クレムリンの子どもたち


V・クラスコーワ/太田正一訳
A5判上製/448頁/定価(本体5000円+税)

「子どもたちこそ輝く未来!」――だが、この国の未来はそら恐ろしいものになってしまった。秘密警察長官ジェルジーンスキイから大統領ゴルバチョフまで、歴代の赤い貴族の子どもたちを通して、その「家族の記録」すなわち「悲劇に満ちたソ連邦史」を描き尽くす。日記、回想記、作品、保管文書、裁判記録など、今まで公開されることのなかった豊富な資料を駆使して構成された、迫力の一冊!! (1998.10)


「訳者ノート」より
 本書は、ワレンチーナ・セルゲーエヴナ・クラスコーワの編集になる『クレムリンの子どもたち』(ミンスク・ベラレスト出版社・一九九五)の全訳である。
 革命直後からソ連邦の終焉までの、これは文字どおり、すべての政治権力の砦であったモスクワのクレムリン――正しくはクレムリ。古代ロシアの城塞を意味する――の、いわば《その中庭で遊んでいた子どもたち》の記録だ。親たちがみな例外なしにボリシェヴィキで、時代の権力の中枢にいたからである。
 初代秘密警察長官ジェルジーンスキイの、獄舎で産声を上げた息子から、ソ連邦の初代にして最後の大統領ゴルバチョフの娘や孫たちまで――ソヴェート政権七十余年を埋めるその主な顔ぶれは、まずトロツキイの、スヴェルドローフの、カーメネフの、ジノーヴィエフの、ブハーリンの、ラーデクの、フルンゼの、ガマールニクの、ピャタコーフの、トゥハチェーフスキイの、すなわち党と軍の上級幹部の、また粛清された無数の《人民の敵たち》の、ブジョーンヌイの、そして当然、独裁者スターリンの、秘密警察の、有名無名のノメンクラトゥーラの、それらを取り巻く大ボス小ボスの、ヴォロシーロフの、カリーニンの、ジダーノフの、さらにはベリヤ、マレンコフ、フルシチョフ、ミコヤン、モロトフ、ブレジネフ、グロムィコ、アンドローポフ、チェルネンコ――の息子や娘たちである。ところで、この国の《明るい未来》になるはずだったのは、じつは彼らではない。より正確に言えば、彼らだけではない。いや、第一次世界大戦、十月革命、国内戦および干渉戦、飢餓、農業の集団化、粛清、そして第二次大戦下で生じた夥しい数の死児たち孤児たちこそ《未来》のはずだったのだ。二十世紀をもう少し長く生きるはずだった彼らは、そのとき祖国で何が起こり、そのあと世界がどうなるのか――そんなことはおそらく、想像することも理解することもできず、ただ右往左往しながら、歴史の大波に呑まれていったのである。ユーラシア海の暗い波の上に運よく顔を出した子どもたちにしても、やっとの思いで泳ぎ着いた島嶼は、ラーゲリだったり、矯正コロニーだったり、良くてもせいぜい《子どもの家》だったりしたのだ。本編には、まるで唯一の救いのように、あのブハーリンの息子のことが出てくるのだが、しかし、あれはあれでやはり奇跡といってもいいような話なのである。肝心の夫婦――ウラヂーミル・ウリヤーノフ(レーニン)とナヂェージダ・クループスカヤ――に子どもがいなかったというのは、何の暗示だったろう。やはり《未来》はないぞ、ということだったのか。

 メモや日記や回想記は、書き残されて初めて意味がある。沈黙のまま一生を終えたかもしれない父親の尻を叩くことで――フルシチョフの回想は、息子セルゲイのしぶとい説得と必死の努力によって――ようやく後世に残ったもの。幸い生き残ったために、何十年も経ってからのインタヴューに間に合ったケース(ラーデクの娘のソフィアその他)もある。国外で出版されたもの(スターリンの娘のスヴェトラーナ)。自ら回想記を発表したもの(ベリヤの息子のセルゴ)など、さまざまだ。

ジェルジーンスキイ親子
jerjinsky

スターリンと3人の子、そしてジダーノフ
stalin

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