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プリーシヴィンの日記        太田正一

2010 . 06 . 02 up
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 断片的に綴られている以下の走り書きは、構想中の長編である『カシチェーイの鎖』のためのノートであり、アルパートフはその主人公。

邦訳(一部)あり、『アルパートフの青年時代』(蔵原惟人訳・新潮社刊・1929)。自伝的長編『カシチェーイの鎖』は生涯書き続けられたが、最初の章の完成は一九二〇年代に入ってから。

アピス――流刑囚の日記から

 そのころ、アルパートフは、月3ルーブリで農家の中二階の一室を借りた、冬の間は母屋へ移るという約束で。秋、〈わたし〉は独りぼっちで、次第に付き合いにくい人間になっていった。雨はよく降ったし、風はひっきりなしに吹きまくった。雨粒が中二階に夜も昼も落ち続けたので、その雨というのがなんだか自分自身を、もっと正確に言うと、なにかこう、生きていて自分がしていることを十分に承知している雨――つまり、岩たちを洗い、わが心中の石や岩を洗い流し、おのが行為の限りなき目的と知識があることを十二分に自覚しているのでは、とそんな気さえする雨なのだった。でも、そのことで〈わたし〉のためになることはない。風雨が岩を打ち砕くあいだに、〈わたし〉はそうした岩の下で一千回〈一語判読不能〉も破滅するだろうからだ。〈わたし〉はまるで墓の中の生ける屍のようだった。だんだん荒れていった。岩の下で見た夢を話すのはとても難しい。もちろん、彼女が出てきた。あの限りなく遠く、また限りなく近しい存在である〈わたし〉のまぼろしの女人、ソーンナヤ・グレージツァ(Сонная Грезица、ソーンは夢、眠り。グリョーザは幻想の意)が。

エジプト神話のアピスへの崇拝は、太古のメンフィスに始まる。メンフィスの神プタフの、また太陽神ラーの魂(バー)であるアピスは、角と角の間に太陽を戴く聖なる黒い雄牛=豊饒の神のシンボル。アピスが駆ける大地は肥沃となり豊かな実りを約束すると信じられた。アピスはまた冥界の支配者〈オシリス〉のシンボルでもある。プリーシヴィンにとって〈永遠の女性〉はアピス。アピスは人間の歴史とは無縁の、自然な生の、永久不変のリズムのシンボルだ。主人公アルパートフの烈しい感情のうねり。翻弄。バランスと調和、鬱(トスカ)。明と暗のリズム。

 その素顔は一度も見ていない。緑の鳥に姿を変えてやってくることがある。それが彼女であることはわかっている。また、公園の石の彫像みたいな姿で立ち現われることもある。そんなときは、石をとおして彼女と会話を交わすのだが、いかにも異様な雰囲気だ。それでも、そんな醜怪さをとおして彼女と話をし、イプセンふうの簡潔な、含蓄に富む言葉を交換し合うのだ
 ソーンナヤ・グレージツァはぜったいに素顔をさらさないので、こちらとしては、醜い石像と会ってるようなものだった。そのうち目が覚める。聞き耳を立てれば、聞こえてくるのは雨の音。それで〈わたし〉は、ああ、こいつは洗って洗って(無駄なことだが)ソーンナヤ・グレージツァの身体を洗い流そうとしているのだな、などと思ってしまうのである。あの夢の彼女、あの幻影の立っていた場所だが、あれはどこだったのか――考えるだに恐ろしかった。本物の彼女は遠いどこか土の下なのかも。そこへ行く道は天国と地獄の間を通らなくてはならないが、またその道が深いふかい川に行く手を阻まれていて、橋などは架かっておらず、当然、アブラハムも、聖母もいない。で、その底知れぬ川とは、要するに傲慢心のことなのだった。彼女はこうしたいと言い、〈わたし〉はああしたいと言い張って、たちまち二人は別れてしまった。もうそれは遠い昔。したがって、流刑や森の中の孤独な生活がなければ、〈わたし〉の夢にソーンナヤ・グレージツァが出てくるわけがない。もしかしたら、〈わたし〉はすぐに彼女から身を離して、何かよそごとに没頭するとか、農民たちに自分にも土地を分けてくれと懇願したり、自分で家を建てたりしたかもしれない。もっといろんなことを思いついたにちがいないのだ。しかし、この秋の小雨は、岩を持ち上げて、〈わたし〉の上に乗っかってしまった。〈わたし〉はどうすることもできず、何を何のために始めるのかもわからずにいる。ただそんな夜の逢瀬を待つだけの生活だった。そしてその時期、〈わたし〉はどれほど、その(本性と言うのか)ありのままの姿とひとつになったことか! 束の間の逢瀬の場合はすぐに目が覚め、ふたたび天の蓋は閉じてしまう。そのとき見えるのは、死んでいるこの〈わたし〉だ。ぎりぎりまで(一語判読不能)で、 解き放たれるかと思うと、また閉じてしまう。そうして太陽に向かって歩めば、奇跡が、復活が……

 じっさい、そうしたことが起こったのである。突然、奇跡が……。そうだ、それはまさに奇跡だった! ひとりの老人が駅からだといって〈わたし〉宛の手紙を持って来てくれた。青インクでしたためられた住所と宛名……おお、なんとその筆跡、紛れもなく〈彼女〉のものだった! わたしは彼女と手紙のやりとりをしなかった。二通か三通は交わしたはずだが、決してそれ以上じゃないし、どっちにしてももうずいぶん昔のことだ。それに、彼女と最後に逢ったのはパリだったから、自分としては、彼女はあのままずっとパリで暮らしていると思っていた。そして何より彼女、生きている本物の彼女がわたしのことを憶えているなんて、まったく考えたこともなかった。ソーンナヤ・グレージツァは夢に出てくる女だった。ところが、いきなりそこへ、生きている本物の彼女からの手紙が舞い込んだのである! こう記してあった――『明日、あなたの町の駅を通過します。一五分だけ(もしかしたらもうちょっと)時間があるかもしれません。すべてはあなた次第です』。
 消印を見る。血の気が引いた。明日の今日だ、今日なのだ! 時計に目をやった。まだ時間がある。超人的な努力をすれば、間に合うかも。(一語判読不能)の道を選んで必死に自転車を漕いだら、なんとかなるかも。〈わたし〉はすっと飛ばした。横なぐりの風だが、なに、たいしたことはない(湖畔の小径)。  わたしは谷底へ下りる。(一語判読不能)が上からこっちを見下ろしている。ひょっとしたら、これは夢の中なのかも。でも、そうかもしれないが、そうでないかもしれない。奇妙なのは、この時間。時間というやつ! なんだか何もかもが夢の中の出来事みたいなのである。

「青インクでしたためられた」は、蜜のとれる青い草、ファツェーリヤを連想させる。「青い鳥たちが遠い国から飛んできて、そこで一泊、翌朝、飛び立ったあとがそのまま青く染まって野原になった」(「交響詩ファツェーリヤ」から)。

 「ナンラカの理由でムショ暮らし」というのは、まあよくあることだ! ミハイル・アルパートフは未来の女性のことで刑務所の厄介になった。ただしこれは秘密である。ぜったい漏らしてはならない! 部屋のテーブルの上の壁に、「国事犯」の文字。そして、何か重大な罪を犯そうとしていることを十分に自覚していたが、でも……その秘密は他人だけでなく自分自身にとっても一番の秘密。未来の女性だ。それは、まだ若い学生たちを社会主義について書かれたある発禁本の翻訳に当たらせたころのこと。キャリアを積もうとしている検事の若い友人が、その翻訳と労働争議(スト)とを関連づけて、わたしたちの中から国事犯をでっちあげたのだ。

 何ゆえかくも甚だしき夢想は生まれるや? 外に監獄、内にはあまりに強すぎる要求……。

 春――いいなずけ――甚だしき夢想の誕生――獄中。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


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