束を運び出して、刈り入れはすべて終了。

古くからある農耕儀礼の一つ。

 いちめん褐色のライ麦。近くで見ると、まるで暴風雨が2デシャチーナの畑を一気になぎ倒していったかのようである。茫漠として果てもない空間のようだが、でもそれは、ほんの一片の土地にすぎない。  誰もが争っている。はじめは外部の敵への、そのあとは内部の敵への反目、恨み。はじめは国家間の、それから国内の党間の、それから家族間の、そして兄弟同士の反目、恨み、つらみ。
 うちの屋根の付いたテラス(手摺と柱)はちょうど船のデッキハウスのようだ。夜、家人が床に就いてしんとなったころ、自分はそのデッキハウスに腰を下ろしてぐるりとあたりを見渡す。木々が青々と枝を広げているとき、満開のとき、黄葉(こうよう)のとき、テラスに落葉が散り敷かれるときもある。船はどこかへ向かっているらしいが、いったいどこへ? たしか去年もこの地方を通過したんだが……と自分は考え込んでしまう。この旅はどんな終わり方をするのだろう? 驚いたことに、いくら考えてもわからない――この君主国の崩壊で決着はつくのだろうか? じゃ今は? 本当に君主国の建設で終わるのだろうか?
 委員会をわたしは信じない。憲法制定会議も信じていない。それが実現するためには、あることがなされなくてはならないが、どこかリングの一つが欠けている。あれはどのみち権力ではなく徒党(シャイカ)にすぎない。ならば自分も自分の徒党を、犬の徒党でも! できたら楽しいだろうな。でも所詮、微生物(ミクロープ)。ミクロープが発生しただけだ。ミクロープが咬みついただけである!

7月23日

 はたして〔盗んだ〕束を元に戻すだろうか? クローヴァー畑に馬の群れ。怒鳴って追い散らした。燕麦が実っている。休んでいた畑も再耕し、燕麦を刈り、ライ麦を束ねなくては。だが、馬がびっこを引いている。リーヂヤのとこではライ麦を運び出している。ニュース――ケーレンスキイが逃げ出した。ロシアはこれでお仕舞いだ。燕麦畑から子牛を追い出した。准医を探す。荷馬車でやって来たのは獣医のチーシャ〔チーホンの愛称〕。〔びっこを引く〕馬にみなが手を焼いていた。パーヴェルもやって来た、荷馬車のあとからは鍛冶屋も。パーヴェルが、もう馬たちを伐採地やクローヴァー畑に放すなと言ってくれた。みなが約束する。アルチョームが子牛のあとからのこのこ。脱穀する場所を選ぶ。夜になって本降り。あすの運び出しは無理か。たぶん刈り取りも。

 ニコライ・ミハーイロヴィチ〔次兄〕はロヂャーンコが首相になって独裁を始めたらいいと思っている。ケーレンスキイは〈もぐり屋(ヌィローク)〉だ、チェルノーフは解任だ、と。  「自由が正当性を見出せないのだから、どうしようもない。自由にだって食いものが要るんだが、それが無い。まあでも、いずれ終わりは来るのさ。そうでなくっちゃ。そしてその終わりがまた旧に復する」

7月28日

 年寄りのニキータ・ワシーリエフが目に涙を浮かべて、言う――
 「同盟だ、自由だ、良心だと、今そんなことを言っとるが、では何のために略奪なんかしくさる? いや駄目だよ、おまえたち、いいか、わしらにゃ神と親と王がなくては生きてはおられんぞ。神様がおらんかったらどうなる? 生みの親がおらなんだら――国の王がおらなんだらどうなるか!」
 「なに、国王なんかおらんでも大丈夫だよ、爺さん」そんな声が上がる。
 やはり年寄りのシドールカはふと昔のことを思い出して、口を開く。
 「ええと、何を言うんだったっけ……ああそうだそうだ、わしも国王なんていなくてもやっていけるという意見だ。じゃがな羊飼い〔牧者〕がおらんかったらどうもならんぞ。おまえにとってケーレンスキイはなんで羊飼いじゃないんだ、え? 余計なこったよ、ケーレンスキイのどこが悪い? みんな、あの男を信じとるぞ!」
 「ケーレンスキイがどうしたい? 信じてるって? ケーレンスキイは〈〔ドイツが〕近づいてる〉なんて言ってるが、奴らは〈退却してる〉んだ。あいつはとんでもねえ野郎だよ……」
 そこでまたシドールカ爺さんはまどろんだ。そして解放者のツァーリ*〔アレクサンドル二世のこと。だいぶボケている〕を思い出すのだった。
 「ああそうじゃった……わしが歩いとるとな、馬から下りたあのお方〔ツァーリ〕が跪いて祈ってる、いいか、その祈りは大変なものだ、いいか、その祈りっちゅうものは大したものなんじゃぞ」

 鍛冶場の横を荷馬車に乗った菜園丁が通りかかる。停められた。
 「なんぼだ?」
 「4ルーブリ」
 「4ルーブリだと!」
 「ジャガイモは1フント25コペイカ」
 「まさか?」
 そこでみなが喋りだした――町じゃ物価が下がって、工場勤めの給料は減ってるってよ。給料も値段も低けりゃパンもジャガイモも胡瓜も安くなって当然だ。前の値段に戻せばいいのさ。どうでも要は安けりゃいいんだ、と。
 「そうでなくたって、こっちはにっちもさっちもいかんのだよ。首に縄がかかってんだもんな。わしらの首に縄をかけたのは、国庫(カズナ)〔ここでは国ほどの意〕とドイツ野郎とボリシェヴィキなんだ!」

 もぐり屋。アンドレイ・チモフェーエフ――20デシャチーナの土地持ちが今、燕麦を刈っている。3年間、軍の曹長だったが、今はやはりもぐっている。『わしは――と彼は言う――戦争に終止符を打ったんだ、こんな下衆ども(村の方を指さした)のために戦争なんかしねえよ』。

 立派なことをしてるのかまずいことをしてるのか、今のところ自分たちには判断できない。結果は子どもたちに出るだろう――いずれそれははっきりするが、一方、父親たちは3倍も聖人で、おまけに3度も十字架にかけられたのに、やったことは間違っていたのだ。

 〔燕麦の〕刈り取りが終わった。ひょろひょろした茎。どうもよくない。小さな箒のような可愛い穂だと、刈られたときに、黄金(きん)でも抛ったような音がするのだが、これはどうもよくない。ああ、いま日が沈むところだ。雨雲だって? そうじゃない。あれは災いだ、あれは悲哀(スコルピ)! 何かが起こる前兆だ。それとも露? それとも……〔いや、やっぱり〕スコルピだ!

 野良仕事にも軍規をつくるのはどうだろう? 農業学校にも戦略的な学科〔軍学〕を導入し、勤労奉仕学とか、何か応用社会学みたいな学科を組み込んだらどうだろう。(これは一番手に追いつこうとしているときに、ふと閃いたのだが、なにも彼に勝とうがためでない、自分は拍子を合わせて大鎌を振るっているだけだ、そして3番手もこっちに追いつこうとやはり拍子を取っている。そうすることでより正確に、全員がほぼ一列になって(したがって脱落できない)ザックザック刈っていく――前へ前へ、手早く楽しくすいすいと。これが〈共同作業〉の真の姿で、アンドレイ・チモフェーエヴィチはと見ると、自分の燕麦を自分独りで自分を急き立てながら刈っている。
 われわれの仕事を見に警官のアルヒープがやって来る。
 「ところで、どうだい、戦争は?」
 「やばいよ! お仕舞いだ。なんて言うかな、もうおっちんじゃったよ、ドイツがそこまで来てる……奴らなんかどうだっていいが、でももう終わりだね」
 「なのにまだ軍刀(シャーシカ)をつけてるのかね?」
 そう言われて、アルヒープはぎくっとした。それですぐに話題を変える――祖国防衛が必要だとかなんだとかに。

7月31日

 仕事(ラボータ)と心労(ザボータ)。恐れているのはラボータではなくザボータだ。経営と生活(ブィト)。穴のあいたサモワールの煙突のことであれこれ思いめぐらす。なんにしてもこのサモワールは年寄りだ。表面全体に小さな星〔星標*そっくりの穴ぼこ〕が吹き出て、そこから飛竜(ズメイ・ゴルィヌィチ)〔凶悪凶暴の象徴〕そこのけの火炎を吐くのである。こんな煙突のサモワールでも、見た目はどうしてまだまだ立派だし、春からずっとペチカで乾燥させている木っぱだってぱちぱち元気に爆ぜるのだが、でもやはり齢は争えない。中身はもうボロボロなのだ。修理をしようにも職人がいない。屋根屋はどこかへ逃亡中、戦場からひょいと姿を消し〔もぐって、つまり〈もぐり屋〉〕たきりだし、鍛冶屋には鉄のかけらもない。町へ行く暇があれば(あればの話)直しに出すが、修理に2ヵ月かかってしまう。きょう、古い炉蓋でなんとか湯を沸かした。すべてがそんな調子で、経営自体、存在のつまり生活(ブィト)の必要条件を欠いているのである。他人の領地からプラウを盗んで畑を耕す者もいれば、旧式の犂で土をほじくっている者もいる。犂の刃を鍛(う)ってくれとまいにち鍛冶屋へ頼みに行くが、鉄がないから駄目だと断わられている者もいる。刈取機を使う者、どう足掻いても大鎌(25ルーブリ)が買えないでいる者――いろいろだ。人間はラボータが怖いのではない、ザボータが堪らないのである。ザボータに悩ませられ心がひりついているから、何をどうしていいかわからない。ある者は、穀物はいずれにせよ没収される、自分のものじゃない国家のものだと言う。またある者は、穀物は渡さない、その前に安い靴とズボンをなんとかしなければ――穀物を渡すのはそのあとだなどと言う。
 厭なのはラボータでない、ザボータだ。いちばんの重労働はライ麦刈りだが、それを陽気に楽しくリズムに合わせてやっている最中に、かみさんが喚く――ロープが盗まれた、子牛が繋げないよォ……ああ、あのロープはここじゃあぜったい手に入らないのだ……刃を研ごうとすると金敷がない、盗まれている。なんせ泥棒がはびこって、納屋に農具は置けない、馬小屋に馬具は置けない。あれもこれもテラスに並べて、そばにうるさく吠える犬を繋いで置かなくてはならない。こうしたザボータが経営から生活らしさや趣きを奪うのである。つまらないザボータつきのラボータは何らの達成でもない、策略だ――巧妙に素早くさっと他人(ひと)のものを奪い取るだけのこと。「ああ」も「おお」もなく、気づいたときには手にしていたはずの馬の首輪も無くなっている。

8月1日

 ライ麦を運び、燕麦を束ねて、あとは播種の準備に取りかかる。
 技術の面から〈自力で土地を耕す〉とはどういうことであるか? 雇用経営は事実上不可能である。たとえ可能であっても利益をすべて呑み込んでしまう。

 誰かが溜息まじりに言った――
 「いま必要なのはお祈りのようなもんなんだが。それも無駄なら、いったいどうしたらいいんかなぁ?」

 エルダーン。村から遠く隔たったところで暮らしている人間は、政府の度重なる交替が庶民の心にいかなる荒廃をもたらしているか、想像したこともないはず。今わたしは、新しい閣僚たちの名を記したものを村へ持っていくところだ。
 「これが新閣僚の名簿だ!」
 「またかい? 読み上げなくいいよ、そんなの関係ねえ! そんな奴ら、くそ喰らえ(エルダーン)だ!」
 「彼らはわれわれの期待の星じゃないか!」
 「んじゃ、その期待もエルダーンだ――エルマン〔ゲルマン〕がやって来(く)んだぞ、もういいよ」
 「どうして『もういい』んだね?」
 「どうしてもだ、やって来んだろ、あんな奴らくそ喰らえ! 勝手にさらせ、どうせおしめえなんだ!」
 あっちからもこっちからも聞こえてくるのはこの言葉――エルダーン。
 「くそ喰らえ(エルダーン)!」
 それでもこの言葉の意味を知らなくてはならない。つまりこういうことだ――たとえばあなたが物語を書こうとして、それに昼も夜も、1週間も2週間も費やし、いいや1ヵ月延ばしても何ひとつまとまらず、1年経っても駄目で、最終的にその物語からは何も出てこないことがはっきりしたとする。当然、草稿をぶりぶり引き裂いて屑籠へポイ。そのとききっとあなたはこんな捨て台詞を吐くだろう――えいクソ、なんだこんなもの、エルダーン!
 「じゃ、国家はどうなるかね?」
 「国家なぞエルダーンだ!」
 「じゃあ、ロシアは?」
 「ロシアもエルダーンだ!」
 そうしてこの世のものはみなエルダーン!なのである。秋まき穀物の種を蒔くまでに休耕地の再耕ができて脱穀場に穀物を運び込めたらそれでいいのだ。あとは野となれ山となれ!

елдан―елда―елдак(いずれも卑語、ちんぽの意)。

 国家は力の組織化。力は権力によって実現化される。外部的にはこの権力は国家の境界に向けられ、内部的には力によって全体に従う個(индивидуум)に向けられる。君主制国家の臣民は自由ではない。共和国では個人が服従の必要を知っていて自ら〔自発的に〕従うので自由である。国家の強制から解放される道は公共事業の犠牲の必要性を個人(личность)が自覚することだ。絶対的に自由な人格と絶対的に従順な奴隷はよく似ている。そうそう、それでわれらがエスエルの夢のような自由はわれらが奴隷農民大衆に顔を向けているのだ。そうだ、たしかに似ている。
 土地、それは必要性の法、自由の必要性の自覚――そう考えるのが自由人。一方、奴隷はこう考える――土地は解放(スヴァボーダ)、自由(ヴォーリャ)は略奪(自由勝手)と。
 わが農民は〈土地と自由(ゼムリャー・イ・ヴォーリャ)〉党員の呼びかけに追随して、オシミーンニク〔4分の1デシャチーナ〕の壁にもたれかかった。そして、なかでも愚鈍な連中はそのオシミーンニクだけで満足してしまったのだ。

 労働者のパーヴェルは馬持ちになりたくて、いつも種馬を引いている。泥棒になったのはその種馬のせいだった。彼の耳に自由を吹き込んだのは女房で、その女房は無駄遣いをよくする女だった。いま二人は土地を貰い、その土地に2ヵ月暮らした。そのあとパーヴェルはまた雇われ労働者になって、そこを去った(自由の種馬)。

8月2日

 きのう燕麦が運び出された。きょう穀竿(からさお)で脱穀(1コプナ2ルーブリ)。天気は上乗。あすの予定は秋まき麦の播種。

コプナはふつう干草や穀物の束を円錐形に積み上げた山。にお。土地によってはそのまま収穫量の単位(60~100束)でもあった。

 ドゥーニチカ〔従姉〕はわれらが理想の教師である。彼女は復活大祭(パスハ)には通例、どの男の子にも小さなパスハ〔復活大祭用のコテージチーズ菓子〕をつくり、卵を赤く染めて、みんなに配る。ナヂェージダ・アレクサーンドロヴナ〔隣人、前出〕がわたしの母に言う――『ほら、ドゥーニチカがいっぱい赤い卵をこしらえたわ。ほんと、子どもたちは喜ぶわね。ドゥーニチカは聖使徒(アポーストル)ね。でも、あたしたちときたら、ねぇ、マリア・イワーノヴナ、これまでずっと苦労して子どもたちを育ててきたのに、揃いもそろってお馬鹿さんになったわ。あたしたち、何か報われたのかしら?』
 まさに今、このロシアも考えているのだ――同じ小さな赤い卵を手にした社会主義者の大臣たちのことを。

8月3日

 コーリャが種まき機を貸してくれないので、アンドレイのとこへ行った。彼は畑にやって来て、わたしに手で蒔くやり方を教えてくれた。
 「蒔き残しができんようにな、こうやる、こうこう。ひと掬いは掌(て)がよく知っとるから。そう、下からこうだ。堂々と、たっぷりのっけて、かまわんから思い切り抛りゃいい。風下へ向かって歩け! 父と子と聖霊の名において!」
 昔は、手で蒔いている年寄りたちに目を瞠(みは)ったものだが(なんせロシアの畑は広大だ!)、今では自分ひとりが畝を行ったり来たり。ただ眺めているのは楽しかったが、いざ自分の首にライ麦の種1プードをぶらさげてみると、いやその重いこと!

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