リレーエッセイ

第24回 - 1999.09.05

パリでのこと――ジャック・ロッシとの問答――

内村剛介

photo  ジャックはジャックでも、ジャック・デュクロがコムニストとして支配した地区にジャック・ロッシは住んでいる。近くに「ビクトル・ユーゴー通り」があり、さてはユーゴーもコムニストかとさえ思われるほど、地名にはフランス・コムニストの名が多い。目の前が「レジスタンス広場」で、もちろんデュクロの名が併記されている。フランスのレジスタンス運動はロンドンからのドゴールの呼びかけにも久しく応じなかったという汚点があり(モスクワからの参加許可待ちだった)、世にいうほどのヒロイックなものではないとジャック・ロッシはいう。どうしてジャック・ロッシがコムニスト街区に住むようになったかと訊くと、それはまったくの偶然で、街頭で出会ったアムネスティ・インタナショナルのメンバーのお世話だったという。炊事/トイレ・浴槽/居間/寝室兼書斎の四区画からなっていて、日本の公営住宅よりははるかに優れていることは認めざるをえない。
 ジャック・ロッシとの問答のうち、印象に残った一部を抜粋してみる。ことは、われらの運命、人間の運命に関するものに集中した。
(写真右)=ジャック・ロッシの学舎オックスフォード大学「オール・ソウルズ・カレッジ」門前で。右=ロッシ、左=内村

知識人とは何か

(内村)

 君の知る中国では「読書人」が知識人の代表であって、この存在自体が完ぺきに権力体制内にあるという伝統だから、ロシアのインテリゲンチャとはわけが違う。「権力」にたてついて「ナロード」へ身をすりよせていくロシア知識人を「インテリゲンチャ」というが、この語自体が外来の借用語(ポーランド語の借用との説が多い)であるのを見ても、その存在自体がロシアの大地から浮き上がったものと言うべきだろう。「ナロード」は土着そのもので、ナシオン(ネートル=生む)とロード(=生)において通底するが、断じてナシオンではない(フランス革命以来の歴史しか持たぬナシオンとは、歴史の長さからいっても比較にならぬ)。「権力(ヴラスチ)」はどうか。字義は“握って放さぬもの”ということで、ゲルマンに通じる。さて、ロシアの知識人の「知」は借り物で、その先輩としてのロシア宗教者はニコンの弾圧以降完ぺきに権力に握られっ放しだから、宗教改革もなければルネサンスもありはしない。そのロシア・インテリゲンチャのたわごと(レーニンら)に尾いていくフランス・インテリの存在をどのように理解すべきか?

インテリゲンチャの「知」の虚妄

(ロッシ)

 第一次大戦がフランス・インテリに与えた衝撃から説明すべきだろう。世界をダメにしてしまったヨーロッパ文明という思いが、東方へ目を向けさせる。何か特別なものが東にありはしないかという思いの目だ。わが子の病状に絶望した母親が占い師へすりよって行くあの姿に、大戦後のフランス・インテリを見ると思ってほしい。
 世界は崩壊した。ロシアがそのとき処方箋を突きつけ、しかも自分の手でロシア・インテリが処方箋を現実にしてみせたというのだ。(思えばそれから十年そこそこで、ロシアはスターリン下で全体主義化し、敗戦ドイツはヒットラー下でそうなって行き、まっしぐらに第二の大戦体制へ移っていった。インテリゲンチャの知の底の浅さ、ここに見よということになる。第三の戦争――それも必至だろう。生あるものは死に至る。地球とて同じこと。衛星の衝突による死がもっとも望ましいと言っておこう)。
 インテリゲンチャを定義しなおそう。かれらはコロニーの人間たちの汗を搾取するカピタリストより悪質で、かれらはその知的たわ言によって、すなわち知による解放を唱えることによって、コロニーからの脱出を迫り、コロニーの人間は生命を犠牲にしてこの脱出を実行する。つまり、カピタリストが汗を搾取したのに対し、知的インテリゲンチャは知の解放を介してコロニーの人間たちのいのちそのものを搾取したのだ。(今もアフリカからのポルトガル、スペインへの死の脱出が続いているが、もはやニュースにもならない)。
 しかも、そのインテリゲンチャの知なるものは、じつは、いわば子供向けのサンタクロースにすぎないオハナシであることが、ソビエト崩壊後の今は誰の目にも瞭らかではないか。(「瞭らか」にしないコムニストも残る。キリスト教が起こり、ローマ帝国が亡んだ。ルネサンスでキリスト教もその死命を制されたはずなのに、今なおカトリックが残っていることを思ってもみよ)。


HOME「バイコフと虎」シリーズ既刊書新刊・近刊書書評・紹介チャペック