リレーエッセイ

第50回 - 2003.08.01

ブラティスラヴァ/ポジョニ/プレスブルク

岩崎周一

 この7月にブラティスラヴァに行く機会があった。この街は、マリア・テレジアの時代にハンガリーの「真の首都」(『ハプスブルクとハンガリー』156ページ)であった。スロヴァキアについてもブラティスラヴァについても全くの門外漢である私だが、『ハプスブルクとハンガリー』の記述を追いつつ、この街について思ったことを書いてみることにする。添付の画像、そして願わくば『ハプスブルクとハンガリー』152〜156ページの記述を参照されつつお読み頂ければ幸いである。

 さて、この街でまず第一に目を惹かれる史跡と言えば、やはり城であろう(写真1)。基本の形は長方形、そしてその四隅に塔があることから、「ひっくり返したテーブル」と言われているそうである(写真では撮影した場所の関係で、塔が三つしか見えていない。なお、一番左にある塔が王冠と戴冠式用の宝物の保管場所であった)。もっともこの城、外観は十八世紀当時とほぼ同じ姿を保ってなかなかの威容をドナウに映しているものの、残念ながら内装は1811年の大火によって失われてしまい、今は何の装飾もない白塗りの壁があるばかり。修復工事は長きにわたる議論の末、ようやく1953年になって開始されたそうで、廃墟となった城はその間150年ほど荒れ放題。完全に取り壊す話さえ持ち上がったという。そんな具合なので、ケーフェンヒュラー=メッチュ侯やローテンシュタインらが書き残した情景は今は見ることが出来ない。現在も修復工事は進行中とのことであるから、いずれは往年の内装が再現されるのかもしれないが、当分は無理だろう。  それでも城に向かう歩道は、ケーフェンヒュラーが書いた通りよく整備されていた。マリア・テレジアは城とそこに向かう歩道の整備と補修のために30万フロリーンを費やしたそうであるが、そのいくばくかはこの歩道やあたりに植わっているマロニエの樹に、まだ生きているのだろうか。

 次に見るのは旧市街(歴史地区)である。ここに立ち並ぶ数々の由緒ある建築物とその趣きある佇まいに、私はこの街で最も感銘を受けた。『ハプスブルクとハンガリー』によれば、当時ポジョニと呼ばれていたブラティスラヴァで「何につけても称賛されるのは大貴族の邸宅」(155ページ)だったそうであるが、今日の旅行者もまた同様の感想を持つに違いない。マクシミリアン二世以降、計11人の王が戴冠式をおこなったという聖マルティン教会の内部が修復工事のため見られなかったのは残念だったが、中央広場を中心に品のいいバロック様式の建物が競うように立ち並んでいる一帯は、歩きながら眺めるだけでもとても楽しかった。その中で白眉と言えるのは、エステルゴム大司教バッチャーニ・ヨージェフ枢機卿のために建てられ1781年に完成したという大司教宮殿(写真2)と、アンタル・グラシュコヴィチのために1760年代に建てられ現在は大統領官邸として利用されている、まるで宮殿のようなグラシャルコヴィチ邸(写真3)であろう(この建物は旧市街からは少し離れている。なお庭園は開放されており、これもなかなか美しい(写真4))。どちらの建物、そしてどちらの人物も、わずかではあるが『ハプスブルクとハンガリー』に登場する。またこうした建物の中には、現在各国の大使館として利用されているものも多いようで、例えば1762年に幼き日のモーツァルトが演奏会を開いたパールフィ邸は、現在オーストリア大使館となっていた(写真5)。私が見た限りで旧市街には十を越える国が大使館を構えていたが、どの大使館も面している広場や通りに向かって国旗を掲げ、またEU加盟国は青地に12個の星で円を描いた例のEUの旗も合わせて掲げているので(写真5、6)、建物のさまざまな色合いと相俟って一段とあたりのカラフルな印象を強めている。なお中央広場に面した建物の一つには日本大使館が入っており、これを見つけた時は驚いた(写真6)。土地の人の話によると、最近移ってきたとのことである。

 旧市街を離れても、目を引く建物や通りは随所にある。だがその一方で市電などはかなり旧式で、ふとした拍子に剥き出しの壁や建物の残骸などを目にすることがあった。特に、社会主義時代に建てられたのであろう旧市街の対岸に広がる集合住宅の群れには、正直あまりいい印象は受けなかった(写真7)。プラハ、ブダペシュト、ザルツブルク、ハイデルベルクなど、ヨーロッパの古い都市には川を挟んで両岸に町並みが広がっている形になっているところが多く、両者の佇まいに違いを感じることがあるが、ブラティスラヴァのそれは特に対照が激しいように思う。

 それでもやはり、ブラティスラヴァは一見の価値がある街だ、と私は思う。街の見所はおおよそ徒歩で巡れる。近郊にはトレンティーンの古い城塞(写真8)、ドナウ川とモラヴィア川が合流する場所の丘に立つデヴィーン城など、魅力的な史跡が数多くある。ウィーンからは列車あるいはバスで約一時間。船でドナウ川を下っても行ける。ヴィザも最近必要なくなった。ウィーンを中心にプラハ、ブダペシュトなどと合わせて中欧の古都めぐりをする人が最近増えているようであるが、その中にブラティスラヴァを加えることを私はお薦めしてみたい。上記の三都市に匹敵する魅力があるとまでは言えないが……。良くも悪くも観光地化のまだ進んでいない今は、ある意味で狙い目であろう。街では中国人観光客をよく見かけたが、日本人はあまりいなかった。

 ちなみにウィーンとブラティスラヴァの間の距離は約60km。世界で最も近い首都同士であるということだ。

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写真1:城と聖マルティン教会(右端) 写真2:大司教宮殿

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写真3:グラシャルコヴィチ邸(現大統領官邸) 写真4:グラシャルコヴィチ邸庭園

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写真5:パールフィ邸(現オーストリア大使館) 写真6:中央広場と日本大使館(左)。
右にあるのはギリシア大使館

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写真7:城から見た対岸の風景 写真8:トレンティーンの城塞




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